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 テントを出ると、すぐにディーの傍らに屈強な男が二人、駆け寄ってきた。これがさっき言っていたギスァとサイディらしい。ディーはハザル語で何か指示し、リゼルたちのほうに向き直った。
 「谷と言ってたな。セノラの谷? そこに何かあるのか」
 「”古えの祭壇”だ。ここからは、そう遠くない。あれを使う」
少年の指した方には、ひづめまで灰色の毛に覆われた動物が何頭か岩に繋がれて寝そべっている。ここに来たときにも見た、砂ラバと呼ばれている獣だ。
 「乗り慣れないと少し辛いかもしれないが、この先は砂ばかりで馬では行けない」
同行するギスァたちが準備を整えて戻ってきた。水と食料、寒さを凌ぐための衣類。夜明けまでは、まだ時間がある。六人はそれぞれ二人ずつ分譲して砂ラバに乗った。乗り慣れない三人は、ハザルの民の後ろに一人ずつ同乗させてもらう。初めて乗る砂ラバの背は馬に比べると硬く、あまり快適な乗り心地では無かったが、ごつごつした岩の上を歩く速さは落ちることもなく、人間の足で歩くよりも遥かに速い。


 月が高い山にかかっていた。途中、一晩を過ごした崖下の辺りから見えた山に違いない。
 山の麓は荒れ果てている。行く手で川は枯れ、谷は不気味にひび割れている。一滴の水まで搾り取られた乾いた大地には草も育たない。
 「ひどいものね。」
砂風を避けるため顔を覆った布の下から、シェラが呟いた。
 「これじゃ人も獣も暮らしていけないわ。ここって雨は降らないの?」
 「雨季なら、ある。その季節を過ぎると、こんな風だ。」
オアシスの町から距離的にはそう遠く無いはずだが、この辺りは旅人も滅多に立ち寄らない。街道から少しでも外れれば、生きていくために必要なものなど何も無い、荒れた土地なのだった。
 「かつては、この大地すべてが、緑豊かな住みよい場所だったと聞く」
ディーは、見たこともない風景を懐かしむように言った。
 「それが変わってしまったのは、五百年ほど前のことだ。誰も乾燥を止めることが出来なかった。伝承では、ユールの怒りによって大地は片端から干上がり、片っ端から死に絶えていった。」
 「気候の変化に神は関係ない。千年、一万年の単位で見れば、それはごく当たり前のことだ。かつて栄えた生き物も、今は死に絶え、石になって土の下に眠っている。」
 「それが一般的な捉え方だとしても、すべてはユールのご意思だというのがハザルの信仰だ。この世界は、ユールの手のひらの上にある。たとえ気候が変わっても、神の恩寵を失っていなければ、我らの土地が荒れ果てることは無かったはずだ。…まあ、オレはともかく、部族の老人たちはそう思っている。今でも」
 「――成る程ね。」
リゼルは、呟いて月光に手を翳した。「言葉だけじゃなく、古伝承の類も勉強しておくべきだったかな…。」


 この大陸に訪れた気候変化は、あまりに急激で、そして、あまりにも多くの謎を残していた。
 五百年前、大陸じゅうを巻き込んだ大戦争の発端は気候変動だったという。大地が枯れ、海が広がり、多くの民が住む土地を追われた。低地にあった町や、小さな島に築かれた国などは、まるごと消え去ったものも多い。そんな中、今なお豊かな緑に覆われた楽園のような町…アストゥールの首都、リーデンハイゼルは、この大陸で、過去の姿を留める数少ない場所のひとつだと言われている。だからこそ、人々は「奇跡」という言葉を使う。かつての王が大地の神と契約したからだ、とも。
 「本当を言うと、王国は要求を蹴るのではないかと思っていた」
砂ラバを進めながら、唐突にディーが言った。
 「長をはじめ、部族の多くの者たちは、”ユールの至宝”こそがリーデンハイゼルを豊かにしたのではないかと疑っていたからな。だから、お前たちは、我らの声など無視するかもしれないと考えていた。」
 「そんな馬鹿な。」
リゼルは眉を寄せた。
 「たとえ、王の紋章に嵌め込まれた宝玉が本当に、ハザル人の言う”ユールの至宝”だったとしても、それとリーデンハイゼルの繁栄は何の関係も無い。王都が豊かなのは、周囲に聳える山脈が地下からの湧水を育んでくれるからだ」
 「お前たちの考え方では、そうなのだろうな。だが、ハザルは違う…」
中央語を解し、両親と共に町に住んでいたディーは、ハザルの「外」と、「内」と、両方の考え方を知っているのだ。
 砂交じりの強い風が吹き付けて、彼らは口をつぐんだ。
 風に混じって、どこかで、低い、聞いたこともない声が響き渡る。ワンダが耳をぴんと立てた。
 「何かくる。三人… 五人」
 「敵か?」
 「ちっ」
ディーは、後ろの二人の同胞たちにハザル語で叫び、砂ラバの向きを変えた。だが、間に合わない。獲物を見つけた合図と思しき甲高い声が発せられたかと思うと、辺り一体から、応える声が返ってくる。唸るような、独特の掛け声。谷間を反響し、遠くまで響き渡る。
 「囲まれる前に、谷の奥の広場へ。ここでは弓で狙い撃ちだ」
砂ラバの歩みは遅く、馬ほど早くは走れない。追っ手も同じ獣を使っているなら、そう素早くは動けまい。だが、声は確実に迫ってきていた。左右の谷に声が反響し、空を切る矢の音が背後に聞こえた。
 振り返ると、襲撃者たちの姿がもうすぐそこに見えていた。地面は、大粒の石が転がる砂地。二人乗りのぶんだけ、こちらの砂ラバの速度は劣る。見る間に距離が狭まりつつある。
 このままでは、逃げ切れない。そう判断したらしく、ディーは強く手綱を締めると、速度の落ちた砂ラバの背から、転がるようにして地面に降りた。
 「食い止める。先にいけ!」
威勢良く叫んだ少年は、腰に巻いた布の下から短剣を引き抜く。全ての輝きを飲み込むように漆黒のその刃は、ハザル特有の技で鍛えられたものだ。鋼の上には美しい波のような模様が浮かんでいる。襲撃者たちも同じように黒い刃を手にしているが、こちらは単に火で炙って煤を乗せただけ。一目で別物と判る。
 「ちょっ、ちょっと、これどうすればいいのよ」
ディーの後ろに乗っていたシェラは、砂ラバの制御が効かず手綱を握るので精一杯。ギスァとサイディもディーに続き、リゼル、ワンダも完全に一人になってしまった。
 「きゃあっ!」
ついにシェラが地面に転がり落ちた。しかし、着地した場所が柔らかな砂地だったお陰で、怪我はしていない。
 「んもぅ、何なの! あの動物、言うこと聞かないし」
怒り狂いながら、シェラは、後ろで一つにまとめた髪を片手でさらりと掻き揚げると、細長く光る短剣を取り出した。護身用の武器を隠していたらしい。
 「うわー!」
ワンダが転がり落ちたのは、ちょうどその時。最後まで砂ラバの上で頑張っていたリゼルも、その獣を止められないと知ると、諦めて自ら砂地の上に転がり落ちた。幸いなことに、こちらもケガはない。元の場所に駆け戻ると、ちょうどハザルの民の三人が、追っ手と斬り合っている真っ最中だった。
 リゼルは、月明かりの中に目を凝らした。襲撃者たちは、みな背が高く、肌が白い。顔は隠しているが、背格好からして男だろう。襲撃者たちの乗ってきた砂ラバには、水も食料も積んでいない。この近くに隠れる場所があるのか。五人…、しかしそのうちの二人は、左右の崖の上にいて、弓を構えたまま状況を見守っている。
 リゼルの視線に気づくと、一人が何か声を上げた。ディーと組合っていた一人が素早く身を引き、真っ直ぐにリゼルに向かって突進していく。武器もない彼に、身を守ることは不可能に思われた。
 「リゼル!」
ディーとシェラ、それにワンダが反応した。中でもワンダが一番早かった。四つん這いになって走りだした彼は、まるで狼のような俊敏さでいきなり襲撃者に跳びかかると、喉元に喰らいつく。
 「…!」
襲撃者が崩れ落ちる。リゼルはその手から剣を奪い、崖上から狙って放たれた矢をはねのける。ディーは残る二人のハザル人に声をかけ、自らも走りだした。
 「奥へ。分が悪すぎる。急げ!」
相手の仲間があと何人いるかも判らず、しかも両側の谷からも狙い撃ちされるのでは、逃げたほうが得策というもの。矢の届かない物陰を選んで、彼らはひたすら谷の奥へ走り続けた。奥まで入り込んでしまえば、道を知っているハザル人のほうに分がある。
 そうして、一行は明け方近くまで周囲を警戒しながら移動し続けた。
 谷を抜けると、そこはちょっとした広場になっていた。周囲は切り立った崖に囲まれているが、崖の端は遠く、矢が届く距離ではない。このあたりまで来れば大丈夫だろう。
 「さて、と…。」
そろそろ夜明けだ。また風が吹き始める。怯えて走り去った砂ラバたちの姿は、どこにも無い。
 「これからどうする? 乗り物は、荷物ごと居なくなってしまったわけだが」
 「大丈夫だ。」
言って、ディーは口に指を当てた。
 高く、数度。その合図を聞きつけた砂ラバたちが、どこからともなく駆け戻って来る。
 「よく躾けてあるんだな。」
 「これで、乗ってる人を下ろす時の一時停止も出来ればね。」
シェラが、まだ痛むお尻を撫でながらしかめ面で言ったので、その場にいた全員が笑い出した。
 「さて。風避けの岩だなは、もうすぐだ。」
ディーが言い、砂ラバたちをまとめて引き連れていく。
 「日が昇る頃には、着くだろう。乗り心地が悪いのも、もう少し我慢してくれ」
東の空が白み始め、遠く、遥かな大地の先にある海から、強い風が押し寄せてくる。


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