7



 戦場の半ばまで来た。
 青い房飾りの剣を振りかざす騎士たちの姿が見える。目標の敵陣営の真っ只中。ディーが馬を先に出す。
 「そこから降りられる。行くぞ、お前たち! ――ああ、アルウィン。お前はここにいろよ」
アルウィンが何か言うより早く、ディーはハザル特有の声を張り上げた。戦の時を告げる咆哮。後ろに続く男たちもまた、応えるように声を張り上げる。崖の下で戦っていた騎士たちが、ぎょっとして動きを止めた。崖を一直線に、砂煙を上げながら駆け下りてくる数十騎の見慣れない兵士たち。
 「北方騎士団長!」
アルウィンは馬を駆けさせ、見張り台から見つけていたロットガルドのもとへ駆けつける。
 「敵を撹乱します。今のうちに味方を集めてください。」
 「分かった、だが王は…」
 「王はご無事です、心配なさらず」
 「兄様!」
ブランシェたちが駆け寄ってくる。息を弾ませ、白いスカーフは汗と砂埃に汚れている。
 「どうして、ここへ?――」
 「ウィラーフを探してくれ」
宮廷騎士団にも、王が死んでいないことを伝えなくては。だが、ブランシェは暗い表情になる。
 「ウィラーフは、さっき、他の騎士と戦ってるのが見えたわ。それ以降見てない…どこにも」
メルヴェイルか、ウィンドミルのどちらか。メルヴェイルなら辛うじて勝利したかもしれない。だが、ウィンドミルだったとしたら…
 「最後に見たのは、どの辺だ。案内してくれ」
 「戦場ですよ?! それに」
ブランシェは、兄の瞳を前にして言葉がでない。「それに…」
 「まだ、負けてない」
アルウィンの言葉は、揺るがない。覚悟ならば既に決めている。出来ないかもしれない、ではない。やらなくてはならない。
 「出来ることをやり尽くさないうちに諦めるな。お前が言わないなら、おれは一人でも行くぞ」
 「…分かりました。こちらです」
少女は馬を巡らせ、アルウィンとともに走りだした。クローナの兵たちもついてくる。ハザルの戦士たちのおかげで、東方騎士団の攻撃の手は弱まっている。だが、奇襲で稼げる時間はそう多くはない。相手は東方騎士団の中でも精鋭ぞろいの主力部隊。いくら地形に慣れたハザル人でも、剣とナイフではまともに戦うわけにもいくまい。


 宮廷騎士団の戦っていた辺りは、一番状況がひどかった。
 足元には動けなくなった敵味方の体が入り乱れ、泥と血にまみれた金色の房飾りが点々と落ちている。アルウィンの見覚えのある騎士たちもいた。深い傷を負って動けずに居る。彼らがここで倒れているということは、メルヴェイルとウィンドミルによってデイフレヴンやウィラーフが王の側から引き離されたのも、王が刺されたのも、この辺りのはずだ。
 だが、彼らの姿はどこにもない。
 撹乱によって稼いだ僅かな時間は終わりつつある。撤退を告げるディーの声。勢いを取り戻しはじめた東方騎士団の動きによって、彼らは追いやられていく。
 時間がない。
 せめて動ける味方だけでも撤退させたいが、アルウィンにはその権限が無い。騎士は、主君でも団長でもない者の命令には従わない。かと言って、このままでは――。
 その時、一本の矢がアルウィンの脇腹を掠めた。痛みが走り、彼は思わず馬を滑り落ちそうになる。
 「兄様!」
ブランシェが飛び出すより早く、エラムスが自らの体を盾にアルウィンの前に立ちふさがる。岩陰に弓兵がいる。それだけではない。背後には、東方騎士団の騎士たちが駆けつけてくるところだった。退路を絶たれた。逃げるなら、弓兵を倒してその先の敵陣を突っ切るか、背後の騎士の小隊を倒すしかない。ブランシェは剣を構える。クローナの兵たちも同時。
 「兄様、ここは私たちが。早くお戻りを!」
 「…くそっ」
アルウィンは、脇腹を抑えながら呟いた。脇腹の傷口からは血が滲み出して上着まで染みこんでいる。戦う力の無いことが情けなかった。こんな時、活路を開くことも出来ず、妹にまで盾替わりをさせてしまう。
 剣と槍を交えるブランシェたちの背を見つめたまま、アルウィンは強く拳を握りしめていた。

 こんな時…
 どうすれば…。

 その時だ。
 目の前に黒い影が走った。それが何と認識する間もなく、東方騎士団の騎士たちに立ち向かっていく。
 「ぎゃっ」
飛びかかられた騎士の一人が馬から落ちた。ふさふさとした尻尾。四つん這いになって地面に飛び降りる、それは…
 「…ワンダ?!」
いや、違う。
 「アルウィン〜」
声は、谷の反対側の方から聞こえてくる。「おーい〜」
 振り返ったアルウィンは、そこに信じられないものを目にする。
 「……ワンタ゛、それに… えっ?」
ずらりと並んだ獣人たち。先頭に立ってこちらに向かって走ってくるのは、ワンダと、その隣には真っ黒で大きな獣人が一人。
 「お待たせしました! 王国の危機と聞いて我らアジェンロウ、馳せ参じましたぞっ」
 「ロア…さん?」
ワンダの父親、ロアガルウィン。一度、クニャルコニャルで手荒な歓迎を受けたことがある。獣人を視るのは初めてではないブランシェたちも、あまりの数に驚いている。
 それだけではない。
 「ワンダ、みんな案内してきたんだぞっ」
胸を張るワンダの向こうには、大人の男のゆうに二倍はありそうな体格の、赤毛の女性が大股に向かってくる。学術都市サウディードを守る警備隊長、南方出身の巨人族の女性。
 「オーサ!」
 「戦で王国が危機だってんでね。この守護女神オーサ様が来たからには、もう安心さ!」
彼女の後ろには、サウディードの衛兵たちがずらりと並んでいる。それから…
 ぼろをまとった、女性も含む一団が、おずおずとついてきている。
 「なんか力になりたいってね。途中で拾って連れてきたんだ」
レトラの集落にいた人々。
 「私たちは、戦う力はありませんが」
レトラ語ではなく、訛りの残る中央語で、先頭にいた女性が言った。
 「アストゥールの危機には助力せよと、先祖の言葉にもありますから。――亡きヤルル老も、きっとそう望んだでしょう」
 「どうして、ここに…」
ロアが、ひげを引っ張りながら言う。
 「いやなに。島に知らせが来たのですよ。天の声というべきか。そう、王女様が夢枕に」
 「ギノヴェーア様のお得意のあれさ」
と、オーサ。
 「久しぶりに見たもんで、一瞬なにかと思ったけどね。なんとか間に合ったみたいで、良かったよ」
まさに危機一髪だった。もしも到着が一日遅れていたら、戦局は圧倒的に不利になっていた。
 アルウィンは、集まった人々を見回した。
 「ありがとう。今は、一人でも沢山いてくれたほうが助かる」
これだけいれば――。
 彼は瞬時に頭を切り替え、早口に、だがはっきりと聞こえる声で言う。
 「不意打ちを食らって味方が敗走している。ハザル人の助けを借りて少しは時間が稼げたんだが、まだ十分じゃない。頼みがある。レトラの人たちは、手分けして怪我人を陣まで運んで欲しい。ワンダ、案内は頼めるか?」
 「おうっ。任せろ!」
 「オーサは目立つから、中央騎士団を集めてほしい。王が傷を負って、指揮する者が誰もいない。皆、ばらばらになってしまって…。」
 「王様が?! …なんてことだい。分かったよ、とにかく大暴れして目立ちゃいいんだね!」
言いながら、彼女は大の大人ほどの大きさの棍棒を、いとも簡単にぶんぶん振り回す。
 「ロアさんたちも、オーサを手伝ってくれますか」
 「あいわかった。お任せを!」
彼らが作戦を仲間たちに伝えている間に、ブランシェたちが駆け寄ってくる。
 「兄様。これは一体…」
 「皆、友達だよ。助けに来てくれた」
 「友達…って」
彼女は、まじまじと兄の顔を見、やがて、目を細めて微笑んだ。
 「クローナを出て行ってから、こんなことをされていたんですか? それなら、もっと早く言ってくださればよかったのに」
 「…話しが長くなりそうだったからさ。いつか、時間があるときに話す」
アルウィンは馬の向きを変える。「まだ、つきあってくれるか?」
 「ええ。どこへなりとも」
 「ウィラーフが見つからないなら、他の誰でもいい。中央騎士団を纏められる騎士が必要だ。彼らが動いたら、すぐに続く」
 「ヴィーザ・アストゥーリア!<アストゥール王国に栄光あれ>」
ロアが、ありったけの声を張り上げて叫ぶのが聞こえた。呼応するように、獣人たちの声が谷に木霊する。
 「皆! 今、行くよ」
獣人たちの咆哮に合わせ、巨人族の太い声が戦場の隅々まで響き渡る。崖の上まで撤退していたディーたちも気づくだろう。


 そこからの戦いの詳細を、アルウィンは知らない。
 突如現れた獣人も含む新手に、宮廷騎士団をほぼ壊滅させ勝利を確信していた東方騎士団は隙を付かれた。ちりぢりになっていた北方騎士団はようやくロットガルドのもとに集結し、攻勢に展示用としている。味方が勢いづいたのに気づいて、ディーたちハザル人の小隊も再び戦場にもどって行く。
 敵味方入り乱れる中、アルウィンとブランシェたちクローナの小隊は宮廷騎士団の戦った跡を辿っていた。点々と倒れている、金や青の房飾りの騎士たち。主を失った馬がふらふらと彷徨い、まだ息のある兵が助けを求める呻き声を上げる。
 ――たった今まで、ここで戦いが行われていたのだ。その熱気の余韻がまだ残されている。生き残った者たちは何処へ行ったのだろう。
 倒れている兵たちの中に見知った顔を探していたアルウィンは、ある場所まで来て馬を止め、仰向けに倒れている白いマントの騎士に駆け寄った。剣は側に落ちている。頭から血を流しているが… まだ、息はある。
 「喋れるか? ウィラーフはどこへ行った。メルヴェイルとウィンドミルは?」
 「…あ、う」
うっすらと目を開けた騎士は、震える腕を精一杯上げて、一方を指差す。振り返ると、腹に槍を刺されて死んだ馬にもたれかかるようにして息絶えている騎士が見えた。
 メルヴェイルだ。
 胸のあたりを大きく切り裂かれている。この力任せのやり方は、たぶんデイフレヴンだろう。彼以外に近衛騎士で大剣を使う者はいない。
 とすると―― ウィンドミルのほうはウィラーフが相手か。だが、騎士には言葉を発する力はもう残されていない。アルウィンは振り返り、ブランシェたちに言った。
 「誰か、この騎士を陣まで運んでくれ」
ブランシェは、後ろに付いてきていた一人に指示を出す。アルウィンは再び馬に乗る。
 「まだ先へ?」
 「たぶん、ここからそう遠くない。…」
もう、谷のずいぶん奥まで来ていた。複雑な地形の入り組むこの地で水も食料もなく道に迷うということは、死を意味する。ウィラーフが傷を負っているのなら、尚更、迎えに行かなくてはならない。
 岩肌が変色し、不気味な白い煙が吹き出している。馬が進むのを嫌がりはじめる刺激臭。このあたりは風下になりつつある。「長くいると体調を崩す」とディーも言っていた。危険だ。
 だがアルウィンは、その先に二人がいることを確信していた。風に混じって、ぶつかり合う鋼の音が聞こえてきたからだ。戦っている。ということは―― ウィラーフは、まだ生きているということだ。
 唐突に崖が切れ、視界が開けた。
 強い風が背後から押し寄せてくる。
 そこは、――海の「縁」だった。すぐ背後に、黒ずんで凹んだ、かつて”海”だった大地が見えている。水の干上がった跡は、深く削り込まれた大地に瑪瑙のような縞模様を染みつけている。
 アルウィンとブランシェが現れたのに気づいて、ウィンドミルは笑った。兜はとうになく、額が大きく切れている。
 「ぐずぐすしている間に観客が来たようだぞ、レスロンド。」
 「ああ。だが、そろそろ終わりにしたほうが良さそうだな」
答えるウィラーフのほうも、何箇所かの傷を負っている。二人とも、馬には乗っていない。盾は切り裂かれて落ちている。二人の腕は、ほぼ互角。決着がつかないまま、何時間も戦い続けていたのだ。
 先に動いたのは、ウィラーフのほう。
 流れるような剣さばきで打ち込んでゆくのを、ウィンドミルは最低限の動きで受け流す。打ち返そうとするのをウィラーフが篭手で弾き、さらに自分から。命を賭けた戦いだというのに、それは「美しい」とすら感じる光景だった。騎士同士の一騎打ち、手出しは許されない。ブランシェは息を飲み、見入っている。
 風向きが変わった。
 アルウィンの乗っていた馬が反応し、いやいやをするように首を振ってあとすさり始める。この谷に蟠る毒霧が流れて来た。
 「息を止めろ!」
戦っているウィラーフに、その声が届いたのかどうか。一瞬、足がふらついた。その隙を狙って、ウィンドミルが剣を真っ直ぐに打ち込んでくる。ウィラーフは両手を上げる。切っ先は彼の喉元を突き抜け――
 「危ない!」
ブランシェは声を上げた。ウィラーフが刺されたと思ったのだ。だが彼は、すんでのところで躱している。頬が切れ、ほとばしる血。二人は、縺れ合ったまま”海”の縁へ倒れこむ。
 アルウィンは馬を飛び降りて走った。
 「ウィラーフ!」
転がり落ちそうになるのを、すんでのところで掴む。見下ろすと、ウィンドミルは荒い息をつきながら崖にぶら下がっていた。
 「…いい勝負だった。」
にやりと笑ったのも束の間。
 その瞳から光が薄れ、指が離れる。命の火が消えたのか、それとも毒霧を吸い込んで意識を失っただけなのか。黒ずんだ大地の底へ転がり落ちていく男にとっては、どちらも結論は同じこと。たとえまだ命があったとしても、死の大地の奥底からは、誰も生きて再び這い上がれない。
 アルウィンは、遅れて駆けよってきたエラムスと一緒にウィラーフの体を引きずり上げた。
 「生きてるか?」
 「なんとか…」
勝ち残ったとはいえ、甲冑はあちこち切り裂かれ、隙間から血が滴っている。
 「兄様、早く風上に逃げないと」
ブランシェのほうも、馬を抑えるのが限界になりつつある。ここで馬が倒れたら、とても徒歩では帰れない。
 アルウィンは、ウィラーフに肩を貸して馬まで歩かせた。風は”海”に向かって渦を巻きながら流れ込んでいる。風上へ向かうなら、元来た道よりは、”海”のへりを遠回りしたほうがいい。
 「戦場は? 王とデイフレヴンは…」
馬に乗りながら、ウィラーフが尋ねる。
 「援軍が来たんだ。びっくりするぞ、アジェンロウやレトラ、サウディードにいたオーサたち。だから…」
アルウィンは、次の可能性に気づいて思わず手綱を握りしめた。
 王の傷は―― 多分、浅くはない。一瞬だけ見た、蒼白な顔と滴る血を思い出した時、彼は、今さらのように背筋が凍りつくのを覚えた。敗走する味方をまとめることに必死になって、その後のことまで思いが及んでいなかった。
 もしも王が二度と戦場に立てなかったら。
 その時は… この時間稼ぎさえ、無駄になってしまうかもしれない。


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