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 ワンダの母親サウラが歓迎の夕食を支度をするまでの間、リゼルたちは島の中を見て回ることにした。案内は、ワンダ。とはいえ観光名所があるわけでもなく、急斜面が多いことを除けば、島は、ごく普通の漁村のように見える。
 「この島、なんだか崖ばっかりなのね」
と、シェラ。「どこもかしこも階段だらけ。」
この辺りで最大の島とはいうものの、平地は海際のごく僅かな土地しか無い。それ以外はすべて山。
 「もともと大きな島だったのが、海面の上昇によって山だけが陸地として残ったんだと言われてる。」
 「ふうん、それで、どの島もとんがってるんだ?」
つぼのような形の家々は、山の斜面に張り付くようにして並んで立っている。ワンダの家があるのは島の真ん中あたり、高さでいうと山のちょうど真ん中あたり。そこからは、海まで続く集落の様子が一望できた。家の数は数十といったところ。それぞれにワンダの家族と同じくらいの家族が住んでいたとして、全体でせいぜい数百人の集落だろう。
 「思ってたより人がいる、…と言いたいところなんだけど、年頃の女性がいないんだっけ。」
 「うん…」
ワンダは、しゅんと耳を垂れる。「ワンダのお嫁さん、なってくれる人いない。」
 「この辺りの島にも、いないのか?」
 「いないんだー。」
リゼルは、靄に霞む水平線の向こうに浮かぶ他の島々の尖った島影を眺めていた。他の島の規模がどれくらいかは判らないが、獣人が今、千人程度しかいないとしたら、近い未来には種族として消えてしまうかもしれない。そんなことを考えていた。
 「ま、探せば世界のどこかには、いるんじゃないかな。同じアジェンロゥでなくても、誰かワンダを気に入ってくれる人がいるかもしれない」
 「おー。ワンダ、頑張って探すぞ」
 「次に旅に出る時は、ちゃんとお母さんに言ったほうがいいわよ?」
シェラはワンダの額をつつく。そこは、さっき思い切りげんこつをくらって、ぷっくり膨れているところだ。
 「あ。そうだ、ウィラーフ、もう船酔い大丈夫?」
 「…ああ。」
部屋で寝ていろと言われたにも関わらず、ウィラーフは無理して付いてきていた。顔色はだいぶよくなったものの、まだ本調子ではない。
 「まだ足元がゆらゆらしているが、歩いていればそのうち治る。」
 「じゃ、少し歩いてみるか。」
 「ワンダ、案内するぞ。いいところ、ある」
 「いいところ?」
 「こっちこっち。ついてきてー」
四つん這いになって駆け出す。山の上の方まで続いている長い階段は、海を見下ろす切り立った崖に作られている。
 「獣人じゃないと厳しいわね。これ」
シェラは、スカートの裾をたくし上げながら呟いた。せめてズボンにすれば良かったかもしれない。


 小一時間もかけ、たどり着いたのは、島の中央にどんと聳え立つ山の、ほとんど頂上に近い場所だった。
 「この上、火口ー。ここ、洞窟ー」
ワンダは、両手をぱたぱた振って説明する。
 「この奥ずーーーっといくと、山の中入れるっ! で、ここはー 入り口だけ。お祭りで使うんだぞ。来て来て」
 中はひんやりとして薄暗く、ほんのり青白い輝きがある。
 「月光石…かしら、これ」
シェラは、足元の石を拾い上げる。「火口って言ってたわよね。火山の麓で取れる石だわ。あたしの故郷の近くにもある」
 「受けた光を貯めて、少しずつ放出するっていうやつか。」
 「うん。」
暗がりでも視界に困らないワンダは、仲間たちを置いてどんどん先へ行く。洞窟は、入り口だけは間口を広げるために人工的に削られていたが、すぐ奥から先は完全に天然のままだ。冷えた溶岩の中を長年かけて水が削った、曲がりくねった洞窟。
 「ここ」
ワンダが足を止めたのは、巨大な空間がひらけた平らなホールのような場所だった。天井に穴が空き、そこから光が降ってくる。洞窟の中だというのに、草や細い木が生えている。光の中に、無数の石積みが見えた。
 「これは…」
 「お墓っ。」
くるりと振り返って、ワンダは顔をくしゃっとして笑った。
 「ゆうかんに戦って死んだ、ご先祖様たちのお墓だぞ。ワンダたちの誇りなんだって、とうちゃん言ってた」
 「戦った、って…。こんなに、沢山?」
 「”統一戦争”か」
リゼルが呟いた。
 「五百年前の統一戦争の時、彼らアジェンロゥはアストゥール側について戦ったんだ。その功績を認められて、彼らは正式な国民として認められた。この辺りの島々は自治区ではないが、彼らに優先的な居住・使用権が認められてる。」
 「へー、そんなことがあったんだ。ワンダ見てると、全然そんな戦える感じしないけど。」
 「む。ワンダ、じつは強いんだぞ?!」
墓は、どれも石を積み上げただけの質素なものだ。草に埋もれ、長年のうちに崩れているものもある。ウィラーフは、墓をたどりながら奥のほうへ歩いて行く。
 「ものすごい数だな…獣人だけでこの数とは…」
彼の足が止まった。墓所の一番奥の壁に、何かを見つけたのだ。
 「アルウィン様!」
振り返って、手を振る。「何かあります」
 リゼルとシェラが駆けつけた。
 「これは…」
壁には、どこかで見たような浮き彫り。
 「これって、セノラの谷で見たやつに似てない?」
刻まれているのは、ハザル人の神ユールではない。ワンダたち獣人の姿でもない。樹に似ているが、人のようでもある。石の材質こそ違うものの、全体的な雰囲気も、意匠も、細かな縁取りまでそっくりだ。おまけに、中央に描かれた樹のような人のようなものの上のほうには、セノラの谷と同じように、丸い穴が穿たれている。
 「ワンダ、これは何だ?」
 「えっ。」ワンダは、きょとんとしている。「…ワンダ知らないなあ。ただの、もよう?」
 「いやいや。だってこれ、何かここに嵌めると動いたりしそうな感じじゃないか?」
 「うーーーん…」
腕を組んで、考え込んでいる。しばらく浮き彫りを叩いたりさすったりしていたウィラーフは、溜息をついた。
 「駄目そうですね。あの紋章が奪われていなければ、試すことも出来たのでしょうが…」
 「そうだね」
リゼルは、風化しかかった壁画の上に手をやった。場所からして、扉ではなさそうだ。さらに奥へ続く暗い通路は、すぐ側にぽっかりと口を開けている。しかし、だとしたら、この浮き彫りは一体、何のために?


 ワンダの家に戻ってみると、ちょうど夕食の準備が出来たところだった。ワンダの父親、真っ黒でワンダの倍はありそうな獣人も帰宅していて、その名に恥じない太い声で一行を歓迎した。
 「いや、ようこそ! 旅人たちよ。わしは、東の海のアジェンロゥの纏め役。ロアガルウィン。ロアと呼んでくれたまえ!
リゼルとウィラーフには、手が砕けそうなくらいの握手に、絞め殺されるかと思うようなハグ。さすがにシェラにはしなかったが。
 「息子がたいそう、世話になったそうで! ささ、遠いところ来られたんだ。たっぷり食べて、飲んで! ゆっくりしていってくだされ!」
 「は、はい…。」
丸テーブルの上には、このあたりの海でとれたらしい新鮮な魚をふんだんに使った料理が所狭しと並べられている。ワンダの父は、上機嫌でウィラーフに酒を勧めている。船酔いが収まったばかりの彼は固持しようとしたが、結局押し切られているようだ。リゼルにも、ぜひとも一口と言って聞かない。シェラは、それとなくロアから一番離れた席で、ワンダとサウラの間に陣取っていた。
 「そういえば、ワンダの妹さんたちは?」
シェラが言うと、サウラがすぐに答える。
 「ああ、ちょろちょろすると目障りでしょ? 奥でおばあちゃんと一緒にいるわ」
 「そうなんだ… 残念」
子供らしい、いかにも丸っこいふわふわとした毛並みには、ちょっと触れてみたかったのだが。
 「シェラさん、だったかしらね。」
 「あ、はい。」
 「あなた人魚族の末裔なんですって?」
サウラが興味津々な眼差しで見上げている。
 「はい、でもどうして、そのこと」
 「うちの主人、そういうことに詳しいんですよ。若い頃はいろんなところ旅して回ってたものだから。ルグルブ…でしたっけ。特別な力があるとか」
 「大したものじゃないですけど。」
こんなところで、自分の一族のことを知っている人に会うとは思わなかった。それも、相手のほうが希少な部族とは。
 「ルグルブって、滅多に故郷を離れないんでしょ。旅してるのは、何か大事な理由があるの?」
 「ええ、まあ…」
彼女は口ごもった。「…未来に関わることだから、あまり、詳しく言えないですけど。」
 「そう。秘密の用事なのね」
いつもなら、ターコイズに刻まれた詩と、謎の言葉について尋ねてみるところだった。この時、なぜかシェラがそう出来なかったのは、陽気に振舞っていたサウラが不思議と悲しげな眼をしていたからかもしれない。
 彼女は、ふぁ、と一つあくびをした。
 「…あら」
まだ、眠くなるような時間ではない。
 「あらあら、お疲れ? 長旅でしたものね」
 「うーん、山登りのせいかしら。まだ大丈夫よ」
笑って、果実酒に手を伸ばす。
 「だけどほんとに、ここのお料理って何食べても美味しいわー。」
 「そう言っていただけると。」
ちら、と横目でリゼルたちのほうを見る。ウィラーフは立て続けに酒を注がれて、既にギブアップしかかっている。代わりに、リゼルが槍玉に上げられていた。ロアの独特の明るさと、押しの強さで、盃を断りきれないらしい。
 「ははは、ところで。えー… 名前は何でしたかな。」
 「リゼル、です」
 「リゼル… 何、さん」
 「……。」
少年は、答えに窮している。
 「おや。家名は隠しておられるのか。それとも、本名ではないとか?」
ロアは大声で笑いながら、陽気に盃を開ける。リゼルは、眉を寄せたまま。何故、そんなことを…
 「当ててさし上げようか。あんたの名前は―― アルウィン」
 「!」
黒い毛の下から、ロアの、煌く金色の双眸がリゼルを見つめていた。
 「アルウィン・フォン・クローナ…。五年前、王国に反旗を翻した町の最後の領主の名だ。そうでしょう?」
咄嗟に立ち上がろうとしたリゼルの足が、もつれた。床に膝をつき、彼は額に手をやる。背中の辺りが寒い。対象的に、額は――熱い。
 「リゼル! …あ」
勢い良く席を立ったシェラもまた、めまいを覚えてテーブルの端に掴まりながら崩れ落ちる。「ちょっと… 何、これ」
 「王に仇なす裏切り者め、何を企んでいるかはしらんが、よくも我が家に上がりこんでくれたものだ」
動けないリゼルの前にロアが仁王立ちになる。
 「使者殿が前もって教えておいてくれなかったら、危なかったぞ。」
 「使者…?」
霞む視界の端で、奥の壁にかけられたパッチワークの布が捲れた。その後ろから現れる、長い灰色の髪と髭の男。黒いマント… その端に輝くのは、奪われた”黄金の樹”の紋章。
 「お前は… あの時、の」
セノラの谷で、”オウミ”と呼ばれていた男。アルウィンは机にすがりながら、何とか瞼を閉じまいとしたが、睡魔に抵抗しきれず、沈み込む。
 覚えているのは、そこまでだった。視界が真っ白になり、世界が遠ざかってゆく。


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