3_東の海の墓標島



 船の軋む音で目を覚ます。
 世界は揺れている。ぼんやりと低い天井を見上げ、手を伸ばし、…顔を横に向けると、向かいのベッドで眠りこけている、くしゃくしゃの毛玉が見えた。ワンダだ。毛布に蓑虫のようにくるまって、背中のあたりから生えているしっぽのような毛がぴくぴく動いている。小さな丸窓から外を覗くと、青い波だけが見えた。
 バレアスを出航して何日目か。向かう先は大陸の東の端、アストゥール王国にとっても最東端にあたる地域だ。
 甲板に上がってみると、水夫たちの威勢のいい掛け声が聞こえてきた。風に帆をいっぱいに張って、白波の中を突き進む。出発してきた町は、もう見えない。岸はほとんど見えるか見えないかの水平線にあった。バレアスから目的地までは一週間ほど。その間、何箇所かを経由して荷物や乗客をつみおろししていく。
 リゼルは、船に備え付けられた小型船と、救命用の木たるにペイントされた文字を読んだ。快速船ローラ号、この船の名前だ。
 船首に向かって歩いて行くと、行く手で、船員たちと談笑しているシェラが見えた。冗談を言いながら笑い合っている。リゼルに気づくと、彼女は片手を上げた。
 「あ、リゼル。おはようー」
酒場で男たちに声をかけられるのを嫌がっていた雰囲気は、どこにもない。
 「よく眠れた?」
 「まあまあ、かな。…今朝も早いんだな。」
 「ええ! 海の上だと元気になれるの。あー、潮風はやっぱりいいわー」
彼女の故郷、イェオルド谷は、海のすぐ近くにある。それだけではなく、谷自体、かつては海の底にあったともいう。シェラたちルグルブの民は、大昔、谷が地上に姿を現すとともに陸に適応することを余儀なくされた人魚の子孫だと言われている。真偽の程は判らないが、人魚の子孫を自称するだけあってルグルブは海が好きらしい。
 「さっきの人たち、昨日新しく乗って来た人たちだろ」
 「うん、あたしの故郷のほうにも行ったことがあるらしくってね。あたしがルグルブだって知ってた。で、しばらく帰ってないから、様子聞いてみたのよ」
シェラの故郷は、大陸の西のほうにある。アストゥール王国の果ての果てだ。そんなところから、はるばる一族の使命のために旅をして来た。
 「故郷に帰りたくはならないのか。」
 「たまにはね。だけど、谷の外で暮らしてる仲間にもちょくちょく会うし。」
 「…そうか。」
ふと、少年の表情が陰った。彼も、自分の故郷のことを思い出してしまったのだろう。帰りたくとも、そう簡単には帰れないであろう場所。
 シェラは、慌てて言葉を継いだ。
 「あーっと。そ、そういえばウィラーフは? まだ寝込んでるの?」
 「ああ、多分。」
海の旅が始まってからというもの、ウィラーフは酷い船酔いでほとんど起き上がれずにいた。
 「まさか、船に乗るの初めてだったなんて…。」
 「おれも驚いた。」
陸上では泣く子も黙る宮廷騎士が、海の上では白い顔をして寝こんでいるとは、まさかのシドレク王も予想しないだろう。
 「…次に報告を飛ばすときに、一筆書いてやろうかな。」
 「ええー。やめてあげなさいよ、次に会ったとき、彼、王様にめちゃくちゃイジられるわよ、きっと」
 「やっぱり?」
笑顔になったのも、つかの間。「さて…、おれは戻ってる。何かあったら、部屋に来てくれ」
 「あ、…」
晴れ渡る青空も、遠く広がる水平線も楽しむことなく、船の中へと戻って行く。最初に会った頃よりは笑顔が多くなったとはいえ、相変わらず彼の言動はどこか、見えない壁のようなものを感じさせた。
 ここのところリゼルが何をしているのかは知っていた。ノックスの町で手に入れ、東方騎士団に追われながら何とか持ち出してきた羊皮紙の切れ端の、レトラ語の解読だ。それの原本は、もう一人の”リゼル”、ローレンスの命とともに闇に葬り去られた。その写しと思われる切れ端も、ヤルル老人が命をかけて隠さなくてはならなかった。既に数人の命が失われている。この先、それを安全な場所まで運べる保証はどこにもない。内容が全く判らないまま、手をこまねいている場合ではなかった。
 レトラ語の話し言葉だけはそれなりに話せるリゼルは、辞書を駆使して何とか一部の解読には成功していた。
 「古いレトラ語だ。独特の言い回しが多くて、ほとんど判らない」
数日前に聞いたとき、彼はそう言って頭を抱えていた。「たぶん… 何かの詩なんだと思う。単語の意味は、わかる。だけど意味が通らない。暗号? まさかな…」
隅のほうには、ヤルル老人の走り書きと思われるものもあった。「記憶に頼り、失われた書を再建する」と。その字は書かれてからまだ時間が経っておらず、リゼルたちがヤルル老人のもとを訪れた後に書かれたものに思われた。老人は、ローレンスに何があったのか薄々察していて、次に出会ったとき、渡してくれるつもりだったのかもしれない。そう考えればこそ、その意思を無駄にはしたくないと思ってしまう。リゼルが焦るのも無理はない。シェラにも、他の誰にも、手伝うことは出来ない。
 リゼルが引っ込んだあと、代わりに起きだしてきたのは、ワンダだ。
 「ふぁー。なつかしいー においー」
甲板の上で大あくび。まるで犬のような外見をした小柄な獣人は、潮風に気持よさそうに半目を閉じ、うっとりと海鳥の声に耳を傾ける。
 「ワンダのうち、もうすぐだなー。」
 「ああ、そうね。明日か明後日には、群島の入り口だって。」
ワンダたち獣人の故郷は、大陸の東に位置する群島地域にある。元は一つの大きな島だったものが、海に沈んで山の部分だけが残って島になったのだという。獣人の暮らす島は幾つかあり、正確な住人の数は知られていない。
 「着いたら、おまえたち家族に紹介するぞ。大歓迎だぞ」
 「そういえば、ワンダのうちって、どの島なの?」
 「クニャルコニャルだ。いちばんデカい島。」そう言って、ワンダは胸をはる。「ばあちゃんと、とうちゃんと、かあちゃんと、イトコと、ハトコと、あと、いもうといっぱい! おいもいっぱいだぞ。」
 「…おいも… 芋洗い…?」
 「そう、それ」
シェラは、苦笑した。
 「なんだか、お邪魔するのが申し訳なくなりそうね。それ」
波を蹴立てて、船は進む。帆の上のほうから、見張りの声が飛ぶ。
 「左舷ー、目標ーザイド港ー」
 「ザイド港見えたぞ。帆をゆるめろ」
 「アイサー!」
船がゆっくりと速度を落とし、岸部に向かって曲がり始める。
 「次の港に、着くみたいね」
この船の最後の終着点、東の果てトレミル港は、その次だ。風は順風。行く手を阻むものは何もなく、海路の先には、目指す島があった。


 小舟を乗り継いで、獣人たちの島に辿りついたのは、それから二日後。群島地域最大の島、クニャルコニャルは、観光客どころか漁師すらめったに来ないような辺鄙な場所にあった。浅い海には珊瑚もない。大型の船を拒む鋭い岩礁地帯。島は険しく切り立っており、ほとんど山。それも木は少なく、岩肌が直に見えている。
 「わーい、着いた。着いたー」
ワンダはぴょんぴょん飛び跳ねて大喜び。リゼルは、ちらとウィラーフのほうを見た。
 「…大丈夫か」
 「……。」
青年は、白い顔でうなづく。返事すらないところを見ると、どうやら船酔いから回復するにはまだ時間がかかりそうだ。
 「おーい、どうしたー。おまえたち、早く来いー」
ワンダは、もう桟橋の向こうにいる。
 「行きましょ。陸で少し休めば何とかなるわよ、きっと。」
 「……。」
シェラ、ウィラーフ、しんがりはリゼル。リゼルは、島の様子を眺めながら歩いていた。獣人の島ーー とはいうものの、桟橋で働いているのも、釣った魚を干しているのも、ごく普通の人間。ここには、獣人以外の人間も少しは暮らしているのだろう。
 ワンダの家というのは、急な階段を登り切った先にあった。獣人の家は特徴的で、たとえるなら、「ひっくり返した巨大な壺」と表現したいところだ。壁にはうずまき文様のようなものが描かれ、窓は楕円形。家の前で、小さな子供たちを遊ばせながら縫い物をしている、女性と思われる獣人が一人。ワンダにそっくりな外見だが、毛並みの模様が少し違う。
 「おー! かあちゃーん。ただいまぁ」
ワンダが手を振りながら近づいていくと、女性獣人は縫い物の手を止めた。
 「…ワンダ!」
勢い良く立ち上がるなり、縫い物を放り投げて大股に近づいていく。そして。「この、バカたれ息子! 黙って出て行くなと何度言えば判るッ」
 「きゃわんっ」
勢い良くゲンコツをかまされて、ワンダがひっくり返った。走りまわっていた子供たちが駆け寄ってくる。
 「にいちゃんだー」
 「おかえりー、にいちゃーん」
 「にいちゃんいきてたー」
子犬にしか見えない、ころころした可愛い子どもたちだ。リゼルたちは、ぽかんとして成り行きを見守っている。
 それに気づいたワンダの母親が、はっと口元に手を当てた。
 「あらやだ、お客さん? ごめんなさいね、とんでもないところお見せしちゃって。」
 「いえ、その…」
意外に普通だ。と、三人が三人ともに思った。他の獣人も、ワンダのようにどこか常識離れしているものかと思っていたのだが。
 「こいつら、ワンダの友達。ここまで一緒に来たぞ」
 「あらら! まあ、ほんとにもうすいませんね。うちのバカ息子、またどこかで迷子になってたんでしょ。ほんとうにもう… 何とお礼を言っていいか」
 「あーいや、そこまで酷くなかったですよ。」
行き倒れてましたが、と言いかけて、リゼルは後半を飲み込んだ。
 「ここに寄ったのは、サウディードへ行くついでなので。その…。まさか家出とは思いませんでしたが。」
 「家出じゃないぞっ。ワンダ、お嫁さんを探し…ふぎゃぁぁぁ」
 「黙ってふらっと出て行くのは家出っていうのよ! とにかく。お父さん帰ってきたら、覚悟しなさいね! …さ、皆さんもどうぞ中へ。おつかれでしょ?」
ワンダは母親に引きずられていく。後から幼い子どもたちが歓声をあげながら続く。何とも賑やかな家族だ。
 獣人の家の中は、外から見たよりも広かった。丸い天井は獣人以外の人間でも立って歩けるくらいには高く、上の階へは梯子がかかっている。部屋の真ん中のテーブルには、さっき外でワンダの母親が縫っていたようなパッチワークのテーブルクロス。同じ模様が絨毯にも、カーテンにも、あちこちに見受けられる。家の壁に描かれていたような、うずまき文様が特徴的だ。
 「遠路はるばる、よくいらっしゃいました。」
お茶とお菓子を並べながら、ワンダの母親は恐縮しっぱなしだ。
 「うちの息子ときたら、何も考えずにしょっちゅう家出ばかりして。そのたびに、どれだけ気をもんでるかって。いつも数日とか一週間とかだから、半年も戻ってこなかったときは、今度こそもう駄目かと思ったんですよ。」
 「半年…。」
リゼルとシェラは、顔を見合わせる。
 「…おれたちが見つけたのは、だいぶ西のほうの砂漠なんですが。そういえばワンダ、あそこまでどうやって行ったんだ。」
 「んー…。船で、箱に詰まってて、気がついたらあのへんにいた」
 「密航?!」
 「密航っていうか、それ、…下手したらよその国まで輸出されてたぞ。」
 「この子は、そういう子なんです…。」
母親は、深い深い溜息をついた。
 「ああ、でも、皆さんみたいないい人に出会えて、本当に良かった。あたしたち外見が珍しいもんだから、外国じゃ売り飛ばされたっておかしくないでしょ。」
 「え、そうなの?」
ワンダが首を傾げる。
 「獣人――アジェンロゥは、アストゥール王国内では正式に住人として認められているから、国内であれば人身売買されることはない。ただ、それ以外の国ではどう扱われるか判らないぞ。」
 「ええええー。」
 「…ほんとに、何も知らなかったのね。」
シェラは、呆れたように言って、出されたお菓子を頬張った。「あ、これ美味しい」
 「あらほんと? いっぱいあるのよー。遠慮せずどんどん食べて頂戴ね。あ、そうだ。皆さん、今日は泊まって行かれるんでしょ? お部屋も用意しなくちゃ」
 「あ、お構い無…」
言いかけたリゼルは、ふと、側で真っ青な顔をしているウィラーフに気がついた。「…すいません。一晩泊めてください。」
 出来れば、数日は泊めてもらいたいところだった。


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