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 途中で馬を変えつつ馬車は休むことなく走り続け、サラエン街道の分岐点、海にほど近いバレアスにたどり着いたのは、それから二日後のことだった。
 そこも東方騎士団の管轄下ではあったが、旧エスタード領でないぶん、影響力はそれほどでもないのだという。騎士団の駐屯地からも遠く、港には各方面からの船が頻繁に発着していて、いざとなれば海上へ逃げることも出来る。
 大きな灯台の見下ろすこの町まで来て、一行はようやく少し気を緩めることが出来た。もう、騎士団の追跡を受ける夢に怯えることはない。ノックスの町いらい慌ただしく過ぎた日々が、ようやく一段落するのだ。
 「ここから、どっちに向かう?」
と、ワンダ。「あいつら、もう来ないのか?」
 「少なくとも、しばらくは。…だけど、もう、旧エスタード領は通りたくないな。本当はサウディードに向かうつもりだったんだが。」
 「さうでぃーど?」
 「学術都市サウディード。王家直轄領の一つだ。ここから北東のほうにある」
 「ワンダの家の近くだー!」
白黒の毛に覆われた獣人の顔が、ぱっと明るくなる。「おまえたち、ワンダの家あそびにくるか?! 歓迎するぞ!」
 「はは、それもいいかも。――そうだな、東の群島を経由して、船で行くか。少し遠回りだけど、安全だし」
 「いいわね。海」
シェラは、にっこり微笑んだ。「人魚の末裔としては、波の音が聞こえると安心するものよ。」
 「ワンダも、泳ぐの好きだぞ!」
 「じゃあ、決まりだな。」
話しているところに、ウィラーフが戻ってきた。
 「アルウィン様、報告はいつも通り経路を分けて飛ばしておきました。数日中に王都に着くはずです」
 「ご苦労様。」
ここ、バレアスは、王都との連絡網が敷かれている拠点の一つなのだ。灯台には伝書鳩が飼われており、王に直接仕える人々、宮廷騎士や”リゼル”ような人々だけが、それを利用することが出来る。東方騎士団でさえ、この連絡網の存在は公には知らされていない。
 「ずっと御者をしてたんだ、疲れてるだろ。もう、休んでくれ」
 「ええ。隣の部屋にいますから、何かあったら起こしてください」
そう言って、ウィラーフは去っていった。


 「…ウィラーフは多分、今もおれの父の死に責任を感じているんだ」
ドアが閉まったのを見計らって、リゼルは語り出した。
 「レスロンド家は元々、代々クローナの当主に仕える騎士の家系だった。おれとは、物心ついた頃からの知り合いだ。でもウィラーフは、クローナを出て宮廷騎士団に入ることを選んだんだ。クローナがアストゥールと敵対せざるを得なくなった時、彼はもう宮廷騎士の一人だった。家族とも敵対して、王の側に立って戦うことを選ぶのに悩まなかったはずはない。誰のせいでもない。――おれは責めたりしないのにな」
今ではもう、シェラも、ある程度のことは察していた。
 オアシスの町を出る時、仲間から聞いた、五年前に起きたという「白銀戦争」。シドレク王が剣を振るった最後の戦い。遠いお伽話ではない。彼らにとっては、ほんのついこの間の、我が身に起きた出来事なのだ。
 「それにあの時、クローナ鎮圧には東方騎士団も参加した。王のために戦い、多くの部下を失ったローエン騎士団長が、クローナの人間が恨むのも、当然だ。」
 「だとしても、あんな言い方は無いわよ…何も知らないのに」
セノラの谷で見たリゼルと王は、まるで本当の親子のように仲が良く、とても、父親を殺された息子と、息子を殺された父親の関係には見えなかった。それはおそらく、彼らの因縁を知る者からすれば信じがたいことなのだろう。五年前、一体何があったのか。
 「お互いが手を差し伸べれば、理解しようとすれば、大抵の争いは簡単に終わるんだ。クローナとリーゼンハイデルの争いなんて、まさにそれだよ」
 「あなたとシドレク様が、そうしたように?」
リゼルは、うなづく。
 「この世から、すべての争いが無くなるとは思っていない。だけど話し合いもしないまま、過去に縛られてどちらかが死に絶えるまで争い続けるのは不毛すぎる。そんなの、ただ… 悲しいだけだ」
開いた窓から潮風が流れこみ、カーテンを大きくふくらませる。天井には波に反射した光が揺れている。
 「あなたも休んで、リゼル。あたしたち海を見てくるから。」
シェラは、ワンダを連れて宿を出た。今は、一人にしておいたほうが良さそうだ。
 バレアスの港町は、ノックスほど大きくはない。海へ続くゆるやかな坂道には、船から降りてきた人、船に向かう人、大勢の旅人や漁師たちがいたが、ノックスほど気取ってはいない。
 「リゼル、元気無かったな」
 「そうね。元気づけてあげたいけど、こればっかりはね…」
路地には、捕ってきたばかりの魚がたくさん干してある。レトラ族の集落とは、また違った独特の潮の匂い。
 と、先を歩いていたワンダが、いきなり足を止めた。前を見ていなかったシェラは、ワンダにぶつかって思わずつんのめる。
 「ちょっと、何?」
 「…におい」
ワンダは、ふんふんと鼻を鳴らしながら路地のほうに向かっていく。
 「臭いって。魚の内臓とか?」
 「ちがう。このにおい、覚えあるぞ」
仕方なく、シェラもついていく。路地の先には細い道が通じていた。数人の男たちが何か立ち話をしている。こちらからでは、顔は見えない。背は高く、黒いフードを頭からすっぽりと被り、その下から覗く腕は白い。
 「このにおい、谷で襲ってきたときの」
 「えっ…?!」
シェラは、目を凝らした。こちらに背を向けている男のマントの下に、不自然な膨らみがある。あれはきっと弓矢だ。セノラの谷で襲ってきた謎の襲撃者。ハザルの集落で、リゼルから黄金の樹の紋章を奪っていった男たち。
 「何で、こんなところに…」
会話が、途切れ途切れに聞こえてくる。
 「…では、伝えよう」
 「出発は、すぐに」
男たちが動き出した。一瞬、隠れているシェラたちのほうに来るかと思ったが、幸い、別な方向のようだ。
 ほっとすると同時に、ぞっとした。まさか、つけられていたとは思いたくないが、ただの偶然とは思えない。
 「戻りましょ、ワンダ。あいつらに見つからないうちに」
獣人を引きずるようにして戻って行くシェラは、遠くから自分たちのことを見つめている不穏な視線があることに、気づいていなかった。


―第三章へ続く


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