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 王宮内の事件が知れ渡り、東方騎士団との交戦が決まったと公表され、リーデンハイゼルは頓に騒がしくなっていた。
 一番にとばっちりを受けたのは、アルウィンだ。リーデンハイゼルには、定期で行われる議会に出席するために多くの自治領の代表者が集まっている。中には中央語を解さない部族もいて、ために、”リゼル”である彼は連絡を回すのに必死だった。
 「王国議会は予定通り行う、って… この状況で、ですか?」
 「この状況だからですよ。」
ギノヴェーアは優雅にお茶をすすっている。
 「彼らにも状況を説明しなくては。東方騎士団の影響の強い旧エスタード領に隣接する自治領から来ている者もいるのですから」
フレイス・ローエンは、王国議会の始まる前に議員たちの過半数に支持の署名をさせ、会議の場でエスタードの独立を宣言するつもりだった。だが、その目論見の外れた今ならば、逆に、エスタードへの出兵協力と、東方騎士団に対していかなる援助も協力もしない宣誓を取り付けさせることも可能だ。
 シェラは、納得いかないという顔だ。
 「ねえ…ウィラーフ。議会が終わるまでここで立ち往生するつもり?」
 「少なくとも、今は無理だな。他の近衛騎士がまだ動けない。王女の護衛が誰もいなくては困るだろう? せめてデイフレヴンが戻るまではな」
ウィラーフは、窓際に立っている。腕組みをしたまま、そこから見える議場を見ていた。準備は大急ぎで進められている。町の外で野宿を余儀なくされていた各部族の人々も、今頃は町に入っているはず。
 「退屈なら、ワンダと一緒に町へ出てこい。」
 「そういうわけじゃ…ないんだけど」
シェラは、ギノヴェーアが注いでくれたお茶に視線を落とす。
 ”青き導き手”が、”エリュシオン”に至る道を開く。
 その意味が解らなければ、”イルネス”へ赴いても何も出来ないかもしれない。
 「焦ることはないわ。焦っても危険な目に遭うだけよ。目的地は、東方騎士団と北方騎士団の管轄地のちょうど中間なのでしょう?」
 「…はい」
ギノヴェーアは、静かにカップを下ろした。
 「戦場に成る可能性の高いところね。」
 「え?!」
 「”死の海”――荒れ果てた、だだっ広い窪地だ。村も町もない。お互い、戦場にするは好都合だな」
ウィラーフが呟く。「”統一戦争”最終決戦の地、か。偶然にしては出来過ぎた話だ」
 「戦場じゃ、”エリュシオン”を探せないじゃない。どうすればいいの」
 「我々が探さなくても、”エサルの導き手”は探しているはずだ。東方騎士団に渡すわけにはいかんだろうな」
 「そりゃ、そうだけど…。」
テーブルの端で、口いっぱいにお菓子をほおばっていたワンダの耳がぴくりとなった。
 「アルウィンの声だ」
ぴょん、と椅子から飛び降り、窓に張り付く。「いた、あそこ」
 ワンダの指さしたあたりは、議場の入り口辺りだ。会議の準備にあたる人々が集まっており、アルウィンはその間を歩きまわり、何か指示を出して回っている。王宮に戻ってから着ている、緋色の長衣がよく目立つ。それが、彼の本来の――ここでの、仕事着であるらしかった。ウィラーフの騎士団の服のようなもので、それを着るだけで王宮の風景に自然に溶けこみ、一緒に旅をしていた頃とは別人になってしまったかのように見える。
 「何してるのかしら、あれ」
 「あそこにいるのは通訳たちだな。自治領の代表が集まる会議では必ず出席する。」
 「通訳って…”リゼル”とは違うの?」
 「ただの通訳は、”リゼル”と違って交渉権は持たない。複数の言語を使いこなせる必要もない。言ってみれば”リゼル”は、彼らの上位職だな」
どうやら、受け持ちの確認をしているらしい。通訳たちは、それぞれの担当する部族の代表者を訪れるようだ。
 「…アルウィンって、実は偉いの?」
 「王の代理で外交権を持つくらいだからな。王自身が選ぶか、王の定めた認定者からの推薦が無ければ成れない」
 「彼は優秀な”リゼル”よ。」
と、ギノヴェーア。
 「現職の中で最も多くの言語を操れるわ。それに、人に好かれる魅力があるの」
 「…そういえば、王女様ってアルウィンと親しそうですよね。」
 「ええ。それはもう」
高貴な女性は、不思議な妖しさをたたえた笑顔を向ける。
 「父もわたくしも、彼がとても気に入っているの。何故、なんて聞かないでね。あなたが彼を気に入ったのと同じ理由なのですから。」
 「……。」
シェラは納得した。
 初めて会ったときに真っ先に惹かれた、アルウィンの、不思議な黒い瞳。ぱっと見は取り立てたところもない地味な外見の中で、その眼差しだけは強烈だった。無防備なほど他人を信じながら、その一方で強かさも持っていた。
 一息ついているアルウィンのもとに、防衛長官がやって来るのが見えた。呼び寄せて何か言いつけている。その様子を見ていると、ふと、シェラの胸に疑問が湧いてきた。そういえば誰も、アルウィンを警戒していないように見える。
 「…ねえ、ウィラーフ」
 「何だ」
 「アルウィンのことって、ここでは誰も気にしないの? クローナの…」
 「……。」
館も自治権も失ってはいるものの、アルウィンは今でも、五年前に王国と敵対したクローナ領主家の最後の当主、という扱いのはずだ。東方騎士団のローエンなど、アルウィンのことを「反逆者の息子」と呼んだのに。
 「…多分、忘れてるんだろうな。王宮内では、肩書きと衣装が名前のようなものだ」
十歳から十五歳、成長ざかりの時期に五年も経てば、顔立ちも雰囲気も変わる。よほど親しくもない限り、五年ぶりに会ったとしても気がつかないだろう。
 「クローナ侵攻に最初に賛成して、強固に指示していたのはあの防衛大臣だっていうのに。まったく、あの人は相変わらず…。」
ウィラーフの、そんな表情にも慣れた。それでも、最初の頃よりはずいぶん穏やかになったと思う。
 アルウィンは、防衛大臣に怒鳴られて必死で何か言い返している。時間が足りません、と言っている声がシェラたちのところまで聞こえてくる。
 「ほんとに、大変な職業よね…。」
ここは、王都リーデンハイゼルの王宮の奥深く。目の前にいるのは王族の警備を担当する近衛騎士、後ろには国王の一人娘が優雅にお茶を楽しんでいる。
 今更のようにシェラは、自分が場違いな場所に入り込んだことを実感していた。


 王宮の外で騒ぎが起きたのは、その日の午後のことだった。
 防衛長官から「会議の出席者全員の名前と出自を確認してこい」と言いつけられたのが数時間前。理由は、「なりすましで敵のスパイが入り込んでいるかもしれないから」。参加部族は、原則としてみな町中に宿をとっているが、一部こだわりのある部族は自前のテントを町の外に張っている。まだ到着していない者や、到着はしたものの町に入れないと知ってどこかへ行ってしまった者もいて、まだ出席名簿すら埋まらない状態なのだ。それに、いくら多言語を操るアルウィンでも、限界というものがある。途中で通訳を捕まえて、担当する部族の出席者名簿を確認してもらうのが関の山だ。そうでなくとも、まだ通訳者の見つかっていない部族もあって大わらわだというのに。
 途方にくれながら広場を駆けまわっていたとき、城門のほうで大きな声が上がった。
 「王だ! シドレク様がお帰りになった!」
叫びは見張り塔の上からだった。町中に歓声が沸き起こり、人々が我先にと駆け出してくる。アルウィンは、人の波に押し出されるようにして城門前に来ていた。間もなく、つづれ折りの坂を駆け上がってきた馬が姿を見せる。先頭はシドレク王その人。そして、後ろに付き従うのは――
 「クローナの…自警団?」
シドレク王は広場の中程まで進んで馬を止めた。脇にいるのはデイフレヴン。その後ろにぴたりとくっついている四騎はいずれも、首に白いスカーフを巻いている。剣に房飾りは無い。
 シドレクのすぐ後ろにいた騎士が、兜を脱いだ。驚いたことに、見慣れた少女が姿をあらわす。
 「兄様、無事だったんですね」
 「ブランシェ!」
 「その様子だと、どうやら人質の解放は巧く行ったようだな」
シドレク王は、にやりと笑った。「よくやった。」
 知らせを受けて、王宮のほうから数騎が駆けつけてくる。宮廷騎士たちを連れた防衛長官その人だ。
 「王、よくご無事で…!」
息を切らせながらシドレクの前で馬を止める。
 「そっちも元気そうじゃないか。なんだ、心配して損をしたな」
 「ご冗談を。おおデイフレヴン、お前もいたのか。よく王をお守りした。む、後ろは…?」
ブランシェが顔を逸らすのが見えた。シドレクは笑顔で答える。
 「この者たちは、クローナの元騎士団…今は自警団、だが。」
 「クローナ?!」
 「人数が多くては行軍が遅くなるからな。彼らに護衛してもらって、先に帰ってきたというわけだ。」
防衛長官が詰め寄る。
 「クローナを信用したと! 奴らが王国に反逆したのは、僅か五年前です!」
 「だが、お前はそこのアルウィンと、近衛騎士のウィラーフに助けてもらったのだろう? 二人ともクローナの出身だがな」
 「な、…」
 「さて。私は先に王宮へ行かせてもらう。お前の話は答えより質問が多くて面倒だ。状況はギノヴェーアに聞くとしよう」
言うなり、王はデイフレヴンとブランシェたちクローナの騎士を連れて駆けさってしまった。後には、呆然とした防衛長官とお伴の騎士たち。
 「…アルウィン、クローナ出身、だと…?」
 「そうですが、何か。」
アルウィンは、ため息をついた。
 「やっぱり忘れていらしたんですね。ところで、さっき頼まれた名簿のほうですが、とりあえず半分は埋めましたが、やはり時間が――」
 「もういい!」
顔は真っ赤だ。「お前たち、王を追いかけるぞ!」
 駆け去っていく馬たちを見送りながら、アルウィンは、もう一つため息をついた、
 「せめて、この無茶な仕事をどうすればいいのかくらい、指示してから行ってくれよ…。」


 ギノヴェーアのもとでのんびりしていたシェラたちのもとに、王の帰還の知らせが届いたのはそれからすぐ後のこと。出迎えのため城門に向かうより早く、王のほうがギノヴェーアのもとにやって来た。ブランシェたちも一緒だ。
 「おかえりなさいませ、お父様。無事で何よりです。デイフレヴンも」
 「ああ、ただいま。お前も元気そうだな」
王は手袋を脱ぎながら、後ろにつき従う白いスカーフの四人を紹介する。
 「クローナの自警団だ。ここまで私たちを送り届けてくれた。そしてこちらが、この小騎士団の騎士団長、アルウィンの妹君でブランシェ」
 「あらあら、妹さん。噂には聞いていたけれど…」
 「はじめまして、王女様。」
言葉に刺々しさは残るものの、ブランシェは一応礼は失さない程度に挨拶をする。
 「北方騎士団はどうなりました?」
 「街道を南下中だ。あと半日もすれば到着するだろう。そちらは会議の準備を始めているようだが」
 「ええ。明日の開催ですわ。ちょうどよい時にお戻りになられました」
ギノヴェーアは椅子を勧め、自らは侍女にお茶の準備をさせるため席をたつ。シドレクは、ソファに腰をおろしながらウィラーフに顔を向けた、
 「その顔からして、宮廷騎士団の被害が大きいな」
 「――ええ。ほぼ壊滅、と言っても差し支えありません。近衛騎士の中ですぐに戦えそうなのは私とデイフレヴンを除けば二名だけです」
 「そうか。」
 「レスターとウィンドミルを逃しました。申し訳ありません」
そう言って、ウィラーフは頭を下げる。
 「よい。近衛騎士四人相手ではな。…そうか、戦力が足りない…」
王はちらとブランシェたちのほうに意味ありげな視線を向ける。「困ったものだ、さてどうしたものか…」
ブランシェは、じろりとシドリクを睨んだ。
 「国王なんだから、命令したらどうです? ”手を貸せ”と」
 「善意から手を貸してくれたりはしないのか」
 「私たちは、もう騎士団ではありません。”クローナの町の”自警団です。本来ならここまでお伴することだって職務の範囲外です。…騎士団は、あなたが解体しろと命じたんですからね」
王は声を上げて笑う。
 「ははは、その言い方、アルウィンにそっくりだ。兄妹揃って、このシドレクを恐れない」
 「笑い事じゃありません! お金で雇おうっていうのもお断りですよ。傭兵じゃあるまいし――」
 「分かった分かった。こうしよう。協力してくれたら、クローナを自治領に戻し、自衛のための騎士団の創設も認める。これでどうだ?」
 「――!」
ウィラーフも、思わず反応する。戻ってきたギノヴェーアが耳を傾けた。
 「何か楽しそうなお話をしていらっしゃるわね。クローナ自治領ですって?」
 「まあ、自治領になるからには、議会に代表者を出席させる義務が生じるが、そのくらい我慢してもらえるだろう?」
 「待ってください。そんな――いきなり、どうして」
ブランシェは混乱している。
 「一度取り上げたものを簡単に戻してしまうんですか、あなたは」
ウィラーフも、納得できないという表情だ。ギノヴェーアが、そのウィラーフと王の間に割って入る。
 「開戦は議会で決められたこと。わたくしたち個人が決めたことではありませんよ。五年前は、クローナも意地になって王国側の要求を突っぱねていましたから。自治領扱いにも関わらず王国へはほとんど納税がなく、自前の戦力を持ち、王国議会に代表者も送らない。これではアストゥールからの離反を疑われても仕方のない状況でした。ですが今回、あなたとアルウィンは、父やわたくし、議会の人々を体を張って救い出してくれました。しかもクローナの元騎士団がこの有事に率先して王の味方をするというのなら、クローナはもはや敵ではないと議会に納得させることが出来ます。少なくとも、あなたがたの恩には何らかの形で報いなくてはならない。ならば、その礼金は出来る限り釣り上げておいたほうがお徳でしょう?」
 「今なら議会が、クローナを正式に自治領として認めるはずだ、と?」
 「アルウィンのためでもある」
シドレクは、ふいに真面目な顔になって言う。
 「この間、クローナに行ってわかった。多大な犠牲を払った末に一方的な降伏と見られる行動を取ったことで、あそこの人々は、アルウィンがクローナを王国に売り渡したように思っているのだろう?」
 「…それは」
ブランシェの表情が曇る。まさに、そうなのだ。あの僅かな滞在のうちに、町の人々の感情をシドレクに読み取られていた。
 「ならば、故郷を守ろうとした彼の名誉を挽回するためにも、ここで目立つ協力をして貰いたい。少なくとも、議会にアピール出来るくらいには」
 「そのために、わざわざ私たちを連れて凱旋したんですか」
 「さあ?」
王は肩をすくめ、手袋をテーブルの上に置く。
 「…分かりました。クローナの自警団は、アストゥールの王に協力します。出来る範囲で」
小さな声で言ってから、ブランシェはふいに口調を変える。
 「本当にひどい人ですね、あなたは。自分の思い通りのことを言わせるために、どんな手でも使うんですから。」
 「ま、それが”王”というものだ。」
折よく、侍女が人数分のお茶と茶菓子を運んできて、会話はそこで打ち切りとなった。
 数年に一度、全ての自治領が集まる会議の開催を翌日に控え、王宮の中は遅れていた準備の最後の仕上げに大忙しだった。町は眠らない。戻ってきたばかりのシドレク王もまた、ギノヴェーアやデイフレヴンとの密談、議会の主要な人々との打ち合わせ、騎士団の見舞いなどあちこち飛び回っていた。



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