8



 息が浅く、脈はもうほとんどない。
 最初に見た時から、傷が深すぎることは分かっていた。どれだけ手を尽くしても迫り来る死を遠ざけることは出来ない。蒼白な顔で力なく横たわるシドレクを前に、宮廷騎士団専属の医師アーキュリーは滴る汗を拭うことも忘れていた。
 自身も傷を負っているデイフレヴンは、その傍らで身じろぎもせず治療の様子をじっと見守っている。もう間もなく、昼を過ぎようとしている。味方からの知らせは何もこない。伝令まで倒されたのか、或いは伝令を出せるほどの指揮系統がもう残っていないのか。
 味方の陣が破れてここまで敵が雪崩込んでくる気配は今はない。が、少なくとも戦場から王の姿が消えたことは、既に敵味方の知るところとなっているだろう。味方の士気が下がり、統率が取れなくなることは免れない。
 「――このままでは…助からない…」
アーキュリーが絶望を漏らした時、突然デイフレヴンは傍らにあった自らの大剣を取り上げ、鞘から抜き放った。ぎょっとして、治療に当たっていたシェラや他の医療班の人々が手を止める。
 「よせ、デイフレヴン! 何を」
剣を自分の首に当てようとするデイフレヴンの太い腕に、アーキュリーが飛びつく。
 「王の行くところには何処であれお伴すると誓った。たとえ死出の旅路であろうとも――」
 「ちょっと! 縁起でもないこと言わないで。まだ王様は死んでないんだから、最後まであきらめないで」
シェラも身を乗り出し、ふたりがかりで大男を止めようとする。場違いなほど明るい、不思議な声が響いたのとは、その時だ。
 「その通りですよ」
アーキュリーに加勢してデイフレヴンをの腕に取りついていたシェラは、はっとして天幕の入り口を振り返った。
 「ギノヴェーア様、何故ここに…」
白く輝く優雅なドレス、白金の髪と白い肌。最初は幻かとも思った。だが、今は真昼だ。妖精の時間ではない。幻ではない証拠に、後ろには王都に残っていた二人の近衛騎士を連れている。
 手に銀盃を手にしたギノヴェーアは天幕の中程まで入ってくると、まだ剣を握ったままのデイフレヴンに目をやる。
 「元気がいいのは良いとこだけれど、この薬、ふたり分はありませんのよ。その物騒なものをおろしなさいな」
王女を見つめたまま、彼は腕を下ろした。
 「お下がりなさい。」
誰も彼女には逆らえない。アーキュリーだけを残し、その場にいた全員がギノヴェーアに道を譲った。彼女は父の傍らに屈むと、血に濡れた傷に触れる。
 「大丈夫ね。傷はまだ、冷え切っていませんわ。さ、お父様。」
体を抱き起こし、膝に頭を載せ、青ざめた唇に盃を押し当てる。中のとろりとした乳白色の液体が、シドレクの口の中に流れこんでいく。
 全てを飲み込ませ終えると、ギノヴェーアは膝に載せた父の頭を両手で抱え、その瞳を覗き込んだ。
 「…お父様。聞こえますか?」
と、固く閉ざされていた瞼が、ぴくりと動いた。
 それまで真っ白だった頬に赤みがさしはじめる。腕が動き、硬直していた口元が緩んでいく。
 「――ああ… 聞こえている」
声は弱々しかったが、はっきりと。
 「これは…奇跡だ。」
アーキュリーは、血に濡れたままの手を握りしめ、呆然と呟く。「王女、今のは一体?」
 ギノヴェーアは微笑みながら答える。
 「妖精の秘薬ですわ。そう簡単につくれるものではないですけれど、いかなる傷でもたちどころに癒す力を持っています。ただし、死者を蘇らせることは出来ません」
 「…王女様」
彼女は、シェラに頷いてみせる。
 「あなたのお陰で間に合ったわ。父が致命傷を負う未来を視てくれたから。――ごめんなさいね。辛いものを見せてしまって」
シェラは首を振る。
 「いいんです。あたしはもう、この力で未来を変えられることを知っているから」
外が、にわかに騒がしくなった。大勢の兵が向かってくるような物音だ。
 「敵か?!」
アーキュリーが言うより早く、デイフレヴンが剣を手に外へ飛び出す。だが、そこにいたのは傷ついた味方を運んでくる、女性や子供も含む薄汚れた格好の集団と、彼らを案内する獣人が一人。
 「お前は、アルウィンと一緒にいた…」
 「援軍連れて来たぞっ」
ワンダは、振り返って尻尾を立てた。
 「レトラの人たち!」
ワンダの声を聞きつけて出てきたシェラは、驚いて口に手を当てる。
 「一体…どうして」
 「あと、ワンダの仲間と、サウディードの人たちもいるんだぞ。ディーもいたぞ。」
 「どういうこと?」
 「わたくしが声をかけたのですよ。」と、ギノヴェーア。「王国の危機に火急の助力を乞う…と。ハザル人は呼んでいませんけれど、きっとアルウィンね。」彼女は微笑む。
 「そういえば、アルウィンは?」
 「みんなに指示出して、どっかいっちゃったぞ。」
 「どっか、って…。」
怪我人が続々と運び込まれて来る。疲れきった医療班には休む暇もない。
 「とにかく、だ。とにかく手当を続けなくては。――ギノヴェーア様、王のことはお願いしてもよろしいですか」
 「ええ、そのつもりですから。」
 「よし。では我々は新しい怪我人のほうへ。…デイフレヴン! お前も怪我人だ。そこでじっとしていろ」
アーキュリーは助手たちと一緒になって駆け出していく。シェラは怪我人をざっと見回して、その中にウィラーフがいないことを確認してから、アーキュリーの後を追った。
 「…と、いうわけですわ、お父様」
ギノヴェーアは、父の体を起こしながら言った。
 「状況がみえてきまして?」
 「ああ、…分かった」
寝台にもたれかかり、冷えたまままだ感覚の戻っていない手足を揉みほぐしているうち、死人のようだった王の顔に生気が蘇ってくる。
 「アルウィンが援軍をまとめて撤退の時間稼ぎをしているのか。無茶をする。…味方は戻ってきているか?」
 「まだのようです。」
にやりと笑って、王は立ち上がった。ついていこうとするデイフレヴンを止める。
 「ここにいろ。足の調子を確かめがてら、少し外の様子を見てくるだけだ」
ギノヴェーアは、城からついてきた二人の近衛騎士、エルダーとメルロンドに目で合図をし、王の側にいるよう指示した。彼らは無言のままそれに従う。
 シドレクが姿を表したのに気がついて、怪我人たちの手当をしていたレトラの民たちが慌てて頭を下げる。深手を負って陣に担ぎ込まれたのを見ていた騎士たちも、王が無事なのを知ってほっとしたようだった。
 折しも、谷間には新たな風が吹きこんできていた。聞き覚えのある騎士団の掛け声が響き渡る。
 「王!」
見張り台の上から、兵が叫ぶ。「友軍です。西方騎士団の旗が!」
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、陣の入り口に数人の騎士が駆けこんできた。腰には、赤い房飾りをつけた剣を下げている。
 「来たか、ユエン」
 「遅れて申し訳ありません!」
颯爽と馬から飛び降りてくる派手な男は、西方騎士団の団長、ルーミス・ユエン。鮮やかな緑色の鎧に真っ赤な髪という、何とも目立つ出で立ちだ。
 「ご無事でなによりです」
 「まあ、無事じゃなかったんだが。…相変わらず派手だな」
 「普段着です。」
きっぱりと言い、ユエンは部下たちにあごをしゃくった。馬を連れていけ、というのだ。
 「途中、戦況を少し見てきました。ロットガルドが奮闘していましたね」
 「今のところアストゥールが優勢ということか?」
 「ええ。向こうはだいぶ後退していましたよ。」
 「ふむ…」
王の姿が戦場から消えていても、優位にたったままということは、新たにやって来た援軍にうまく指示を出して従わせることが出来た者がいたということ。
 シドレクは、顎に手を当て、しばし考えたのち、ユエンのほうを向いて言った。
 「なら頼まれてくれ。戦場に伝えろ。友軍はすべて撤収、怪我人の回収を優先させるように、と」
 「勝っているのに?」
 「…そうだ。今は深追いしすぎる時ではない」
 「わかりました」
派手な緑の甲冑の男は、追いついてきた味方の本隊を呼び止め、たった今受けたばかりの指示を伝えている。その間にも、陣に運び込まれている怪我人は増え続けていた。
 勝っているわけではない。
 ようやく、これで五分になったくらいだ。それも、もし、他に代わりに出来ない味方を失わずに済んでいたなら…だが。
 「…馬を」
シドレクは、振り返って近衛騎士たちに言う。
 「王、まだそのお体では。」
 「ならお前たちが代わりに行って探してくれるのか」
 「何を、です?」
 「――……。」
言いかけて、王は言葉を途切れさせた。何と言えばいい。この騎士たちにとっては仲間ですらなく、重要とも思っていないだろう人物のことを。何故、彼を探さなくてはならないのかを。せめて、ウィラーフがいれば。
 その時だ。見張り台の上から、声が飛んだ。
 「王、騎士レスロンドが帰ってきました。クローナの騎士も一緒です!」
はっとして、シドレクは陣の入り口を振り返った。向こうから、四、五頭の馬が速度を緩めながらゆっくりと走ってくる。先頭はブランシェ。その後には、クローナの兵たちに守られるようにして、アルウィンとウィラーフの乗る馬が続いている。人々が道を譲った。その先に、出迎えに立つ王がいる。
 近づく前から、彼らはそこに誰がいるのかに気づいていた。アルウィンは目をこすった。死を覚悟するほどの傷を負っていたはずなのに―― 立って歩いている?
 「シドレク様!」
ウィラーフは、馬を止めると同時に地面に落ちそうになる。
 「よく戻ってきた」
 「怪我は。あの時、あんなに――」
 「まあ、ちょっとしたズルをして死神には勘弁してもらった。代わりにお前たちの命が取られたかと冷や冷やしていたところだ」
 「ズルって…。」
ブランシェは眉をひそめる。
 「こっちは死にそうな思いをしてたっていうのに! ねえ、兄様」
 「……。」
アルウィンは答えない。いや、答えられなかった。ほっとすると同時に力が抜け、目の前が暗くなっていく。急に傷の痛みが戻ってくる。
 「兄様!」
鞍から滑り落ちるのを受け止めたのは、シドレクだった。細身を軽々と抱きとめて、囁く。
 「すまなかったな。ここからは私の番だ。あとは任せろ」
 「…お願いします。」
答えると同時に意識を失った。脇には、開いた傷口から溢れた血が滲んでいる。シドレクは、思わず苦笑した。その軽さと、騎士たちとは比べようもない細い腕に。それに、普段は王にむかっても堂々とした口を利くくせに、眠って居るときは、まるで村の少年たちのような顔をする。
 ブランシェは、シドレクの一瞬見せたその表情を不思議そうに見つめていた。
 エラムスは馬を引き、その場を去ろうとする。
 「待て」
呼び止めたのは、ウィラーフだ。
 「アルウィン様に何かあったら、ただではおかないと言っただろう」
 「……。」
大男は、足をとめる。その腕をウィラーフが掴んだ。
 「とはいえ、その件はいずれまたにしよう。お前も傷の手当くらいしていけ。」
目立たないようにしていたが、エラムスの脇腹と背には、盾になった時に受けた折れた矢が刺さったままになっていた。


 撤退の号令が伝わるまで、そう時間はかからなかった。
 間もなくロッドガルドが、生き残った味方を連れて戻ってきた。レトラの人々やワンダたち獣人が手伝って、怪我人を回収する。ひときわ目立つのは、やはりオーサ。巨人族の血を引くだけあって誰よりも背が高く、女性でありながら片手で軽々と四人の男を抱え上げている。
 シドレク王も、傷ついた兵の間を見まわっていた。軍の長である王が無事である姿を見せれば、誰もが安心する。この人は、やはり皆にとって”英雄”なのだ。
 最後にシドレクは、シェラに手当を受けているウィラーフのもとにやって来て、傍らに腰を下ろした。
 「ずいぶん無茶をしたようだな」
 「ええ。ウィンドミルが相手でしたからね。手抜きも手加減も出来ませんでした。
答える声ははっきりしている。打撲と刺し痕、全身傷だらけだったが、いずれも致命傷ではない。ウィラーフは、テントの外に目をやる。
 「西方騎士団は、大軍を率いて来ていましたね。これなら数は互角になる」
 「ああ。だが、宮廷騎士団がかなりやられた。隙を突かれた私のせいだ」
 「いえ。守りきれなかった我々のせいです」
 「私のせいなのだ。奴らの企みに気付かなかったのだから」
 獅子身中の虫。
 この反乱は、何年も前から計画していたことなのだろう。騎士団だけでなく、議会の中にも東方騎士団の…旧エスタードの息のかかった人々がいたのだ。戦力も布陣も、”死の海”への各軍の到着時期も相手に筒抜けだったのだろう。でなければ、ローエンが味方を置いて”エリュシオン”を探しに行くほど安心することも、これほどやすやすと罠にかけられるひともなかったはず。
 「元々、東の連中は中央の意向に従わなかったからな。あちらは緑が豊かなだけあって領主連中は裕福だし、議会での発言権の強い連中もいて、抑えこむのが難しかった。気位が高いだけならば良かったのだが。」
五百年前にアストゥールと最後まで大陸の覇権を争った、エスタード帝国の復活…などという大それた企みを抱いていようとは、誰に想像がついただろう。エスタード最後の皇帝は民衆に殺され、その血筋は絶えた。貴族たちはアストゥールに従う限り地位を保証され、大地主だけは土地を分割されたが、それ以外は旧来の領地に留まることも許されたはず。
 それなのに。
 「――そういえば、アルウィン様は?」
ウィラーフが尋ねたとたん、シドレクは一瞬、眉を寄せた。
 「何だ。お前もあいつのことか」
 「”も”…って」
 「さっきから、会う奴会う奴みなが、あいつの心配ばかりだ。死にかけたのは私も同じだというのに」
シェラは思わず吹出す。
 「確かに。」
ウィラーフは渋い顔だ。
 「…シドレク様はズルをしたじゃないですか。そんな元気な人を誰が心配するんです」
 「まあ…そうなんだが…」
外で賑やかな声が聞こえる。オーサの良く響く声だ。ワンダやブランシェの声も聞こえる。
 「お、アルウィンが目を覚ましたか」
シドレクは立ち上がり、既に人々に囲まれているアルウィンのほうに歩いて行く。オーサに抱きしめられるのを必死で断ろうとして、ブランシェが代わりにと抱きしめられて悲鳴を上げている。騒ぎの中、シドレクに気づいたロアガルウィンが慌てて頭を下げた。
 「おお、これは王様!」
 「まあ楽にしてくれ」
手で皆を制しながら、シドレクはアルウィンに言う。
 「傷は大丈夫か」
 「おかげさまで。ギノヴェーア様手ずから手当していただけて、恐れ多いくらいです」
 「ならば、病み上がりですまないが一つ頼まれてくれ。――この後、皆を集めて戦況の確認を行う。その場にお前も来てくれ」
 「分かりました」
ブランシェが抗議の声を上げる前に、シドレクは続ける。
 「もちろん、各隊の代表者もだ。君にも、クローナの代表として来てもらう」
それならば、文句は言えない。ブランシェは押し黙った。
 西方騎士団が到着していることは、既に見て知っている。
 不意打ちで宮廷騎士団が壊滅所ぅ対に陥ったものの、北方騎士団にはいまだ主力が残り、騎士団以外からの援軍も到着した。最初の頃と違って、今なら数の上ではアストゥールが上回る。おそらく士気でも。地形に慣れたハザル人が味方についていることで、逃走経路も読みやすい。東方騎士団に、…ローエンの側に勝ち目は薄い。
 ここで畳み掛けるつもりなのだということは、戦術に疎いアルウィンにも分かった。形勢は逆転した。時を置かず、相手が体制を整える前に反撃するならば今しかない。


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