2_レトラの古文書


 大陸を、西から東へ貫くアストゥール領内最長の街道、サラリア。多くの旅人たちの行き交うその道は、人間に喩えれば、最も太い動脈のような存在だ。
 旅に適したこの季節、多くの旅人たちがそこを行き来する。乗合馬車の外の風景は緑に変わり始め、その向こうには、天を突くような巨大な山脈。高い天から吹き降ろす風を弱め、雲を留め置いてくれる天然の「城壁」だ。森や大きな木はないが、少なくとも大地は剥き出しのままではない。
 わずか数日の距離で、景色の色は変わり、風は、その荒々しさを弱めていた。


 順調に思われた旅が思わぬ障害に突き当たったのは、オアシスの町を出発して一週間が経つか経たないかというところ。ようやく荒野の景色が完全な緑に変わった頃のことだった。
 街道の真ん中にバリケードが築かれ、すべての馬車や馬か止められている。騎士団がそこを守っていて、声を張り上げて旅人たちを追い返している。馬車の窓を開けると、その声の一端が届いた。
 「山賊…?」
呟いて眉を寄せるのは、十五、六歳に見える、くすんだ灰色の髪の少年。窓を開いて耳を澄ませている。
 「この先の街道で、山賊の集団が商隊を襲ったらしい。封鎖して騎士団が追い込んでいるから、数日は通れない、らしい…」
 「相変わらず東方は物騒ですね」
少年とは対照的に、輝くような銀髪をもつ背の高い青年が言う。「どうします」
 「街道を迂回していくのもいいが、今は同じことを考える旅人が多くて馬も宿も借りられないだろうな。急ぎの旅じゃないし、近くの町で待ったほうがいいと思う」
 「今、どのあたりなの?」
身を乗り出すのは、波のように揺れる深い藍色をした長い髪と、同じ色の瞳を持つ美人。
 「一番近い町だと… ノックス、かな」
 「ノックス…」
 「ワンダはらへったぞー」
毛むくじゃらの、一見して犬にしか見えない小柄な人間が、声を上げる。「うまいもの食べたいぞ!」
 「あそこは、東方騎士団の本拠地です。あの件もいまだ未解決ですし… あまり気が進まないのですが…」
 「”あの件”?」
 「ああ、こっちの話。まあ、いいんじゃないか。街道が開くまでノックスに寄って行こう」
一行の取りまとめ役は、この目立たない少年だった。背の高い青年、ウィラーフはひとつ溜息をつき、乗合馬車の御者にここで降りることを伝えるために先に降りていった。
 「ね、リゼル、ノックスってどんなところ?」
藍色の髪の美人、シェラは、荷物をまとめている少年を覗き込む。
 「五百年前の”統一戦争”の当時、大陸最大の国として知られていたエスタードの首都だった町だ。歴史ある町だから、見所は多い。大きな教会もあるし」
 「ふーん。」
それなら、数日足止めされても退屈することはなさそうだ。
 出身も見た目もばらばらの四人組は、こうして、街道沿いの町ノックスに向かうことになった。予定が狂うのは旅ではつきもの。とはいえ、この時の出来事は、それほど生やさしいものでもなかったのだが。


 ノックスの町は、今まで通ってきた町とは大違いの賑やかさだった。
 古びた城壁をくぐると、とたんに目の前に開ける色とりどりのバザール。着飾った人々と、旅人たちとか自然にいりまじり、露天の掛け声、宿の客引き、ありとあらゆる声が飛び交っている。
 「うわあ、大きな尖塔!」
町に入るや否や、シェラは、天を突く真っ白な教会の塔に目を奪われた。
 「すごいぞ。とんがって、空に突き刺さってるぞ。」
ワンダも興奮気味だ。
 「あれは、ノックス大聖堂の鐘楼だよ。毎日、朝と夕方に鐘が鳴る。」
リゼルが説明し、ぽつりと言った。「…懐かしいな。」
 「え、前にも来たことあるの?」
 「仕事でね」
少年は笑う。「あまり愉快な任務じゃなかった。出来れば、今回は穏やかに行きたい」
 「その時って、ウィラーフも一緒だったの?」
 「ええ。」
むっつりした顔で、青年が答える。シェラのほうを見向きもしない。
 シェラは腰をかがめ、リゼルに聞いた。
 「…ねえ、何か、ここで相当ヤなことでもあったの? あの人」
 「いや、まあ…。もともと、人見知りするほうだし」
 「ふーん。」
リゼルの歯切れが悪い時は、たいてい深い話に繋がっている。あまり聞きすぎない方がよさそうだ。周囲に夢中のワンダは、見上げることに夢中で足元を見ていない。
 「転ぶぞ」
ウィラーフは、ぐい、と毛むくじゃらな腕を掴む。マントの下で、剣につけた房飾りがちらと揺れた。金色の房飾り―― 王国の首都、リーゼンハイデルの騎士団に仕える印。宮廷騎士団は、首都に本部を持ち、アストゥールの中心部を守る最も格式の高い騎士団でもある。
 「で、どうします? アルウィン様。まず宿を押さえておいたほうがよさそうですが」
 「そうしよう。街道が開くまで時間がかかるなら、ここもじきに旅人で溢れそうだからね」
そのウィラーフにとってみれば、どこの誰とも知らない行きずりの人物を、旅の一行に加えることが我慢ならないのかもしれない。これで実は国王の腹心のひとりであるリゼル(本名はアルウィンという)ならともかく、シェラやワンダの面倒まで見る気はないという雰囲気がひしひしと伝わってくる。すくなくとも、慣れ合うつもりは全く無さそうだった。
 「ワンダ、はらへったぞ」
ウィラーフに掴まれたまま、ワンダがじたばた暴れている。
 「ああ…。じゃあ、そこの店で食事しながら待ってるよ。ウィラーフ、よろしく」
 「分かりました。」
ウィラーフは、ちら、とシェラとワンダのほうに目をやったあと、文句も言わず人ごみの中に姿を消した。
 「人見知り、ねえ…。」
どうも、それだけとは思えなかったのだが。


 そんなわけて、三人は通りに面したレストランの、外の見えるベランダ席にテーブルを確保した。ワンダはさっそく料理にがっついた。この獣人は、いつだって腹ペコで、食べているときが幸せの絶頂なのだ。
 「ほんと、綺麗な町よね」
シェラは、景色のほうに夢中だ。石畳の通りを、馬や人がひっきりなしに行き交っている。建物のほとんどは、何百年かの風雪に耐えてきた、重厚で歴史を感じさせる造りで、軒先に張り出した植物意匠の模様など、端々まで芸術的嗜好が伺える。
 「谷とも、今まで見たどの町とも全然違う」
 「ここは大陸での有数の大都市だからね。リーゼンハイデルよりは小さいけど」
 「首都って、そんなに大きいの?」
ティーカップを取り上げながら、シェラは、ふと少年の憂い気な表情に気がついた。
 「ね。前にもここに来たことあるって言ってたでしょ? その時も、王様の言いつけたお仕事だったの?」
 「…そう。”リゼル”の一人が、この町で消息を絶った。その、穴埋めかな。」
何気なく聞いてしまったことを、シェラは後悔した。
 「…ごめんなさい」
”リゼル”というのは、王の命で任務に赴く者が名乗る隠し名なのだ。”王の目となり、耳となれ。またあるときは、舌となれ。” ――王国内に存在する、様々な言語を使う少数部族の間をとりもち、連絡や交渉を行うための特殊外交員。それが、この少年を含む”リゼル”と名乗る人々の役目だ。彼らが本来の名を秘すのは、王国にとって重大な秘密を知ることも多く、素性を知られないほうが身の安全が守られるからだという。危険の多い仕事なのだ。
 「でも、未だに不思議なんだ。」
シェラが次の言葉を探しあぐねていると、リゼルは、自ら口を開いた。
 「どうして、彼がここで消息を絶ったのか。それほど難しい任務ではなかったはずだ。それに、ここは、東方騎士団の本拠地――特別、治安に問題があるわけでもない」
 「聞いていいのかしら。どんな任務だったの」
 「学術資料に使う古文書の借り出しのための交渉。わざわざ”リゼル”が赴くほどのものでもなかった。ただ、持ち主がレトラ族の古老だったからね。気難しい人で。なかなか借り出しに同意してくれなかったので、たまたま近くにいたレトラ語の判る”リゼル”が出向いたらしい。」
 「交渉は、成功したの?」
 「ああ。それは、おれが確かめた。借り出された資料は本人とともに今も行方不明。それで、レトラ語はほとんど判らなかったのに片言で必死に謝ったんだよ。…あまり楽しい任務じゃなかった」
 「そりゃそうよね。」
シェラは、お茶をすすりながら通りに視線を戻した。さっきから、目立つ大きな馬に乗った揃いのマントの人々が何人も行き交っている。王の前で正装していた時のウィラーフや、もう一人いたデイフレヴンという騎士にどこか似た雰囲気。
 「ね、あれって?」
 「…ああ。あれが、東方騎士団だよ」
白いマントに、揃いの紋章が見えた。
 「アストゥールの王立騎士団は、全部で四つある。中央の宮廷騎士団が金、東が青、西が赤、北が白。それぞれ、剣につけている房飾りの色で判る。」
 「みんな同じ剣なの?」
 「だいたいはね。長さの好みや二刀流なんかはあるけど、どこかにアストゥールの紋章が入ってるはずさ」
よくみると確かに、馬上の騎士たちの帯びている剣には、青い房飾りが揺れていた。ウィラーフのものと色違いだ。
 身を乗り出してじっと見ていると、視線に気づいて馬上の騎士が一人、こちらを見た。にこりと笑って、シェラに向かって手を振る。
 「うわ、なんか余計なことしちゃったかも。」
 「…興味ありそうに見つめるからだよ。」
ルグルブ独特の髪と肌でただでさえ目立つうえに、控えめに見ても魅惑的な容姿のシェラに見つめられて、無反応な男性は、そうそういないだうろ。
 「こっち来ないわよね。来ないわよね。」
 「向こうも仕事中だろうしね。…あ、ウィラーフが戻ってきた」
通りを行き交う人々より、頭一つ分背の高い青年が、通りを横切ってくるのが見える。他のことは見えてもいないし聞こえてもいないらしいワンダは大声で「おかわり!」を頼み、店の中にくすくす笑いを呼び起こしている。
 戻ってきたウィラーフは、ごく自然な動作でリゼルの隣に腰を下ろした。
 「宿は二部屋、確保してきました。どこも満室で危ないところでしたが」
 「ご苦労様。何か食べる?」
 「いえ…」
ウィラーフは、食い散らかされたワンダの前の皿の山をじろりと睨んだ。
 「そんな気分ではないので。――それより、東方騎士団の動きが活発なようです。」
 「山賊退治に行くんだろう」
 「それだけではないかもしれません。気にしすぎならいいのですが… 町で小耳に挟んだ話だと、ローエンが戻ってきているようです」
リゼルの手が止まった。
 「騎士団長が?」
 「ええ。見つかると厄介です。滞在中、あまり目立たないようにしたいところですね。」
言いながら、傍らのワンダに目をやり、――溜息をついた。「…無理ですかね。」
 「む?」
まるきり聞いていないらしいワンダは、口いっぱいに食べ物を頬張りながら振り返った。
 「騎士団長がどうしたの。何でまずいの?」
ウィラーフは、きっとシェラを睨んだ。
 「前の任務で挨拶していて、顔が知られてるからだ」
 「あと、宮廷騎士団と東方騎士団は、仲が悪い。」
リゼルが付け加える。
 「アルウィン様…!」
 「まあ、色々あるんだよ。」
非難するようなウィラーフの視線もわれ関せず、少年は、平然としたでお茶を取り上げた。やりとりを聞いていると、まるで仲の良い友達みたいだな、とシェラは思った。この二人は、ただの”王の家臣”繋がりではないのかもしれない。


 食事を終えると、四人は宿に向かっていた。こざっぱりとした裏路地の宿は、表通りの喧騒からは切り離されている。景色は良好とは言いがたかったが、町の人々の暮らしの息吹が感じられる、下町の一角にある。
 「わあ、すごい」
窓を開いて、シェラは声を上げた。窓から張られたロープいっぱいに、色とりどりの洗濯物がはためき、窓辺には花が飾られている。通りの向こうのほうには、家々の屋根から突き出すような大聖堂の尖塔。
 「夕方まで、まだ時間はある。散策してきたら?」
隣の部屋から、リゼルの声。
 「うん、せっかくだしそうするわ。」
 「あ、あと…」
リゼルの声とウィラーフの声。隣の部屋で、なにやら揉めているらしい。
 ややあって、リゼルが言った。
 「ウィラーフに案内を頼むよ。前にも来てるから、この町のことはよく知ってるだろうし」
数分後、むっつり顔のウィラーフがシェラの部屋の前にやってきた。あからさまに気が乗らない様子だ。
 「何よ、騎士のくせに乙女のエスコートが嫌だっていうの」
 「……。」
腕組みしたまま、答えない。
 「アルウィン様、お一人で大丈夫ですか?」
 「おれは部屋にいるよ。一人のほうが気が楽だし。」
部屋を覗くと、リゼルは袖机の上に何かの本を積み上げている真っ最中だった。ワンダは、お腹いっぱいになったお陰で部屋に着くなり熟睡に入っている。両手両足をベッドの上に投げ出して、リラックスしきっているその姿からして、夕方までは目を覚まさないだろう。これまで暑い地方を夜にばかり旅してきたので、まだ、昼夜が逆転したままなのだ。
 シェラとウィラーフは、連れ立って宿を出る。これまでの旅の間も、ほとんど会話を交わしたことがなく、シェラにとって、この若い騎士は未知数だった。
 「リゼル、部屋にこもりっぱなしで退屈しないのかしらね。」
 「この機会に、不得手なレトラ語の勉強でもするんじゃないか。あの方は勉強熱心だから。」
いつも不機嫌そうな口調だったが、その端々に、リゼルに対する親密さが感じられた。シドレク王に対するそれとは違う。
 「ね、あなたたちって昔からの友達なの?」
 「…どうして、そう思う」
 「何となく。騎士とお役人、っていう仕事上の関係だけには見えないもの。」
 「――出身が同じというだけだ。」
 「あら。じゃ、あなたも”自治領”の出身なんだ。」
 「!」
目に見えて、ウィラーフの顔色が変わった。「どうして、それを…。」
 「う、うん」
シェラは狼狽えた。「聞いちゃ…いけなかった?」
 「あまり言いふらすな。おおっぴらにされたくない」
 「あなたたちの故郷が、王国と仲が悪い… から?」
ウィラーフはシェラを睨みつけ、何か言おうとして、やめた。リゼルは故郷のことを話したがらなかった。ウィラーフも、それは同じなのだろう。彼らの故郷が王国と敵対しているなら、王国のために働く二人のような人間が微妙な立場なのは、推測できた。
 「ごめんね。あたし、まだ谷から出たばかりで、王国のこと何も知らなくて」
 「――でなければ、同行させたりするものか。」
半ばひとりごとのように言い、騎士は大股に大通りの方へ向かって歩き出す。話題を変えて話を続けられるような雰囲気ではなかった。


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