5



 先に宿に戻っていたウィラーフは、後から戻ってきたリゼルたちの様子を見て、何が起きたのか理解しないまでも、異常事態だとは察したようだ。
 ぐったりしたシェラを部屋まで運ぶのを手伝い、宿に温めたワインの手配をする。リゼルから話を聞いたのは、その後だ。シェラにはワンダが看病につき、彼らは隣の部屋。
 「レトラの集落に、忘れ物?」
 「そう。多分、行方不明になった”リゼル”の持ち物だ。」
そう言って、リゼルはマント止めのピンを明かりに翳す。
 「ルグルブは、物から持ち主の居場所を探る力を持ってる。彼女は、ローレンスが殺された場所を特定した。それだけじゃない。多分…殺された場面も視てしまったんだろうと思う」
 「王の使者が殺されたというんですか」
ウィラーフは、拳を軽く壁に叩きつける。「この町で? 騎士団のお膝元で? 何故! 騎士団に協力を依頼した時、何も出てこなかった」
 「声が大きい。…そう。おれも疑問に思ってることがある」
リゼルは、声をひそめる。
 「失踪したのは、レトラの古老から古文書を借りた直後だ。タイミングが良すぎる。」
 「まさか… その、受け取った古文書が関わっている、と?」
 「そんな気がする。問題は、中身だけど…”リゼル”の扱う内容は極秘任務が多いからな。王の話だと、建国に関わる何か…だとか…」
 「ヤルル老本人に聞いてみるしかないですね」
 「そうだな。だけど、大した内容だとも思えないんだ。学術研究のため、という話だったし……。」
馬車は手配されていたが、出発は先送りになりそうだ。
 その晩は、それぞれ思うところを含んだ、眠れぬ夜となった。


 翌朝、リゼルとウィラーフは朝食もそこそこに宿を出た。シェラはワンダは留守番だ。シェラはまだ気分が悪そうだったし、ワンダはワンダで、前日の食べ過ぎのせいで動けない。そのほうが目立たなくて好都合でもあったのだが。
 「私はあまり詳しくないのですが。レトラ族というのは、言葉だけでなく文字も独自のものを持っているのですか」
 「ああ。彼らは昔からこの辺りで家畜を育てて暮らしていたらしい。羊皮紙なんかの獣の皮に書かれた記号が始まりで、この大陸ではおそらく最初に、文字で”記録”する習慣を持った人々だと言われている」
城門の外に続く道には、昨日と同じ人々の暮らし。二日連続とあって、昨日は不審そうに眺めていた子供たちも、今日は笑顔で手をふっている。リゼルがヤルル老人のもとを訪れていたことを知っているからかもしれない。
 「それで、古文書ですか。五百年前の戦乱で、よく無くさなかったものだ」
 「ほとんどは無くしたんだよ。戦火に追われて逃げるとき、元住んでいた場所の近くの洞窟や岩陰に隠されたらしい。それが最近になって沢山見つかって、今はサウディードの王立図書館にある。ヤルル老人が持っていたものは、中でも重要だから肌身離さず…ってことなんだろう」
石造りの小屋が見えてきた。リゼルが先に立ち、昨日と同じように、窓の奥に向かって呼びかける。
 「”ヤルル老! 朝早くにすいません。いらっしゃいますか”」
返事がない。木戸をノックしてみるが、小屋の中からは物音ひとつ聞こえない。
 「”長老なら、今日はまだ見てないよ”」
通りかかったレトラ族の女性が物珍しそうに足をとめ、小屋の前に立ち尽くしている二人に言った。
 「”まだ寝てるのかね。いつもなら、起きてる時間だけど”」
 「……。」
ウィラーフは、小窓に近づいた。そして、はっとする。「まさか…!」
 木戸を開く。途端、中から溢れ出すのは血の匂い。入り口から差し込む光の中、荒らされた室内には、血の跡が点々と落ちている。
 「そんな…」
呆然としているリゼルを脇に押しやり、ウィラーフは構わず中に踏み込んでいく。割れた茶瓶。乱れた座布団。目指すものは、その奥にあった。
 冷たくなった手に触れるまでもなく、命を絶たれていることは一目瞭然だった。
 「何てことを…」
胸をひと突きだった。ヤルル老人も、その連れ合いの老女も、小屋の奥の寝室前で冷たくなって、折り重なるようにして倒れていた。


 それから後、レトラの集落は蜂の巣をつついたように大騒ぎとなった。
 貧しい地区ではあるが、治安が悪いわけでもない。身内同士での争いごとはなく、まして、皆に尊敬されている長老を殺害するなど、動機を持っている者がいるはずもなかった。
 「犯行時間は、昨日の夜中でしょうね」
ウィラーフが言い、リゼルはそれを、共通語の話せないものにもわかるよう通訳する。「”誰か、不審人物を見た者は? ――その、昨日訪ねてきた、おれたちを除いて。”」
口々に、見ていない、と声が上がった。悲鳴を聞いた者もいなかった。家畜とともに暮らす集落のこと、家畜が騒げば目が覚めるが、それは日常茶飯事過ぎて、誰も気にしていないというのが正解だろう。
 騎士団に協力を依頼することは出来なかった。前任者、ローレンスの死に不審なところがあるのも、だが、この貧困区で起きた事件は、騎士団の管轄外なのだ。たとえ殺人が起きようとも、彼らはただ、静観する。そのことは、リゼルもウィラーフも、知りすぎるほどに知っていた。
 結局、何も出来なかった。人々が嘆きの声を上げ、変わり果てたヤルル老とその連れ合いの埋葬について相談しあうのを、徒労感とともに見守ることしか。
 「先回りされた、と見るべきでしょうね」
 「…そうだな」
リゼルは、荒らされた小屋のほうを振り返った。「おれたちも、監視されていたのかもしれない。前にも来てるんだ、顔は知られてるし」
 「ですが、これで確証が持てましたよね。ローレンスは殺されたんです。ヤルル老から預かった資料が原因で」
 「……。」
話しているところに、一人の少女が、おずおずと近づいてきた。
 「あれ、君は」
町についた最初の夜、リゼルがハンカチを握らせた少女。
 少女は、無言にその時のハンカチを差し出す。
 「洗ってくれたんだ。ありがとう」
 「……あたし、見た」
受け取ろうとしたリゼルの手が、止まった。
 「黒いナイフ持った人たち。長老様、いろりの中に何か隠したよ」
 「それを君は、どこで…」
少女は天井を指差す。尖った天井の空間には、昨日と同じように干し肉がぶら下げてあった。いろりの真上に吊るして、燻製を作るためだ。変わっていることといえば、その中に、まだ生に近い吊るされたばかりの肉が混じっているということ。
 「君は、あそこで作業してたのか…」
リゼルが振り返ると、少女はすでに駆け出したあとだった。振り返りもせず、一目散に。まるで逃げるように。無理もない、自分も殺されるかもしれない状況で、殺人の現場を隠れて視てしまったのだ。幼い少女にとっては、それはひどい恐怖だっただろう。
 「これか?」
ウィラーフは、いろりの灰の中を探っている。「アルウィン様、ここに何か」
 取り出したものは、丸められた数枚の皮。細い革紐でくくられている。それが何を意味するのか、リゼルは直感的に悟った。
 「開かないで。隠して、ここを出るんだ。宿に戻ろう。出来れば、すぐ出発したほうがいい」
 「…… 分かりました」
今、この瞬間にも見張られているのだとしたら。
 二人は、足早くに集落を後にした。シェラとワンダが心配だ。いや、それよりも、このさき無事に町を出られるかどうかさえ。


 宿に戻った時、シェラはようやく起きだしたばかりだった。ワンダは何故か隣のベッドで熟睡している。
 「どうしたの二人とも。そんなに慌てて」
 「シェラ、気分は?」
 「だいぶ良くなったけど。…え、何?」
ワンダの耳が、ぴくりと動く。
 「でかけるのかー?」
 「急いで、とにかく。説明は後」
ウィラーフは、手配した馬車を取りに行っている。こんな明るいうちから暗殺者が動き出すとは思えなかったが、相手が騎士団なら話は別だ。
 宿は、既にチェックアウトしている。荷物をまとめ、ウィラーフの手配してきた小さな馬車に乗り込んで、城門を目指す。それも、多くの旅人が使う正面の門ではなく、噴水広場から続く、レトラの集落横の門を。そのほうが混雑が無いし、騎士団と出くわす可能性も低いからだ。
 馬車の中で、リゼルは、手短に今朝の出来事を話した。
 「…昨日のおじいさんが、殺された?!」
シェラもワンダも、ひどくショックを受けている。「そんな… だって」
 「理由は、たぶんこれだ」
リゼルは、灰まみれのままの丸めた羊皮紙を見せる。「ローレンスと一緒に闇に葬られた資料の、写しか要約なんだと思う。こいつが世の中に出てほしくない誰かがいる」
 「何が書いてあるの」
 「判らない…。レトラ語の話し言葉は勉強したけど、書き文字はほとんど読めないんだ。どこかで鑑定を頼むか、安全なルートで王の手元に送ることが出来れば…」
がくん、と馬車が揺れ、リゼルたちは前や後ろにつんのめった。
 「な、なんだぁ?」
ワンダは、馬車の窓にとびついてぶら下がりながら外を覗く。背が足りないので、そうするしかないのだ。「…なんか、通せんぼされてるぞ。」ウィラーフの怒鳴る声が聞こえてくる。
 「何のつもりだ。街道だけでなく、ここも交通規制か?」
答える声は、複数。どうやらスラインはいなさそうだ。ほっとすると同時に、シェラは、ぞっとすることに気がついた。――スラインは、いない。が、馬車を止めさせたのは、確かに騎士団の騎士たち。
 「失礼。昨夜、街道の封鎖を突破して、町に逃げ込んだならず者がいたということですので」
 「私が誰か、分かってて言ってるんだろうな。」
ウィラーフの剣に下がる騎士団の印を見ても、騎士たちは動じない。
 「一応、です。団長より、出入りする全ての旅人を検分しろ、というお達しですので――」
言いながら、騎士たちは馬車の後ろに回りこもうとしている。
 「しっかり捕まってろ」
 「え?」
 「ウィラーフ!」
リゼルの声が合図だ。ウィラーフは、思い切り馬にムチをくれた。ワンダは転がってシェラとぶつかる。リゼル自身、床に思い切り叩きつけらたれ。乱暴な発進だ。馬車の前にいた騎士たちは、撥ねられまいと大慌てで脇に退く。後ろから、怒声が響いた。馬に乗り、追いかけようとしている者もいる。
 肩をおさえながら立ち上がり、リゼルは御者台のほうに向かって声をかけた。
 「逃げ切れるか?」
 「二頭立てですからね、微妙です」
安物の馬車を引く馬と、騎士たちの乗る駿馬では勝負にもならない。おまけにサラリア街道は封鎖されていて、このまま行くと海に繋がるリエンテ街道の入口だ。
 「どうするの? 止まって、事情を聞くわけにはいかないの?」
 「向こうはもう、三人殺してるんだ」
リゼルは、驚くほど冷静だ。
 「東方騎士団の直轄地では、宮廷騎士の肩書きも、”リゼル”の名も役に立たない。それに、おれたちの身が無事だったとしても、巻物をとられたら意味がない」
騎士たちは追いついてこようとしている。馬車に飛び移ろうとしてる騎士―― ワンダは、気がついて荷台に積んであった棒切れを拾い上げた。
 「てーーい!」
幌の下から突き出された棒に不意打ちをくらって、騎士はよろめいた。馬から落ちそうになり、速度がみるみる落ちていく。だが、その脇からさらに二人、同じくらいの速度で馬車に向かってくる。
 「時間を稼いでくれ。もう少し」
リゼルは、上下に揺れる馬車の中、何か手元で細工をしている。。
 「駄目だ、塞がれている…」
御者台のほうから、ウィラーフが叫ぶ。「止まります!」
ほとんど棒立ちのようになりながら、馬が急停止する。
 「きゃあっ」
 「わふー」
勢いで、シェラと、ワンダが外に転がり出した。辛うじて馬車の端につかまったリゼルは、振り返って、ウィラーフが停止した理由を知った。先回りされたのだ。行く手が塞がれている。
 馬に乗った騎士たちが、馬車を取り囲む。
 「手を上げて、ゆっくり降りろ。そこに並べ。怪しい真似を見せれば拘束する」
有無を言わさぬ口調。ウィラーフは騎士たちを見回し、その中に、一人の男を見つけた。
 「…東方騎士団団長、アレクシス・ローエン…。」
 「ほう、これは。」
一際立派な馬に乗り、胸のあたりに騎士団長を表す勲章を下げた男が近づいてくる。
 「見た顔だと思ったら。近衛騎士のレスロンド殿では?」
 「お忘れかと思ったが。知っていて、私の荷物検査をするつもりか?」
 「まさか。最初から身分がハッキリしていれば、こんな手間はかけずとも済んだ。」
ローエンは、平然とした顔でうそぶいた。
 「何しろ、今はこんな時期なのでな。昨夜も、街道の包囲網を突破して怪しい一行が町に向かったとか。私は、レトラの乞食どもが関わっているのではないかと睨んでいるのだがね。――それで、レトラの集落に出入りする不審な連中を見張っていたところが」
 「よく言うわよ。人を殺しておいて」
シェラの呟きを聞きつけて、場所の男が視線を向けた。リゼルは、肘でシェラをつつく。
 「しっ。証拠はないんだ、大人しくしていたほうがいい」
シェラは、むっとしつつも口を噤む。それでローエンは、すぐに興味を失ったようだ。
 「さて。――まさか中央の騎士殿が不審者殿の仲間とも思えないのだが、念のため、ということもある」
来たな、と、ウィラーフとリゼルは同時に思った。
 「貴殿らがなにゆえ、我らの包囲網を無理やり突破するような不審な真似をしたのかは知らぬが、規則は規則。この先、騎士団の所轄を通行されるからには、所持品の確認を受けていただかないと。」
 「茶番は結構です」
声を上げたのは、リゼル。一歩前に進みでて、懐からきつく結んだ皮の束を取り出す。「あなたがたが探しているのは、これでしょう」
 ローエンの表情が動いた。
 「確かめろ」
左右の騎士たちが、馬を降りて近づいてくる。ワンダが低く唸ったが、シェラに首の後をつかまれ、大人しくなる。ウィラーフは何かあったらすぐにも抜けるよう、腰の剣に手をかけていた。
 皮の束は、リゼルの手から素早く奪い取られた。開くと、中から文字のびっしりと書かれた紙の束のようなものが零れ出す。
 「…間違いありません。レトラ語のようです」
 「ふむ?」
ローエンは、さらに何か意地の悪いことを言おうと顎に手を当てる。だが、リゼルも言われているばかりではない。
 「我々に疑いをかけたいなら、いいですよ。その文書を大切に保管され、内容を公表して王にでも中央騎士団にでも直訴されるがいい。」
 「いや、これは私の胸にしまっておいてさし上げよう。貴殿らにとっても、そのほうが良かろう?」
 「言わせておけば…」
ウィラーフは我慢の限界だ。今にも剣を抜きそうになっている。
 「やめろ。東方騎士団と悶着を起こせば、後々問題になる」
 「しかし、アルウィン様」
 「…アルウィン?」
何気なく囁かれた名を耳に留め、ローエンは振り返った。リゼルをまじまじと見つめ、そして。
 「何だ、良く見れば貴様、クローナの反逆者の息子ではないか!」
男は、声高に笑い出した。リゼルではなく、ウィラーフの表情が強張る。殺気にも似た気配。
 「王に父親を殺された者が、今や近衛騎士と慣れ合っているとは。王に仕えているとでも? どうやって王に取り入ったのだ。王に忠義を尽くすフリをするのは、さぞかし辛いだろうな」
 「…っ」
リゼルは、ウィラーフの右手を強く掴んだ。ローエンに斬りかからせないためだ。
 「まったく、王も道楽が過ぎる。争いの芽は、さっさと摘んでしまえば良かったのだ。生かしておけば、あとで後悔することになるだろうに」
馬上から一瞥をくれ、騎士団長は馬主を巡らせ、部下たちに声をかけた。
 「行くぞ! 用は済んだ」
もはや興味もない、というように、騎士たちは揃いのマントを翻し、街道をノックスの町のほうへ引き上げていく。後には四人だけが残されていた。
 リゼルが手を離すと、ウィラーフは、騎士らしからぬ悪態をつきながら足元の石を思い切り蹴飛ばした。
 「くそっ! あの野郎」
爪の食い込むほどきつく握りしめていた手のひらには、血が滲んでいる。
 「…すまない、ウィラーフ。今は我慢してくれ。」
 「分かってます。でも、折角の手がかりまで――」
リゼルは、騎士団の去った方角をもう見ていない。
 「心配しなくていい。さっき渡したあれは、偽物だ。」
 「え?!」
 「本物は、こっち。」
そう言って、リゼルは靴の中からハンカチに包んだ小さな皮の束を取り出した。
 「あれは、勉強用に持ってきたレトラ語の辞書のページをいちばん外側の皮に包んだ偽物。レトラ族は大事な文章を紙に書いたりしない。必ず羊皮紙だ。騎士団は、そんなことも知らない…」
少年の表情が陰った。「何も知らない、理解しようともしないんだ。隣同士に住んでいるのに…」
 「だとしたら、騙されたことに気づいて戻ってこないうちに出発したほうが良さそうですね」
ウィラーフは、既に御者台に座っている。「この先、バレアスまで抜ければ旧エスタード領ではなくなります。騎士団の影響力も薄まる。乗ってください」
 二人とも、感情を押し殺しているのが分かった。胸に突き刺さった言葉の痛みに耐えている。ワンダもそれを感じてか、いつもより大人しい。
 馬車が動き出す。シェラは結局、尋ねることが出来なかった。



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