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 手のひらの中には、”黄金の樹”の紋章があった。
 リゼルから渡されて、それいらい、返す機会を失っていたものだ。
 「いいのかね? 立会人がわしで」
 「ええ。他に適任はいないもの。」
シェラはメイザンの研究室の真ん中で、あぐらをかいて座っていた。傍らにはメイザンが、メモを手に控えている。扉には鍵がかけられ、「重要研究中! ノック・立ち入り厳禁!!」の張り紙がしてある。
 「しかし驚いた。ルグルブの中に、まだ未来が視える力を持つ者が残っていたとは」
 「……あたしも、この力を引き出すのは久しぶり。だから巧くいくかどうかは判らない」
ひとつに纏めた長い髪は、波のように揺らめきながら背に流れている。
 「あたしがトランス状態になったら、たぶん何かしゃべると思うから書き留めて。目覚めた時は、ほとんど覚えてないのよ。」
 「分かった。」
メイザンがうなづくのを見て、シェラは瞳を閉じた。意識を集中させ、いつもより深く、意識に浮かぶ景色のさらなる奥へ沈んでいく。
 ――クリスの眼差しは、かつての自分に良く似ていた。
 無邪気に幸せを信じていた、あの頃。仲間の予言で恋人を死なせることになると知ったとき、シェラは、未来を知る力を使うことをやめたのだ。
 自分が不幸になると知ることが、怖かった。
 知らなければ幸せなままでいられると、思い込もうとしていた。
 未来は…変えられないものだと無意識に諦めていた。
 クリスは違った。知っていれば、ランディがリゼルを襲うことも、ランディの死をリゼルが負うことも無かったはずだと、彼女の瞳は言っていた。
 (力になりたいの)
時は進まない。無意識に湧き上がる恐れが、その先に行かせまいとしている。彼女は、自分自身に言い聞かせた。
 (これ以上、悲しみを背負ってほしくない)
時計の針は、少しずつ、前へ進み始める。浮かんできたのは何故か、いつもの無愛想なウィラーフの横顔だった。その顔も流れて、新たに浮かんできた景色に溶けてゆく。


 どのくらいの時間が経ったのか。
 我に返ったとき、シェラは、自分がソファに深々と座っているのを発見した。
 「…あたし、今、何を」
 「目が覚めたかね。」
目の前に、淹れたてのお茶が熱いゆげをくゆらせている。向かいにはメイザンがお茶をすすっている。部屋は薄暗かった。ランプがひとつ、オークの机の端に置かれている。
 「興味深いものを見せてもらった。ルグルブの未来予知―― 神聖語で喋り出すとは」
 「意識の奥底にある母国語で喋るの」と、シェラ。「ルグルブの力は、遠い祖先の血を呼び覚まして使うものだから。」
 「ふむ。成程…」
 「あの――」
シェラは、身を乗り出した。「あたし、何て?」
 「……。」
メイザンの手元には、走り書きのされたメモが何枚か積み重ねられていた。重たい表情。シェラは一瞬ひるんだが、意を決して、メモの束を取り上げた。そこには、神聖文字の走り書きで、単語が書き連ねられていた。


 北の大地に 災いの樹が育つ
 すべての樹々を枯らし大地を割るもの
 クローナは炎に包まれる
 王は倒れ 盾なき黄金の樹は二度と立ち上がらない



 「…!」
 「王の死だ。お前さんが視たものは」
シェラは震える手で紙を捲る。


 五つ目の言葉は白銀の木の根本
 繋ぐものが隠している
 彼は守る 古の記憶
 エリュシオンへと至る道



 戦の終わりを告げた剣は
 再びその役目につくだろう



 「すまん、それで三分の一くらいだ。早口だったし、さすがに神聖語を聞きながらすらすら翻訳できるほど、わしも通じておらんのでな」
 「いえ…これで十分よ。」
メモを起き、シェラは、震えている自分の肩を抱いた。
 「シドレク王の身に危険が迫っているというのは、事実のようだ」
 「ええ。――今、クローナに向かっているか、もう到着していると思うわ。未来ではなく今を視た時、クローナが見えたから」
 「では、問題は、この予言が”いつ”なのか――だな。」
クローナが炎に包まれる時、シドレク王は命を落とすことになる。シェラの予言は、そうなっている。逆に言えば、その前にクローナへ行けば、来たるべき未来を変えられるかもしれない。
 「気になるのは、”五つ目の言葉”という部分だ。詩の断片のことを指しているとしたら、アスタラにある以外にもうひとつ、まだ隠されている詩がどこかにあるということになる」
 「”彼は守る”――”エリュシオンへと至る道”。エリュシオンが何なのか、どこにあるのか、その部分に書かれているのね? それが見つけられないうちは、王様は殺されない?」
 「そうとも取れる。」
だとすれば、まだ、希望はある。
 立ち上がりかけるシェラに、メイザンが呟く。
 「しかしほんとうに驚いた。自分の意思で未来を視られるルグルブが、まだ居たとは」
 「……。」
ドアの前で、彼女は足を止めた。
 「ライラエルほどの力はないわ。」
藍色の影が静かに外に消え、そのあとに、剥がれた「ノック・立ち入り厳禁!!」の張り紙が落ちていた。


 起き上がれるようになったばかりだというのに、リゼルの行動は早かった。
 今度は誰も止められない。王の身に危険が迫っていることが確実になり、東方騎士団が謀反に加担していることも明らかになった。東方騎士団長アレクシス・ローエンは、ほどなくして、サウディードに送り込んだ息子の一人が命を落としたことを知るだろう。そしてここは、王家の直轄地といえども、周囲を東方騎士団の管轄地に囲まれているのだ。
 「この町のことは心配ない。他に間者と疑われる者はおらんし、オーサもいる。そう簡単に侵入を許す場所でもない。」
出発の準備を整えた四人を前に、メイザンはきびきびと助言を与える。
 「これまでに分かったことを教えておく。詩の断片にあった、”イルネスの中つ大地”という言葉だが―― 場所が分かった。ここだ」
地図を広げ、メイザンは一点にペンで丸をつけた。旧エスタード領と、今では北方騎士団の管轄地となっている地域のちょうど中間に位置する山脈のはざま。「死の海」と、今は書かれている。
 「”統一戦争”の最終決戦地じゃな。そして、アストゥールの初代王が最期を迎えたと伝えられる場所でもある」
 「戦死ですか?」
 「いや、伝説は曖昧に語るだけだ。王国の繁栄を目の当たりにし、悔いの無くなった王は奪ってきた命に償うため、自ら大地に身を捧げた…とか。」
その地図は、リゼルが受け取った。
 「ただし、そこに”エリュシオン”があるとは限らんぞ。詩は、どうやら五つの断片に別れておるらしいから」
 「アスタラと、もうひとつ… まだ誰にも見つかっていない、最後のひとつね」
と、シェラ。「白銀の樹の根本…。どこなのかしら」
 「多分判る」
ウィラーフが呟いた。
 「あそこだろうな」
 「え?! 知ってるの」
 「――もうひとつ、レトラの古文書を解読して分かったことがある」
メイザンは、指で眼鏡を押し上げる。
 「アストゥールの初代王は、後継者を指名せずに死んだ。王には多くの息子や娘たちがいたが、そのほとんどは戦場に倒れたという。未解読だった断片は、その哀悼歌なのだが…その中に”エサル”という名が」
”エサルの導き手”。
 「エサルというのは、生き残った王の長男の息子…つまり孫の名前だそうだ」
そういう意味だったのか。
 「では、オウミたちは、その内容を知っていたと」
 「おそらくな。アスタラにも似た伝承が伝わっているのかもしれない。王国の歴史にはその名は残されていない。イェルムンレクの跡を継いだのは、末息子のロラン」
 「エサルはどうなったのかしら。」
 「さあて…。歌は何も伝えない。古文書の本体が残されていれば、分かったかもしれんが。」
語り終えて、メイザンはひとつ、息をついた。「わしに教えてやれることは、このくらいだ。あとは――お前さんたち次第」
 「ありがとうございます、メイザン先生。」
 「アルウィン」
立ち去ろうとするリゼルを呼び止めて、メイザンは、机の一番上の引き出しを外して天板の下から何かを取り出した。
 「これを」
何重にも布に巻かれ、きつく革紐で縛られた細長いもの。
 「返しておこう。クローナへ行くのだろう? それなら、これが必要になるのではないか」
 「――。」
リゼルは、何も言わずにそれを受け取り、師に向かって深々と頭を下げた。


 見送りには、クリスやオーサをはじめ、サウディードの数多くの職員が出てきていた。
 「アル君! また戻ってくるのよ。絶対だからー!」
クリスの声はすでに涙まじりになっている。その後ろに、逞しい守護女神。笑顔で手を振っている。
 リゼルがここで出会い、友情をかわした全ての人々が見送っていた。メイザンと、ただ一人を除いては。
 馬車に乗り込んでも、リゼルはまだ、細長い包みを開くべきかどうか迷っているようだった。側からワンダが、くんくんと鼻を鳴らす。
 「食べ物じゃないな…それ、なんだ?」
 「…”ファンダウルス”。」
革紐を外すと、布は自然に剥がれ落ち、銀色に輝く優美なもち手があらわになる。代々クローナに伝えられた品であり、先代クローナ領主の死の瞬間にも、その手にあったもの。そして、
 「初めてシドレク王の前に立ったとき、おれが、恭順の誓いのため王に差し出した剣だ。」
彼が剣を帯びて戦場に立ったのは、今までに、その、ただ一度だけだった。


―第五章へ続く

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