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 陣の中心に、大きなかがり火が焚かれていた。
 周囲に集まっているのは各隊の代表者。そこには、つい先日の大会議に勝るとも劣らぬ様々な地域の出身者が入り乱れて顔を寄せ合っている。共通語を話す人々ばかりだから、通訳の心配が要らないのが唯一の違いか。
 「戦況をまとめる。北方騎士団長」
シドレクが口火を切り、指名されたロットガルドが続ける。
 「今日の最後の戦闘で、東方騎士団は主力を後方に下げ、再び傭兵と地方出身者から成る部隊を前方に出してきた。明日も同じ布陣だろうが、場合によっては主力はそのまま谷の出口へ向かう可能性がある」
 「逃げるということだな」
西方騎士団のユエンが口を開く。
 「ローエンの性格からして、不利と見れば退くだろうな。ノックスの城壁はそう簡単には破れない。籠城されると厄介だ。何より、向こうの主力は未だほぼ無傷」
 「支援する地方領主も多いだろう」
と、シドレク。「…宮廷騎士団がこのありさま。中央の守りが手薄な今、長引けば不利になるのはこちらだ。」 
 いつも王の側を離れない近衛騎士デイフレヴンの姿がないことは、皆気づいていた。傷は本人の主張するよりはるかに深く、今ヘタに動けば命に関わるというのがアーキュリーの診断だった。そのため、無茶をしないようギノヴェーアが側に付いて看病している。実際には見張られているのはデイフレヴンのほうなのだが、体裁上、王女の「警護」に当たっていることにされているから、デイフレヴンもふらふらと床を離れられない。代わりに、王の警護の役目を引き受けているのは、ウィラーフだ。
 「今日の陣で、王が傷を負われたと聞いたけど」
そう言うオーサに、彼は答える。
 「王はご無事だ。守れなかったのは我々の不手際だが、厄介な裏切り者のメルヴェイルとウィンドミルは始末した。デイフレヴンが傷を負ったのは痛いが、東方騎士団で他に同等の腕を持つ奴はいない。何とかなる」
 「あんたも傷を負ってるんだろう」
オーサの目はごまかせない。
 「心配だね。王女様はここに残るにしても、戦場で王様を守れる奴がいないんじゃ」
 「それなら代わりはいる」
シドレクは笑って傍らの少女を指す。「私の背は、勇敢なクローナの自警団が守ってくれることになっている。」
 「クローナ…」
もちろん、ブランシェがそんなことを前もって聞いているはずもない。だが彼女にももう分かっていた。”君たちの一番の役目は、”クローナの忠誠”を猜疑心の強い連中の印象に植えつけること”…この戦いの始まる前に、シドレクはそう言っていたのだ。戦場に出て、王に従うクローナの姿を見せ、五年前の戦いを覚えている人々の前でアピールすること。そのためには、王の側を守るというのが最も目立つ。
 「あまり前線に出ないでくださいよ。いつも先陣切って突っ込みますが」
ウィラーフが囁く。「私では、デイフレヴンのようにはいきません。」
 「分かっているさ。今日で懲りた。さすがにもう、若くはないな」
笑って、シドレクは一同を見回す。
 「さて。というわけで、明日は最終決戦のつもりで挑んでもらうことになるが、ひとつ頼みがある」
 「頼み?」
 「ロットガルドも言っていたが、明日、前面に出てくるのは傭兵と地方出身者から成る混成部隊だ。東方騎士団に忠誠を誓っているわけでもなく、金で雇われて盾替わりに扱われている兵たち。彼らは、厳密に言えば敵ではない、と私は考えている。時と場所さえ違えば、我が国民として守るべき者となっていたはずの者たちだ」
火がゆらめき、ぱちぱちと高い音をたてている。赤いゆらめきが、人々の間に長い影を落とす。
 「――アルウィン」
 「はい」
唐突に呼ばれても、彼は動じない。
 「ミグリアの傭兵団には、心あたりがあるだろう。”リゼル”として交渉に赴き、彼らを説得してくれ。出来ることならば犠牲者は増やしたくない」
 「分かりました」
 「頼みというのは、交渉のための時間稼ぎと、交渉に応じた者が逃亡することの黙認――ですか」
鮮やかな緑色の鎧の男、ユエンは不満げではある。「後日、余計な災禍にならないとよいのですがね。」
 「ミグリアは西方騎士団の管轄下だろう。」
ロットガルドが切り返す。「これまで、ミグリアのならず者たちを放任して来た者が言う言葉ではない」
 「無理に生き方は変えさせない、というのが王国の方針ですからな。傭兵というのも使いようによっては役に立つ。そちらの騎士団の騎士も、半数は傭兵のようなものだろう?」
 「何を――」
 「言い争いはやめてください。見苦しい!」
ぴしゃりと言ったのはブランシェ。思わず二人の騎士は口を閉ざす。一瞬の間のあと、シドレクは、膝を叩いて笑い出した。
 「さすが女傑ユミナ・リンディスの娘。大の男も黙らせるとは」
 「あなたの部下は、躾がなっていないんですわ」
少女はつんとそっぽを向く。
 「…それで? 私が国王様の護衛につく光栄にあやかれるとして、交渉に赴く私の兄の警護はどなたにお任せになるおつもりですか。」
 「そうだな」
端の方でワンダが手をあげ、ぴょんぴょん飛んでいる。ディーが頷く。声は出さないが、すぐ側に、焚き火の明かりの届かない場所を選んで立つエラムスの黒っぽい影もある。シドレクの口元が綻んだ。
 「彼には、助けてくれる仲間が大勢いる。任せよう。問題は残りの陣だが…」
そして、協議の末に布陣が決まった。前面に出てくる傭兵部隊は早い段階で本隊と分断し、取り囲んだ上で交渉に持ち込む。それまでは、なるべく攻撃は控えろという命令だった。これには、北方騎士団とアルウィンたちが当たる。その間に、シドレク王と、到着したばかりの西方騎士団が後方にいるローエンたちの本隊を叩くというものだ。
 ただしこれは、あくまで交渉が成功した場合。交渉が決裂したり、戦闘を放棄する者が少なすぎた場合は、その限りではない。明日の戦いでの敵味方の犠牲者の数いかんは、アルウィンの舌に賭けられていた。


 話し合いが終了し、皆が三々五々、散っていく。
 王の側を離れたアルウィンに、ワンダとディーが駆け寄ってくる。
 「リゼル」
ディーはそう呼んで、にやりと笑った。
 「やっと初めて会ったときに戻った感じだな。正直、軍を率いるお前は似合わない」
アルウィンは苦笑する。
 「おれも苦手だ。他に適役がいるなら、喜んで譲るさ」
 「それでも――」
他の誰もいなければやるのだろう、と言いかけて、ディーは止めた。シドレク王も騎士たちもいない状況など、そうあっては困る。
 アルウィンは、腕組みして仁王立ちしているエラムスを見上げる。
 「怪我は?」
 「問題ない」
強がりなどではなさそうだ。あらわな上体、鍛え抜かれた筋肉は鋼のようで、至近距離からの攻撃でもおいそれと傷つきそうにない。
 護衛につくのは、ディーたちハザルの男たちと、エラムス、それにワンダ。
 大いに目立つ特徴的な混成部隊だ。
 「明日は宜しく頼む。挑発してくるかもしれないが、決してこちらから攻撃しないでくれ。」
 「ミグリアの傭兵といえば…荒くれで知られているからな」
ディーは知っているようだ。ハザル人は、武器の材料となる鉱物を求めて旅をする。ハザルと同じく平原に住みながら、ほぼ定住生活を送るミグリア人とは頻繁にすれ違うはずだ。彼らの住む平原は貧しく、畑にも放牧にも向かない。定住はするものの、多くが行商や傭兵といった出稼ぎで生計を立てている。
 「そういえば、シドレク王が”心当たりがある”と言っていたが、あれは?」
 「おれの故郷は、クローナだからね」
かつてはディーに答えることをためらったその名も、今は口にすることが出来る。
 「交易の町だ。ミグリア人も良く来る。その関係で、”リゼル”として交渉しに行ったことも何度かあるんだ」
 「成程。うまく顔見知りが来ているといいな」
ミグリア平原は広く、そこに住む人々も一つの纏まりというわけではない。数十から数百単位の家族で纏まって暮らし、違いの交流がない場合もある。だが、もともと計算高い彼らのことだ。アストゥールの王が良い条件を提示すれば揉めることは少ないだろう。
 問題は、それ以外の場所から参加している部隊か。
 「いざとなったら、お前は先に逃げるんだぞ」
ごく当たり前のように言うディーの言葉で、ふとアルウィンの表情が暗くなる。
 「…いつも守ってもらってばかりだな。おれは」
 「何言ってる。皆を助けているのはお前だろう?」
ハザルの少年は、アルウィンの背中を叩いた。
 「もっと自信持て。お前は、オレたちに出来ないことをやれるんだ。出来ないことは、オレらに頼ってくれればいい」
折しも、どこかから優しい歌が流れてきた。共通語ではない。
 「レトラ語…」
アルウィンは、焚き火の方を振り返る。レトラの人々が焚き火を囲んで声を合わせて歌っている。それは不思議な旋律で、それぞれが音階に別れて楽器もなしに協和音を奏でてている。歌詞の内容は、古伝承の類のようだ。


 あなたの手は誰の血も欲さ無かったけれど
 戦の風はあなたにそれを許さない

 たとえあなたが鴉たちを喜ばせようと
 狼の友とは呼ばれない

 優しき勇者よ どうか忘れないでください
 誰もがあなたを臆病者と罵ろうとも
 その涙に救われる命もあるのだということを



アルウィンは、エラムスが足音を立てず離れていこうとしていることに気がついた。
 「どこへ?」
彼は無言に、陣の外を目でさす。
 「夜は冷える。中にいればいい」
 「リーデンハイゼルの王は俺の主人ではない。」
去っていこうとするのを、アルウィンが追う。歌に耳を傾けていたワンダが、気配に気づいて振り返る。
 「アルウィン、どこ行く?」
 「すぐ戻る。ついてこなくていい」
焚き火と歌声が遠ざかっていく。人の集まる陣を離れると、途端に風が冷たくなる。夜の荒野では、身を守るものは何も無い。あらゆる生き物を拒むゆえに狼や野犬、強盗の類は居ないが、時折、毒と細かな砂を含んだ風が吹きつける。
 明かりの作る影が完全に消え、星明かりが支配する場所まで来て、エラムスはようやく足を止めた。背後に、アルウィンの足音がついてきていることは分かっている。その距離は縮まりも、遠ざかりもせず。
 「…教えて欲しい。アスタラの民は、なぜリーデンハイゼルの王家を嫌う」
アルウィンは、エラムスの背中越しに、そう尋ねた。
 「オウミは、王位を奪ったからだと言っていた。でも、そうじゃない。百年前の先祖は決して仲違いしていたわけじゃない。なのに、何故?」
 「――王位が奪われたのは本当だ」
エラムスは抑揚のない声でぽつり、ぽつりと語る。
 「王位を継ぐのは王の直系最後の一人、エサルと定められていた。それを許さなかったのはロランではない。周囲がロランを推したのだと言われている。いつの世も、剣なくして言葉と心で戦う者よりも、剣を掲げ軍の先頭で勇ましく戦う者のほうが王として相応しいように目に映るものだからな」
 「…それだけで?」
 「さあ。それだけ、なのか、或いは我らの祖先にとってロランが何か、イェルムンレクを裏切ったと見えるような真似をしたのかは判らない。少なくとも、今のアスタラの民がリーデンハイゼルを嫌っているのは、百年前の仕打ちのせいだ」
アスタラが、クローナから独立しアストゥールの”国外”になった時期だ。
 その頃、何があったのかは正確には知らない。
 ただ、その時までクローナの旗印として使われていた「白銀の樹」の紋章が正式には使われなくなり、騎士団の名称が変わった、とは聞いていた。それが、その紋章にそれまでの四百年、思いを寄せてきたアスタラの民にとっては我慢のならないことだったのか。
 「分かって欲しい。今のクローナは、アストゥールの一部なんだ。交易の町として生きる以上、王国と敵対しては生き残れない。リーデンハイゼルにとっても… 王権の安定を図ろうと思うなら、王家が二つあるのは不都合だ。今を生きる人々が平和に暮らせるなら、肩書きや血筋なんてどうでもいい話だ。」
 「アスタラの民は、イェルムンレク王の血筋とその栄光を守ろうとした。あなたがたは、現在のクローナの町と民を守ることを優先した。アスタラは今も、過去に生きている。交わらぬ道だ。」
そう言って、エラムスはどっかと地面に腰をおろす。
 「戻られるがいい。ここは、あなたの居る場所ではない」
こんな、何もないところで夜を過ごすつもりなのか。
 一人でいたいのだと、アルウィンは思った。無理強いはするまい。


 微かな足音が遠ざかるのを聞きながら、男は懐から革紐に繋がれた金属板を取り出した。
 交わらぬ道、本当にそうだったのだろうか。そしてこれからも、道は交わらぬままなのだろうか。



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