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 朝日が昇るのももどかしく、一行は動き始めた。
 谷間に斜めに射す朝日が長い影を作り、谷底には涼しい空気が満ちている。だがその清涼感も、やがて風とともに流れてくる臭気にかき消され、太陽の光がと届くとともに不快な熱風へと変わるだろう。
 シェラが視た風景は、すぐに見つかった。不気味に緑色に変色した岩が並ぶ谷の奥。少し広くなっている辺りに、不自然に地面が平らにならされている場所があった。
 「ここで間違いないわ。どこかに扉があるはず」
シェラは岩を避けながら小走りに崖に向かっていく。「この辺り…」
 ワンダが、くんと鼻を鳴らした。
 「砂の匂い」
 「砂漠が近いんだ。最初にワンダと逢った、あそこだよ」
 「おー。水…ないところだな」
アルウィンは、谷の向こうに目を向けた。あれから、三ヶ月と少し。唐突な王の呼び出しから、無理やり同行を命じられ、途中で王が行方不明になり…。
 ――あっという間だった。
 あの時始まった”エリュシオン”の謎を追う旅は、間もなくその答えに辿り着こうとしている。
 ここが、この旅の目的地。
 ルグルブの予言した「王国の危機」は今や現実のものとなり、五百年前に抹消された伝説の一部は蘇った。繋げられた詩の指し示す、”隠された過去”の最後のかけらは、ここにある… はずだ。
 「あった!」
シェラが声を上げる。岩に埋もれるようにして、目立たない、背景と同じような黄色い平らな岩が崖に埋めこまれている。
 だが、嫌な予感がした。五百年も経っているというのに崩れた岩に埋もれているでもなく、奇妙にも、その周辺だけきれいに岩が無い。そればかりか、よく見ると下の方に、真新しい傷がついている。触れると、岩が動き外れる。
 「……。」
五人とも、言葉を失う。一体誰が? オウミたちだろうか。その可能性が最も高い。クローナを発った後、リーデンハイゼルに寄らず真っ直ぐにこの谷へ向かったのだとしたら、先に到着していたとしても不思議ではないが…。
 ほんの僅かな間。
 「行ってみるしかないな」
アルウィンが言った。この先に何が待ち受けていようとも、たとえ先を越されていたとしても、進むしか道はない。
 吸い込まれそうな暗がりの中は、五百年閉ざされていた世界だ。


 入り口から遠ざかるにつれ、光は薄くなり、やがて完全な闇が包みこむ。ディーは先頭に立ってカンテラを灯した。光の中で、壁と天井の不規則な凹凸が不気味に浮かび上がる。
 道だけは平坦で、それまで通ってきた外とはずいぶん様子が違っていた。明らかに作られた道で、過去に誰かが歩きやすいように均したとしか思えない。下の方から、唸り声にも似た低い音が伝わってくる。セノラの谷の遺跡で聞いた音と似ている。それに加えて不快な匂い。谷の臭気とはまた別の臭気が、岩の間から滲み出してくるようだ。
 伝承を隠した理由も、隠された内容そのものさえ忘れ去られてしまうほどの長い時間。なぜ、それほどの時間を置かなくてはならなかったのか。アストゥール建国時、一体何があったのか。一歩、闇に踏み込んでいくごとに、一歩ずつ、その答えは近づいてくる。
 しばらく歩いているうちに、広場のようなところに出た。
 「何だ? ここは…」
ディーがカンテラを高く掲げるが、天井は見えない。つまり光も届かないほど高いということだ。
 ハザル人が「祭壇」と呼んだ扉の奥にあった遺跡と少し似ているが、それよりも遥かに規模が大きい。
 「ここも、クロン鉱石の鉱山だったのかしら」
シェラは、闇の中に目を凝らしながら言う。ここからは、ハザル人の集落のある砂漠にも近い。鉱脈が繋がっているのかもしれない。
 「世界が金色に輝く場所を見た、と言っていたな」
 「ええ。確かに、あの鉱石は黄色くて、光で照らせば金色みたいにも見えた。でも――」
それが”黄金の大地”という言葉の正体なのだろうか。
 クロン鉱石は、五百年前の”統一戦争”で兵器の材料として使われた。しかし精製の過程で猛毒を発し、ために鉱山のあった地域ではすべての生き物が死に絶え、水は汚染され、周辺にまで深刻な被害をもたらた。戦争終結後は王国内での取引が禁止され、すべての鉱山は閉山され、監視下に置かれている。鉱石を使った武器の製法は、武器本体も含め徹底的に抹消された。それほど危険なものなのだ。
 実際、ハザル人の故郷であるセノラの谷は鉱石の毒に汚染され、長い間、人の住めない土地となっていた。液体化した鉱石が個体に戻るまでには、何百年という長い歳月を要する。その間、鉱山は遺跡として封印され、最近まで存在することすら知られていなかった。ここも、そうなのだろうか?
 手がかりになりそうなものは、何一つない。セノラの谷の遺跡もそうだったが、ここも同じく、誰かが完璧に掃除を終えたあとのように何一つ、かつて人がいたという痕跡すら、残されていない。だが、この空間や途上へ通じる平らな使い込まれた道は、過去ここに大勢の人がいたという確かな証拠だ。
 「アルウィン〜」
奥のほうでワンダの声がする。「ここー、何かあるぞ」
 「何か?」
 「扉… うんしょっ」
小柄なワンダが懸命に何かを引っ張っている。駆けつけてみると、それは両開きらしい金属製の扉だった。最近こじ開けられたばかりのように見える。近くには、封印に使われたと思しき銅板が落ちている。
 「何か書いてある。ディー、明かりをくれる?」
ディーがカンテラを向ける。シェラは、しゃがみ込んで板の表面を払った。アルウィンも覗き込む。
 「神聖文字じゃないわね。」
 「今のアストゥールでも使われてる中央語みたいだな。書体がずいぶん古いけど。”危険。これより先は空気に毒が含まれるため、浄化期間の間、封鎖される。目の前が暗くなってきたら現場を離れること”。工事現場みたいな注意書きだ」
彼は、振り返って扉の奥を見る。”浄化期間”…それが五百年、ということか。やはり、今も残る”死の海”の毒霧は、五百年前にこの場所で起きた何かの残滓なのか。だが、扉が開かれていてもここに立っていられるということは、少なくとも、この場所にかつて存在した毒は既に薄れているのだろう。
 ディーは、二枚の板の間の隙間から奥のほうを照らした。
 「何かあるな。光を反射してる」
 「開けてみましょ」
シェラとウィラーフが片側の扉に、もう片方にアルウィンとワンダが取り付き、同時に引っ張る。錆びついた金属の、軋む音。隙間が広がった。人一人がようやく通れるくらいだ。
 「気をつけろ。ディー」
 「分かってる」
カンテラを手にした少年が隙間をくぐり抜けていく。「ずいぶん広いな。…」
 彼らの行こうとしている道は真っ直ぐで、壁も天井も人工的に舗装されていた跡が残されていた。足元で、じゃりっと音がする。見れば、何か金属片のようなものが無数に散らばっている。
 「何だろう、これ」
 「鉄の筒…」
ウィラーフは、足元から何とか形を保っている細長いものを持ち上げる。筒状の長い棒に、取っ手がついたようなもの。何に使う道具かは見当もつかない。他には、時計職人がよく使うネジの大型のものや、馬具にしてはやけに使いにくそうなベルト、金属製の盾など。すべて五百年前の、記録にも残されず、博物館にも収められていないような遺産だ。
 「武器なんだろうな。多分」
アルウィンが呟く。
 「王国が歴史から消したもの。”統一戦争”の時代に使われたという武器は、製法も含め徹底的に存在を抹消された。おれたちが何も知らないということは、そういうことだろう」
クロン鉱石を燃料としたという強力な武器とは、これのことなのか。
 「おーい、お前たちー。」
夜目の効くワンダは、もうずいぶん遠くまで進んでいる。「はやく、はやくぅー」
 「…元気だな、あいつは」
ウィラーフは呆れ顔だ。
 「でも、鼻のいいワンダがああして元気いっぱいってことは、この先も毒なんかは無くて安全ってことでしょ。」
 「まあな。」
話し声が足音とともに、必要以上に大きく狭い通路に反響する。先に誰かが侵入しているはずなのに、そんな気配は全く無く、暗闇は静まり返っている。
 行く手には確かに、カンテラの光を反射するなにか巨大なものが見えていた。真っ暗闇とはいえ、入り口からそれを見つけていたハザル人の視力は、大したものと言うほかない。
 近づいてみると、光の源は巨大な人形のようだった。人と言うにはあまりに不恰好な形の、だが指まで人に似せた巨大な胎児のようなものが、廊下を塞ぐように蹲っている。ほとんど通路を塞ぐようにしてあるそれの後ろ側に、道はまだ続いているように見えた。
 「邪魔ね、これ。何もこんな悪趣味なもので塞がなくたって。」
シェラは、近づいて人形の表面を弾いた。かつん、と金属音がする。
 「よじ登れば、頭の横から通り抜けられそうだが…」
言いながら、ディーが人形の膝に飛び乗った。錆がぱらぱらとこぼれ落ち、人形が軋む。
 「何か見えるか?」
 「ああ、向こう側に道が―― うわ…」
ディーの声が小さくなる。アルウィンは、同じように人形によじ登ってその向こうに目を凝らした。
 なるほど、ディーが声を上げるわけだ。
 その先には、同じような人形が山ほど転がっている。五百年前に放棄されたか、置き忘れられたものだろう。ほとんどは壊れていて、腕や足がない。生き物ではないと分かっていても、あまり気持ちのいい光景ではなかった。
 「…巨人たちの集団墓地みたいだな」
ディーは、気味悪そうに呟く。後からやって来たウィラーフたちも同じ感想のようだ。それにしても、この人形たちは一体、何に使われたのだろう。
 「見て、ここ」
シェラが壁を指差す。壁に、引っ掻いたような文字が刻まれている。
 「らくがきだわ。”戦士の誇り”、”帝国に勝利を”…」
 「帝国?」
帝国といえば、アストゥールと最後まで大陸の覇権を争っていたエスタードのことだ。
 「じゃあ、ここはアストゥールの遺跡ではなくて、エスタード軍が使ってた施設の跡、ってことなのか?」
 「そういうことになる…のかしら」
ここは、”統一戦争”の最後の戦いの地と伝えられる。その最後の戦いでアストゥールはエスタード帝国を倒し、戦争を終結させた。
 だとすれば、この場所は、伝説に言われる最終決戦のまさにその場所だということになる。
 「ワンダ、何か匂いは?」
 「んー…。人の匂い、しないけど、奥のほうからちょっと嫌な匂い」
ひくひくと鼻を動かしている。「…よく、わかんないぞ」
 「少なくとも、気配はない」
ウィラーフも、ここまで来る間ずっと周囲の気配を探っていた。どんなに気配を殺して隠れていても、生きた人間が近くにいるなら彼には分かるはずだ。
 「先に入った人たち、どうなっちゃったのかしらね。」
 「入り口は見つけたけど、まだ中に入っていないのかもしれないな…」
と、アルウィン。
 「とにかく、気をつけて進んだほうがよさそうだ。この先に何があるかも判らない」
行く手に、別な空間が見えてきた。そこからは、壁に舗装された跡がない。


 通路を出て、ディーがカンテラを翳した時、彼らは思わず絶句した。
 そこは、痛々しいほどにえぐられた大地の穴の縁だった。どこまで続くのか判らない遥かな地下へ穿たれた大穴。その奥へ続く螺旋状の道は既に崩れ、降りることは出来ないが、あるいは、興味を持って降りていく者が地獄を見ないために誰かが故意に崩したものかもしれない。
 ここで何が起こったのかは、知らないほうがいいのかもしれない。穴の縁に無造作に転がるものは、無数の亡骸。鎧――剣、入り口で見た細長い筒、奇妙な馬具やベルト、茶色く変色した古い骨。砕けた骨。肉は一片も残されていない。長い年月が、彼らが生きていた頃の面影をすべて運び去ってしまった。
 ここは、地獄の入口というだけではない。戦士たちの墓場でもあるのだ。
 なんという数だろう。アジェンロゥたちの故郷の墓も多かったが、ここにはそれと同じくらい、いや、それ以上の数の死者がいる。錆びてもう形もほとんどなくなった武器、金属の棒や積み上げられた跡。死者が弔われた跡はない。誰も生き残らなかったのか、あるいは、生き残った者に死者を弔う余裕が無かったか、だ。戦場で死者を弔うためにつけられたものなのか。今はもう明滅することのない無数の死者が、そこかしこで無表情に輝きを放っている。
 墓所に積み上げられていただけでも、数百に達する。ここの死者たちを合わせれば、千にものぼる。弔われた死者の数に、弔われなかった死者の数を合わせれば、もっとか。


 王が戦場を駆け抜ける時
 行く手を阻むものは無く
 幾多の王がその前に屈した
 妙なる調べ 栄光の日々よ
 かの王は広き王国を統べた



 伝説は美しく、勇壮に聞こえようとも、現実はそうではない。遠い記憶となった歌物語の中でには、死者の数も、無名の兵士たちの運命も、歌われることはない。
 これが五百年前の、”統一戦争”の、語られることのなかった歴史の一端。
 アストゥールは確かに勝利した。勝利はしたが、そのために払われた犠牲はあまりにも大きかった。
 最初の衝撃から立ち直った彼は、膝まづいて一人の死者に手を触れてみた。骨はもろく、つついただけで崩れ落ちていく。かつてのアストゥール兵の鎧があった。それだけでなく、異国のもの、おそらく敵対していた国のものだろう見たことのない紋章入りの武器も。ここで、大規模な戦闘が行われていたことは確かだ。
 だが、それだけではない。死者が無造作に放置された理由は、たぶん、入り口にあった「これより先は空気に毒が含まれるため」という言葉。五百年前、この戦いに生き残った人々は、敵味方とわず、死者も、まだ息があったかもしれない仲間も置き去りにして撤退せざるを得ない状況にあったのだろう。
 下の方から沸き上がってくるのは嫌な匂い。低い振動音が響く。
 えぐられたようになった大地に放置された死者たちの間には、黄色く不気味に輝く鉱石のかけらも落ちていた。
 「…クロン鉱石だ。」
アルウィンが呟く。やはり、ここも―― 人の手によって汚された大地、なのか。


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