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 町はずれの、小さな家。特徴ある綾織の掛けられた隠れ家には、乾燥した、様々な薬草の匂いが満ちている。厩には、無事もとの場所に戻された馬が二頭繋がれ、のんびりと草を食んでいる。
 お茶の入ったカップを持ち上げた女性は、シェラから話を聴き終えたばかり。
 「へええ、そう。」 
シェラとよく似た、藍色に波打つ髪が揺れる。
 「そんなことがあったの。いいなぁ、国王様に会えただなんて。あーあ、あたしも出かけずに家に居りゃあ良かった。どう? いい男だった?」
 「あんたね。ダンナのいる身で、そういうこと言わないの。メレアグロスが聞いたら卒倒するわよ?」
相手は、シェラより少し年かさと見えるルグルブの女性だった。
 姉妹かと思うほどそっくりな容貌の中で、ただ一つシェラと違うのは、白い肌には少し、小麦色に日焼けした跡があるところ。髪には赤い布を巻きつけている。ルグルブの民の“既婚者”のしるしだ。
 「いいじゃないのよ。ダンナはダンナ。今、居ないんだから、ちょっとくらい良いじゃないのよ」
 「ったく。…お気楽なんだから」
シェラは、苦笑する。
 旅の使命は終わった。この町ですべきことは、もう残っていない。出発する準備を整えるため、宿を借りていた同族の家に戻ってきたのだ。そのついでに、これまでの出来事と、旅立ちの挨拶をするつもりだった。
 「ねえ、ユーフェミナ。あんたが谷を出て三年にもなるけど、そんなにいいの? 普通の人間との暮らし」
 「いいっていうか、…そうね、楽しいわ。谷では考えられなかったくらい、毎日が楽しいの。この町には沢山の人が来て、去っていく。時々は、谷からのお客が来て、向こうのこともあれこれ教えてくれる。ちっとも退屈しないの。」
 「ふうん。」
椅子の上で膝を抱え、シェラは、窓の外に目をやる。
 旅人たちのあらかたが去り、静かになった町の上に、乾いた大地に、陽射しは今日も相変わらず降り注ぐ。だが、もうじきすればこの辺りは雨季になる。年に一度、一週間ほどだが、激しく雨水の叩きつける季節――。
 「でも意外ね。ルグルブの五百年前の予言詩が、アストゥールの建国詩に関係があるだなんて」
 「そうね。言葉が指すものは分かったけど、それが何を意味しているのかは、まだわからない。伝えるべき人に伝えたはずなのに、何だか、まだ落ち着かないの。シドレク王は、とってもいい人だし、頼りがいもありそうだったけど…。」
ユーフェミナは、慣れた手つきで熱いお茶をカップに注ぎ、シェラの前に差し出す。
 「悩んでいるあなたの役に立つかどうかは、分からないけどね。こんな言葉があるの、”黄金の樹は繋ぐものであらねばならない”」
シェラは、きょとんとしている。
 「それ、何?」
 「王様が言ったんですって。シドレク王ってね、とても強い王様で、若い頃は、大剣背負って軍を率いて、内乱をおさめたり怪物を倒したり…そりゃあ雄雄しく戦ったそうなの。それが、ちょうど五年くらい前…王様は突然、すべての戦いをやめたの」
 「やめた?」
 「ええ。その時に、突然そんなことを言ったんだって。」
ユーフェミナは、自分のカップにもお茶を注いだ。
 「三年も外の世界にいるとね、色んなことを耳にするものよ。王様が最後に剣を振るった大きな戦は、『白銀戦争』って呼ばれてるの。知ってる?」
 「なんだっけ、北のほうの自治領と戦ったんだっけ」
 「そうそう。クローナ自治領ね」
カップから、白い湯気が立ち上る。
 「白銀戦争は、いわば身内同士の争いなのよ。この国には元々、二つの王家があったらしいの。”統一戦争”の後で分かれてしまった、金と銀の王家がね。と、いっても、銀のほうは公式には認められてなかったらしいけど…。お互い主張が対立してて、五百年前から、ずっと揉め続けてたらしいわ。」
 「へーーー。なんだか大層な話ね。それで戦争になっちゃったの?」
 「詳しいことは判らないけどね。結果は相打ちよ。シドレク王の嫡男、この国の跡継ぎである王子はその戦いで戦死して、相手の銀の王家の当主も死んだんだって。」
遠い世界の物語のように思えた。あの、悪戯っぽく笑う明るいシドレク王にそんな過去があることなど、シェラには想像がつかなかった。
 「きっと王様は、その戦いで、身内で争うことの空しさを知ったのね。だから戦いをやめたのかもね」
 「だと、いいけどね。…」
ユーフェミナは、意味ありげに首を振った。
 「人と人のしがらみなんて、そう簡単に消えるものじゃないのよ。”黄金の樹”がシドレク王やアストゥール王国そのものを指すとしたら、それを枯らすものは、色んな人たちが抱えてる積年の恨みなのかもしれない。」
 「…だけど、話し合いは出来るでしょ」
シェラは、暖かいカップを、そっと両手で包み込んだ。
 「どんなに長い間、仲たがいしていても、アルウィンみたいな人が沢山いれば、きっと何とかなるわよ。」
 「ずいぶん、気に入ってるのね。その子のこと?」
 「うーん、谷を出てから、あなた以外でルグルブ語の挨拶をしてくれたの、彼だけだったから、そのぶん贔屓してるのかもね。」
 「あらあら。年下好み?」
 「やぁだ。そんな趣味ないってば。」
笑ってユーフェミナを殴るマネをしながら、シェラは、席を立った。
 「行くの?」
ユーフェミナも腰を浮かす。
 「うん。見送りはいいわ、あなた、もうじき生まれるんでしょ?」
髪に赤い布を巻いたルグルブの女性の腹部は、臨月を迎え、ふっくらと丸みを帯びている。
 シェラは、椅子にかけてあった、ほんの僅かな荷物を取り上げる。外には、強い日差し。マントを頭から被った人が、表を足早に通り過ぎてゆく。
 「どうするの。あんたは」
背中越しに、ユーフェミナの声が聞こえる。
 「谷に戻って一生閉じこもってる気? 外でいい人、探せばいいのに」
 「冗談でしょ。あたしには無理。あなただって、覚えてるわよね。あの予言」
シェラは、戸口に手をかけながら言った。
 「――”恋人は、その腕に抱かれる前に凍えるさだめ。” ひどい未来だわ。そんな未来が待ってるくらいなら、あたしは、誰も好きにならない」
 「どうだかね。」
ドアを開くと、表から、ざあっという音と共に砂っぽい風の匂いがいっぱいに流れ込んでくる。
 「あんたは、黙って予言を信じてるような子じゃないでしょ? だって、……」
そのあとの言葉は、表の騒音にかき消されて、聞き取れなかった。


 砂嵐の季節が終わり、旅人たちは皆、それぞれの目的地へと旅立って行く。そしてまた、別の町から、荒野の真ん中にある、その町を訪れる人たちがいる。町の風景は様変わりし、雨季が始まるまでのわずかの時間、人が減り、少し寂しくなる。
 シドレクとデイフレヴンは、一足先に王都へ向かって旅だった。残ったリゼルとウィーラーフは、酒場で旅立ちの準備を整えていた。彼らが広げているのは、この国の地図。広大なアストゥールの国土は、一枚の地図には収まりきらず、通常、五枚に分けられる。東、中央、西、北部山岳地帯、そして南海諸島。いま見ているのは、東へ通じる道だ。
 「どの道で行きますか」
 「ここから南に向かって、サラリア街道に出ようと思う。それが東へ向かう一番の近道だし」
傍らで、何故かワンダが嬉しそうにしっぽをぱたぱた振っている。
 「…ところで、気になっていたんですが」
ウィラーフは、じろりと獣人を見た。「これ、どうするんです。」
 「ついてくるらしい。」
 「連れて行くんですか?!」
 「まあ、いいんじゃないか。」
 「そうだぞ。ワンダ、ひとりだと寂しいぞ。リゼル、ともだち! 一緒にいくぞ。」
 「……。」
ウィラーフは、額に手を当てた。「先が思いやられる。」
 見送りには、ディーもやって来た。
 「部族の者は、新しい集落を作るので忙しい。ここには来られなかったが、長が、お前たちに宜しく伝えてくれと言っていた。」
 「そうか。これから大変だろうが、元気でな」
シェラがやってきたのは、そうした挨拶の最中だった。本当は、彼女も別れの挨拶をしてイェオルド谷へ帰るつもりだった。だが、リゼルたちの姿を見たとたん、ふいに何か、胸騒ぎを覚えた。使命は終えたはずなのに、まだ、何かやり残したことがあるような…。
 「シェラ?」
 「……あ、うん。ごめんなさい、何て言えばいいのかしら」
言葉が出てこない。リゼルは怪訝そうな顔をしてそんな彼女を見ていたが、ふいに思い当たって口を開いた。
 「あの”エリシュシオン”という言葉の意味、王も調べてくださるそうだ。」
 「え、ほんとに?」
 「ああ。”書庫”―― 王宮の地下の、王家の人間しか入れない場所にある記録に、何か残っているかもしれない。ただ、あそこの記録はあまりに膨大すぎて誰も全容を知らないから、時間はかかると思う」
 「…そう。…」
だが、聞きたかったのは、それだけではなかった。
 「あたしも、一緒に行っちゃ駄目かしら。」
 「え?」
 「あたしの使命は、まだ終わっていない気がするのよ。王様に伝えるだけじゃ駄目。あの言葉の意味を知らなくちゃ。そう、知らなくてはいけない」
ウィラーフが眉をしかめ、何か言いかけて、やめた。リゼルに視線をやる。決定権は、この少年にある。
 リゼルの出した結論は、こうだった。
 「分かった。そうしたいなら」
 「いいんですか?」
ウィラーフは不満そうだ。「犬に女なんて…」
 「断る理由もないだろう。それに彼らがいたほうが、誰にも怪しまれずに旅が出来ると思う。」
 「一番目立つのは、お前だな。」
ディーも言って、騎士団の印のついた立派な剣を指した。「マントもそうだが、それもどうにかしたほうがいいと思うぞ。」
 「……。」
ウィラーフは、むすっとした表情のまま背を向けた。シェラは思わず吹出し、つられて、ワンダとディーも笑い出す。
 「賑やかな道中に、なりそうだな。」
リゼルも笑いを噛み殺すのに精一杯だ。「…さて。そろそろ、出発の時間か」
 砂嵐の季節が過ぎ、町には、乗合馬車が訪れるようになっていた。今日は、この季節さいしょの馬車が到着する日。街道に沿って、旅人たちを安価に運んでくれる最も一般的な交通手段だ。
 ディーが手をふっている。馬車の窓から、遠い青空に切れ切れの雲が浮かんでいるのが見えた。その向こうには、今は見えないが、セノラの谷が。次に訪れるとき、乾いた大地は、きっと別の世界に変わっている。

 荒野の向こうに、道は続く。
 空を越えて、太陽に灼けた赤茶色の大地から、緑入り混じる大地へ、灰色の岩山へ。
 旅人たちは、それぞれの望むものを探して行く。
 四人はまだ、互いの道が交わった理由を知らない。


―第二章へ続く

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