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 砂埃が視界を埋めている。
 地上へと続く出口をくぐり抜けると、眩しい光に目が眩んだ。日は高く昇っている。地下に居たせいで、ここへ入ってから何日経ったのか、今がいつなのかも判らない。
 アストゥールの軍と東方騎士団をはじめとする旧エスタードの軍は、既に交戦を開始しているようだった。風に乗り、微かな人の声、それに馬や金属音が聞こえてくる。
 ワンダは耳を済ませ、ひとつの方向を指差す。
 「あっち!」
かなり近い。
 アルウィンにとっては五年ぶり、シェラやワンダにとっては初めて耳にする音。伝説や伝聞とは違う。まさに今、すぐ近くで人が殺し合い、多くの血が流されているのだ。風に乗って時折耳に届く微かな音、しかしここからは戦場までは見渡せない。谷ひとつ越えた先のようだ。
 「何とかして、アストゥール側の陣営まで辿りつかないと…」
 「オレは、村へ戻ってみる。ここから近いから心配だ」
と、ディー。
 「お前たちは、ここで大丈夫か?」
 「ああ。あとは自分たちで何とかする。助かったよ、ありがとう」
ハザル人の少年は、入り口に止めてあった馬に飛び乗り走り去っていく。
 五百年前の世界から現在へ。過去の既に終わった戦いは背後の暗闇の中に沈み、行く手には今から始まる戦場がある。奇しくも敵は、五百年前と同じ。だがそこに、大地を荒廃させる武器は存在しない。
 アルウィンは、地下に飛び込んできた突然の援軍、雪に焼けた黒い肌のヨルム族の男を見上げた。前にクローナで一度会っていたが、あの時は名乗らずじまいだった。
 「改めて、自己紹介をお願いするよ」
男は、太い首をコキリと鳴らした。
 「…エラムス。ヨルドの戦士」
 「共に戦ってくれると?」
 「リーデンハイゼルの王に膝を付くことはしない。アスタラが従うのは、クローナの王のみでいい」
 「同じヨルド族のオウミたちは、何度もアルウィン様を殺そうとしたというのに?」
ウィラーフは不満げだ。
 「伝承の理解に齟齬があったのだ。アスタラの民が十三に別れたのも、元はそのため。ヨルドの多くは、あの男のせいでひどく過激な考えを持つようになっていたが、全てのアスタラの民がそうではない」
男は、ウィラーフを見下ろす。頭ひとつぶんも背が高いためだ。
 「言い伝えを守り続け、エサルの遺したものを…クローナの町を見守ればよい、という考えの部族も居る。エサルの血筋に仕えることを望んだ部族も、王の後継者であるアストゥールの王に忠誠を誓い続けることを望む部族も。――だがオウミだけは、イェルムンレクを救い出し、真の王の証を取り戻すことに固執した」
 「真の王の証…”エリュシオン”?」
オウミはそれがイェルムンレク王の王冠だと思ったようだが、ローエンは古代の武器類をそう呼んだ。
 「一体どれが本当の”エリュシオン”だったんだ? まさか、ローエンが持ち出した…?」
アルウィンは、ウィラーフとシェラに向かって首を振る。
 「いや。多分、まだ誰も触れていないと思う」
彼らが振り返る。
 「ファリエスに会った」
驚きの声が上がる前に、アルウィンは続けた。
 「…人じゃない。黄金の樹を守るもの…”神”という言葉が一番近いのかもしれないけど、おれはそうは呼びたくない」
説明するのは難しかった。実際に目の当たりにしていても、アルウィン自身にも、それを適切に表現する言葉が思い浮かばなかった。
 「約束をしたんだと言っていた。五百年前に…この大地を殺してしまう武器は二度と使わないと。」
 「約束?」
 「”二人”と言っていたから、多分、おれのご先祖様と、王の…。」
黄金の樹と、白銀の樹… その紋章が、今ではただの樹ではなかったことを彼は知っている。黄金の樹と、それを「守るもの」。銀のほうは、ファリエスを象った紋章だった。
 「この戦いが終わったら、シドレク様と一緒に、もう一度あそこへ行く。」
その時、はじめて”真の王の証”が何だったのかが、明らかになるのだろう。


 谷底に着いたとき、ちょうどそこに、馬が数頭いて兵士数名と騎士が一人番をしていた。剣に下がる赤い色の房飾り。――西方騎士団。
 突然現れたアルウィンたちを見て、兵士たちは武器を手に身構える。ウィラーフは一歩前に出た。
 「待て、我々は敵じゃない」
彼らは、ウィラーフの腰に下げた剣と、金の房飾りに気づく。西方騎士団の騎士が前に出てきた。
 「宮廷騎士…? 何故、こんなところに」
 「近衛騎士のレスロンドだ。王から別件を頼まれて、今から合流するところだ。戦況は? 何処へ行けばアストゥールの陣と合流出来る」
 「両軍はこの先の谷で交戦しています。王もそこに」
ウィラーフが近衛騎士と名乗ったことで、相手の口調が変わった。
 「東方の領主たちも私兵団を率いてきています。数の差は当初の予想以上に大きいようですが、今のところは互角とのこと。間もなく、我が西方騎士団の本隊が合流します。我々は、それをここで待っているのですが…」
 「成程…。」
互角とはいえ、数に差があるなら一度は退くのもありなのだろう。だが、これ以上退けば背後の余裕がなくなる。王都リーデンハイゼルは「死の海」越えたすぐ先にあるのだ。せめて王都まで一気に攻め込まれない場所に防衛線を構えたいと思うのは、こうした場合の軍の指揮官の考えそうなことだ。
 それに、この近くにはファリエスのいた地下遺跡もある。ローエンは、戦況が有利になって余裕が出来ればすぐにでも、埋もれた地下を掘り起こそうとするかもしれない。過去の忌まわしい兵器が無傷のまま持ち出されることは何としても防がなくては。
 「ウィラーフは戦場へ行ってくれ。おれたちは、此処から自力で行く」
 「…ええ。そのつもりです」
 ”お前は王に剣を捧げた宮廷騎士だ”。
かつてクローナで言われた言葉が蘇ってくる。もしも王とアルウィンと、双方に同時に危険が迫ったとしたら、ウィラーフは、騎士として主人であるシドレク王を守らなくてはならないのだ。
 ウィラーフは、エラムスを睨んだ。
 「アルウィン様に何かあったら、貴様はただではおかないからな」
 「…心得た」
 「ワンダ、こいつが妙な真似をしたら殴れ」
 「お? おう…」
抱えて逃がしてもらったせいか、ワンダは妙に歯切れが悪い。首をかしげて大男を見上げる。
 「心配はいらないよ。」
ウィラーフの僅かな迷いを断ち切るように、アルウィンは先に馬を駆けさせる。その背中と、名残惜しそうに振り返るシェラを見送りながら、ウィラーフは、自分の選んだ”役目”のことを思った。


 風に乗って、血の匂いが流れてくる。
 アルウィンが選んだ道は、戦場となっている谷底を避け、谷を見下ろす崖の上だった。足場は悪いが、そこを選んで正解だった。谷は兵で埋め尽くされ、とても通り抜けられるような状況ではない。
 上から見る限り、押され気味なのは東方騎士団側だ。人数は、確かに東方騎士団のほうが上。しかし彼らは、資金力にものを言わせて傭兵やごろつきまで雇ってきたと見え、戦場の混乱ぶりは極まっていた。そこかしこで騎士たちが一騎打ちをしているかと思えば、雇われただけのごろつきたちが倒れた騎士たちから敵味方問わず武器や装飾品を漁っている。傷ついた者を助ける者もおらず、皆、自分が生き残るため、目の前の敵を倒すことに必死だ。
 「…ひどい」
つぶやいて、シェラは顔を背けた。
 「これが戦争だ。だから、おれは避けたかった」
かつて故郷を攻め落とされる寸前だったアルウィンにとっては、決して初めての光景ではない。シェラの後ろにしがみついているワンダも、正視は避けている。エラムスは、無言だ。
 「王様たち、無事かしら」
 「デイフレヴンがついているから、大丈夫だとは思うけど」
その代わり、メルヴェイルとウィンドミルの二人が、敵側についている。近衛騎士団の中でも、ウィンドミルはウィラーフと同等の腕前を持つ。デイフレヴン一人で二人は相手にできない。ウィラーフが間に合えばいいのだが。
 崖の上を走っているうちアルウィンは、自分たちの今いる場所が東方騎士団の陣に近い側だと気づいていた。馬を借りた場所からアストゥール陣までは、戦場を逆走している状態だ。
 その敵陣に近い危険な場所を抜け、間もなくアストゥール陣側に入ろうかというその時、行く手に、東方騎士団の鎧を来た騎士が騎乗して戦場を見下ろしていることに気がついた。その後ろには、弓兵も。こちらに気づいて声を上げる。
 「何だ、貴様らは!」
ローエンからの連絡を待っていた斥候か。慌てて馬を止めようとしたが、もう遅い。
 「シェラ、ワンダ、下がって!」
アルウィンは自分の馬を彼らより前に走らせる。棹立ちになる馬の足元に矢が突き立つ。
 脇から黒い影が走りだした。エラムスだ。
 走る馬の背から飛び降り、風のように騎士に突進していく。アルウィンも剣を抜いた。彼が向かってくのは弓兵のほうだ。ワンダも慌てて追いかける。
 シェラにとっては、アルウィンが武器を手にするところを見るのは初めてだ。矢をかわしながら迷いなく刃を振り下ろし、あっという間に数人を切り伏せる。以前、本人の言っていた、”並の相手ならば負ける腕ではない”というのは確かなようだ。「戦わない」のと、「戦えない」の差は果てしなく遠い。
 騎士の手から剣が落ち、その体が倒れる。アルウィンは、とどめを刺そうとするエラムスを止めた。
 「必要ない。先を急ぐ。」
男は黙って従う。馬に飛び乗り、シェラに合図して走りだした。敵兵は、埋葬する余裕も義理もない。いずれ戦いが終われば、互いの陣営が味方の遺体を集めて持ち帰る。死んだ者は生きている者よりも後回しにされる。
 それが、戦場の常だ。
 たった今倒されたばかりの半死半生の兵たちのあいだを通り抜けるとき、シェラは、自分や仲間たちがその側でなかったことにほっとしている自分に気づいたのだった。


 アルウィンたちが到着した時、アストゥール側の陣営はちょっとした騒ぎの真っ最中だった。
 「ですから! どうして私たちが出陣してはいけないのかと聞いているんです」
騒ぎの中心にいたのは、白いスカーフを腕にまいた少女。ブランシェだ。食ってかかられているのは、北方騎士団に所属する騎士。剣に房飾りは下げていないから、まだ見習いの身分か、いずれかの騎士の従者なのだろう。
 「友軍の数が少ないというのに、援護にも出られないとは、一体どういうことです?!」
 「いえ、しかし…あなた方は、ここで待機するようにとのロットガルド隊長のご命令で」
 「そんなの知りません! とにかく、そこを退きなさい。馬を――」
 「何を騒いでるんだ、ブランシェ」
聴きなれた声に、声を荒らげていた少女は次の言葉を飲み込んだ。彼女は、兄やその仲間たちが何処へ行っていたのかを知らされていなかった。状況が飲み込めないまま、馬が入ってくるのを見つめている。
 「兄様…それにシェラさん」
見覚えのある顔を辿っていたブランシェの表情が、一番後ろにいる大男に止まると、さっと表情が変わった。
 「その男! クローナに来たアスタラの男じゃないですか!」
 「今は敵じゃない。」
剣を抜きかけるのを、馬を降りたアルウィンが制止する。
 「戦況は?」
 「わかりません。斥候にも出してもらえませんから」
ブランシェは不機嫌に腕を組む。「危険だからここにいろ、だそうです。」
 「…確かにな。あの混乱ぶりだとな」
 「兄様、戦場を通って来たんですか?!」
 「ああ、少しだけどね。見た限りだと、今のところはほぼ互角だった。」
勇ましい女隊長に率いられ、待機を命じられて苛立ちを募らせていたクローナの兵たちが話を聴くために集まってくる。
 「ただ、これからは厳しくなると思う。東方騎士団側に指揮官のローエンがそろそろ味方に合流するはずだ。この先の、アストゥール軍と東方騎士団が戦ってるあたりの崖の上にも敵側の斥候がいた」
 「騎士でもない兄様に斥候をさせるなんて…なんて無茶を」
ブランシェは爪を噛んだ。
 アルウィンたちが何を言いつけられて何をしていたのか、彼女は今でも何も知らされていなかった。兄も、ウィラーフやシェラたちも、それは秘密の任務だから言えないのだとかたくなに口を閉ざしていたからだ。何しろ、アルウィンが王の代理人として何年も前から自治領を持つ部族との橋渡し役をこなしていたことさえ、つい最近になって知った。
 日は暮れかかろうとしている。今日の戦闘は、間もなく終わるだろう。
 「…負傷者の手当を手伝いに行きます」
ふい、とブランシェは顔を背けた。その背にかけてやれる言葉がない。言葉で何と伝えても意味が無いことを、アルウィンは知っている。五年前、クローナの多くの兵が倒れたことも、彼ら二人の父が戦死したのも、変えようのない事実だからだ。
 馬を厩に入れに行こうとしたとき、エラムスが言った。
 「俺は外にいる。陣の中では居心地が悪い」
 「…そうか」
騎士たちを先頭に、彼らの率いた一般兵の軍が続々と陣に向かってくる。次に戦闘が始まるのは、明日の明け方。それまでは、しばしの休息の時だ。



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