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 昨夜の出来事いらい、街を歩いていると、最初は気付かなかったことに気がつくようになっていた。表通りの美しい街並み、着飾った人々、そうした目につきやすい光景と裏腹に、目立たない場所には―― 狭い路地裏で側溝を掃除していたり、屋根の上に登って煙突掃除をしたりするような、みすぼらしい格好の、明らかに区別された人々がいる。靴さえ履いていないこともある。小さな子供も。目立たないよう、意図して息を殺しているかのようだ。
 「あれが、レトラ?」
 「そう。ノックスの暗部だ」
リゼルは、シェラのように視線を向けたりしない。平静を装いながら、すれ違いざま彼らの足元にさりげなく施しのコインを落としていく。シェラが振り返ると、薄汚れた手でコインを掴み、逃げるように走り去る子供が見えた。お礼を言うことも知らない、あるいは…お礼を言っている間に、他の誰かに奪われることを恐れているのか。
 「誰も気にしないの? 騎士団は、助けたりしないの?」
 「この町では、それが普通なんだ。無視して、蔑むよう教えられ、それが何世代も続けば、容易には覆せなくなる。…騎士団は、たいてい貴族や地主のいい家柄の出身者が入るところだしね」
 「ウィラーフも?」
 「彼も代々、騎士の家柄だよ。ああ見えて」
大通りに出たところで、リゼルは足を止めた。正面に、巨大な噴水がある。女神たちが水瓶を掲げ、その先から奔流が、きらきらと輝きながら海に見立てた水盤に流れ落ちてゆく。
 「うわー! うわー!」
ワンダが歓声を上げ、突進していく。
 「すごいっ。滝だー」
 「ほんと。大きい」
 「……。」
しばし、噴水に見惚れていたシェラは、ふと、リゼルの暗い表情に気がついた。
 「どうしたの。」
 「いや…」
少年は、額に手を当てた。
 「…前に来たとき、ここに散々通ったんだ。行方不明になった”リゼル”が、最後に目撃された場所。ここから、真っ直ぐ行って橋を渡ると、…レトラの集落がある」
町の人々や旅人たちが疲れを癒している噴水の向こう側に、城壁の外へ続く通りが開けていた。尖塔の上から見えた、城壁の外を流れる川と、そのほとりに寄り合うようにして建つ粗末な家々が浮かんだ。
 「ねえ、レトラの集落って、簡単に行ける?」
 「え…」
 「見てみたいな。あたし」
シェラは、いたずらっぽく笑った。「せっかくだもの、綺麗なものだけ見て帰るよりは。」
 「――そうだな。」
リゼルは、噴水に飛び込んで子供と一緒になって歓声をあげているワンダのほうに向かって叫ぶ。「ワンダ! 行くぞ。上がってこい」
 「はーい」
ぶるぶるっ、と震わせた体から、水滴が迸る。それでもまだ足りず、短い毛から、ぽたぽたと水が垂れているが、本人は気にした様子もない。むしろ気持よさそうだ。
 「何処に行くんだ?」
 「行けば、わかるさ。」
町を訪れた時とは別の城門をくぐり、ノックスの外へ。浅い川は、城壁に沿っている。かかっている橋は古く、欄干にはガーゴイルらしき風化した像がちょこんと座らされている。町の外は、中の美しさとはうってかわって、寂れた農村の郊外のよう。
 「いきなり雰囲気変わるわね」
 「こっちの道は、レトラ族の出入りに使われているから、ほとんど整備されてない。夜は真っ暗だ。」
リゼルは、記憶をたどりながら歩いているようだ。「川に沿って細い、舗装もされていない道。その両側に小屋が並んでいる…」
 「む。なんか、くさい。この臭い」
ワンダが鼻に手をやった。行く手に、リゼルの言うとおり、粗末なほったて小屋が見え始める。入り口で遊んでいた汚れた顔の子供たちは、やってくるリゼルたちに気づいて遊ぶのをやめ、不思議そうな目で見つめている。
 川沿いでは、釣りをする人、洗濯をする人、豚をさばいている人などと出会った。みな、不思議そうな目でこちらを見る。よそ者が集落にやってくることに慣れていないのだ。貧困層、と呼ばれるのは、だてではない。シェラは、少し恐ろしくなってきた。
 「ね、ねえ。いきなりお金出せとか言われないわよね。」
 「大丈夫。怖がってるのは、向こうだから。」
猛烈な臭気は、捌いたばかりの家畜と、不衛生と、たぶん、あの魚の内臓を含む独特の食べ物のせいだろう。ワンダは鼻を抑えたままだ。
 「リゼルぅ、どこまで行くんだ?」
 「すぐそこ。ほら、あそこだ」
指したのは、集落の真ん中あたりに位置する、そこだけ頑丈に作られた小屋だった。土台と壁は石、戸は木。ただし、屋根は藁葺き。小さな窓が壁に開いている。
 「”お邪魔します”」
その窓に向かって、リゼルはレトラ語で怒鳴った。「”ヤルル老、いらっしゃいますか?”」
 中で、がたがたと物音がして、木戸が薄く開けられた。老人が、用心深く表を見る。
 「こんにちは。お久しぶりです」
リゼルを見るなり、老人は驚きとも、喜びとも、不安ともとれない不思議な表情をした。「あんたは… えーーーと」
 「以前、古文書のことでお詫びに上がった”リゼル”です。」
 「おお、そう! 王国の。お役人。思い出した思い出した、ああ。あんた、また戻ってくるとは思っとらんかった。ささ、上がれ。上がれ」
中央語で言ってから、老人は中に向かってレトラ語で何か怒鳴った。リゼルは、シェラたちを手招きして小屋の中へ入っていく。戸口は狭く、腰をかがめなければ入れない。
 中も、薄暗い上にひどく狭かった。半地下で、炉を囲むようにして車座が敷かれている。天井には、吊り下げられた干物。奥のほうには、台所や寝室があるらしかった。
 「いま、茶を用意させる。いや、あんたにまた会えるとは。で…」
 「すいません。」
リゼルは、頭を下げた。「お借りした古文書…、まだ、見つかっていないんです。今回は、近くに寄ったついでです」
 「あや。そうか」
老人は、ぼさぼさの白髪をぼりぼりと掻いた。「あれが戻ってきたかと思ったんだが…」
 「本当に、すいません。お願いしてお借りしたのに」
 「まあ、仕方がない。あんたのお仲間のお役人も、まだ見つかっとらんのじゃろ」
 「…はい」
シェラとワンダは、神妙な面持ちでリゼルと老人の会話を聞いている。仲間だと思われているのだから、そのフリをしたほうが話がややしくならずに済みそうだ。
 「そう、そのことなんだがな。」
奥から、奇妙な茶瓶を捧げ持った老いた女性が現れる。ヤルル老人は、その女性に向かって何か、話しかけた。間もなく、再び戻ってきたとき手にしていたのは、マントをとめるピンらしきもの。
 「あとで家の掃除しとったら、座布団の下から出てきた。これは、あんたのじゃないのかね」
 「拝見します」
リゼルは、受け取ったピンを光にかざした。
 「…私のものではありませんが、もしかしたら古文書をお借りしに伺った仲間のものかも。」
 「おお、そうか。なら持っていくといい。」
お茶を注ぎながら、老人は言った。「ああ、それとな。」
 「はい」
 「前にあんたが来た時は、怒鳴りまくってすまんかった」
 「……。」
リゼルは、思わず笑みを零した。「お陰で、レトラ語が上達しましたよ。」
 それから、二人は小一時間ほど、レトラ語と共通語で世間話をしていた。シェラやワンダも時々話に加わったが、ほとんどは、他愛もない話。出されたお茶は不思議な味がして、あとで聞くところによると木の実を煮出して作るものだとか。
 老人のもとを辞し、城壁の中に戻ったのは、もう昼も過ぎた頃だった。
 「今回は、怒鳴られなくて良かったよ。」
歩きながら、リゼルがほっとしたように漏らした。
 「前回そんなに怒られたの?」
 「ああ。貴重な古文書を頼み込んで借りた矢先だったから。」
 「においはおかしかったけど、お茶、美味しかったぞ!」
噴水まで戻ってきた。先ほどと顔ぶれは変わっているが、相変わらず、多くの人がたむろし、水を浴びたり、馬に飲ませたり… と、思い思いの方法で噴水を活用している。
 「ね、さっきのピン。貸して」
 「え?」
 「ちょっと、視てみる」
シェラの持つ、ルグルブの民の特殊な力。遠視と呼ばれるそれは、物の記憶を辿り、持ち主のことを知る。極稀に力の強いルグルブは未来を視るというが、多くは、そう遠くない過去もしくは現在、という、狭い時間の範囲に限られる。未来を視てしまうと、その内容が良いものであれ悪いものであれ、しかるべき人に伝えなくてはならない、というのがルグルブの掟だ。シェラが故郷の谷を離れて旅をしているのも、そのためだ。
 シェラの力の確かさは、前にシドレク王を探した時で分かっている。リゼルは、ヤルル老人から受け取ったピンをシェラに手渡した。
 彼女は木陰のベンチに腰をおろし、手のひらに乗せたピンに意識を集中させた。
 「…二年前、だっけ。持ち主がいなくなったのって」
 「ああ」
 「ギリギリね。時間が経ち過ぎてるし、うまく視えないかもしれない。その人の本名とか出身地、知ってる?」
 「名前は… ローレンス。年は五十くらい。西の生まれらしいけど、地域までは」
 「うーん…」
シェラは苦戦している。「持ち主は、そこそこ年のいった男性…よね。多分、それは合ってる。うーん…なんだろう、この感じ」
 「二年前は、徹底的に探したつもりなんだ。町の人にも、レトラ族にも聞き込みをしたし、騎士団にも協力を依頼した。…と言っても、ほとんどウィラーフがやったんだけど。」
 「最後の目撃は、ここ、よね?」
 「そう。夜だ。ヤルル老人のところから古文書を借りて、日が暮れてから町に戻った。そう遅い時間だったとも思えないのに、ここから先の足どりは、誰も知らない」
リゼルは、目の前の噴水をじっと凝視している。「ここから、宿までの間に… 彼は姿を消した。この町で」
 「……。」
シェラのぼやけた視界の中に、噴水の側に立つ男が浮かんでいた。マントに何かをくるんで、足早に通りすぎようとしている。それで、ピンを忘れてきたことに気がつかなかったのか。まだ人々の談笑している噴水の側の明かりの下を通り過ぎ、薄暗い路地へ。そして――
 ――月の光と… 白い、石の縁…。
 はっとして、彼女は目を開けた。
 「視えた」
 「本当か?」
 「うん、でも、何だろ。見覚えがあるけど、あれって…」
噴水に目をやる。違う。それ以外で、水のイメージ。特徴のある縁。「…そうだ。聖堂で見た、あの八角形の井戸!」
 動くのはリゼルのほうが早かった。
 「行ってみよう。こっちだ」
人ごみをほとんど走る速度で通り抜ける。丘の上の尖塔は、最初に見た時より近い気がした。
 リゼルは、ウィラーフが通ったのと同じ裏道から教会を目指しているようだった。薔薇に隠された小さな鉄の門をくぐり抜け、緑の芝生の中に続く階段を駆け上がる。ピンは、シェラが握りしめたままだ。
 「どっちだ?」
 「案内する」
シェラは、記憶を辿って井戸を目指した。大聖堂を抜け、四方を壁に囲まれた小さな中庭。イバラに囲まれた、八角形の井戸。スレインに捕まった場所でもある。
 「ここ?」
 「うん、そう」
シェラは、井戸の脇にしゃがみ込んで石の縁を見上げた。「そうね。この角度。だけど何でこんなところに来たのかしら」
 「騎士団に用事があったのかな」
リゼルは、壁を見上げる。「確か、この壁の向こうが騎士団の宿舎なんだ。繋がっているんだよ」
 「え、そうなの? やだ、じゃあこんなところウロウロしてたら、またあの人に捕まるかもしれないじゃない」
シェラは、あからさまにスレインが苦手そうだ。「隠れるとこ、ないわよね。ここ」
 リゼルは、苦笑した。
 「そんなに警戒しなくても。一日にそう何度も会うわけないし――」
シェラは、聞いていない。中庭の端に立つ木と石碑のあたりに隠れられないかどうか、後ろに回って確かめている。
 「なになに? シェラ、隠れんぼか?」
ワンダがシェラのほうに突進していく。
 「ちょっ、こっち来ないでよ。あなたが一番目立つんだから!」
 「えー? あいつに会ったら、またケーキ食べさせてもらえるんじゃないのか?」
 「そういう問題じゃ…」
シェラの動きが、突然止まった。

 コーーーーン。

リゼルは、空を見上げた。頭上から降ってきた透明な音。尖塔の鐘の音。夕方の合図だ。

 コーーーーーーン。
 コーーーーーーン。
 コーーーーーーン…。

四つの鐘が少しずつ遅れて打ち鳴らされ、やがて四重奏となる。町じゅうどこに居ても聞こえるだけはあり、真下にいると、耳を覆いたくなるほどの音だ。耳の良いワンダなど、両手でぴったりと耳をふさいでシェラのうしろに隠れている。
 音の残響は、その後もしばらく続いた。夕焼けが迫りつつある。ウィラーフは先に宿に戻っているだろうか。暗くなる前に、ここを出たほうがよさそうだ。
 「シェラ?」
 「……。」
呼んでも、石碑の影に隠れたままだ。
 「どうした。」
 「…み、見つけたの」
近づいたリゼルは、シェラの顔が真っ青になっているのに気がついた。片手にピンを握り締め、もう片方の手は、中庭の端にたつ石碑に当てられている。
 「この石が覚えてたの。ここよ…。この場所で、その人、こ」
唇が震えた。「殺されたの」
 「――何だって?」
遠く、鐘の残響が風に乗って消えていく。シェラは、がくりと膝をついた。「…こんなのっ…」
 「もういい。視ないで。今は忘れるんだ。早く戻ろう。ワンダ、手伝って」
 「う? おぅ」
両脇から支えるようにして、シェラを連れ出す。よほど酷い殺人現場を視てしまったのか、大聖堂を出てからもずっと、シェラは小刻みに震えている。リゼルは後悔した。その可能性をうっすらと予感しないでもなかったのに、迂闊に、彼女に遠視を頼んでしまったことを。



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