1_約束の地セノラ


 視界一面に広がる荒涼とした灰色の砂の真ん中に、一握りの緑を降りかけたように草の茂る場所がある。荒れ果てた灰色の大地の中で唯一、目を和ませる色のあるところだ。近くに建物は無い。貴重な湧水を汚すまいと、町は少し離れた場所に立てられ、人々は、一日に決められた量の水だけをそっと汲み取り、遠くから緑を眺める。
 貴重な水場は、見張りの者たちに厳重に守られている。厳しい顔つきの見張りたちは、陽射しをよけるための擦り切れた布で肌を覆い、じっとりと汗をかきながら佇んでいる。だが、その風景も、やがて砂まじりの風の向こうに消え去ってしまう。
 今は、砂嵐の季節。
 毎年めぐり来るこの時季には、慣れた旅人でも、思うようには動けない。楽園のような緑は、孤立した人々を支える命の水の象徴だ。その緑を取り囲むようにして並ぶ旅人たちの溜まり場では、町から町を渡り歩く者たちが、長逗留の合間に情報交換をしたりするのが常になっていた。そこでは、あらゆる地方の言葉が話され、あらゆる階級の人々が集う。酒場のカウンターなどは、まさにその最たるものだった。そして。
 その中に、ひときわ目を引く美人がいた。透けるような白い肌をして、濃い藍色の髪は腰までうねっている。この辺りでは滅多に見かけない、変わった風貌だ。誰もが彼女に話しかけようとし…、そして、玉砕していた。「つまらない」男に頻繁に声をかけられるのは嫌だ、と公言してはばからず、さらに虫の居所の悪い時だと、毒舌かワイングラスのひとつも飛んで来ようというくらいで、その噂は、この町に滞在する旅人たちの間では有名だ。
 それが今日は優しかったのは、相手が、恋愛などにまだ興味の無さそうな年頃の少年だったからかもしれない。
 「…驚いたわ。こんな北の町で、故郷の言葉を聞くなんて。」
そう言って彼女は、長い髪を揺らした。
 話しかけたのは、十五、六歳と思える少年だった。
 ぱっと見、ほとんど目立たない容貌だった。くすんで、ほとんど灰色に近い銀の髪。お世辞にも屈強とはいえない、痩せてほっそりとした体躯。マントは擦り切れ、貧しい旅商人のような格好をしている。だが、よく見ると、印象的な黒い瞳をしていた。
 「えーと。名前は…なんだっけ」
 「リゼル」
 「そうそう、そうだったわね。あたしたちの言葉で話しかけたんじゃなかったら、振り向きもしないところよ。同胞には見えないけど―― どこで習ったの? ルグルブ語」
体を半分カウンターに預けて覗き込む美女の視線からそれとなく目をそらしながら、少年は淡々とした口調で答える。
 「教養みたいなものだ。あんたの力を借りたい。ルグルブの―― あの力を」
 「急な話ね…。まぁ、いいわ。故郷の訛り懐かし何とやら。久しぶりに田舎ことばで話せたついでだし、視てあげてもいいわよ。」
この美女は、いつになく機嫌が良いようだった。
 「あたしは、シェラ。アーシェラよ、よろしくね。」
 「……。」
シェラは、硬い表情の少年の手を無理やり握って、にこにこ笑顔で言った。


 「…で?」
彼らは、人の多い酒場を出て、表通りに出てきていた。半地下になっている、酒場兼食堂の溜まり場から外に出ると、とたんに強い風が吹いて来て、彼らの衣服の裾も高く舞い上がる。
 「あたしに何を視てほしいの? 一体、何を探しているの」
 「……」
少年は、周囲に視線を走らせた。
 「こっちへ」
なるべく人目をひかない物陰に、シェラを呼び寄せる。語られる言葉は、誰かに聞かれることを用心してなのか、すべてシェラの部族の言葉、ルグルブ語だ。
 「ルグルブの女性は―― 物に宿る気配を読み取って、遠くにいる持ち主の行方を探す事が出来るんだよな」
 「ええ、そう。世間では占いだの魔術だの言われてるけど」
シェラは、風に舞う髪をかきあげながら、そんなことは当たり前といわんばかりの顔をする。「あまりにも遠い過去や未来でなければ、だいたいは視えるわよ。個人差はあるけど」
 「人を探してほしい。」
少年は、真っ直ぐにシェラを見た。その言語には、余計なことは聞かないでくれという強い意志が感じられる。ゆっくり話している時間も惜しい、といった様子だ。
 「じゃあ、その人の名前と生年月日、特徴なんかを教えて。その人の身につけてた持ち物、何かある?」
リゼルは頷いて、淀みなく、だが用心深く、指定された事柄に答えた。
 「探す人名前は、シドレク・フォン・リーデンハイゼル。生年月日は…」
目を閉じたまま聞いていたシェラは、かすかに眉を顰め、彼の言葉を制止した。
 「ちょっと待って?」
リゼルがマントの下から何かを取り出そうとした時、ようやく何かを思い出した彼女は、目を開いた。
 「シドレクですって? どこかで聞いた名前だと思ったら、国王様と同じ名前じゃない。冗談はよして」
 「冗談なんかじゃない。…おれが探しているのは、その人だ。」
差し出しされた少年の手のひらの上には、この国の紋章を象る黄金の樹が、明るい赤の宝玉を嵌め込んだ王冠を守るように枝葉を広げていた。


 アストゥール王国の建国は、今から五百年ほど前に遡る。

 かつて、この大陸の大半は、緑に覆われた肥沃な大地だったと言われている。
 当時のアストゥールは、その片隅にぽつんとある辺境の国に過ぎなかった。他にも多くの小国家がせめぎあい、絶えず小さな小競り合いを起こしていたが、どの国も力関係は似たようなもので、国境を大きく変えることもなく、おおよそ平和とよべる時が何百年か続いていた。
 しかし、その平和は脆いものだった。
 五百年ほど前を境にして、次第に降る雨の量が減った。川や湖が干上がり、各地で大地から緑が失われはじめ、――困窮した国々が均衡を破った。
 大地が実りを失えば、暮らしが苦しくなった人々は、他所に足りないぶんを求めるしかない。追い詰められるに従って、奪うことも厭わなくなる。より深刻な被害を被った国々は、生きるために他国に略奪戦争を仕掛けたのだ。争いと荒廃、難民化した人々の流出。貧困と不法は連鎖的に広がり、またたくまに大陸全土が戦火に包まれた。
 そうして始まった、大規模な戦争がどのくらい続いただろうか。
 「統一戦争」と呼ばれる、この長く苦しい時代の後、――最終的に頂点に立ったのが、アストゥール王国だった。
 本気で信じる者は少ないが、公にされている建国史では、「神がこの国の王に祝福を与えた」ことになっている。小国に過ぎなかったアストゥールが大陸を統べるようになった経緯には今も謎が多いが、当時のアストゥール王が神と契約を交わしたという奇跡への信仰は、今も一部に生き残っている。その奇跡の証明なのか、現在の王都リーデンハイゼルの付近には、今も多くの緑が残っている。
 時が流れた今も、大陸の大半はアストゥール王国の領土だった。そして、現在この広大な王国を統べている者が、かの人、…「英雄王」と呼ばれた、シドレクなのだ。


 「その国王を探してくれだなんて。」
シェラの声は、冗談だろうといわんばかりに戸惑いに満ちている。
 「他に手がかりがあれば当たってみるさ。だが時間がない。今は、あんたに賭けてみるくらいしか思い当たることがない。」
リゼルは真剣そのもの。
 「まだ、居なくなって日は経ってない。この嵐の季節、乗合馬車も出ていない。この近くにいるはずだ。」
 「何なの、それ? 王様が行方不明なんて、まだ誰も知らない話でしょ。あなた何者なの。あたしに協力させたいのなら、納得の行くよう説明してちょうだい。」
美女に凄まれ、少年は、一瞬ひるんだ。溜息をついて、早口に言う。
 「…かいつまんで説明する。おれは、国王付きの通訳だ。とある極秘の交渉事で、王は、辺境の部族の長に会いに行くつもりだった。その途中で事故があった。行方不明になったことを知っているのは、直前まで同行していた、おれと護衛の騎士二人だけなんだ。これで納得してくれるか? ルグルブの民は、王国とは敵対しないはずだ。良き隣人のために、道を指し示す導となってくれ」
 「その言い回し、まるでうちの長老みたいね」
腕組みをしながら、シェラは少年を上から下まで値踏みするように眺めた。
 「…通訳、ね。なるほど。それで、ルグルブの言葉や習慣も習ったってわけ。確かに、どことなくそんな感じもするし… うーん」
見たところ、この少年は、今、本気で切羽詰っている。
 手がかりが何一つ無いことは明らかだった。何しろ、こんな重要なことで、通りすがりの町で見かけた異邦の民に頼るくらいなのだから。
 「いいわ、信用する。さっきの紋章を貸して?」
リゼルは、王国のシンボルである黄金の樹を象った紋章をシェラに差し出した。
 「に、しても。ルグルブの民だって、全員が遠視の力を持ってるわけじゃないし、正直者ばっかりじゃないんだけどねー」
 「あんたは、違うと思ったんだ。」
言い訳のつもりか、リゼルは、やや力無く言った。「そのくらいは自分の見る目を信用したい。」
 「あら。ありがと、信頼には信頼で応えるのが、あたしの流儀よ。」
口元に浮かべていた愛想の良い笑みが、すっと引いていった。真顔に戻ったシェラは、手のひらに紋章を置き、静かに意識を集中させた。
 「……。」
蝋燭の灯が、僅かに揺れた気がした。
 「見えた。枯れた湖…深い谷…。」
意識を集中するシェラの口から低い声で紡ぎだされる言葉をひとつも聞き漏らすまい、と、リゼルはやや前かがみになる。
 「人影が見えるわね。その人の後ろには、黒い影がある。きらめくもの…、刃…。」
 「王に、危険が迫っているというのか?!」
リゼルが思わず上げた鋭い声に僅かに反応したものの、シェラは、また直ぐに意識を集中しなおした。
 「…ここから、そう遠く無い。探し人は立ち止まっているわ。今なら、追いつける。」
 「どっちへ行けばいい。枯れた湖なんていくらでもある。方角くらい分からないのか」
 「それは…いえ、待って。何かある」
シェラの閉ざされた瞳は、ゆらぐ気配の中から、瞬時に何かを汲み取った。
 「尻尾のある人間…犬? 何、これ。」
 「しっぽ…」
と、その時だった。


 リゼルは、弾かれたように背を伸ばした。すぐ側の頭上で、屋根のひさしが立てた僅かな軋みが耳に届いたからだ。
 シェラが驚くほどの素早さで、彼はマントを翻した。鋭く空を切る音。数本の矢が、さっきまで立っていた場所に突き刺さる。マントの端で矢が弾かれ、地面に落ちた。
 「きゃ…」
 「こっちヘ!」
腕を捕まれ、シェラは大通りに引っ張り出された。人通りの多い通りなら、襲撃者もおおっぴらに狙うことは出来ない。リゼルは用心深く、矢の飛んできた暗がりに視線を向けている。追ってくる気配はなかった。砂漠の旅の要所として、自警団もおかれているこの町で、敢えて目立つ襲撃は行わないようだ。その必要もない、と思っているのかもしれない。
 「…やっぱり、おれも見逃してはもらえないのか」
 「ちょ、ちょっと。今の…」
 「王都を出てから、ずっとつけられていた。それで、二手に別れて片方が囮になる手はずだったんだ。その前に、王が逃げ… 行方不明になったんだが」
まだ周囲を警戒したまま、リゼルは早口にそう告げた。
 「王様のほかって、護衛の騎士二人だったんでしょ」
 「そう」
 「あなたが、一番手薄ってことよね。」
 「……。」
少年は、今更のような顔で眉を顰める。「まあ、そうなんだが…。」
 「武器とか、もってないの?」
 「通訳が武器なんて持つわけないだろ。それじゃ和平交渉も決裂だよ」
とはいえ、この少年がまるきり戦い方を知らないわけでもなさそうだった。先ほどの反射神経、とっさの身のこなしは、「逃げる」ことに特化して訓練された護身術、とでもいうべきものかもしれない。
 黄金の樹の紋章をシェラから受け取り、大切に懐に収めながらも、リゼルの五感は用心深く辺りに張り巡らされているようだった。
 「すまない。あんたまで目を付けられたかも」
 「ああ、あたしのことなら、心配要らないわ。この町にはあたしのために戦ってくれちゃいそうなロクでもない男がいっぱいいるし、適当に護衛でも雇うわよ。それより…」
シェラは、リゼルの腕をとった。肘のあたりがすっぱり切れ、皮膚に血が滲んでいる。リゼルは慌てて腕をひっこめた。
 「大した傷じゃない」
 「手当くらいしてあげるわよ。どうせ泊まるところも決まってないんでしょ。」
 「いや…」
 「心配しなくても、仲間のところだから。遠くないのよ、いらっしゃい」
シェラは、有無をいわさずリゼルを引っ張っていく。酒場にたむろしていた男たちがこれを見たら、さぞかし嫉妬の炎を燃やしたことだろうが。


 着いた先は、そこから通りを一本隔てた、隠れ家のような宿だった。外からでは、その建物がまだ機能しているとは思えないほどボロボロだが、中に入ると、意外なほど小ざっぱりと整えられている。
 誰もいない炉に鍋がかかりっぱなしになっているところを見ると、ここの住人は少しの間留守にしているだけのようだ。漆喰で塗り固められた壁に打ち付けられた棚には、干草やら何かの皮やらが所狭しとぶら下っている。
 「ここに泊まってるのは、あたし一人。身内しか使わない宿だからね。仲間はまだ戻ってないみたいだけど気にしないで。ほとんど自宅みたいなものなの。」
なるほど、確かに民家そのものだ。宿を経営しているというよりは、余った部屋に同胞を仮住まいさせているといったところだろう。血族を重んじるルグルブの民の絆は、各地に散らばっていても薄まることは無い。先祖伝来の土地の外に暮らす数少ない者たちの家は、使命を帯びて故郷を離れた者が旅の途中に立ち寄る、お決まりの中継地点のようなものだということを、リゼルは知っている。
 「話には聞くが―― ルグルブの家の中を見たのは、初めてだな…」
 「興味あるなら、そのへん見てきていいわよ。」
シェラは、少年の腕の傷に消毒薬を塗り、包帯を巻いてやりながら言った。
 服の破れた袖口をつくろいながら、彼女はこっそり自身の興味を満たしていた。なるほど、王の通訳というだけはあって、見た目は質素でもいい生地を使っている。旅用の厚い生地のマントの下には防具もなく、武器は、短剣の類すら本当に持っていないようだ。護身用の武器も持たずに、一人で王を探しに飛び出すとは。勇気があるのか、はたまた無謀なだけなのか。
 「そうだ、さっきのお礼をしないと。それに、泊めてもらうならせめて相場のお代くらいは」
思い出したように戻ってきたリゼルを制して、シェラは微笑みながら首を振った。
 「いいのよ。ただの好意なんだから。…でも、もし何かしてくれるっていうんなら」
深い藍色の瞳が一瞬、意味ありげな光を放つ。
 「一つお願い聞いてくれないかしら。ううん、分かったらでいいんだけど」
 「何だ?」
 「これ。」
形の良い指が、胸元から金の鎖を引っ張り出した。先には、青いターコイズがぶら下がっている。表面には、ずいぶん前に加工されたらしい、磨り減った文字と何かの模様が刻まれていた。
 「“エリュシオン”。」
彼女は、謎めいた言葉を口にした。
 「あたし、あの酒場で誰かに声かけられたら、必ず聞いてみることにしてるの。エリュシオンって何のことだか、分かる? って。」
 「ルグルブが、他人に聞くのか?」
 「ルグルブにだって、分からないことくらいあるわ。」
リゼルは、シェラから石を受け取り、蝋燭の灯りに翳した。
 「神聖文字…、五百年以上前に祈祷書などでよく使われていた当時の共通語だな。”統一戦争”の後、しばらくして使われなくなったはずだが」
 「あたしたちのところでは、まだ現役よ。読める?」
 「少しだけ。最初の部分は、『千百五十三年八月』…たぶん、これが書かれた日付だろう。統一戦争以前に暦かな。後は、よく分からない。通訳の仕事で覚えたのは、今も使われている言葉だけだから…」
 「そう。」
シェラは少しの間目を閉じていたと思うと、そのまま、一節の言葉を謳いあげた。

 約束の種を植えなさい。
 その樹は希望へと繋ぐもの
 刻が満ちるとき 失われし光が蘇り
 大地は黄金に輝くだろう。



 「…見事なものだ」
リゼルは驚嘆の声をもらす。「とっくに死語だと思っていた。実際に言葉にされるのを聞くのは、初めてだ」
 「ふふ、こっちからするとルグルブでもないのにルグルブ語が判るほうが驚きだけど。ね、ここに出てくる“エリュシオン”って言葉、何のことだか判る? 」
リゼルは、首を振った。
 「すまない。伝説や昔話の類には、疎いんだ。」
シェラは、がっかりして石をしまいかけた。が、彼は続けて言った。
 「だけど、聞いたことがある」
 「えっ?」
 「昔… 王が言っていた。何のことだったのか、覚えていないけど…」
だが、それは彼女にとって、故郷を出てから初めて手にした手がかりだった。


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