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 浅い眠りで何度も目を覚ましかけ、ようやく意識がはっきりとしてきたのは夜明け前と思われる頃合いだった。
 先に床に入っていたアルウィンは、傍らでブランシェが眠っていることに気がついた。その向こうには、シェラとワンダも見える。明かりは消え、みな寝息を立てている。兵士の泊まるテントの数は限られているから、顔見知りが全員同じ場所にまとまっているのは不思議なことではない。ウィラーフは見当たらないが、近衛騎士なのだから王のそばにいるのだろう。
 彼は妹を起こさないよう、そっと体を起こした。
 テントの外が明るいのは、月が出たせいか。静けさが包み込んでいる。朝が近いのだ。ほとんど徹夜で働き詰めだった医療班も、今は束の間の休息の中にある。
 全ては正常で、安定しているように思える。だが、眠り直そうとした彼は、妙な予感を覚えた。違和感…一体何に?
 裸足のまま、テントの入り口を開く。ブランシェが気配に気づいて目を覚ます。
 「どうかしました?」
 「いや、ちょっと」
ブランシェはまだ、半分眠りの中にいる。
 入り口を出て王の天幕のほうを見る。奥の一番大きな幕車の周囲には明かりが炊かれ、寝ずの番をしている騎士たちの姿が見える。シドレク王は安全だ。陣の入り口辺りにも、臨時で作られた見張り台の上に寝ずに見張りをしている兵がいる。明かりは煌々と焚かれ、人の影が…
 はっとして、彼は見張り台の上をよく見た。違う、あれは。
 「――嵌められた」
 「どうしたんです?!」
ブランェが飛び出してくる。アルウィンは、叫びながら自ら見張り台に駆け登っていく。
 「すぐに皆を叩き起こすんだ。東の見張り台の上にいるのは見張りじゃない。人形だ!」
 「な、…」
違和感を感じたのは、見張り台のすぐ側のテントにずっといたにも関わらず、ただの一度も見張りが交代する物音を聞かなかったため。浅い眠りの中、聞いていれば目を覚ましたはずなのに。それもそのはず、見張り台にいたのは、交代の要らない、交代してもらっては困るものだったからだ。
 白み始めた空の下、ゆらゆらと動く影が人にしては不恰好なことがはっきりと見て取れた。
 「なんてこと… 皆! 大変よ、起きて!」
近くのテントにいたクローナの兵たちが真っ先に飛び出してくる。アルウィンは、見張り台の上から怒鳴った。
 「見張りがすげ替えられた! 敵襲に備えろ!」
にわかに陣が騒がしくなる。眠っていた騎士たちも、兵も、すべて飛び起き、眼を擦りながら武器に手を伸ばす。シェラとワンダも起きだしてきた。
 「何なの一体?」
 「もう…朝?」
 「嵌められたわ。悪くすれば、敵はもうそこまで来てる。すぐに戦いの準備を――」
 「東南方向、敵主力部隊!」
見張り台から、アルウィンの緊迫した声が響き渡る。「近い。間もなくここへ雪崩込んでくるぞ! 全員、武装を急げ!」
 ブランシェは、自分の武具を取りにテントに駆け戻っていく。まだうとうとしていたワンダは、着替えるからとテントを追い出されるる
 「なんだ? 朝メシ食ってないのに、もう戦いなるのか」
 「そうみたい。あたしたち、どうすればいいかしら」
 「……。」
アルウィンは、王の幕舎に目をやった。軍の指揮官はシドレク王だ。どうするかは、王が決める。


 夜明けの最初の光が届くより遥か以前、まだ東の空がようやく白みかけてきたばかりだというのに、その薄闇の中、東方騎士団は動き始めていた。
 最初からこうするつもりだったのだろう。主力部隊は温存させ、夜襲に備えさせる。夜明け前に月が出ることを知っていて、月明かりを頼りに夜のうちに軍を近くまで進めておき、朝の早い時間に襲いかかる。完全な闇の中よりは、明け方のほうが視界も開けている。なにより、人間が最も深い眠りについているのは夜中より明け方のほうなのだ。
 シドレク王は、すぐさま全軍に指示を出した。
 「怪我人と非戦闘員を守ることを考えろ。幸い、この陣はそう簡単に攻め落とせる場所には無い。宮廷騎士団は前方、私とともに行く。西方騎士団も一緒だ。ロットガルド、お前の騎士団は小隊に分けて敵の側面、背面に回り込めないか試みてくれ。」
 「了解しました」
慌ただしく戦闘の準備が整えられている。幕舎を出たロットガルドは、そこに完全に武装したブランシェが立っているのに気がついた。
 「今日は私も出させていただきます。ここにいて、敵の攻撃にただ怯えているだけなんて、うんざりですからね」
ロットガルドは苦笑する。
 「味方を守るのも大事な役目だと思うが。君の兄さんもここにいるんだろう?」
 「昨日はそんなことを言って騙されましたが、今日のこの状況では陣に攻め入られた時点で”詰み”ですから。」
 「――違いない。」
男は、勇ましい少女の肩をぽんと叩く。「ま、死なない程度にな。」
 「ええ、そちらも。」
既に、王をはじめとする宮廷騎士団は戦場に出ている。馬のいななき、人の声。吹き始めた風に乗って、戦の音がすぐ近くに聞こえる。
 アルウィンは、見張り台の上でそれを聞いていた。もとより戦士ではなく、ついていっても足手まといになるだけ。出来ることは、ここで戦況を見ていることだけだ。ウィラーフは王とともに出陣し、ブランシェもまた、クローナの兵を連れて出て行く。シェラは救護班の手伝い。ワンダはアルウィンに言われて、見張り台の人形の匂いを追っていた。だが予想が正しければ、それを生身の人間と置き換えた者は、もうこの陣には居ないだろう。東方騎士団の本隊を手引きして、そこに紛れているはずだ。
 嫌な胸騒ぎは収まらなかった。かつてクローナが攻め落とされようとしていた時、死を覚悟して出立する父の背を見送った時にも感じなかったものだ。胸をしめつけられるような痛み。
 裏切り者がほかにもいた、という事実。
 フラーナルと同じで、東方騎士団の息のかかった、志を同じくする騎士が他にも紛れこんでいたのかもしれない。それを見落としたのは、近衛騎士の中から四人もの裏切り者を出し、これ以上の不祥事は明らかにしたくないという気持ちが働いていたからなのか。議員たちの中にも、買収されて真っ先にエスタード側の要求に屈した者はいたはず。追求しようと思えば、いくらでも出来た。そうしなかったのは、敵を叩く前に味方で内輪もめをしたくなかったからでもあるが、味方には甘いというシドレク王の性格上の弱点を突かれた格好でもある。
 今さら気づいても、もう遅い。もっと以前に、王に警告することがいたら…。
 彼は、手にしたファンダウルスの柄を握り締めた。シドレク王の側にはデイフレヴンとウィラーフがいる。心配はいらないはずだ。心配は…


 陣の入り口のほうが騒がしくなったのは、戦闘が始まって何時間か経ち、日が高く昇った頃だった。
 アルウィンがテントを出るのと同時に、奥のほうから走ってくるアーキュリーとシェラ、それに医療班の人々が見える。戻ってきたのは宮廷騎士団の騎士たち数名。それに、デイフレヴン。騎士たちは、馬に乗せた誰かを助け下ろしている。マントは真っ赤に染まり、一目見て重傷であることが分かる。
 彼らが声を発するより前に、アルウィンは馬に駆け寄っていた。デイフレヴンが着いて戻ってくる怪我人など、他にいるはずがない。他の誰でもあるわけがない。
 「――シドレク様!」
 「手を貸してくれ。王を」
ようやくのことで、デイフレヴンが言った。声は枯れ、汗が滝のように流れ落ちている。
 「一体何が」
 「裏切り者だ。背後から刺した。俺たちが、メルヴェイルとウィンドミルに手を取られている隙に」
シドレク王は青ざめたまま、固く瞳を閉ざしている。マントの端を四人が掴み、それを担架代わりにして運んでいく。後ろに付き従うデイフレヴンの足元にも、彼自身の流す血が点々と落ちている。
 ウィラーフの姿が見えない。
 まだ戦場にいるのだろうか。元近衛騎士二人を相手にしていたなら、その相手との戦いはどうなったのか。
 聞きたいであろうシェラは、今は何も言わない。ただ奥歯をきつく噛みしめたまま、目の前の怪我人の手当てに集中しようとしている。


 最悪の事態だ。


 アルウィンは、その場に座り込んだ。王がいなければ、騎士団をまとめられる者は誰もいない。デイフレヴンが纏めるにしても、彼が戦の将向きでないことは誰もが知っていた。もとより一匹狼であることを好み、人付き合いがいいとは決して言えず、口数も少ない。かと言って、ウィラーフでは若すぎる。かつて近衛騎士にいたロットガルドのほうが年長ではあるが、西方騎士団の団長とは折りがあわないことで知られている。
 呆然としていたのは、つかの間。
 彼は、思い立って戦場に一番近い見張り台の上に駆け登った。せめて今の戦況を確かめたかった。
 そこから見えたものは、絶望的な光景。指揮官を失って統制が取れない宮廷騎士団は、四散したまま元に戻れないでいる。北方騎士団は小隊に分けたことが災いして、個別に撃破されていく。隊列を整えようとしているロットガルドの姿が見えたが、敵の背面に回りこもうとしていた隊はあまりに遠すぎて指示が届いていない。
 人数が上回るからこそ出来たこととはいえ、計算されつくた巧妙な罠。東方騎士団の団長アレクシス・ローエンは、ただオウミに踊らされていただけの男ではない。名門の出であるのみならず、策謀に長け、息子さえも諜報に使うほどの冷徹な人物。あるいは彼のほうが、オウミたちを利用としてたのかもしれない、とさえ、アルウィンは思った。
 いくさは、剣の腕だけではない。指揮官の能力次第。どんな手でも使ってくる相手と知っていながら、敵を甘く見すぎたか。
 ――だが、と、彼は折れかけた心を叱咤する。
 まだだ。まだ、敗北はしていない。取り戻すことは出来る。ただし、それには味方の数が…
 「アルウィン!」
どこからか、彼の名が呼ばれた。聞いたことのある、しかし此処にはいないはずの声。
 「アルウィン、ここだ!」
見下ろすと、そこに手を振っているディーの姿があった。後ろには、ギスァとサイディ。それに―― 数十人のハザル人の男たち。全員が馬に乗り、武装を固めている。
 「村長の許可を得て手伝いに来たんだ。そんなところで蹲って何してる。戦況は?」
 「今、そこへ行く。待っててくれ」
涙が滲みそうになるのを振り払い、彼は急いで見張り台を飛び降りる。近づいてくるアルウィンの表情で、ハザルの族長の孫はただならぬ様子に気づいた
 「…何があった」
 「内通者がいた。夜襲を受けて王が倒れた。もちろん生きてはいるが、今は戦場に出られない。指揮官がいなくて、味方は敗走中」
ハザルの男たちにどよめきが走る。アルウィンは、ひたとディーの目に視線を合わせる。
 「立て直したい。手を貸してくれるか?」
不安を抱かせない、強い光を放つ瞳。出来るかどうか、ではない。やらねば終わる。
 ディーは頷く。
 「――分かった」
 「馬と剣を取ってくる。」
テントに駆け戻り、彼は上着だけを取った。ベルトには剣だけを下げて。馬は、さっきデイフレヴンが乗ってきたものが馬具をつけたまま入り口に佇んでいる。
 陣を出ようとしたとき、エラムスが無言に近づいてきた。どこかから様子を見守っていたのだろう、ぴたりとアルウィンの後ろに馬をつける。アルウィンは、ヨルド族の大男に軽くうなづいただけで、特に何も言わなかった。
 ディーたちのところに戻って来ると、アルウィンは、あごをしゃくって崖のほうを指した。
 「あそこから、敵の真ん中に突入して欲しい。撹乱して時間稼ぎ出来れば、それでいい。」
昨日、崖の上を走って、そこから戦場がほぼ丸見えであることは知っている。ほとんど見張りもなく全くのノーマークだったのは、上から弓で攻撃するには途中にせり出す岩が邪魔すぎ、伏兵を仕込ませるのは角度が急すぎて人も馬も容易には降りられなかったからだ。もしも崖を駆け下れるのなら、そこは格好の抜け道になる。このあたりの地形に慣れたハザル人ならば、可能なはずだ。
 馬を走らせながら、アルウィンは説明していく。後方の、他のハザル人たちにも聞こえるよう、すべてハザル語だ。
 「今、攻撃してきているのは敵の主力。東方騎士団長のローエンもいるはずだ。おそらく一番立派な格好をしているだろうから、すぐに分かると思う」
 「そいつを狙えば?」
 「注意は反らせるだろうな。それに多分、この作戦を立てた主は用心深い。自分から危険な前線に立って戦うのは好きじゃないと思う。――本人が強いかどうかは別として、だが」
余裕があるうちは、危険と見れば無理はせずに退くはずだ。少なくとも彼は、シドレク王が深手を負って倒れたことも、西方騎士団からの援軍がまだ到着していないことも知っている。
 知らないのは、たった今、ハザル人の小部隊が参戦したということだけ。


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