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 空は澄み渡り、満天の星空の下、盛大なかがり火が焚かれ、賑やかな歌声が響いていた。
 今夜ばかりは、ハザルのすべての人々が抑えきれない喜びに満ち溢れている。何しろ、五百年も続いた放浪の旅が終わるのだ。いきなり生活のすべてが変わってしまうわけではないが、確実に、今までとは異なる時代が始まるだろう。ディーの両親も、町から戻ってきていた。あちらでも、こちらでも、再会を喜び合う声でいっぱいだ。
 「”さあ、皆! 今宵は我らの旅の終わりを祝え。神の恵みに感謝するがいい。約束の地に戻ってきたのだ!”」
大宴会は、グウェンの声とともに始まった。酒を飲み、踊り狂う人々。笑い、さざめき。枯れていた湖の底には、もう三分の一ほど水が溜まっていた。


 外で行われている宴会から離れ、長グウェンを中心に、主だった人々はテントに集まっていた。
 通訳のディーとリゼル、成り行きでシェラとワンダ。それにシドレク。リゼルは、シドレクを王とは紹介しなかった。ただ、一行の代表者、とだけ告げた。
 「いやあ、こんな盛大な宴に参加できるとは。酒はうまいし、人々は陽気だ。どこの国の大使館でもてなされるよりも、遥かに居心地がいい。」
 「そう言っていただけると。いやいや、しかし本当にこの日を迎えられるとは。我らの長きに渡る旅も終わり、祖先たちもお喜びでしょう」
”祭壇”の奥で見た物のことは、すでにディーから報告済みだった。シドレクの説明も、長はすんなりと受け入れた。或いは、皆の前では口にしなかっただけで、他にも伝えられている伝承があったのかもしれない。
 酒を酌み交わし、ひとしきり談笑したところで、話題は、リゼルたちがここへ来ることになった、そもそもの目的へと移っていった。
 「ところで、使者殿。王国議会からの返事なのだが。」
 「こちらに、書簡を預かっております」
リゼルは、前もってシドレクから預かっていた書簡を取り出し、グウェンに手渡した。王国の紋章入り、国王のサインもある―― もっとも、そのサインをしたのは、すぐ目の前にいる人物なのだが。
 「王国議会は、あなたがたのセノラの谷への定住と、自治区としての認定を行います。次の集会は三ヶ月後。必ずご出席下さいますよう」
 「おお、ありがたい。」
 「これからも、アストゥールとハザルの民の、変わらぬ友情を。」
言って、シドレクは陽気に盃を掲げた。「ユールの大地に、栄えあれ!」


 こうして、旅の目的は果たされた。
 酒を酌み交わす大人たちをテントの中に残し、リゼルは、宴の集団から少し離れた物陰にいた。
 「こんなところにいたのか。」
ディーがやって来た。
 「通訳がいなくて、いいのか?」
 「まあ、酒を酌み交わすのに言葉は通じなくても問題ないだろう。何となく分かればいい。いちいち通訳されるほうも面倒だ。」
 「違いない。」
二人は、並んで腰を下ろした。砂漠を吹く夜の風は冷たかったが、火照った体には調度良かった。
 「これから、ハザルはどうする。決まった場所に住むようになっても、今までのように武器を作り続けるのか?」
 「さあな。一部は、たぶんそうするだろう。」
ちら、と湖のほうに目をやる。「水が蘇ったとはいえ、土地が豊かになって全員が個々に暮らせるように成るには、まだ何十年もかかるだろう。村や畑を作ることが出来るようになるのは、それよりも先の話だ。近くのオアシスの町なんかとも、うまく付き合っていかないといけないだろうしな。」
 「色々、考えてるんだな。」
 「当たり前だ。オレは族長の孫だぞ。」
それは暗に、いずれグウェンの跡を継ぐのは自分なのだ、と自負する言葉だった。
 「――なら、次におれが王国の使者としてここへ来る時も、出迎えてくれるのは、あんたなんだな。」
 「ずっと、この仕事を続けていくのか? 故郷には戻らないのか。」
 「……。今はまだ、帰れない…。」
リゼルは、星の瞬く空に目をやった。
 「おれの故郷は、今も王国に敵意を持ってる。その大元の理由が、今となってはひどくつまらないものに思えるんだ。”統一戦争”の時代の話を未だに抱えているなんて、バカげてる。五百年も昔のことなんだから、誰にも本当のことなんて判らないのに…」
 「争いとは、そういうものだろう。思いに時間は関係ない。どちらかが剣を収めない限り、争いは永遠に無くならない。」
 「だから、おれは探しているんだ。――剣を収めさせる方法を。」
ほのかな月明かりの中で、少年のくすんだ色合いの髪が、いつもより白く、銀に近く浮き上がって見えた。
 「無駄な争いは無くしたい。それによって傷つくのは、いつだって、争いに直接責任のない人々だから。」
それきり、少年たちは黙り込んだ。
 澄んだ星空の地平線ぎわには季節の変わり目を告げる星座が横たわり、風は、いつしか夜にも吹くようになっていた。


 その風に、ディーは、微かな気配を感じ取った。ふいに彼は立ち上がり、腰の黒い剣を抜き放った。
 「どうした」
 「何か来る。」
少年は大またに歩き出していた。リゼルも立ち上がり、いつでも動けるよう、用心深く身構える。
 暗がりに、うっすらと浮かび上がる灰色の岩の向こうに、黒い影が走る。
 崖の上から、ぱらぱらと、細かな石が転がり落ちた。

 「――敵だ!」

リゼルはとっさに、共通語とハザル語、二つの言葉で叫んだ。
 「気をつけろ、襲撃だ!」
空を切る音がして、リゼルの足元に矢が突き立つ。だが、彼は既に身を翻して集落の方へ走りだしており、注意を喚起する叫び声は、既に谷間に響き渡っていた。
 テントの入り口が荒々しく跳ね上げられ、武器を手にした男たちが駆け出してくる。浮かれ騒いで踊っていた人々も、酔いつぶれて眠っていた人々も。彼らは俊敏な動きで岩の陰に滑り込み、頭上から降り注ぐ矢を避ける。
 ばらばらと、崖の上に黒いものが走った。馬と人影、それもかなりの数が、テントを張る平地を取り囲むように散らばる。
 宴の賑わいは破られ、一転して激しい戦の剣戟が鳴り響いた。女性たちは悲鳴をあげ、子供たちを抱いて逃げ惑う。男たちは、身軽に崖を駆けのぼり、揃いの黒い刃を翳し、突然の襲撃者たちに向かっていく。
 「何事だ!」
グウェンが、シドレクと連れ立ってテントの外に出てくる。その傍らに、素早くディーが寄った。
 「襲撃です、谷で我らを襲った者かと。お気をつけて、お二人は中に」
シェラとワンダも駆けつけた。ワンダは両手いっぱいに食べ物を抱えたままだ。
 「ねえ、一体何が起きてるの? あれは何者なの?」
 「なんなの〜」
 「わからん。少なくとも、我らに敵対するものには違いない」
言いながら、周囲に視線をめぐらせたディーの顔がさっと青ざめた。何頭かの馬が、ハザルの男たちを蹴散らしながら崖を滑り降りてくるのが見えた。まっすぐに、こちらに向かって突っ込んでくる。
 「族長!」
と、闇に銀色の閃光が走った。矢がテントの張り糸を切断し、張力を失った布が風に吹かれて焚き火の上に落ちかかる。乾いた季節、火は、瞬く間に布に燃え移った。
 「火事だ!」 「早く消せっ」
声と悲鳴。酔いもどこへやら、人々はあちらへこちらへと走りまわる。襲撃者たちを捉えようとする男たちも、素早い馬の動きについていけない。その一角で、シドレクと、襲撃者たちは睨み合っていた。王の鋭い眼光に、不躾な闖入者もおいそれとは近づけない。
 「何が目的だ」
シドレクは、低い声で問うた。狙いは、王の暗殺か。それとも別のものか。
 「王都からずっと、つけてきていたな。貴様ら、何者だ?」
 相手は答えない。問答無用に斬りかかってくる。それを王は、軽く受け流し、一刀のもとに斬り捨てた。あまりにも見事な、そして人並み外れた腕前だ。残る襲撃者たちはたじろぎ、あとすさる。じりじりとした緊張。シドレクの後ろで、ディーは長とシェラ、ワンダを守っていた。


 その時――、緊張の真っ只中に、新たな蹄の音が鳴り響いた。
 「新手か?!」
構えようとしたディーだったが、駆けて来る二頭の馬を見て、腕を止めた。それは、襲撃者たちの乗るものとは違っていた。
 王国の旗印を染め抜いた白いマントが、闇にひらめく。揺れる金の房飾り。王国に仕える騎士たちの証だ。
 騎士たちは、シドレクの姿を見つけるなり、まっしぐらに突っ込んでいった。慌てた襲撃者たちは馬を引く。勝ち目は無いと思ったのだろう。
 どこかから、甲高い鳥の声が響いた。鳥…、いや、鳥のような声、というべきか。セノラの谷に向かった夜に耳にしたものと同じ、独特の声だ。その声に呼ばれたのか、黒い襲撃者たちは、上げ潮のよう引いていく。
 騎士たちはシドレクの前まで来ると揃って馬を降りた。
 「王! ご無事ですか」
 「こっちは心配ないが…彼は何処だ?」
シドレクは振り返り、辺りに視線を巡らせた。そして、その視線は崖の上に向けられた時―― そこで止まった。
 灰色の男が、崖の上から、じっと見下ろしている。
 顔を覆い隠すようなつば広の帽子の下から、長い灰色の髪と髭が覗いている。男は手を掲げると、ゆっくりとした動作で足元に倒れている影を指した。
 「リゼル!」
シェラが叫ぶのと同時に、騎士の一人が馬に飛び乗って猛然と駆け出した。だが、謎の男をとらえるには、間に合うまい。
 見上げる人々の前で砂混じりの強い風が吹き、――瞬いた一瞬のうちに、その姿は消えていた。


 夜はゆっくりと明けようとしていた。
 幸いなことに、リゼルは気を失っていただけで怪我はなく、ハザル人の中にも酷い傷を負った者はいなかった。火もすぐに消されたお陰で、大きなテントひとつを台なしにしただけで済んだ。突然の襲撃によって祝いの宴を台無しにされたハザル人たちの怒りは大きかったが、表立った被害は、それくらいのものだ。
 ――ただ一つ、リゼルが戻ってきた時に発覚したことを除いては。
 彼の預かっていた、黄金の樹を象った紋章が失われていたのだ。
 「してみると、あの襲撃は陽動だったとも取れるわけですね。」
そう言ったのは、後から馬で駆けつけたうちの一人、輝くような銀髪をした若い騎士だった。瞳は挑戦的な輝きをたたえ、そこには怜悧な光が宿っている。
 「最初から狙いはあの紋章だったと。」
もう一人、側で腕を組んで黙っているのは、熟練した騎士といった出で立ちの、そこそこの年齢に達した男だった。腕は太く、髭は黒々として、全体的にずんぐりした体つきをしている。
 グウェンが何か言いたげな視線を向けているのに気がついて、シドレクが言った。
 「紹介が遅れた。この者たちは、私の護衛を勤めてくれている。今、喋っていたのがウィラーフ、もう一人がデイフレヴン」
二人は軽く頭を下げた。剣につけられた房飾りは王都リーデンハイゼルに本部を構える中央騎士団の印。剣の柄に刻まれた小さな印は、その中でも、王に直接仕える近衛騎士だけに許されたもの。
 今ではグウェンも、使者として迎えたのが国王本人だったことを知っている。ディーに教えられたのだ。
 「しかし、国王もお人が悪い。最初から名乗ってくださればよかったものを」
 「いやいや。へたに気遣いされるのも居心地が悪いしな。本当なら、バレないうちにそーっと去るつもりだったのだが」
 「王…」
ウィラーフに睨まれ、シドレクは慌てて付け足した。「いや、ちゃんとお前たちを待ってから帰るつもりだったぞ。」
 これまでずっと口を重く閉ざしていたデイフレヴンが、ゆっくりと口を開いた。
 「もう少し、早く到着しておれば良かったのですが。…怪しげなかがり火を見つけて来てみれば、既に騒ぎになっておりましたので。実は、我らも状況がよく掴めておらぬのです」
シドレクは頷き、顎に手をやって神妙な顔で言った。
 「まあ、元はといえば私がバッくれたのが原因ともいうが。」
 「まったくです。」
ウィラーフは、明らかに苛立っていた。
 「お一人で居なくなるのはともかく、紋章まで押し付けていくとは何事ですか。あれは王が持つべきものでしょう。」
 「ああ、すまん、すまん…。そのせいで、お前たちを危険に晒したのは謝る。だが、狙いがあれだと分かっていれば…」
 「そういう問題ではなく――」
 「落ち着いて、ウィラーフ。」
リゼルに宥められ、若い騎士はしぶしぶといった様子で矛を収める。デイフレヴンのほうは口元に苦笑を浮かべながら割って入った。
 「問題は、あの襲撃者たちが何者で、なぜあの紋章を欲していたか、ということです。紋章に嵌めこまれていたあの宝玉が、クロン鉱石による汚染の解消される時期を見計らって水源を解放するための道具だったこと自体が驚きですが…。それ以外に、何か使い道でもあるものかどうか。」
 「さて…。私の知る限りでは、特に思い当たるような話は何もないのだがな。グウェン殿、ハザルの伝承では?」
グウェンは、眉を寄せて難しい顔をする。
 「”ユールの至宝”は、失われた大地の恵みを再び地上にもたらすもの。それ以上のことは」
 「では、別の方向から考えてみるとしよう。昨夜の襲撃者たちが、何者であったのかというところだ。デイフレヴン、大陸中を旅したことのあるお前なら、何か気づいたことがあるのではないか」
 「いえ、シドレク様。特に変わったことはありませんでした。奴らの装備はみな有り触れたものでしたし、戦法や武器の構え方が特殊ということも無かった。強いて言うならば馬が良質なメノク産だったことくらいです。」
 「ウィラーフ、目の良いお前なら何か見つけられなかったか」
 「そうですね…、襲撃者の数は約二十ほどで、かなり訓練されて部隊で動くように仕込まれていました。しかし、それ以外に特に目立つこともなく、あの程度の連携なら、そこらの組織だった盗賊でも可能でしょう」
 「そうか…。」
シドレクは、しばし考え込んだあと、肩越しに視線を投げた。
 「アルウィン、――お前は?」
聞きなれない名に反応したのは、王の通訳である少年だった。何気なく。
 「彼らに指示をしていた灰色の髪の男が、オウミと呼ばれるのが聞こえました。中央語でしたが、ひどく訛って聞こえました。おそらく北方の生まれでしょう。それ以外だと、サラースという単語だけ。あとは…分かりません」
 「あの状況で、よく聞こえたな。」
 「気を失っていたのは、ほんの数分です。動けませんでしたが、話し声は聞こえていましたよ。」
 「ねえ、ちょっと待って。」
シェラは、慌てて口を挟んだ。「アルウィンって?」
 「…本名だよ。」
少年は、きまり悪そうに軽く肩をすくめた。
 「”リゼル”というのは、王の命で任務に赴く者が名乗る隠し名。”リーデンハイゼル”を短く縮めたもので、その…いわば、役職名、かな。」
 「えー!」
 「ごめん。何となく、名乗りづらくて」
 「責めないでやってくれ。”リゼル”は本来、任務の最中に知り合った人間に名乗らない。」
シドルクが言う。
 「それにな、名を隠すには訳がある。この役に就く者は、国家の秘密に深く触れることが多い。素性を知られないほうが、好都合なこともある。慣れない偽名を使うよりは、最初から”役職名以外は名乗らない”と決めておいたほうが気が楽という話だ。」
 「そうだったんだ…。」
大変な仕事なのだとは思っていたが、予想以上だ。
 「さて! ここでの役目は終わったし、全員揃ったことだし」
場の雰囲気を切り替えるように、シドレクが手を叩いた。
 「今宵は仕切りなおして、再び宴! そうだな、グウェン殿」
 「うむ。このままでは、すっきりせんからな。」
 「また、ご馳走でる?!」
ワンダが目を輝かせて涎まで垂らしたので、一同はどっと笑った。襲撃者たちも、目的を果たした今夜はもう戻ってこないだろう。これでようやく、谷には安息の時が訪れるのだ。


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