6



 何時間も経っていないうちに、すぐにも出立したい、と大層な剣幕でやって来たリゼルに、メイザンは驚いて思わず拡大鏡を落としかけた。
 「どうしたんじゃ、いきなり。」
 「王の身に危険が迫っているかもしれません」
そう言って、リゼルは焦げ跡のある書簡をメイザンの前に置く。
 「間違いなく王の字です。いつもなら、こんな寄越し方はしません」
 「ふむ…しかし、これだけでは。状況は何も判らん。それに、出発するといっても、何処へ行くつもりだ。」
 「アスタラです」
既にそこへ行くことは決まっていた。
王に言いつけられたのは、”オウミ”という人物の正体を探ること。追う必要はない、と言われていたし、その報告は既に飛ばしてある。本来であれば、彼の役目はここで終わるはずだった。だが、今のリゼルは、追ってきたもののもう半分を知る必要があると思っている。
 「アスタラに行ってどうする。手当たりしだい残りの詩を探すのか? 首尾よく見つけられたとしても、それですぐ”エリュシオン”の正体が判るわけでもあるまい。それに、もし、”エサルの導き手”とやらの本拠地がそこだとしたら、飛んで火に入る何とやら、だぞ」
メイザンの言うことは、もっともだった。
 「まあ、落ち着いて、もう少し待ちなさい。今、古地図を当たらせているところだ。アジェンロゥの島にあった詩、あれが何かの手がかりになると思う。”イルネスの中つ大地”と、あっただろう? それが何処なのか。もしかしたら、エリュシオンというのは、そこにあるかもしれんぞ」
 「……。」
押し切ることは出来なかった。今すぐ北へ向かったとして、目的地にたどり着くまでに二週間はかかる。王が手紙を飛ばしてから、既に一週間近く経過しているはずだ。王か、ギノヴェーア王女か、どちらかからの連絡を待つのが正しい。
 リゼルは項垂れて退出した。どうすることも出来ない腹立たしさ。ただ待つということは、この状況では辛すぎた。
 「大丈夫よ、きっと。前のときだって、追っ手が居たのに、何事もなかったみたいにふらっと遺跡の最深部に現れたりしてたじゃない。王様、強いんでしょ」
 「デイフレヴンもいます」
と、ウィラーフ。「騎士団最強の男がついていれば、相手が何十人だろうと心配ないでしょう」
 「…おれが心配してるのは、そこじゃない。あの人が行方をくらますとき、どこへ行くか教えてくれたことなんて、あったか?」
ウィラーフが、言葉につまるのがわかった。”英雄王”シドレクの行く手を阻む者は、この王国の中に誰もいない。一度決めてしまえば、誰にもその行動を左右することは出来ない。予定を変更しても、ふらりと居なくなっても、何一つ知らせを寄越さない、従者を振り回すことで知られた王だった。
 「あの連絡からして、王は残りの詩のありかを知ったんだ。”エサルの導き手”と、そこで出くわすと思っている。デイフレヴンが一緒なのは、きっと、一人では危ないことを知っていたからだ。それに、あの燃えた跡…。胸騒ぎがするんだ。」
シュラは、胸のあたりで拳を握りしめた。「もし、王に何かあったら、この国は…」
 「リゼル。あの紋章を貸して」
 「…シェラ?」
 「視てみる。あれって王様のでしょ。持ち主の手から離れてても、このくらいの時間なら、まだ視える」
強い語気に押されて、リゼルは、”黄金の樹”の紋章を差し出した。オウミから取り戻して以来、一度も手放したことはない。
 シェラは、窓枠に腰掛けながらゆっくりと意識を集中させた。持ち主の今いるところ。ルグルブの遠視の力は、そこがどんなに遠くても、脳裏に情景を描き出す。


 やがて目の前に景色が現れた。 
 白く、大地は何かに覆われている。木々も、草も。遠い山々までもが真っ白だ。
 「雪…」
 「雪?」
景色が流れた。
 今度は、湖だ。大きな湖の真ん中に町らしきものがあり、二方向から橋がかけられている。
 「湖の中の…町。ここはまだ雪は降っていないみたい」
まだ、と言ったのは、橋を通る人々が寒そうにしているからだ。それと、遠くの山々が白い。
 さらに景色が変わる。
 「塔だわ、時計塔」
白い鳩が数羽。そしてその光景が、瞬く間に炎に包まれる――
 「…!」
シェラは思わず紋章を取り落とした。倒れそうになるのをウィラーフが支える。
 「どうした?!」
 「時計塔が燃えてた。そこから鳩が飛び立ったの。一羽は尾羽根に火がついていた…」
 「アンセルムスの連絡網…。書簡に焦げ跡があったのは、そのせいか。」
リゼルは、メイザンのもとに置いてきた連絡のことを思い出していた。
 「だけど、その前に視た風景と関連づかないの。何度も景色が流れて…。」
 「湖の中の町?」
 「うん。橋が二本かかってて――」
 「!」
シェラの肩にかけたウィラーフの手に、不意に力がこもった。「時計の、三時の角度? 欄干は低くて、飾りはない」
 「ええ、そうよ。知ってるの?」
 「――クローナだ」
ウィラーフは、青ざめた顔をリゼルのほうに向けた。リゼルもまた、色を失っている。
 「え、だけど。クローナって、ずっと北のほうでしょう。それに王都から一週間はかか…る… あ」
 「書簡が飛ばされたのは、ちょうどその頃だ。」
もはやリゼルは、心を決めたようだった。「行くしかない」
 「しかし、アルウィン様! あそこは――」
リゼルとウィラーフにとっての故郷であり、五年前、”白銀戦争”の舞台となった場所。そこには彼らにとって、あまりにも多くのものがありすぎた。
 「クローナの手前のフラニスに連絡網がある。次の連絡はそこで受け取ればいい」
 「そういう問題では…」
ウィラーフの制止を降りきって、メイザンのもとに戻ろうとしたリゼルの動きがもつれた。バランスを崩し、ワンダにぶつかる。
 「わ!?」
小柄な獣人が受け止めなかったら、床に頭をぶつけていただろう。ウィラーフはシェラから手を離し、リゼルに駆け寄った。
 「…あれ、今」
 「すごい熱だ」
額に手を当てて、ウィラーフが呟く。「どうして今まで黙ってたんです。」
 「今朝は何ともなかったんだけど…」
 「疲れてたのよ。このところ、色々あったから」
と、シェラ。「休みましょ、せめて次の連絡が来るまで。ね?」
 ウィラーフは有無をいわさずリゼルの体を抱え上げる。少なくとも、熱が下がるまでは動けない。その間に、次の連絡が来るか、サウディードの優秀な研究員たちが、何か新しい事実を発見してくれることを祈っていた。


 途中までのことは覚えていた。ベッドに寝かされ、額に氷を置かれ、薬だとか熱を測るだとかいう声が聞こえていた。それから、いつの間にかとろとろと寝入ってしまい、ウィラーフたちがいつ居なくなったのかは覚えていない。
 目を覚ましたのは、近くで何か物音がしたからだ。部屋の中は真っ暗。もう、夜だ。
 「…誰だ?」
物音が止まった。引き出しを開けようとしていた人影が、こちらを伺っているのが判る。まだ熱は残っている。頭はぼんやりしているし、体は重い。体は汗だくだった。
 暗がりの中で、かすかな金属音がした。目の前に何かが突きつけられる。
 「あれは、どこだ。」
声色を変えた低い声。聞き覚えのある声だったが。それが誰なのか、すぐには思い出せない。「どこに隠した」
 付きつけられているのは、真っ黒な刃だった。光を一切反射しない、漆黒の、小型の刃。表面には美しい波のような模様が浮かんでいる。
 「ハザルの作った武器か…」
呟くリゼルの髪が、乱暴に掴まれる。
 「言え! ”黄金の樹”の紋章は、どこにある」
少しずつ、頭がはっきりしてきた。今、この場所にいるのは仲間でも味方でもない。”エサルの導き手”かとも思ったが、多分違う。襲撃者のナイフを持つ手元には、見慣れたくすんだ色の長衣が垂れていたからだ。闇の中で、ゆっくりと視線を動かす。声の主が誰なのか、リゼルは思い出していた。
 「紋章を手に入れてどうする? おれが持ってると、なぜ思ったんだ。…ランディ」
名を呼ばれ、相手がひるんだ。
 「分からないな。”エサルの導き手”は、なぜ東方騎士団と協力出来ているんだ。この紋章は、もう使用済みじゃなかったのか」
 「……。」
 「”エリュシオン”を手に入れるためにも必要、ってことか?」
否定とも、肯定ともつかない僅かな間。だが彼が、その単語の意味を知っていることは明らかだ。
 「言え。さもなければ殺す」
 「――言っても殺される、だろ。この状況からして…」
 「ここに無いなら、お前の仲間が持っているのか?!」
 「ウィラーフだろ、多分。シェラに預けて、そのまま倒れてしまったからな。」
リゼルの頭を抑えつけていた、ランディの腕の力が緩む。熱で寝込んでいる病人ならともかく、騎士相手に夜襲をかけて無事で済むとは思えない。次の機会を待つべきだが、正体が知れた以上、彼に「次」は無い。リゼルが持っていない可能性は、考えていなかったのだろう。青年は逡巡している。
 その僅かな隙をついて、リゼルは毛布をはねのけ、ランディの視界を奪った。
 「誰か! 誰か来てくれ!」
 「くっ」
声をあげながら、ドアに飛びつく。鍵がかかっている―― 振り返ると、ナイフを振りかざした鬼の形相で飛び掛ってくる青年が見える。
 リゼルは脇に避けた。が、まだ熱の残る体は、思うように動かない。よろめき、サイドテーブルにぶつかり、その上に置かれていた調度品をひっくり返す。誰かの置いていった水差しが床に落ち、甲高い音をたてて砕け散る。
 「お前だけでも!」
ランディは尚も飛び掛ってくる。剣術の心得は無いはずだ。生来、体が弱いこともあって、普段ならこの程度、躱すことは訳ない。だが、今のリゼルには、致命傷を負わないよう逃げまわるのがやっとだった。
 鍵のかかっていないドアから、隣接する広い部屋へ。そこも真っ暗で、並んだ応接用のソファとティーテーブルのほかは何も無い。素足に、石の床が冷たい。ベッドを離れてわずかな距離だというのに、もう、息が上がっている。
 振り返ると、ランディが追ってくるのが見えた。ソファを盾に、ぐるぐると部屋を回る。今のところ傷は負っていない。しかしそれでも、丸腰のリゼルは次第に追いつめられていった。
 廊下が騒がしい。ドアを叩く声もする。
 「お前も逃げられないぞ、ランディ」
 「……。」
背後にはベランダの手すり。三階のここからは、昼間は大勢の人で賑わう階段状になったポーチと、その向こうに広がる研究棟の明かりがよく見えた。
 「いつからだ。東方騎士団があいつらと取引を始めたのは。ずっと、知っていたのか?」
 「…知っていたさ」
全ての光を呑みこむような、漆黒の刃が近づいて来る。「君がここへ来る前からね。僕は、そのために送り込まれた」
 リゼルは、周囲を見回した。汗は冷え、夜風で少し頭がすっきりしてきた。応戦するための武器になりそうなものは、何も無い。ランディのほうが背が高いし、腕も長い。背後は三階下の地面。飛び降りられる高さではない。誰かがドアを蹴破って助けに来てくれるまで、持ちこたえるしかない。
 ――そう覚悟を決めた瞬間に、ランディは襲いかかってきた。
 「東方騎士団が…、王を裏切っていたのか。それに手を貸すお前も、反逆者だぞ」
 「クローナのお前に言われたくない!」
ナイフはリゼルの喉元近くにある。見た目よりも細いランディの腕と、それを抑える病み上がりのリセルの腕と。互いに一歩も引かないまま縺れ合っている。
 「お前にあれは渡さないぞ。裏切り者のクローナ人にも、その裏切り者にそそのかされた王にも、渡さない」
 「――なぜ、そこまで…”エリュシオン”は、ただの古遺物じゃないのか? ”ファンダウルス”と同じように」
ランディの目が燃え上がった。リゼルの手を払いのけ、普段のひ弱そうなランディからは想像もつかないほどの頭突きを食らわせてきた。
 「くっ…」
目の前に星が飛び散る。よろめくリゼルの体に、次の瞬間、焼けつくような痛みが走った。
 「まことの王の証だ、あれは! 僕らは五百年、偽りの王に仕えて耐えてきた。でももう、それも終わりだ。僕らは取り戻す――自分たちの国を取り戻す!」
とっさに体をずらしたお陰で、急所はそれている。それでも、ハザルの業物のナイフはシャツをやすやすと切り裂き、肉を傷つけていた。滲み出す血で見る間に赤く染まる。
 「国? エスタード? 五百年も経っているのに。本気なのか? 王も、王族も、もう残っていない」
 「僕らは生きている。アストゥールの屈辱的な支配はもう終わりだ。あの、汚らしいレトラや、下賤な連中とも平等だと? 権利を守れ? ふざけた綺麗事で人気取りばかりしている、まやかしの王め。我々は誇りを忘れない。エスタード貴族の誇りを! 帝国に栄光あれ!」
渾身の力をこめて、ランディが襲いかかってくる。もう後がない。リゼルは、死を覚悟しながら自分もランディに向かっていった。ナイフを払いのけ、その体に突進する――
 「アルウィン様!」
なだれ込んできたウィラーフが見たのは、ベランダでもみ合っていた二つの影のうち一方が、跳ね飛ばされて手すりの向こうに舞う瞬間だった。手足を広げたまま、夜の空に吸い込まれていく。もう一方は手すりの内側に崩れ落ちる。
 「リゼル!」
シェラとワンダが走り寄る。ベランダに残ったのは、彼らの良く知るほう。側には、襲撃者の持っていたハザルのナイフが転がっていた。
 「見せてください」
ウィラーフは慣れた手つきでアルウィンの脇腹の傷を調べ、ほっとした表情になる。
 「大したことありませんね。良かった…」
 すべての力を使いきっていた。意識はもう、白濁した世界の中に吸い込まれようとしている。
 ウィラーフに抱え上げられながら、リゼルはなんとか口を開いた。
 「…ランディは?」
 「……。」
シェラは、手すりの下の光景から目を背けた。ウィラーフは唇をきつくむすび、押し殺したように一言。
 「気にされぬことです。今は、休んでください」
その一言で、リゼルは結末を知った。
 「初めて人を死なせた…」
震える小さな声。「――それが友人だったなんて、…最悪だ。」
 ウィラーフは、アルウィンの体をベッドに戻しながら囁いた。
 「私も――初めて殺したのは、かつての友人でした。」
五年前、クローナで。
 時が流れ、その手の感触は薄れても、胸の傷は今も癒えない。


 リゼルが眠っている間に、すべては終わっていた。
 サウディードで出た死者が一般的にそうされるように、遺体は荼毘に付され、町の一番北側にある集合墓地の中に納められた。墓地、といっても深い穴の上に礼拝堂が建てられているばかりで、実際は、その穴の中に灰を収めた壺が無造作に置かれるだけだ。
 これが、この町での人の死なのだった。高名な博士も、一般職員も、警備兵も、死ねば等しく一個の壺となって地下深くに沈められる。
 「毒を盛られたのよ」
後からクリスに聞かされた。
 「ランディの部屋に、まだ残りがあったの。あなたたちの出発を遅らせたかったのね。…ごめんなさい、動きが怪しいのはわかってたんだけど、確証が持てなくて。相手は騎士団長の息子だし、よほどのことがなきゃ叩き出せないってメイザン博士とも相談してたところなの。泳がせすぎたみたい…」
リゼルが起き上がれるようになってから、見舞いに来た少女はそう言ってしゅんとしていた。
 彼女の本当の役目は、ルグルブの「遠視」の力を使って”預かりもの”たちの行動を監視することにあった。持ち物に触れれば、その少し過去までなら、その人の行動が視てしまうその力で、ランディが父親の騎士団長とやりとりしていることも、サウディードで何か探っていることも、早くから知れていた。彼女がランディを警戒していたのは、そのためでもあった。
 「じゃあ、クリスは、全て知ってたんだな。」
 「ごめんなさい。今まで隠してて… その、嫌いになった?」
仕事上、例外なく、リゼルのことも視ていたはずだ。
 「いや。気にしてない、クリスはクリスだし。」
 「ほんと?!」
 「ただ、私生活をのぞき見はちょっと…恥ずかしいかな。誰にも言ってないよね?」
 「!」
少女は耳まで真っ赤になりながら叫んだ。「そんな、そんなところまで視てません!」
 クリスが去っていくのを、シェラとウィラーフは部屋の外で眺めていた。折り入って話がある、というので中座していたのだが、会話は外まで聞こえていた。ランディの襲撃以来、リゼルが一人になったことはなく、常にウィラーフが側に付いていた。このサウディードの中ですら、安全ではなかったのだ。
 「そんなところって、どこらへんまでかしらね。」
 「止めろシェラ、下手したら私はあの子を斬ってしまうかもしれん。」
 「……そんな真剣な顔で冗談言うのは止めて。」
あの夜、ランディと何があったのかは、既に聞いていた。”エリュシオン”というのは、五百年前に失われた「まことの王の証」なるもの、――少なくとも、ランディはそう信じていたということ。東方騎士団は、旧エスタード領をアストゥールから独立させるつもりらしいこと。そのために、”エサルの導き手”と協力し、”エリュシオン”を探しているらしいこと…。
 「王の証、っていったって、それを手に入れたところでエスタードが独立できる訳でもないんでしょ?」
 「だが、アストゥール王の権威を揺るがし、反感を持つ地域や部族を一斉蜂起させる切っ掛けには、なるかもしれない」
アストゥールの王家は、”統一戦争”を制定して以来、五百年間、この大陸を統治してきた。”エリュシオン”は、その権威を簡単に覆せるほどの力を持つものなのか。それとも――それ自体が何かの力を秘めた兵器のようなものなのか。
 そして、今、”エサルの導き手”たちが接触している、アストゥールからの独立を目論む地域や部族は、一体どのくらいあるのだろうか。
 「王家の象徴を蝕むもの…。あたしが視た不吉なものは、きっと、このことだったんだわ…。」
もやもやしていたものが、急速に形になっていく。未来が現実になろうとしている。「いつ」とは解らなくても、ルグルブの視た「未来」は、必ず現実のものとなる。
 必ず…。
 「ねえ、ウィラーフ」
 「何だ。」
 「あなたは、死なないわよね?」
 「…は?」
ウィラーフは、シェラが笑っていないのに気がついた。射るような――吸い込まれるような深い藍色の眼差し。
 「いきなり…、何だ。」
 「あたし、誰かを死なせることになっているの。多分…。だから、それがあなたじゃなきゃいいのに、って思って」
死は等しく世界にあまねき、その平等な手は、いつ誰を連れて行くか判らない。若い者も、老いたる者も、いつかはその手に捕まえられる。
 「馬鹿馬鹿しい。」
ウィラーフは、ふいと顔をそらして言った。
 「剣をとる以上、いつどんな時に死ぬとも限らん。その覚悟の無い者は、騎士になどなれない」
 「そういう意味じゃなくて…」
 「騎士には、”死に時”というものが決まっている。それに相応しい時に私が死んだとしても、お前のせいではない。」
それ以上、話を続けられる雰囲気ではなさそうだった。シェラは踵を返した。


 宿舎の入り口のあずまやで、クリスは、まだしょんぼりとしていた。
 「何してるの、こんなところで」
 「あ。シェラさん」
シェラは、少女の隣に腰を下ろす。
 「リゼルのことだったら、心配しなくても、あなたのこと嫌いになったりしないと思うわよ」
 「…そうじゃないんです。私、…私」
唐突に、クリスはぽろぽろと涙を零した。
 「直前まで、ランディの持ち物から行動を追ってたんです。騎士団長と連絡をとりあったことも、何か受け取ったことも知ってたし、ベッドの下に武器を隠してることも知ってたのに。なのにアル君が狙われてるなんて全然気づかなくて。もし死んじゃったのがアル君だったらって、私…」
 「泣かないで。あなたのせいじゃないんだから」
 「だって… だって」
声を上げて泣き続ける少女を、シェラは両手でそっと抱いた。
 「あの時、少しでも未来が視えてたら…」
 「?!」
ふいに、胸を刺されたような思いがした。
 「私には、先のことは視えないんです。ルグルブっていっても三代目だし、そんなに力強くないし…。練習したけど、町の中しか見えないし」
 「すごいことよ、それでも。視ようとしても、いつも視えるとは限らない人だっているもの。それに…未来を視るのは、とても難しいわ。辛いことだって多いし」
 「だけど…」
泣きはらした深い藍色の瞳は、同じ色をしたシェラの瞳を見上げる。
 「その力があれば、アル君は傷つかなくてすんだですよね?」
瞳の中に映る自分の姿。未来を恐れないかつての自分の姿と、未来を恐れる今の自分。
 「――。」
シェラは、立ち上がった。「シェラ、さん?」
 「行かなくちゃ、あたし」
 「え」
 「ありがとう、クリス。」
振り向きもせずに去ってゆくシェラを、クリスは潤んだ瞳のまま見送っていた。


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