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 「つまり」
一通り聞き終えた後、老人は、満足げな表情で頷いた。
 「使者殿の持ってきた石は、まことに”ユールの至宝”であり、伝承の通り、”ユールの恵み”が蘇った、ということなのだな。」
ハザルの集落に戻ってきたとき、一同は歓喜を持って迎えられ、すぐさま長グウェンのもとに案内された。報告の間、周囲には人々が群がり、ひとことも聞き漏らすまいとして耳をそばだてていた。
 彼らは既に、大地の奥から水が湧き出してきたことを知っていた。枯れ果てたかつての湖の底には、ほんの僅かながら水がしみ出し始めている。いずれそれは、元通りの湖を形成するはずだ。そうすれば、辺りの大地にはやがて、緑が芽吹くだろう。
 「そのようです。しかし、遺跡の奥にあったのは、どうやら、あなたがたの思われているようなものでは無いらしい」
 「ほう?」
 「不思議な振動と、不快な臭い。どう見てもハザルの民が作ったとは思えない。あの遺跡について、何かご存知ないですか?」
グウェンは、あごひげに手をやり、しばし考え込んだ。
 「…思い当たることといったら、そうだな。この大地が枯れたのはな。水が汚れてしまったからなのだと伝えられている。」
 「汚れた?」
 「さて、詳しいことは判らぬのだが。古えの伝承によれば、与えられた恵みに満足せず、より多くのものを得ようとした愚か者が、神の怒りに触れたのだという。水が汚れ大地が死ぬと、それを再生させるべく祭壇が築かれた。そして、水が浄化されたとき、再び扉を開くように、と子孫に伝えられたのだ。」
だからこそ、扉を開く宝玉が必要だった。永年に渡り一族が夢見て来た楽園への帰還は、それなくして果たされなかった。
 ハザルの人々は、しんと静まり返っていた。
 「だとすると、」
リゼルが口を開いた。
 「水が汚れた原因というのを探る必要があるかもしれません。五百年というのは、水が浄化されるのに必要な期間だったのでしょう。それほどまでに長い時間を要する何かが、もしまだこの地に残されていたなら、再び同じことが起きないとは誰も言い切れない。」
ハザルの人々が、ざわついた。ディーが通訳しなくても、ある程度は共通語の判る者がいるらしい。
 ディーの通訳した言葉を聞き、グウェン老人は、ふうむと唸った。
 「…確かに、そうだな。我らの五百年の放浪は終わり、楽園へと戻ってきた。だが、我らの放浪の旅の始まりとなったものを知らずにおくのは、すっきりせんな。」民の長は腕を組み、目を閉じる。「――よかろう。気の済むように確かめるがよい。明日は人を連れてゆき、祭壇の奥を探索してくるがいい」
 「ありがとうございます。」
リゼルは、ほっとした表情で頭を垂れた。それで、一同は解散となり、めいめいの仕事にもどっていった。半ばは、祭壇へ赴く準備のために。残りは、枯れた大地に水が戻ってきたことを喜び、神に感謝する祈りのために。


 人々が去り、シェラやワンダたちもいなくなったあと、リゼルはグウェンのもとに残っていた。
 まだ、話すべきことがあった。通訳のディーが祭壇の探索に赴く準備を指揮しに席を外していたため、二人の会話は、自然とハザル語になった。
 「話がある、ということだったが。」
 「はい。まず気になることがあったので」
リゼルは、長の前で面持ちを正した。
 「昨夜、谷に向かう途中で襲撃を受けました。あれは… 町で、私を襲ったのと同じ連中です。つまり、王都を出てからずっとつけて来ていた者たち。あなた方が王国議会に依頼を送ったことを知っていて、かつ、我々がハザルの民にもとに返事を届けることを知っていた者、です」
 「なるほど。言いたいことは判る」
グウェンは、あごひげを撫でた。
 「我らが王国議会に提出した依頼は、まだ公にはされていないのだろう? 知っている者が限られているのに、何故、と」
 「昨日の様子からして、彼らはこの辺りの地理に詳しい。もちろん、あなた方が差し向けたとは思っていませんが、腑に落ちないことは幾つもある。襲われる心当たりがない、ということもです。考えられるのは、あなた方の言う”ユールの至宝”が狙いだったのではないか、ということですが… この宝石に、残念ながらそこまでして奪いたい理由があるとも思えないのです。」
 「――ふむ」
 「あの祭壇を作動させることが出来ると、最初から知っていて、そうさせたくなかったのか… 或いは、別の意味があるのか。いずれにせよ、彼らは、ハザルの民のことも監視している可能性があるのではないかと」
 「或いは、我が民と何らかの協力関係にあるか。」
ゆらゆらと、二人の間に置いたカンテラの灯がゆらめく。夜明けが近くなり、風が出てきたようだ。星たちは西の空へと急ぎ、東のほうから朝が迫ってくる。
 「のう、使者殿。」
唐突に、老人は話題を変えた。「使者殿は、いつからアストゥールの王に仕えている。」
 「えっ?」
リゼルは、一瞬言葉に詰まった。だが、すぐに真顔に戻る。
 「…五年になります。今の任についたのは、二年半ほど前ですが。」
 「では、おそらく最も若い”リゼル”なのだな。」
 「……。」
 「なに、驚くことはない。今までも、我らのもとには同じ名を名乗る使者が何人もやって来た。その役目も、ある程度は知っているつもりだ。」
老人は、リゼルの表情を見て愉快そうに笑う。
 「その年で、ずいぶんな大任を仰せつかったものだ。何故に、その役目を勤めようと思われた?」
 「この国のために働きたかったからです。」
迷いなく、彼は答えた。「剣を持てなくとも、守れるものはあります。人には言葉と意思がある。避けられる戦は避けなければなりません。戦いも和解へと至る手段の一つではありますが、それは言葉が尽くされたあとにこそ、あるべきです。」
 「王への忠義のためではなく?」
 「王のことは尊敬していますし、忠実な家臣としてお仕えしています。ですが、王もまた、この国のため… この国に暮らす人々のために、あるべきものです。」
黒い瞳は揺らがず、じっとグウェンを正面から見据える。半呼吸のち、老人は、ふと表情を和らげた。
 「いや、いじわるな質問をした。すまなかったな、使者殿。しかし満足した。」
リゼルは、軽く頭を下げ、長のもとを辞した。


 集落は、寝静まろうとしている。もう、朝だ。
 「あ、リゼル。戻ってきた」
シェラとワンダは、まだ休まずに待っていた。
 「長かったのね。ずいぶん話し込んでたじゃない。」
 「ああ、ちょっとね。…」
リゼルは、明るくなり始めた地平の向こうに視線をやった。ここへ来て三日目。旅の目的地だというのに、他の訪問者は、今のところない。
 「結局、王もほかの仲間も、ここへは辿りつかなかったみたいだな…。」
 「そういえば、そうね。」
だが、シェラの見た光景は、間違いなくここをさしていた。
 「もう近くに来てるかもしれない。あの祭壇を調べるまでは待ってみましょ。」
 「…そうだな」
風が吹き始め、地平は間もなく砂嵐に掻き曇っていく。リゼルは祭壇から回収し、宝玉を元に戻した黄金の樹の紋章を服の上から確かめた。それを返すべき本来の持ち主に一刻も早く再会したいという思いが、今の彼の中では大きくなりつつあった。


 風が収まり、大地の熱が冷えていく時間。
 準備は整い、再び祭壇への道がとられた。ディーの乗る砂ラバを先頭に、人と獣の列が谷間を抜けていく。途中、崖のあちこちから水が染み出し、岩を塗らしているのが見えた。その滴は透明で、ところどころに黒い染みのような水溜りを作り、乾いた大地を潤している。谷は、水の削り出した地形だ。大地の裂け目が広がって染み出す水が増えれば、いずれここは昔のように川に戻るのだろう。
 祭壇の入り口のあった場所に辿りついた。
 祭壇のあった場所は、一晩のうちに完全に崩れ落ちている。石組みによって舗装された灰色の谷間には砂が入り込み、奥へ進むことができなくなっている。
 「まず、入り口を掘り出さないと… だな。」
ディーがハザル人の男たちに指示を出し、砂を運び出させる。その間、リゼルたちは”祭壇”の周囲を調べていた。低い音の聞こえてくる方角は、通路の奥と見当がついている。岩が崩れないよう灰色の石で補強してあるとはいえ、水没していては先に進めない。
 「穴だ!」
洞窟の中から声がした。
 行ってみると、砂をかきだしたあとにぽっかりと、奥へ続く通路らしき穴が開いている。カンテラで照らすと、暗がりの奥から吹いてくる風で灯が揺れた。崖の奥へ、斜めに地下へと続いている。かなりしっかりとした造りの、幅の広い通路だ。一日や二日で掘れるものではない。多大な労力がかかっただろう。
 「ワンダ、みてこようか?」
小柄な獣人は、ぱたぱたと尻尾を振っている。
 「頼む。何か見つかったら知らせてくれ」
 「うんー」
黒っぽい毛並みが揺れて、ワンダは勢いよく走り出した。暗がりでも目が効くらしい彼にとって、カンテラの明かりなど、むしろ邪魔なのだ。床からはぱっと細かな砂が飛び、明かりに照らされた視界を白く曇らせる。
 しばらくのち、奥のほうからワンダの声が響き渡った。
 「リゼルーぅ、池があるぞー」
 「池?」
 「黄色い池ー。窪んでてー、黄色いー。」
 「ちょっと待って。おれも行く。」
リゼルは、荷物をシェラに預け、マントを脱ぎ捨てて狭い穴の中に体を滑り込ませる。
 「気をつけてね?」
 「ああ。」
なんとか、穴の向こうに這い出す。低い音が、さっきより近づいた。耳障りなその音は、通路全体に反響している。慣れたせいか最初ほど不快には感じなかったが、不規則で、まるで何かが呼吸しているかのように聞こえるのが気味が悪い。
 カンテラを掲げ、ワンダのいる場所まで進んだリゼルは、一瞬、言葉を失った。
 見下ろした窪地は、ワンダの言ったとおり「黄色い池」だった。壁にも天井にも、幻想的なばかりの黄色い結晶体。さらに眼科には、深く穿たれた大地の奥底に、巨大な結晶が林立している。鼻腔をくすぐる不快な匂い。その正体に思い当たったとき、彼は、この通路の意味を知った。
 「どうしたの? 何か、あった?」
後ろからシェラの声が響いてくる。呆然としていたリゼルは我に帰り、破片をいくつか拾い上げ、慎重に布に包んだ。通路は、まだ奥まで続いている。音の出所は、その先か。
 「今、戻る。」
ワンダは飛び跳ねるような足取りで通路を引き返していく。リゼルは、足元に注意しながらその後に続いた。


 穴から這い出すと、シェラとディーが待っていた。
 「どうだった?」
 「まずは、これを見て欲しい」
リゼルは、ポケットから包みを取り出し、さっき拾ってきた石の欠片を見せた。黄色く、半分透き通った尖った石は、手のひらの中にすっぽり納まるほどの大きさで、光に当たると虹色の輝きを見せた。
 「何? これ。綺麗な石」
 「見た目はね。だけど、気をつけてくれ。こいつは、猛毒の物質――”クロン鉱石”。王国では、取引が禁じられている」
毒と聞いて、シェラは出しかけた手を慌てて引っ込めた。
 「もっとも、結晶化しているときは大した害はないんだ。ただ、加工すると強力な兵器になる。そのために五百年前の”統一戦争”の時は珍重されたが、掘り出す過程で水源を汚染して多くの死者を出した。それで、今ではすべての鉱山が閉鎖され、王国の監視下にある」
リゼルは言葉を切り、石の欠片を、元通り布に包みなおした。
 「では、長の言っていた言い伝えにある”水が汚れた”というのは、これのことなのか」
 「おそらくは。クロン鉱石を加工する過程で出る鉱石の毒は、鉱石が再結晶化するまで、何百年も残り続けるという。…その毒は、水に触れた生き物すべて、植物も、虫も、すべて殺してしまう。この土地が枯れてしまったのは、それが原因だ。」
 「怖いよぅ」
ワンダが大げさに体を揺すった。「こんなところ、いたくない。よそに行こうよ」
 「だが、今湧き出している水は正常だ」
ディーは首を振り、熱のこもった眼差しを崖のほうに向ける。
 「その鉱石が結晶化しているというなら、この土地はもう浄化されているはずだろ。五百年が過ぎた今、ここは、かつてのように豊かな土地に戻るはず」
 「そうだな。…」リゼルは、鉱石を包む布を仕舞った。「おれの見た鉱石は、すべて結晶化していた。ここを閉ざし、二度と鉱石を掘り起こしたりしなければ問題はないと思う。ただ…」
 「ただ?」
 「もしまだ結晶化されていない鉱石が残っていたら、それが水と混じり合うだけで過去と同じことが起きる。」
ディーの表情が、硬くなった。どこかで、水に浸された大地が崩れ落ちる音がして、振動が伝わってくる。
 「…可能性はあるのか?」
 「おれが見たのは、入り口のほうだけだ。奥まで続く通路があった。かなり深いと思う」
 「確かめる必要がある、ということか。」
入り口の砂は、あらかた片付けられていた。ディーは振り返り、作業していた仲間たちに続きの指示を出した。
 「一緒に行って見てみよう。」
今度は、四人全員で。
 黄色い結晶に覆われた空間までは、一直線だった。そこから先、通路は半ば崩れ落ち、足元には水が染み出して歩きづらくなっている。壁を補強する灰色の石も無くなっている。
 「ここは、間違いなく鉱山だったらしいな。」
壁を確かめながら、リゼルが言った。
 「この水の量からして、多分掘り進む途中で水源とぶつかったんだ。それで水源が汚染された…」
 「ハザルは通常、武器の材料をとるのに、こんな深くまで掘らない」
 「もちろん。クロン鉱石は、武器作りには使えない。誰かが掘ってくれと依頼したのか、或いは誰かに掘らされたのか。何しろ五百年前のことだ」
奥のほうから、キツい、嫌な匂いが漂ってくる。一行は鼻をつまんだ。
 「何、これ…」
階段に積もった細かな砂塵が、足元で巻き上がる。リゼルはカンテラの明かりを周囲に向けた。壁全体に、べたべたとした黒いものがこびりついているのが伺える。触ると、煤のようなものが指にこびりついた。
 「クロン鉱石の燃えかすだと思う。完全に炭化してるけど…火事でもあったのか?」
 「何にせよ、ひどい臭いだわ。早くここを通り過ぎちゃいましょ。ワンダもキツそうだし」
 「空気が流れてる。」
と、ディー。「あっちだ。」
 行く手には、奥に続くらしい扉があた。しかしその通路は、はるかな昔に落盤によって塞がれてしまったようだ。大きな岩が幾つも折り重なり、ほとんど隙間が無い。
 「脇のほうを掘れば、なんとか外に出られそうだな」
壁を叩いて厚みを確かめながら、リゼルが言う。
 「ワンダ、掘れるか?」
 「おーぅ! まかしとけー」
言うなり、ワンダは嬉々として地面に爪を立て、ばりばりと掘り起こし始めた。
 「わ、こら。土をこっちにかけないで」
シェラは、慌てて脇へ退く。この辺りの岩盤は、外の崖と同じで、それほど強くは無い。
 カンテラの明かりが砂埃でぼんやりと霞み、辺りをほの暗くする。ちらちら揺れるワンダの尻尾の先の光も、今や土に埋もれかけていた。
 と。
 「抜けたァ!」
ワンダが叫んだ。穴の中にすっぽり落ちたせいで、突然、姿が消えたようにも見えた。覗き込むと、崩れた壁の向こうに、新たに、ぽっかりと、暗い空洞が広がっている。
 抜けた先で、ワンダは鼻をふんふんと鳴らしながら、しきりと空気を嗅ぎまわっていた。
 「人のニオイがするぞ。だれか、いる」
 「まさか。こんなところに、誰がいるっていうのよ。さっきの臭い匂いで、鼻が、おかしくなったんじゃないの?」
 「でも…。」
 「見ろ」
火を片手に、ディーが床にしゃがみこむ。
 「足跡だ。まだ、そう時間は経っていない」
降り積もった細かな砂塵と、染み出した水の上に、点々と残る、その足跡は、真っ直ぐに奥の通路へと消えていた。大きさからして、子供のものではない。
 「我が部族のものではないな…」
壁を伝い落ちた水滴が床に落ち、閉鎖された空間に水の音を響かせる。
 「行ってみれば、分かるさ。」
リゼルは、先頭に立って歩き始めた。何があるのかは分からない、だが、彼には一つの予感のようなものがあった。

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