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 シドレクは、暫く前から背後の戦闘が止んでいるのに気づいていた。
 いくらロッドガルドがうまく立ち回ったにしても、敵を全滅させるには早過ぎる。ならば残る可能性は一つだ。アルウィンが東方騎士団側についた傭兵団の説得に成功し、抵抗を止めさせることができたのだと彼は知った。小回りのきくアジェンロゥたちが、背後から挟撃かけてくる者がいないか辺りを確かめて回っている。
 「君の兄上は上手くやってくれたようだ」
シドレクは、傍らに馬を進めるブランシェに言う。白いスカーフを巻いた少女は、女だと知られてなめられることを嫌い、兜で完全に顔を覆っていて表情は見えない。彼女は、シドレクの言葉に答える代わりに別のことを尋ねた。
 「こちらからは打って出ないんですか」
シドレクの反対側に控えるウィラーフがシドレクに代わって答える。
 「西方騎士団が主力と戦っている。無理に突っ込みすぎることはない」
実際、シドレク王の後ろに控える金の房飾りの騎士たちが出る幕はなさそうだった。到着したばかりの赤い房飾りの騎士たちの動きは軽やかで、戦う気迫に満ちている。青い房飾りの騎士たちは、その、やや粗暴ともいうべき戦い方に圧され続けている。
 「ユエンは、見た目は奇抜で口も悪い男だが、部下には好かれているからな。」
と、シドレク。
 「西方騎士団の管轄には少数部族も多いが、ああした変わった男たちが強力に纏め上げて来た。」
西方もアストゥールに属する以前は多くの国に別れていたのは北方同様。それでも北方騎士団ほど纏まりが悪くないのは、代々の騎士団長に人を纏めることを重視した個性の強い騎士が抜擢されてきたこと、アストゥールの国土の中で唯一、陸路から外国の侵攻を受ける可能性のある国境線を持つ緊張感からだ。西方国境防衛隊の先には、アストゥールほどの国土は持たなくても、同じように栄えている強力な大国が幾つもある。アスタラ地方を含む高い山々という天然の要塞に守られている北方とは、条件が違う。


 戦線の先端のほうで、大きな声が上がった。
 陣を成していた騎士たちの一角が崩れたのだ。逃げ惑う兵たちの中に、無残に踏みつけられた青い旗が散らばる。その奥に、団長アレクシス・ローエンのいる隊を守る騎士たちの姿が見えた。一瞬だが、黒っぽい鎧に身を固めたローエンの姿も見えた。その傍らには、スレイン・ファーリエンの姿も。思わず、ウィラーフが一歩踏み出す。
 「…因縁の相手が居たんだな?」
シドレクに見透かされ、ウィラーフは顔を背けた。
 「行ってきてもいいぞ。必ず戻ってくると約束できるなら」
 「いえ。…ここに居ます」
戦場の一騎打ちは騎士の華と言われる。実際、そうして戦うこと、力勝負をすることを好む者も多い。だが、それは多くの場合「名誉」と「栄光」のためだ。それらに興味のないウィラーフは、自分から申し込んだことは一度もない。
 背後から、まとまった蹄の音が近づいて来るのが聞こえた。振り返ったブランシェは、頬当を上げる。
 「兄様!」
戦場に視線を向けたまま、シドレクは口元に笑みを浮かべた。ブランシェの、その明るい声を聞けば、彼女の兄が無傷なのは分かる。
 アルウィンは、シドレク王から少し離れた場所で馬を止める。
 「手はずは」
 「ミグリアの部隊二つ、併せておよそ七十を”契約”によってこちら側につけました。残りは…不可能でした。カッシア自治区の住民です。家族が人質に取られていると」
 「…そうか」
カッシアの反乱を抑えるため、ローエンが街道を封鎖して密かに騎士団を送り込んでいることは、バレアスからの”連絡網”で報告していた。それが届くのが遅れたか、届いたものの対応されるのが遅れていたのか。王国内で起きる全ての事象に同時に対応することは不可能だ。この戦いが終わった後、対処すべきことが一つ増えた。
 戦場に乱入してくるオーサの姿が見えた。右へ左へ、棍棒を振るうたびに人も馬も宙に舞う。頼もしくも恐ろしい姿だ。全く疲れた様子がない。ローエンの部下たちは次第に散らばり始めている。隊列が崩れ、奥にいるローエンの隊と、こちらの距離が縮まりつつある。
 一瞬、視線が絡まり合う。ローエンはそこに、アストゥールの王がいることに気づいた。シドレクは、微動だにせず馬上からじっと見つめている。
 「そこで見ているだけか、シドレク!」
ローエンは大音声で吠えた。もはや”王”とは呼ばず。ぎらぎらした目には敵意が満ちている。
 「腰抜けめ。自ら剣を取ったらどうだ」
派手な緑の鎧を着た男が、馬を巡らせながら叫び返す。
 「傭兵を捨て駒にして戦わせた者が言うことではありませんね」
 「アストゥールに栄光を!」
ロアの声だ。アジェンロゥたちが疾風のごとく戦場を駆ける。
 「王に仇なす者に報いを!」
獣人たちの勇ましい咆哮。
 「獣に巨人、レトラの乞食どもまで連れて、王の部隊のなんと惨めなことよ」
その咆哮を打ち消すように、嘲りの声が東方騎士団の内から沸き起こる。
 「見ろ、あの惨めさを。近衛騎士さえなく、傭兵どもに背後を守らせている。」
 「さすがは蛮族の王よ、騎士よりも下賤の者どもを引き連れているほうが相応しい。」
その口さがない言いようには、シドレク王に大して好意をいだいていないはずのブランシェでさえ眉を寄せる。
 「悪口、よくない。ワンダ耳が痛いぞ」
ワンダは耳をぱたぱた動かして聞こえないフリをしている。
 「戦場ではよくあることだ。相手を挑発し、味方の士気を高める」
慣れているシドレクはもとより、ウィラーフも表情一つ変えない。
 「品位を気にせず怒鳴り立てるのは、味方の士気が落ちてきた証拠だ。気にすることはない」
 「とはいえ、挑発としては有効です。五年前のクローナは、市民が挑発に乗せられて騎士団の一部が暴走しました」
アルウィンの言葉に、王はふいに、忘れかけていたことを思い出した。クローナに滞在していた高官が市民の暴動に巻き込まれ、ために、交渉を打ち切って開戦せざるを得なくなったことを。指揮官が挑発に乗らなくても、軍の一部でも乗せられれば統制は取れなくなる。現に今も、挑発を受けてアジェンロゥの部隊とオーサたちサウディードの兵たちが敵陣に突っ込み過ぎている。
 「――我が国民に貴賎の差異はない。」
シドレクは声を上げた。よく響く朗々とした声は、東方騎士団側の罵詈雑言をかき消して、少なくとも一瞬、味方の意識を惹きつけた。
 「王とは、秩序を守る者。国のために尽くす者。全ての民が平穏に暮らせる秩序を守るために、私はここにいる。彼らは王のために戦うのではない! 彼ら自身のために戦うのだ」
 「アストゥールのために!」
ウィラーフが叫び、剣を上げる。
 「”王は望んでおられる”」
アルウィンが合わせた。レトラ語、ハザル語、さらに他の様々な言語、彼の知る限りの言葉で。
 「”王国の敵を打ち倒し、民に平和をと。エスタードの悪しき栄光は去り、圧政に苦しむ者たちは王国の名のもとに解放されるだろう!”」
シドレクは満足気に微笑む。そして、自らも剣を抜いた。左右に、ウィラーフとブランシェに合図する。
 「出るぞ。お前たち、付き合え」
もはや彼らは止めない。東方騎士団はちりぢりになり、ローエンの周囲には数名の騎士が残っているだけだ。王がマントを翻し、戦場を駆けるとき、すべての味方が道を譲った。アルウィンも、傍らのエラムスとディー、ワンダに言う。
 「おれたちも行こう」
ローエンの持ち出したものを回収するためだ。
 「もしローエンが何も持っていなければ、陣に隠されているかもしれない。誰かに見つかる前に。急がないと」
風が吹いている。ワンダは鼻を動かす。
 「ちょっと嫌なニオイ…」
戦場が移動したせいだ。そこはもう、”死の海”の東の端に近い。”海”の南端が、崖の切れ目から見えている。渦をまいた風がまき上げられ、大地の底から有害な何かを含んだ細かな砂を舞い散らせる。
 ローエンは既に何箇所かに傷を負って、それでも戦意は喪失していなかった。アストゥール側の兵は取り囲んではいるものの、覇気に押されて近づけないでいる。ウィラーフは、ローエンを守るスレインと剣を交えていた。スレインの肩のあたりは血に染まっている。ウィラーフがつけた傷なのか、それ以前からあるのかは判らない。
 「ようやくの決着だというのに、こんな形になって残念だよ、レスロンド。」
口調だけは、いつもと変わらない。ウィラーフは無言だ。どちらも傷を負っているとはいえ、スレインのそれは深い。
 「あの時、殺しておくべきだったな。」
ノックスで出逢った時のことだ。後ろからやってくるアルウィンにちらと視線を向ける。
 「あの少年もだ。最初に始末するべきだった」
 「…お前たちは殺しすぎた。」
ウィラーフの剣がひらめく。一騎打ちの名誉も、栄光も、必要ない。どんなに綺麗事で飾ったところで、それは単に――人殺しの遊戯に過ぎない。
 戦場が停滞しているせいで、アルウィンたちはいくらもしないうちにシドレク王に追いついていた。戦意を無くした青い房飾りの騎士たちが、次々と捕らえられ、引き立てられていく。死者はそれほど多くはなかった。逃亡した兵もいたのか、主をなくした馬が毒霧の匂いから逃げようと狭い谷間をしきりと走りまわっている。
 「武装を解除しろ」
シドレクは、取り囲まれたローエンに馬上から声をかける。
 「息子ともども、裁判まで城の地下牢で大人しくしていてもらいたい」
 「裁判だと? 茶番だな。どうせ死刑になるのだろうが」
敵意に満ちた目は、輝きを失っていない。
 「ここで死にたいというのなら、止めはせんが。この状況から逃げられるとも思っていまい?」
 しばしの睨み合い。
 ふいにローエンは、剣を捨てた。盾をとり、それも地面に落とす。だが、ほっとするのも束の間。
 「ただでは死なん!」
男は、鎧の下から何かを取り出した。灰色の、丸いもの――木の実か、石にしか見えない。それに取り付けられた蓋のようなものを、ローエンは力をこめて引き抜いた。錆に似た粉が飛び散る。
 それが何なのか、と認識する時間は無かった。
 ローエンの手にしたそれから光がほとばしり、目の前が真っ白になる。世界が白に塗り替えられていく。その時、アルウィンは確かに聞いた。覚えのある不思議な声が脳裏に響くのを。


 『…やれやれ。人間というのは、本当に…』


弾かれるように光が吹き飛び、世界が金色に輝いた。空の青、大地の赤、輝ける大樹のごとく広がる黄金の光。その中心に赤く輝く光と、それを取り巻く銀の翼―― はらはらと零れ落ちる金の光はまるで、木の葉か、花びらのように。
 「ファリエス…」
だが、その姿は一瞬で消えた。大樹の形をした黄金に輝く光も。ただ、振り注ぐ花びらのような光だけは、しばらく辺りに残滓として残されていた。
 音が、風が戻ってくる。気がつくと、周囲は敵味方ともすべて気を失って倒れていた。立っているのは、アルウィンとシドレクの二人だけだ。
 「シドレク様」
 「ああ、私にも見えた」
王は頷く。「あれが、そうなのか?」
 「はい」
アルウィンは、さっきまでローエンがいた辺りに目をやった。そこに残っているのは黒ずんだ、人の形をした地面の痕跡だけ。肉体は跡形もなく焼き尽くされてしまった。彼が地下から持ち出したものは、地獄の業火を封じ込めた小さな球体だったのだ。
 「こんなものが五百年前に使われていたとはな。」
ファリエスが助けてくれなかったら、この場にいた全員がローエンと同じ末路を辿っていた。
 離れた場所にいた味方が、光を目にして何事かと駆け集まってくる。味方が全員倒れているのに気づいたロットガルドは、シドレク王の側に駆け寄る。
 「王、これは一体…」
 「戦いは終わりだ」
剣を鞘に収めながら、シドレクは言った。
 「ローエンは死んだ。生き残った者は捕縛し、傷ついた味方は陣へ運べ。――撤収だ」
 長く続いた過酷な戦いの終焉はあっけなくもあり、また、完全なる勝利とも言いがたいものだった。これで王国の東、旧エスタード領の守りを受け持つ東方騎士団は、ほぼ壊滅したことになる。エスタード独立は阻止できたものの、旧エスタード領内に残る有力な領主たちはいまだ強大な権力を誇っているし、王国議会に持つ影響力が急激に弱まることもないだろう。
 この戦場での戦いが終わっても、宮廷内や、他の地域での戦いはまだまだ続く。
 全てが集結するまでには、まだ何年もかかるだろう。


 戦場を引き上げる前、アルウィンは、シドレク王とともに再びファリエスに会った谷を訪れていた。
 入り口は前に入ったときのまま。だが、中は既に崩れ、通路の奥までは入れなくなっている。
 「あの時の地震で埋まったんでしょうね」
と、ウィラーフ。或いは、あとでローエンが指示して他の誰も入れないよう埋めさせたのかもしれないが。
 「でも、黄金の樹のあった場所は、アルウィンも良く解らないんでしょ?」
そう言うのは、シェラ。歩いていける場所でないことは確かだ。
 「ニオイ辿れれば、道分かるけどなぁ〜」
その場には、ウィラーフとシェラ、ワンダといういつもの仲間だけが居る。
 「あ」
アルウィンは、ふと耳を澄ませた。「声が…」
 世界が光に包まれる。
 目の前の霧が晴れると、そこは宙に浮かぶ大地。黄金の樹の中心に輝く赤い石の周りを取り巻いていた銀色の体が、ゆったりと頭をもたげる。
 『戻ってきたね』
ファリエスは、淡い緑色の瞳をぱかりと開いた。縦長の光彩がすっと細くなる。
 『今度は、二人で』
アルウィンと、シドレクを見る。この場に招かれたのは、二人だけのようだ。
 「助けていただいたこと、感謝する」
シドレクが言うと、ファリエスは目を閉じた。
 『わたしの棲家を壊されては困る』
銀色の、枝のような羽根がふわりと広がり、赤く輝く石を抱いた。
 『さて。人間の寿命は短いのだったね。お前たちは約束どおり、ここへ戻ってきたが、前の人間の記憶は何も持っていない別人だ。』
 「少なくとも、前回とは同じですよ」
と、アルウィン。
 「たった数日前のことですから」
 『そうだったね。正確には前々回―― お前たちの時間で五百年前、だったか… 彼らは、わたしと約束をした。みっつのの』
 「みっつ…?」
 『またここへ、二人で戻ってくること。それまで大地を壊す武器を二度と使わないこと。――もうひとつは、次に戻ってくるとき、”エリュシオンを持って戻ってくる”…ということ』
 「……。」
シドレクは、胸のあたりに手をやった。
 「その約束は、すぐには果たせそうにないな。我々は、何も持ってきていない。それどころか、”エリュシオン”が何なのかを探していた。”エリュシオン”とは、何のことだ?」
 『面白いことをいう。お前たちは、ちゃんと持って戻ってきたというのに』
ファリエスは、笑うように背の小枝を震わせる。
 『それは人の集いの名だ。人は争いあう生き物だが、手を結ぶことも可能なのだと。鳥たちですら、異なる種とは群れをつくることは稀。それが人ならば出来る、見ていてくれと。』
 「…あ」
ルグルブ、アジェンロゥ、ハザル、レトラ、アスタラ… 初代のアストゥール王、イェルムンレクの集わせた、異なる部族を集めた同盟。だから―― ”エリュシオン”の詩は、彼ら同盟者たちの手に分けられたのか。
 真の王の証。
 それが何か分かっていたとしても、他の誰にも、奪うことは出来なかったのだ。
 『お前たちは、このわたしとの約束を果たして見せた。人間にも少しはましなものがいる、信用してもよい、と証明してみせたね』
ファリエスは再び両目を開き、片方ずつの目でアルウィンとシドレクを見る。
 『かつてここは、豊かな大地だった。わたしの棲家。多くの生き物が住み、木も花も沢山あって、眺めているのが楽しかったものだ。かつては人間たちですら、讃えて呼んだものだよ』
 「テア・アウゲリア<黄金の大地>――」
アルウィンは、リーデンハイゼルの地下にあった銅板の地図を思い出していた。そこに刻まれた、今では誰も口にすることのない古い呼び名。それが今や、黄金の樹の生えた、浮かぶ大地の下に広がる大地は赤茶け、緑のある部分はごく僅か。
 『すべてが人間のせいというわけではないけれど、お前たちの前に来た人間たちの時代は、それはひどいものだった。最初は皆殺しにしてもよいと思っていたのだがね――。待ってみた甲斐は、あった。人間は面白い。異なる種族で群れを作れるのだから。”エリュシオン”、わたしは気に入ったよ。』
空が歪み、映像を映しだす。消えてしまったアルウィンとシドレクを探して、右往左往している仲間たちの姿。レトラの人々を手伝って怪我人を運ぶオーサや、ロアガルウィンら獣人たち。ディーと何か話し込んでいるエラムス。どさくさに紛れて戦場で、騎士団の持ちもの以外で使えそうな武器を拾い集める抜け目のないミグリア人たち。これが、大陸最大の国アストゥールの、今の姿。多くの部族と、多くの種族が、そこにいた。
 『お前たちは約束を果たした。わたしからは、これをやろう』
振り返ると、ファリエスが尾の先に何かを載せてさし出していた。アルウィンが受け取る。それは、金色に輝く小さな丸い種だった。
 風景が溶けてゆく。金色の輝きがさらさらと舞い落ちる。
 「また、会えるだろうか?」
と、シドレク。
 『お前たちが忘れなければね』
黄金の樹の中心に輝く赤い光が大きくなり、太陽と重なり、空がすべてを飲み込んだ。気がつくと、――二人は元の場所に戻ってきていた。ワンダとウィラーフが同時に声を上げる。
 「アルウィン!」
 「シドレク様、これは…」
 「ファリエスのお招きに預かってきた」
シトレクは笑って、アルウィンの肩を叩いた。「な?」
 アルウィンは、両手を開いた。そこには、金色の小さな輝きが載っている。夢ではない。
 大地は人間をその上に生きるものとして認め、証として贈り物をくれた。


 出会いがあれば、別れもある。
 陣に戻ってきたアルウィンは、待っていたディーとエラムスの訪問を受けた。
 「オレは、村へ帰る。戦いも終わったしな」
ディーは、名残惜しそうにそう言った。「またな。いつか、落ち着いたらセノラに遊びに来てくれ」
 「責務は果たした」
と、エラムス。
 「アスタラへ…帰るとしよう」
 「ありがとう、ふたりとも。助かったよ。――そうそう、”エリュシオン”が何だったのかだけど…」
彼らのすぐ側を、契約を終えたミグリア人の傭兵たちが陽気な歌を歌いながら引き上げていく。サウディードの守備隊は、一足先に発っていった。彼らのもともとの任務は学術都市サウディードの警護だし、東方騎士団が失われた今、東方の治安は一時的にでも悪化することが予想されたからだ。怪我人を運び終えたら、レトラやアジェンロゥも、彼ら本来の居場所へ戻ってゆくのだろう。
 「兄様」
呼ばれて、アルウィンは振り返った。ブランシェと、クローナの自警団が馬に乗って並んでいる。
 「私たちも、クローナへ帰ります。兄様は…」
 「…おれは、まだ、リーデンハイゼルでやらなくてはないことがある。」
一緒には帰れない。まだ――。
 「母上によろしく。城壁の修理の件は、王にせっついておくから」
ブランシェは、馬を飛び降りて兄に抱きついた。強く。
 「お体に気をつけて。無茶はしないでくださいね」
 「分かってる。」
今頃、クローナは深い雪に閉ざされているはずだ。湖は完全に凍り、野山も真っ白に。アルウィンには、その風景がありありと思い出された。雪が解ければ、商人たちはまたクローナに戻ってくる。戦の噂は、北の大地にも届くだろう。


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