10



 翌朝、快晴。風は無く、冬の冷たく張り詰めた空気の中、谷間には朝から強い日差しが降り注いでいる。
 高らかに打ち鳴らされる出陣の合図。槍で盾を叩く音が、それに答えるように谷間に反響する。アストゥール側の軍が谷を塞ぐように陣取り、向かいに東方騎士団の傭兵部隊が並ぶ。予想されたとおり、東方騎士団の本隊ははるか後方にいる。気の早い傭兵たちは、既に突っ込んでこようとしている。迎え撃つのは、ロットガルド率いる北方騎士団と、参戦したばかりのサウディードの兵たち。巨人族の血を引くオーサはひときわ目立っていて、王の姿が見えないことを敵味方に忘れさせていた。彼女の振るう武器の威力は、アルウィンも身をもって知っている。
 シドレク王と、ユエン率いる西方騎士団は、谷の奥を抜けて密かに後方へ廻り込む手はずになっている。ウィラーフやブランシェたちも、そちらにいる。


 アルウィンたちは、崖の上から戦いの様子を見守っていた。周辺に敵側の斥候や弓兵が隠れていないことは確認してある。昨夜の作戦打ち合わせから今朝までの間に、密かに外部と連絡を取った者はいない。こちらの手の内は、まだ知られていないはず。
 「向こうの本隊は、だいぶ後ろにいるな」
目のいいディーは、逆光にも関わらず敵陣の様子を見通している。「地下にいた、あのおっさんが一番えらいやつだろ?」
 「…ああ」
 「昨日、撹乱に回ったときも見つからなかったんだよな。今日は…ああ、いた」
かなり遠い。ここからでは、一塊の人の群れにしか見えない場所だ。それでも、ローエンが戦場に出ているというのは大きい。まだ逃げていない、ということは… 地下から持ちだしたものも、まだこの近くにある可能性が高まるからだ。
 アルウィンのすぐ後ろには、エラムスがいる。彼の馬の後ろには、交渉に使う道具の小箱がいくつか、厳重にくくりつけられている。
 ディーと同じ馬の後ろに乗っているワンダは、くん、と空気を嗅いだ。
 「人のニオイ、いっぱいだな。」
 「それ以外で、嫌な匂いは?」
 「特に無いぞ。あ、とうちゃんだ」
アジェンロゥの黒い群れが、宮廷騎士団に混じってシドレク王の後についていく。
 合図もなく、戦いは既に始まっていた。谷のあちこちで武器のぶつかり合う音、平原と違い、この狭く複雑な谷間では弓兵はほとんど役に立たない。障害物が多すぎて矢のムダになってしまうからだ。槍兵もごく僅かで、場所によっては馬で通り抜けることすら難しい。戦場は戦況に応じて谷間のあちらこちらと移動する。上から見ていなければ、全体の動きを知ることは難しい。アルウィンたちには、敵側の前面にいる傭兵部隊と、後方の騎士団とが分断されつつあるのが見えていた。
 「そろそろか?」
と、ディー。
 「もう少しだ」
囲い込みは成功しつつある。傭兵部隊は三つほどに分断された。一番近い場所で谷の奥に閉じ込められつつあるのは、ミグリア人だけで構成された部隊のようだ。まずは、そこから手をつける。
 「行こう」
アルウィンの合図で、仲間たちが動き出す。崖を駆け下り、北方騎士団の群れを抜ける。
 「下がってくれ! ここからは、こちらで交渉する」
ロットガルドの部下たちが道を譲る。アルウィンは馬を降り、谷間に追い詰められた傭兵団に近づく。
 「”そこまでだ。武器を置いてこちらの話しを聞いてくれれば、命までは取らない”」
最初はキツいミグリア訛りのある、相手にとって馴染みあるはずの言葉で話しかける。自分が武器を持たないことを示すため、両手は高く掲げている。ファンダウルスも置いてきていた。
 「…中央語は分かるな。この隊の代表者は?」
群れの中から、齢は五十を越えていると思われる小柄な老人が出てくる。ミグリア独特の黒と鮮やかなオレンジの糸で織った戦装束に身を包んでいる。額に巻いた帯は、その戦士の階級をあらわす。
 一目見ただけで、アルウィンにはその老人が族長クラスの皆から信頼された熟練の戦士だと分かった。相手も、アルウィンが何者なのかを察している。王の騎士団に進路を開けさせ、広く使われているとは言い難いミグリア語を扱うことができる者は、そうはいない。
 「”リゼル”か」
老人は薄く笑う。
 「優位に立ったそちらから持ちかけられる交渉となれば…」
 「そう。武器を捨てて投降するか、或いは。」
 「条件を聞こう」
アルウィンの後ろでは、仲間たちのほかに騎士団も何人か、動向を見守っている。もし交渉が決裂した時は、谷に封じ込めたまま傭兵たちを始末するためだ。
 「王が望まれているのは、無駄な血を流すことなく、民を傷つけることなき勝利だ。もし紙の上での”契約”のみであるならば、東方騎士団と同額での再雇用を申し入れる。ただし、もし既に前金を受け取ってしまっているのなら敗北を認め、武器を捨てて投降してもらう。契約違反はあなたがたの望むところではないはずだから」
ミグリア人の老人は、後ろにいる他の戦士たちと何か言葉を交わす。だが、最初の時点で既に答えは決まっている。迷うふりをするのは、彼らの交渉術の中の作法のようなものだ。
 「東方騎士団は書面で我らと契約をかわした。アストゥールの”契約”は、それよりも信頼出来るものか?」
アルウィンは、振り返ってエラムスを見やった。大男は、馬から小箱をひとつ、取り外して手渡す。箱自体はそう手の込んだ細工物ではないが、中には幾つかの宝石と、王国の通貨、それにギノヴェーアが追加した美しいレース織りのハンカチが一つ、はいっている。
 儀式のようなものだ。
 ミグリア人は契約を重んじる。その契約とは、紙ではなくモノで行うのが最も信頼される。紙の上での契約も行われはするが、その契約は「信頼のおける契約」とはみなされていない。
 額が重要なのではない。支払う態度を見せること、”前払い”をすることが、彼らの信頼を勝ち取る方法であることを、クローナでの貿易を見ていたアルウィンは知っていた。彼らの倫理観の中では、書面の契約が「破っても契約違反にはならない」とされていることも。
 老人は、アルウィンが両手で差し出した箱を、同じく両手で受け取る。
 「”契約期間は、この戦いの終了まで。あなたがたの小隊は、契約の終了までアストゥールの軍と敵対しない”」
ミグリア訛りでアルウィンが言う。
 「”偉大なる族長ウルネスに誓って”」
アルウィンの手が離れた。この瞬間、契約の成立となる。
 引き返し、アルウィンは仲間たちと騎士たちに交渉の終了を告げた。
 「ずいぶん、簡単にいくんだな。」
ディーは不思議そうだ。
 「やり方を知っていればね。彼らは、ウルネスにかけた決して契約を破らない。ローエンが同じ方法で正しく契約していれば、投降させることすら難しかったはずだ」
再び馬に飛び乗り、アルウィンは次の交渉の場へと向かう。最初の交渉は上手くいった。だが、残りも全てそうとは限らない。
 分断されたもう一つの隊に向かったとき、そこは既にほとんどの傭兵が打ち倒され、交渉どころではなくなっていた。追い詰められたあとも、激しく抵抗したためだ。
 どうして手を出した、とは責められない。
 敵も見方も、命がけなのだから。
 「ああ、アルウィン」
オーサが振り返る。「すまないね、こいつら、ちっとも大人しくしなくて…」
 守護神の腕は、朱に染まっている。辺りには血の匂いが充満していた。
 アルウィンは、残っていた一握りの傭兵たちを見る。傭兵というよりは、まるで小作農たちだ。武器の持ち方もなっていなければ、防具もありあわせに見える。それでも目だけは異様に輝き、必死さが伝わってくる。ミグリア人でないことは確かだ。
 「――君たちは何処から来た? ローエンに雇われた傭兵なのか」
問いかけても、返事はない。アルウィンは眉を寄せた。
 打ちかかってこようとするのを、横からエラムスが防ぐ。既に傷だらけだというのに、彼らは必死で抵抗している。
 「言葉が通じないんじゃないのか?」
と、ディー。
 「心当たりはないのか?」
 「判らないな。中央語が通じないようには見えないけど… 抵抗をやめてくれ! 武器を捨てれば、殺さない」
アルウィンの声に、ひとりが反応した。言葉は通じているようだ。だが、ひどく怯えている。
 「…される」
 「何?」
 「俺たちが戦わないと…家族が殺されるんだ!」
叫びながら、むちゃくちゃに突っ込んでくる。避けている暇はない。エラムスが剣を振り下ろすのも、止められなかった。
 目の前でゆっくりと倒れていく男の体を、アルウィンは馬を飛び降りて受け止める。
 「家族はどこにいる。あなたたちの故郷は?」
 「カ…カッシア…。」
一言だけ呟いて、首ががくりと落ちた。男はもう、こときれている。アルウィンの記憶には、サラリア街道封鎖のあおりでノックスに足止めされた日のことが昨日のように思い出された。
 「カッシア自治区…」
反乱を鎮圧するため、街道を封鎖し、騎士団を向かわせたと言っていた。あの後、カッシアの動向はどこでも聞かなかった。何が起きたのかは、彼らの目を見れば見当がつく。ひどい虐殺と拷問の末、封鎖された情報の中、カッシアの人々は家族を人質にとられ、男はみな兵士としてかりだされたのだ。
 「オーサ、この人たちを攻撃するな!」
アルウィンは叫んだ。「カッシア自治区の人たちだ。家族を人質に、無理やり戦わされてる」
 しかし、既に遅かった。
 無傷な者は残っていない。ほとんどの者は命が助からないだろう。彼は腕の中の息絶えた男を、そっと地面に寝かせる。
 「……次へ行こう」
落ち込んでいる暇はない。
 戦う理由は一つではない。金銭のために望んで戦う者がいれば、淡い希望ゆえに望まぬ戦いに挑む者もいる。退けない理由がある者に、退けという交渉は意味が無い。
 最後にやって来た場所では、ちょうどロットガルドを中心とする北方騎士団の騎士たちが、傭兵部隊を取り囲んでいるところだった。
 アルウィンがやって来たのに気づいて、ロットガルドが手を挙げる。
 「来たな。待ってたぞ、リゼル」
取り囲まれた傭兵たちは、既に武器を捨てさせられて両手を上げている。ミグリア族もいれば、そのへんのならず者らしき者もいて、集団としてはまとまりがない。
 「とりあえず、投降の意思は示しているが、どうする?」
 「ミグリア族は交渉の余地がある。野盗やならず者の類は、…そちらに任せます。」
場合によっては、犯罪者なども紛れ込んでいるかもしれない。
 アルウィンはミグリア訛りで話しかけ、この隊の中にいるミグリア人たちの頭目を呼び出した。こちらは、まだ若い男だ。帯びている戦装束は、黄色と黒だ。織り込まれた模様も、最初に交渉した人々とは違う。
 男は、アルウィンを見るとすぐに言った。
 「あんたクローナ人だろ」
 「…どうして分かる?」
 「クローナには商人の警護で何度か言ったことがある。あんたの言葉は、微かだが北部訛りがあるからな」
彼の後ろには、三十人ほどの若い男ばかりから成る傭兵部隊がいる。全員、同じ場所出身のミグリア人らしく、織物の模様が同じだ。
 老獪な族長とは違い、この若い男は同年代の仲間たちのまとめ役、といった雰囲気で、物言いも直球的だ。
 「交渉には応じるが、値が安い」
彼はそう言った。
 「同額の再雇用というのはあり得ないな。王様に雇われるんだろ? なら、もう少し色は付けてもらいたい」
 「交渉が決裂すれば、全員、反逆罪で死刑というのもあり得るが」
 「それをしたくないから、わざわざお役人が交渉に来てるんだろう」
ミグリアの若者は肩をすくめる。「怪我人だっているし、武器は取り上げられちまった。それを買い戻すのにも金がいる」
 「じゃあ、こうしよう」
アルウィンは、分かっているというように頷きながら答える。
 「君たちは自分の首を買い戻すのに、五百を支払う。こちらは、君たちの腕を買うのに六百を支払い、さらに怪我代として百を支払う。武器は契約成立の証として無償で返却する」
 「乗った!」
若者はぴしゃりと腕を叩いた。「それでいい」
 契約の方法は、最初と同じだ。小箱を受け取ると、若者は仲間たちのところへ戻っていき、騎士たちから取り上げられていた武器を受け取って戦場にもどって行く。
 「いまの、なんだ??」
ワンダは、指を折り計算している。「えーと…だから… に、ひゃく?」
 「なんだ。結局のところ、最初の条件と同じじゃないか。言い方を変えただけで」
ディーは呆れ顔だ。
 「誠意を見せるフリが大事。商人はよく、こういう言い回しをする。」
 「ふーん、面倒くさいんだな。」
ともあれ、これでアルウィンたちの仕事は終わりだ。無駄な血が流れるのは避けられ、味方を増やすことにも成功した。
 ロットガルドは、交渉を行っていない残りの集団を部下たちに引き立てさせるのに手一杯。オーサたちサウディードの兵たちは、王の本隊を追って先へ進軍している。あたりには、残党や敗走兵の匂いを追いかけるアジェンロゥたちの姿もある。前線は、はるか先へ進んでしまった。ここからでは、戦闘の行われている辺りがどうなっているのか、様子を窺い知ることは出来ない。
 「どうする?」
と、ディー。
 「追いかけるのか」
 「…まだ、つきあってくれる気があるなら」
少年は、にやりと笑う。
 「そのつもりで聞いた。」
彼は崖の上を指す。「上から行こう。そのほうが安全だ」
 いつしか、晴れ渡っていた空には雲が流れ始めている。太陽は高く、真昼。冷たく冷えていた空気も戦闘の熱気と太陽の熱で温められ、空気が滞留し始めている。


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