最終章_黄金の大地



 緑が唐突に途切れると、赤茶けた山々が眼前に迫ってくる。そう高くはない山々の連なりは、途中からは木も草もなく、山と山の間の狭い谷間の向こうには岩肌の剥きだした黄色い大地。ところどころ不気味な白い煙に包まれている。
 大陸の地図の、中央部の大半を占める広大にして荒涼たる大地「死の海」。緑成すリーデンハイゼルのあたりとは対象的に、むき出しの岩肌と、わだかまる毒の霧があらゆる生き物を拒むことから、そう呼ばれる。リーデンハイゼルの真南の山向に位置し、それゆえに王都から真南に向かう街道は存在しない。旅人たちは、この荒野を東西どちらかから迂回して進む。
 敢えてこの場所を訪れたのは、ただの興味からでは勿論無い。”エリュシオン”――五百年前、アストゥール建国の際に王が持っていたと言われる”何か”が何処かに眠っているからだ。それが何なのか、今はまだはっきりとはしない。王冠のようなものなのか、あるいは武器の類なのか。まことの王の証…、そう信じている者もいる。ただしそれが本当かどうかは判らない。”エサルの導き手”がそのように吹聴して回った可能性もあるからだ。
 案内役をつとめるハザル人の少年、ディーは、一行に谷の入口に馬を止めるよう指示した。
 「ここからは、オレが通った道をたどってくれ。谷は馬の足に向かない。それに、こいつらは谷の臭気が苦手だ。ふいに風向きが変わって毒霧が流れてきたとき、本能的に逃げようとするだろう」
 「つまり、馬から振り落とされないよう気をつけろということだな」
そう言ったのは、腰に金の房飾りつきの剣を下げた若い男。近衛騎士でもあるウィラーフの本来の仕事は王と王の家族の身辺警護だが、今はその王自らの命により、”エリュシオン”探しに加わっている。
 「死の海」周辺は、近い内に戦場となる。王国からの独立を目論む、東方騎士団との戦いのためだ。
 東方騎士団が管轄する地域には、五百年前、アストゥール建国以前には、大陸最大の帝国エスタードが存在した。その時代から続く悪しき習慣は今も残り、かつての名門貴族の意識の強い騎士や領主たちが東方騎士団を牛耳っている。エスタード最後の皇帝は民衆に暗殺され、墓すらも打ち壊されたにも関わらず、かつてのエスタードの支配層の血を引く彼らは、旧エスタード領をアストゥールから独立させるつもりなのだ。そのために王の暗殺までも目論み、”エリュシオン”を手に入れようとしている。未だ以て「何」なのかがはっきりしないそれだが、敵の手に渡して良い物とも思えない。
 かくて、手がかりを頼って彼らはここへやって来た。
 「こんなに広いなんて思ってなかったわ。入り口、見つけられるかしら…」
不安げに言う美女は、シェラ。たゆたう波のような深い藍色の髪と、同じ色をした瞳、白い肌は、予言と遠視の力をもつルグルブ族の出身であることを示している。最後の手がかりは、”青き導き手が指し示し ファリエスに道を開くだろう”と言っていた。”青き導き手”は、五百年前の「統一戦争」でアストゥールの初代王イェルムンレクに協力した当時のルグルブ族の族長、予言者ライラエルのことでもある。それと同じルグルブの民で、ライラエルと同じ力をもつシェラならば、”ファリエス”の位置がどこか判るはずだ、というのが、王女ギノヴェーアの説だった。その一縷の望みに賭けて、彼らはここにいる。もし見つからなければ、谷は戦場となり、どちらの陣営にとっても”エリュシオン”探しは容易ではなくなる。
 大人の半分ほどの背しかない、毛むくじゃらの人間が、空中に向かってひくひくと鼻を動かす。
 「人の匂い、するぞ」
ワンダは、王国のはるか東の島々に住まう獣人、アジェンロゥの出身だ。見た目は「犬のような人」としか言いようのないお茶目な外見だが、生来の身体能力の高さから、これで戦士としては優秀なのだ。旅の初めに出会い、なりゆきからアルウィンについてきた。だがアジェンロゥもまた、”エリュシオン”に関わる、アストゥール建国初期の同盟部族なのだ。偶然とはいえ、不思議な縁を感じる。
 「この先。ここ、誰か通った気配」
 「こんなところにか? 旅人も、来なさそうだが…」
ワンダの嗅ぎ当てた匂いの答えは、すぐに見つかった。行く手に多数の馬の足跡がある。雨が降れば消えてしまうだろう足跡。最後に雨が振ってからまだ数日。ここ最近のことだ。
 ディーは馬を飛び降り、足跡を確かめる。
 「集団で谷に向かったようだな。旅人ではなさそうだ。――お前たちを襲った奴らの仲間かもしれん」
 では、”エサルの導き手”は、やはり先に谷に来ているのだ。しかも一週間も前に。
 王都リーデンハイゼルで、裏切った近衛騎士たちと協力していた一部を除いて、残りはこの谷のどこかにいることになる。まともに戦えば、数の面ではこちらが不利だ。
 「見つからないように行くしか無いですね。もっとも、目的地は同じのはずですから、運が悪ければ鉢合わせするんでしょうが。」
 「頼りにしてるよ、ウィラーフ。」
アルウィンは笑って、谷の奥に視線をやった。
 五百年前の戦争の最終決戦地にして、アストゥールの初代王イェルムンレク最期の地。
 地熱と、地下から吹出すガス、谷間に蟠る霧と熱気ゆえに、あらゆる生き物を拒む大地。
 この場所は今のアストゥールにとって破滅の地となるのか、それとも、新たな輝かしい勝利の地となるのか――。


 谷は、入り口からして旅人を拒む雰囲気を出している。
 両側には、いつ崩れるとも知れないごつごつの岩肌がそびえ立ち、足元は尖った石だらけ。窪地には毒霧がわだかまり、うっかり踏み込むと数秒で意識を失う。風向きと異臭に機気を付けなくてはならない。
 「ひどい匂いね。これじゃ、旅人もこないわけよ」
シェラだけでなく、ワンダも上着を鼻にしっかりと当てている。風向きが変わると、目が痛くなるような刺激臭が押し寄せてくる。馬が嫌がるわけだ。戦場になるにしても、両軍とも、もっと高い場所を選ぶだろう。
 「ハザル人も、あまり長居はしない。長くいると体調を崩すからな。風上を歩く」
ディーは身軽に、崖についた一見そうとは分かりにくい細い道を駆け上がっていく。
 「オレたちの抜け道だ。谷が見渡せる、ついてこい」
ワンダとアルウィンが続き、ウィラーフはシェラに手を貸す。崖の上へ。
 驚いたことに、そこからは谷が一望できた。
 ただ黄色いだけに見えた大地は、遠目に見ると何段階かに別れて明るい色から暗い色に変化している。最も暗い色は谷の一番底の部分。日が当たらないせいだけではない。明らかな黒。かつて水が溜まっていた跡にほかならない。
 「死の”海”…」
アルウィンが呟く。
 「なぜ海なんだろうと思っていた。ここから見ると、確かに干上がった内海か、巨大な湖に見える」
 「昔は海と繋がっていたのかもね」
と、シェラ。暗い色をした部分はずっと南の、海に近い方まで続いている。反対側は、以前オアシスの町からノックスへ向かう途中に通ったサラリア街道が近いはずだ。サラリア街道の南側は、街道に沿って沿岸線が広がっていた。だとすれば、ここの複雑な地形は、かつては海岸線で、長い年月をかけて水が削ったものなのかもしれない。そして、最後の一滴まで水の消えたあとは、人のみならず、あらゆる生き物を拒む乾燥した大地となった。たった一本の草もなく、辺りには砕けかけた岩ばかり。
 「思っていたより複雑な地形だな。どこが目的地なのか」
 「うーん…」
シェラは谷を見回し、考え込む。夢で未来を見通すルグルブの力は、ゆくべき道をはっきりと見せることもあれば、曖昧にしか見せないこともある。そもそも、未来を視られる力を持つ者自体が少ない。「多分…あっちよ」
 彼女が指したのは、湖だったと思しき窪みの向こう。険しい山々とは反対側の、ハザル人の集落のある砂漠と繋がっている辺りだ。
 「行ってみよう」
先頭にはディーが立ち、今にも崩れそうな細い足場でさえも楽々と進む。良質な鉱石を求めて各地を旅する彼らにとっては、この程度の足元の悪さは気にならないらしい。ワンダでさえ、ついていくのがやっとだ。
 それにしても、とアルウィンは思う。この辺りには山もあるが、火山ではない。火山特有の熱泉なども無い。にもかかわらず、大地は焼けただれたような岩肌を晒している。地下の熱気のせいでないとすれば、ここが不毛の土地になったのには、もっと別の理由があるに違いない。五百年前、”統一戦争”の最終決戦地だったことと、何か関係があるのか。


 目的地に辿り着く前に、日暮れ時を迎えた。
 こんなぞっとしない場所で夜を迎えるのはあまり気が進まなかったが、谷の出口まで戻っている時間はない。思った以上に「死の海」は複雑で、道案内がいなければ、今よりもっと酷い状況だっただろう。
 幸いにして、夜は風が収まっている。五人は、毒ガスを吹出す穴からも遠い谷の影に一晩の宿を求めることにした。王都から王国軍が到着するまで、あと数日。東方騎士団のほうは、どこまで進んでいるだろうか。どちらも自分たちに有利な場所で開戦しようとするはずだ。となれば、山を越えて互いのテリトリーに踏み込むことはしないだろう。「死の海」の周辺、それも、今いる辺りのような、平らに開けた場所で両軍が出会う可能性が高い。急いだほうが良さそうだ。
 「足が痛くなっちゃった…」
シェラは、しきりと足をさすっている。ルグルブも谷に住まう部族だが、ここまで急落の激しい場所ではないのだろう。人魚の末裔を自称する彼らは、もともと陸上より海沿いのほうを好む。
 小さなカンテラ一つが真ん中に置かれ、その光が当たりを照らし出している。谷間の作る陰影は、昼間とはまた違った姿をみせている。
 「”エサルの導き手”たちは、どこまで進んだんだろうな」
 「姿も影もないですね。」
 「ニオイは…わかんなかったぞー…」
一日中つづくひどい匂いにワンダは鼻をやられたらしく、シエラの傍らでぐったりしている。
 ディーは、アルウィンのほうを向いた。
 「そいつらが、以前セノラで襲ってきた奴らなんだな」
 「ああ。」
 「…お前たちが去ったあと、部族の者たちから話を聞いた。あいつらは確かに、わが部族の者と接触していた。あの時は判らなかったが」
少年は、視線をカンテラに向ける。「身内の不始末、と言ったのは、そのことだ。すまなかった」
 「いや。――だが、奴らはどうやってハザル人を抱き込んだ? 何て言ったんだ」
 「”王はユールの至宝を渡さないだろう、お前たちは攻め滅ぼされる”と。リーデンハイゼルの豊かさは、ユールの恵を横取りしたからだ、とも言っていたらしい。愚かにも、それを信じた者がいたようだ」
すべてはユールのご意思だというのがハザルの信仰だ、と、かつてディーは言っていた。
 両親とともに町に定住して暮らしていたことがあり、中央語も解するディーは、ハザル族の「内」と「外」の両方を知っている。だからこそ、ハザル特有の価値観、ものの考え方の独特さを知っている。この世の全ては至高神ユールが与えたもの、と考えるハザルからすれば、現在豊かである土地はすべてユールの恩寵を与えられた土地であり、その恩寵を簡単に他人に貸出したり分け与えたりすることは、普通なら考えられないことなのだ。
 「なるほどね…。ハザルを抱き込むにはユールの加護を、アジェンロゥを騙すには王の権威を。東方騎士団には…かつての帝国の”誇り”か。それぞれに一番効く武器を使っていったわけか、あいつらは」
アルウィンは感心した様子で言う。「相手に応じた交渉の仕方は、勉強になるな。」
 「仕事熱心なのは結構ですが、扇動家として活動するのはお勧めできませんよ」
と、ウィラーフ。「人の心を惑わしたところで、それは一過性のものです。騙したようなものですからね」
 「勿論、分かってる。ただ――時には方便も必要なことがあるんじゃないかと、最近たまに思う」
リーデンハイゼルの中庭で戦った”エサルの導き手”の一人が言った言葉は、今も忘れることが出来なかった。

 ”アスタラの民が、エサルの子孫に イェルムンレク王の剣で刺殺されるとは”

この戦いは、彼らにとっても望んだものではないということだ。少なくとも、「皮肉」と感じられるくらいには。本来は、敵対しなければならない理由など無い。彼らの認識している「五百年前の約束」がどのようなものであるにせよ、それは、かつて味方同士だった者の子孫同士が、互いに死に絶えるまで戦え、というものでは無かったはずだ。たとえ、互いに自分の選んだ道を曲げるつもりがないにせよ、意見が食い違うにせよ、彼らと全面的に敵対せずに済む方法はあったかもしれない。ただ信念を貫き通すことだけが良いわけではない。”リゼル”は「交渉役」でもある。敵対は交渉の決裂と同義。すなわち、使命の失敗だ。
 ふ、と風が吹いた。
 顔を上げ、ディーはその吹いてくる方向に意識を集中させる。
 「どうした?」
 「人の気配を感じた気がしたんだが…。気のせいか」
空には雲ひとつなく、星々が無数にきらめいている。明日も晴れるだろう。



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