7


 そこは、柔らかな岩盤をくりぬいた回廊の交差点だった。天井は高く、今まで通ってきた道に比べ広々としている。放棄されてから長い年月を重ね、所々崩れ落ち、完全に塞がってしまっている通路もある。壁はむき出しの岩盤のまま。
 「確かに、人はいたな。」
リゼルは、光を壁際に向けた。「さっきの足あとの主だとは思えないが…。」
暗がりの中に、壁際に積み重なる白いものが浮かび上がった。シェラは、思わず息を呑んだ。
 それは、幾百年の時を経て既に白骨化した、乾いた死骸だった。既に肉はすべて溶け落ち、長い年月に、腐臭もすべて消えてしまっている。手には剣を握り締め、服はぼろぼろの繊維の塊になっている。
 何の抵抗もなく近づいたディーは、骨が握っている剣を取り上げた。それは、ハザル人の作る黒い刃だった。だが、五百年の歳月がその剣を錆びつかせ、脆く、崩れやすいものに変えていた。
 「剣に、ひどい刃こぼれがある。骨も傷ついているようだし、戦って、ここで倒れたんだろう」
 「こんな地下で?」
 「間違いない。ハザルの民だ」
ディーは、服に残る傷と、砕けた左腕の骨を見つめながら言った。
 「戦いの理由は? この男は何故戦った? 何かを守るために? ――今となっては、確かめようも無い」
物言わぬ頭骨の暗い眼窩が、五百年ぶりの光を眩しそうに見上げている。
 「待って」
リゼルが光の向きを変えようとしたとき、シェラの視界に何かが映った。「そこの壁際。動かさないで、そう」
彼女は亡骸のすぐ側の床に近づいて、覆う薄い砂を手で払った。

 「”エリュシオン――王の言葉――…とこしえに…”」

そこには、ディーやリゼルにはただの床の傷としか見えない、しかし言われてみると確かに人工的に意図をもって刻まれたように見える溝が浮かび上がっている。
 「どういう意味だ?」
 「判らない。はっきりとは読めないし。でも… でも…」
シェラの肩が微かに震えた。「ずっと探していた言葉。どうして、こんなところに?」
 「リゼルぅー」
お構いなしに我が道をゆくワンダが、広間の端でぴょんぴょん飛び跳ねている。「こっちから音がするよー」いつのまにか、崩れた通路を掘り返している。
 地下に入ったときから聞こえていた、あの低い振動音が、もうすぐ側に聞こえていた。何かが壁の奥で脈動しているような音だ。
 「近いぞ!」
ワンダの言うとおり、音は間違いなく、穴の奥から響いてくる。


 漣のように繰り返される低い音が、狭い、楕円形の部屋の中を満たしている。
 壁には、切りつけられた跡が幾つもあり、砕かれた岩の破片が転がっている。しかし、そこに人の死骸は無かった。あるのは、傷ついた壁や折れた剣、そういった、戦いの痕跡だけだ。ここで何があったのか。ハザルの民が誰と戦ったのか、答えを教えてくれそうなものは、何一つ無かった。
 目が慣れてくると、部屋の床や壁に、細かな黄色い結晶体が張り付いているのが見て取れた。長い年月は、毒をすべて無害な結晶に戻したのだろう。
 「通路は、ここで行き止まり、みたいだな。」
ディーは、壁を見回して言った。「ここが最深部だとすれば、鉱石はすべて結晶になり、無害化されているということだな。」
 「そうみたいだね。…しかし、ここは一体、何だ?」
リゼルは、部屋の片隅にある、奇妙な石版に近づいた。見たことも無い不思議な模様が描かれ、曇ったガラスのようなものが嵌め込まれている。振動音は、その下から聞こえているようだった。

 「たぶんそれは、この遺跡の制御装置みたいなものだろう。」

唐突に、四人のいずれでもない声が聞こえた。亡霊のものでは無い。その声は、命ある者の力強さに溢れている。


 部屋の片隅のくぼみから魔法のように浮かび上がったのは、威風堂々とした、だが気さくな笑みを浮かべた金髪の男だった。擦り切れた粗末なマント。伸ばし放題でぼさぼさの髭。腰には、鞘に黄金の樹の紋章を輝かせた重たげな剣が下げられている。
 それを目にした瞬間、シェラは、はっとしてリゼルのほうに目をやった。
 ディーが腰の武器に手を伸ばすより早く、リゼルが前に進みでて、さっと膝を折った。
 「シドレク王。ご無事で何よりです。」
 「な、」
 「ええー?」
剣の鞘を握ったまま、ディーはぽかんとしている。ワンダは目をぱちくりさせ、シェラの服の裾をつかんだ。
 「シドレク、って……こいつが、アストゥールの王?!」
ディーは驚きを隠せない。「冗談だろう。そんな風には――」
 「見えない、か? だろうな、よくそう言われる」
男は、陽気に笑った。
 確かに、大国の王、と呼ばれるには、あまりに相応しくない格好だった。顔は薄汚れ、靴はぼろぼろ、髭は伸ばし放題。ただ、赤みを帯びた茶色い瞳だけが、強い輝きを放っている。
 リゼルは立ち上がり、口調を変えた。
 「さて、説明していただきましょうか? シドレク様。何故、一人で行かれたのか。何故、こんなところにいるのか」
 「話せば長いんだが。」
シドレクは陽気に笑う。「国王というのは面倒くさい職業でな、自国の成り立ちからの歴史をひと通り勉強しなくてはいけないことになっている。大半は、半ば伝説と化したような時代の話だ。その中に、このセノラの谷の話があった。――ハザルの民から、”ユールの至宝”を返却してくれ、という話が来たとき思い出したのだ。かつて、この辺りには大規模なクロン鉱石の鉱山があった、という記録を。」
 「王国が関与していたことですか」
 「閉山にね。鉱山があった当時、ここはまだアストゥールの領土ではなかった」
王はディーに目をやった。
 「王国の古伝承では、こうなっている。君たちハザル人は、当時この辺りを治めていた国に自分たちの土地を奪われた。戦争に使う鉱石が土地に眠っていたためにね。そこで、当時勢いに乗っていた、新興の大国であるアストゥールと協力して、ここを戦って取り戻した。」
 「その歴史には、納得できる。」
ディーが言う。
 「戦って死んだと思われる我が部族の者の屍も、貴殿の話を裏付けている。だが、一つだけ納得いかないことがある。それなら、なぜこんなコソコソした方法で”ユールの至宝”を届けなくてはならなかったのか」
シドレクは笑った。
 「なに。歴史なんていうのは、興味ない者にとってはただの”過去”なのだ。私は王という立場上、建国当時の歴史もそれなりに知ってはいるが、王国議会や大臣どもにとっては青天の霹靂だろう。いちいち事情を説明して話すのが面倒でな。彼らにとって重要なのは、”現在”なのだ。――大地が浄化された後、アストゥールの王は約束通り祭壇の鍵を君たちに返した。よって君たちは”現在”も、アストゥールとの友好関係を継続させる。そうだろう?」
それは、異論を挟む余地の無い、完璧な答えだった。


 シドレクが口を閉ざしたのを見て、リゼルが続けた。
 「それは一つの答えになっていますが、まだ、もう一つ答えていただいていません。」
 「ん? ああ、なんで一人で行ったのかって? いやあ… それはだな…」
 「毎度毎度、置いて行かれるほうの身にもなっていただきたい!」
少年の剣幕に、王もたじたじだ。
 「いいじゃないか、たまには… ふらっと旅をしたいこともあるんだよ。な? ここは大目に」
 「だ め で す。 百歩譲って私が許したとしても、デイフレヴンとウィラーフは絶対退きませんよ。戻ったら、一言言わなければ気がすまないと言い張っていましたからね」
 「ええ? 勘弁してくれよ。あいつらの説教は鬼のように長いんだぞ。だから連れて来るのは嫌だったんだ…」
二人は親しげで、臣下というよりも…、そう、まるで親子のようだ、とシェラは思った。
 「まあ、まあ、とにかく、だ。」
ディーが割って入った。「ここでの用事は済んだんだ。そろそろ地上へ戻ろう。ここは… あまり長居をしたい場所ではない」
 みな、同感だった。
 水がしみ出して、地下の地盤は緩み始めている。通路もやがては完全に崩れ落ち、結晶化した鉱石とともに、二度と掘り起こされることのない永遠の眠りにつくだろう。
 過去を遠いものとして消し去るほどに、長い年月が流れた。
 確かなことは、かつて人間の愚かな行為によって汚染された大地が、今再び、元の姿に戻ろうとしているということだ。

[BACK]--[INDEX]--[NEXT]