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 町の中心部へ向かう道はどこも石で舗装され、古びた建物が続いている。長いスカートをたくし上げた女性が買い物籠を下げ、道の両端にある店を覗いたり、途中で立ち止まってお喋りしたり。まるで、枚絵のような風景。町の住民たちがあまりにも優雅すぎて、よそから来た旅人たちの立ち居振る舞いは浮いて見えた。
 「着飾ってる人が多いのね。ここ」
 「元は貴族や王族が住んでいた町だ」
ウィーラーフは足を速めている。早く町を通り抜けてしまいたいようだった。「ここは元はエスタードの首都だった」
 「大陸一の王国…だっけ?」
歩きながら、シェラは、近づいてくる塔を見上げる。白く、空に突き刺すように真っ直ぐ聳えたつ塔。その先端には、大きな銀の鐘が取り付けられているのが見えた。
 「あんなものが、この世にあるなんて。凄いわね…。」
思わず、呟きが漏れる。
 ルグルブの民は、王国の南の果てにある谷に暮らしている。その目立つ外見と特殊な能力ゆえか、一族同士の結びつきが強く、谷の外に広がる世界を知らないまま一生を過ごす者も多い。例外はめったにない。その彼女たちにとって、故郷の外にある「大都会」は、ウワサに聞く程度のおとぎ話の世界なのだ。
 「あれは”墓標”だ」
 「墓標?」
 「エスタードの歴代皇帝の墓がある。最後の皇帝イーノルドも、あそこに葬られた。」
先をゆく騎士の口調はぶっきらぼうで、シェラのほうを振り返りもしない。慣れ合うことは、背中で拒絶していた。
 ウィラーフが向かっているのは、教会の正面玄関ではなさそうだった。
 多くの観光客が向かう列から離れ、どんどん狭い路地の方へ入っていく。やがて頭上に、最初は真正面だった塔の裏側が見え始めた。ほぼ、半周したことになる。
 道の先に、両脇から枝垂れかかる薔薇に隠された小さな鉄の門があった。その向こうに細い階段が続き、少し上がった緑の芝生の奥に塔が立っているのが見えた。
 「こっち、裏口じゃないの?」
 「表は参列者が多くて鬱陶しい」
言って、鉄の門を押し開いた。鍵は掛かっていない。階段の先には、この教会に務める人々が暮らしているらしい小さな宿舎がぽつり、ぽつりと立っており、厩舎には牛が飼われている。緑の芝生が、塔へ続く斜面を覆っていた。
 以前ここへ来たときに知った道なのだろう。案内板もないというのに、彼は、迷う素振りも見せない。
 「真っすぐ行けば大聖堂。右手の小道をいけば地元民の礼拝堂と墓地。左手で壁に突き当たったら、道なりに行けば歴代皇帝の墓所に出る。どこへ行きたい」
 「えーと…」
シェラは、ちらと頭上を見上げた。「あの塔の上、行ってみたいな。景色よさそうじゃない?」
 「…こっちだ。」
無愛想だが、ガイドは頼りがいがある。ウィラーフは、まっすぐ正面、礼拝堂に向かって歩き出す。


 明るい外から突然、暗い回廊へ入った。長い暗闇を潜り抜けると、突然、まばゆい色とりどりの輝きが視界を包みこむ。シェラは、思わず手を翳し、目を細める。外の明るさと、中の薄暗さ、そして突然の色の奔流。まだ目が慣れていない。
 それは、天窓からステンドグラスを越えて、斜めに差し込む光だった。大聖堂の、内陣のすぐ側に出たのだ。旅人たちが溜息を漏らしながら天井を見上げている、その、すぐそば。高い天井、丸く優美な曲線を描く柱。
 「…すごい」
こんな建物を見たのは、初めてだった。どんな岩や谷よりも大きな、人が造りしもの。
 「谷とは全然違う…」
 「何してる。こっちだ」
ウィラーフは、美しい教会の装いに興味などなさそうだった。暗がりの中、壁の分かりにくい場所にある狭い階段の入り口前に立っている。
 階段は螺旋状に、はるか上のほうまで続いていた。登るには一苦労。細く縦に長いスリットのような窓から、遠ざかっていく緑の芝生が見える。長年のうちに階段の石は真ん中の辺りがすり減っていて、手すりもなく、観光客が訪れることなど想定していないような造りだった。
 「足元に気をつけろ。」
と、ウィラーフはシェラを先に登らせながら言った。一応の気遣いなのか。それとも、騎士として習った礼儀作法の一環として、ごく自然に習慣としてやっていることなのか。
 登り切った先には、狭い丸い空間が開けていた。周囲は一面の空、空。何もない、がらんとした空間。見上げれば天井はキュッと尖っていて、まさに下から見えた尖塔のてっぺんといった感じ。
 「すごーい…」
シェラは、髪をかきあげながら手すりの先に身を乗り出した。「空に手が届きそう! こんな高いところ、はじめて」
 「ここまで来るのは、私も初めてだ。」
町が一望できる。この町に入るときに通ってきた城壁は、町をぐるりと取り囲み、どっしりとそびえ立っている。はためく色とりどりの洗濯物、大通り。際立つ白い建物、城壁に沿って町の外を流れている川。そして…
 「あら?」
…そして、川のほとりの一角に、身を寄せ合うようにして建つ、場違いな、粗末な建物の群れ。
 「ねえ、あれは? あそこだけ、何だか雰囲気違うけど」
そこだけ、風景が茶色っぽく変色して見えた。町の他の部分は、石造りの建物で白か灰色に見えるのに。
 「あれがレトラ族の集落だ。貧困地区でもある」
 「え、貧困? どうして?」
無邪気に尋ねるシェラに、騎士は、ひとつ溜息をついた。
 「…エスタードには、もともと差別の風習がある。それは、王国の意向に反して、今も根強く残っている。」
 「自治領にはなっていないの?」
 「彼らにはそんな自由は与えられてない。…お前、いつもその調子なのか」
 「その調子って。」
 「聞く前に、少しは考えろ。」
投げ捨てるようにそう言って、ぷい、とそっぽを向く。それ以上は聞いても答えてくれなさそうだった。
 シェラは諦めて、集落に目を凝らした。狭い区間に、家がぎっしりと立ち並んでいる。どれも相当古いようで、崩れかけているものまであった。彼らも、昔からここに住んでいる人々なのだろう。
 「そういえば、前にレトラの古老に会いに来たとかって、リゼル言ってたわね…」
あとでリゼルに聞けば、何か教えてくれるかもしれない。
 「ね。あそこって普通に行けるの?」
振り返ってみれば、そこにいるはずのウィラーフの姿が、消えている。
 「あれ…」
螺旋階段を覗き込んでも、見当たらない。「ちょっと、どこ行っちゃったの? ねえ!」
 塔の上にいることに飽きて、どこかへ行ってしまったのだろうか。シェラは、あわてて階段を降り始めた。下のほうから、旅人たちが聖堂を見学して談笑する声が聞こえてくる。人、人。人が多すぎて、何も見えない。
 「ああ、もう… どっち行ったのよ」
正直に言えば、宿まで一人で帰れるかどうかも怪しかった。こんなところで迷子とは。
 回廊を突っ切り、中庭らしき場所に出る。そこは、さっきのウィラーフの説明になかった場所だ。四方を高い壁に囲まれ、真ん中には特徴のある、八角形の縁を持つ井戸。周囲にはイバラが枝を絡めている。
 シェラは、井戸に近づいて中を覗き込んだ。遠い水面に、青い空が写りこんでいる。
 「おや――」
ふいに、背後で声がした。「あの時のお嬢さんではないですか」
 振り返ると、ぴったりとした正装の青年が立っていた。羽飾りつきの兜を手に、白い手袋、白いマント。騎乗服には金の縁飾り。腰に下げた剣の青い房飾りに目を留め、シェラはようやく、この男が何者かを思い出した。
 ――さっき、レストランから見ていた時の…。
 「奇遇ですね。こんなところでお会いできるとは! まさに運命」
 「あ… えっ… と。あの、」
青年は爽やかな笑顔をきらめかせながら大股にシェラに近づき、その手をとった。
 「近くで見るとさらにお美しい。見学ですか? ちょうど今から非番なのです。ぜひご案内させてください」
 「あ、あの…」
 「僕はスレイン。スレイン・ファーリエンと申します。お嬢さん、あなたは」
 「え、えっと…」
手を振り払おうにも力強く握り締められていて振りほどけず、きらきらと輝く笑顔はすぐ近くにあり、先にじろじろ眺めて気があるような素振りを見せてしまったのは自分ということも相まって、シェラの頭の中は真っ白になっていた。おまけに相手は、今まで酒場で絡んできたような下品な男達とは違う、れっきとした騎士様なのだ。こんな場合は、どうやって断ればいいのか…
 と、その時だった。
 「おい」
助け舟というべきか。聞き覚えのある不機嫌な声が、二人の間に割って入ってきた。
 「あ、ウィラーフ!」
不本意ながら、シェラは自分がほっとしたのを自覚した。相変わらず憮然とした顔の銀髪の青年が近づいて、スレインの手からシェラを奪い返す。
 「ここにいたのか。勝手にふらふら居なくなるな」
 「だって! 先にいなくなったのはそっちでしょ」
むっとして言い返すシェラの後ろから、さらにスレインがかぶせる。
 「どこかで見たと思ったら、貴様! レスロンド!」
知り合いだったようだ。シェラは、対峙する二人の間からそっと体をずらした。
 「こんなところで何をしている?!」
 「何だキザ男。お前こそ何してる」
 「何もへったくれも。見回りが済んで戻るところだ。我が騎士団の宿舎は、すぐそこなのだからな!」
二人の騎士の間には、明らかに険悪なムードが漂っている。
 「そんなことより…、そのお嬢さんとどういう関係だ、貴様」
 「お前が考えているような色艶のある関係ではない。通りすがり的な関係だ。」
 「ふん、通りすがりにご婦人のガイドを引き受けるような紳士的な男ではないだろうが」
 「知り合いの知り合いだから仕方なく付き合っているだけだ。面倒だからお前に任せてもいいくらいなんだが、これも仕事の内でな」
 「ちょっと! そういう言い方はないでしょ? あたしみたいな淑女をエスコートすることの何が不満なのよ!」
 「そうだ、そうだ!」
 「……。」
ウィラーフは、額に手をやった。「…もういい。行くぞ」シェラの手をつかみ、半ば強制的にその場から連れだそうとする。
 「こら! レスロンド、まだ話は…」
後ろで騒いでいるスレインは置き去り。追いつかれないうちにと、聖堂の中で人ごみに紛れながら、二人は、元来た裏道のほうへ抜け出していた。


 人気のない木陰まで来たところで、ようやくウィラーフは足を止めた。
 「最悪だ。」
呟いて、木陰に腰をおろす。
 「あの五月蝿いのに見つかったからには、今日中に、この町に来たことが関係者にバレるな。」
 「まずいの?」
 「ああ。色々と」
少し離れて、シェラも腰を下ろす。ウィラーフは、彼女をじろりと横目に睨んだ。
 「お前のせいだぞ。」 
 「ごめんなさい、だけど、急にいなくなるから…」
 「…すぐ後ろに、隣の塔に繋がる橋があっただろうが」
 「そんなの、気付かなかったわ。一声かけてから移動してよ!」
青年は、はあ、と音が聞こえるくらいの溜息をついた。「…夢中になっていて聞こえていなかったんだな。」
 「……。」
シェラは、話題を変えた。
 「レスロンドって呼ばれてたわね」
 「ウィラーフ・レスロンド。私の名前だが、それがどうした」
 「アルウィンは?」
 「……。」
返事がない。これも、聞いてはいけないことの一つのようだ。
 「あの人とは、どういう関係なの」
 「何でもかんでも聞くな。少しは自分で」
 「あたしなりの考えだと、前にこの町に来たときの知り合いでしょ。合ってる?」
 「…間違いではない。が、その前に、中央でも会ったことがある」
 「仲悪いの?」
 「あいつとは、合わん。それだけだ」
もう一つ溜息をついて、ウィラーフは立ち上がった。「まあ、仕方ない。…あと見たいところはあるか」
 シェラが答えに窮していると、彼は先に立って歩き出した。
 「なら、皇帝の墓くらい見ていくか。」
一応はそこが、お勧めの観光スポットなのだろう。


 墓所は、意外に狭かった。頑丈な高い壁に囲まれ、樹齢何百年かの巨木に囲まれ、昼間でも薄暗い。緑の芝生の中、半ば崩れかけたような石の塔や、もう字も読めなくなったような墓標が埋れている。鉄の柵がそれらを取り囲み、観光客が勝手に踏み荒らさないよう、見張りらしい修道士がそれとなく木陰に座っていた。
 「エスタードの歴代皇帝の墓だ。あれが、最後の皇帝イーノルドの墓」
ウィラーフの指差す方角には、真ん中から見事に割れた彫像が立っている。馬に乗った皇帝の像だったのだろうが、上半身は失われ、首なしの馬と、馬に乗る人の足だけが辛うじて残されている。
 「どうしちゃったの、あれ」
 「民衆の反乱で壊された。エスタードの圧政には不満が多く、皇帝も最期は側近に暗殺されたのだとか。…その混乱に乗じて、この地を併合したのがアストゥール」
他にも、壊されている墓は幾つかあった。この国が安泰ではなかった証拠なのだろう。
 「ここは、最後にアストゥールに併合された国だ。東方騎士団も元はエスタードの宮廷に仕えた騎士団。中央の騎士団とは、その当時から方針が噛み合わない」
 「それで仲悪いの?」
 「多分な。」ウィラーフは、興味なさそうな口調で言った。「五百年も方針が合わないんだ、合わせる気もないんだろうよ。」
墓所に長い影が落ち始めている。木立の間の影は濃くなり、尖塔の先にかかる日差しは、赤みを帯びてきている。
 「そろそろ夕方だ。もう、気は済んだな?」
 「うん、ありがと。かえりましょ」
元来た小道へ向かって歩き出す二人の頭上で、夕闇の星が静かに輝きはじめている。
 高くそびえたつ尖塔から延びた長い影が、町を覆い隠していく。


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