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 未解読の部分を含め、レトラの詩の内容を吟味するのにもう少し時間が欲しい、とメイザンは言った。
 それとともに、これまでに集めた”エリュシオン”にまつわる情報を研究員に調査させるという。頼もしい限りだったが、明日が来るのが不安でもある。
 「たった一日で、色んなことが分かりすぎちゃったわね。」
シェラたちは、食堂に来ていた。クリスがいなくて他にどこに行けばいいのか判らなかったのもあったが、とりあえずここなら、ワンダに頼れば迷わず到着出来るはずだったからだ。
 「どうせ明らかになるなら、早いほうがいい。」
 「そりゃそうだけど。――ちょっとワンダ、紅茶に入れてるそれ、砂糖じゃなくて塩」
 「えええーっ」
リゼルは来なかった。図書館で調べたことで、まだメイザンと話したいことがある、と言っていた。それで、三人だけ先に外に出てきたのだ。リゼルなら、この町で迷うこともない。一人にしておいても心配ないはずだ。
 「あいつらが元クローナ領から来たんだったとしても、”元”ならあんまり問題にならないんでしょ。」
 「まあな。中央の連中がどう思うかは知らないが」
その”中央の人間”の一人であるはずのウィラーフは、知らず知らずのうちにクローナの側に立って喋っている。「独立したのは百年も前だ。今では、アストゥールですらない」
 「え、外国なの? 自治領になったんじゃなく?」
 「当時のクローナは、”白銀戦争”以前よりもっと自治権が強く、アストゥール内にあって半ば独立した国家のように振舞っていた。クローナ領だったアスタラは、元々アストゥールの統治外だ。そのクローナから独立したからな。ちょうど、王国には他に片付けなくてはならない問題を抱えた地域もあったし、アスタラ自体、辺鄙な山ばかりの地域だったため、ほとんど成り行きで王国領から離れた。今も扱いは微妙だ。地図を見れば、そのあたりの国境は点線になっている」
 「なんだか、見捨てられたみたいね、それ。初期からアストゥールと同盟関係にあったんでしょ?」
 「時が流れれば、関係が変わることもある。」
ワンダは、塩辛い紅茶を、それでも我慢強く飲み干そうと試みている。このワンダの部族など、五百年たった今でも、当時のアストゥール王との関係を昨日の友情のように大事にしているというのに。
 「そういえば、あんたの部族も初期の友好部族か。」
 「ライラエルが、って言ってたわよね。部族全体じゃない気はするけど、まあ当時の族長だし、数に入るのかな。」
 「未来が視える仲間なんて、同盟者としては反則だ。」
 「そうよねえ。あたしには、そこまでの力は無いわ。せいぜいが…」
せいぜいが、王国に迫る危機を視て、国王に告げに行くくらいの。
 シェラは、鎖に手をやった。
 「そうだわ。あたしの視た未来…黄金の樹が暗いものに呑み込まれて、”エリュシオン”という文字が視えた、あれは…」
それが彼女の、そもそもの旅の発端だった。その旅は今、核心に迫りつつある。王国に危機をもたらすものがあるとすれば、あの、行く先々に現れた謎の”エサルの導き手”たちしか考えられない。
 「続きは? 視えたりしないのか。」
 「無茶言わないでよね。一生に一度でも未来が視えたら大事よ。よほど力が強くなきゃ。未来を視る力は滅多なことじゃ働かないのよ。それに、未来を視るのはすごく勇気がいるんだから」
 「――そうだな。」
ふいにウィラーフの言葉が沈んだ。ふ、と庭のほうに目をやる。
 「未来なんて、知らないほうがいいだろうしな。」
 「……。」
思わずまじまじとその横顔を見つめてしまい、そのことに気づいて、シェラは慌てて下を向いた。以前視た東方騎士団の騎士たちもそうだったが、たぶん、騎士団に入るには「容姿端麗」という試験項目があるに違いない。あの鬱陶しかったスレインも、少なくとも見た目は良かった。
 シェラは、食堂の出入口のほうに視線を向けた。
 「それにしても、リゼル遅いわね。」
もうそろそろ、昼が近い。昼食を求めてやってくる人たちで、ここも混雑し始める頃合いだ。
 「私も聞きたいことがあったんだがな。」
ぽそり、とウィラーフ。
 「え? 聞きたいって、博士に?」
 「アルウィン様がいたら止められるだろうしな」
 「何のこと? 王様の持っていた刀のこと? なんだか、博士はどうでもよさそうな扱いだったけど」
 「……。」
すぐ後ろの席に人が座ったので、ウィラーフは口を閉ざした。
 「ここじゃ、落ち着けなさそうね。いちど博士のところに戻ってみる?」
言って、シェラは立ち上がる。「ほらワンダ、その塩辛いのは諦めて」
 「えー……」
続こうとしたウィラーフは、ふと、庭を横切っていく少女に気がついた。こちらに見向きもせず、ほとんど全力疾走で茂みの中から飛び出し、反対側の茂みの中へ。クリスだ。何か急いでいるようだったが、そこが近道なのか。
 胸に湧き上がった違和感と不安を、彼は無理やり意識の片隅に押しやった。ここは学術要塞都市サウディード。騎士団こそないが警備隊がおり、王都ほどではないにせよ、それに匹敵するほどの厳重な警備が敷かれている。何を心配することがあるだろう…?


 足元に影が落ちたのに気づいて、リゼルは顔を上げた。
 「やあ」
目の前に、太陽を背に暗い色の長衣をまとった青年が佇んでいる。ランディだ。
 「一人で何してるんだい」
 「ちょっと、考え事…かな」
滅多に人の来ない、奥まった植物園だった。植物学者たちが時折、実験と称して謎の植物を植えては野生化させるので、手入れされていないよくわからない茂みが絡まり合っている。リゼルが腰掛けているのは、そんな庭を手入れしようとした数少ない証拠である水やり用の桶だった。
 「昨日は悪かった。クリスが来る前に…」
 「慣れてるさ。それに、クリスティーナだけじゃない、ここの連中が僕を嫌ってるのは知ってる」
ランディは肩をすくめた。「サウディードじゃ、東方騎士団の評判はすこぶる悪いからな。僕もスパイか何かみたいに思われてるんだろ」
 「そんなことは…」
 「まあいい。それより、折角戻ってきたんだ。楽しい話をしよう。いつまでここにいる?」
リゼルは、ちょっと考え込んだ。
 「判らない。でも、そう長くは居ないだろうな。明日か、明後日か…」
 「短いな! 三年ぶりだっていうのに。ずいぶん忙しいんだな」
 「まあ…ね」
 「いいなあ、仕事があるっていうのは」
ランディは、少なくともリゼルがここに送られてくるより前からサウディードに居た。上流階級の家ではたまにあることだが、子供が多すぎたり、両親が離婚したり、家督を継がせることができず、養子縁組も見つからなかったりすると、寺院や全寮制の学校などに子供を送り込んで、そのまま忘れてしまうのだ。ランディの場合、学者に成ることを期待したのか、親戚のツテでここに送り込まれた。それ以上の細かい事情は、周囲の大人たちからも本人からも聞かされておらず、リゼルも、敢えて詮索はしていない。
 青年は、リゼルの隣の干し草の上に腰を下ろした。
 「で? 何を落ち込んでいるんだ」
父親の、騎士団長に良く似た瞳。その目は、学者向きではない。とはいえ、生来体の弱い彼には、兄たちのように騎士になる道は閉ざされている。ノックスの町を脱出する時のことはともかく、ランディはここで過ごした二年間の中での数少ない同年代の友人だったし、彼個人に対しては、悪い思い出も感情も無かった。
 「…今まで信じていたことが、もしかしたら間違っていたかもしれない、と思って。」
 「何だ? そりゃ」
リゼルは、自分のつま先のあたりを見ている。
 「――おれは、自分の家を大した家系だと思ったことはない。古いだけで、今はただの領主。古いといったって、せいぜい数百年…それ以上のものは、何も残っていない。」
 「金に困って先祖が売っぱらった可能性もあるけどね、うちみたいに」
ランディが茶化す。「で? それが信じられなくなったってことは、埋蔵金でも見つかったのかい」
 「金や財宝じゃないけどね。昔、父が言っていたことを思い出していた。」
 「何だよ、もったいぶらずに言えよ」
 「”ファンダウルス”だ。」
ウィラーフが引っかかっていた、あの言葉。リゼルも気がついてはいた。ただ、「白銀の樹」の可能性について考えてみた後では、再びその可能性に触れる事実に出くわしても、最初ほどの衝撃は無かったというだけだ。
 「アストゥールの初代王が使った由緒正しい剣だとか…いつも自慢していた、その剣の名前が――ファンダウルス。」
 「それがどうかしたのか。」
 「本当に、初代のイェルムンレク王が使っていたらしいよ」
 「えぇ?」
大げさな声を上げ、ランディは慌てて口に手をやる。「ってことは、…マジか? クローナに初代王の遺品があるのか。凄いな、初代の遺品なんて王都にも一つか二つしかないぞ」
 「いや、実はもう、クローナには無いんだ」
 「無いって、どうしたんだよ」
 「戦争の時に、――」
そう言って、リゼルは言葉を切った。「最後の日に、父が戦場に持って行った」
 「……。」
何か言いかけて、やめた。ランディは勢いよく立ち上がり、尻についた干し草を払う。「さて。また誰かに見つからないうちに、僕は退散するとしよう。じゃあな、アル。出発前に、また会えるといいな」
 「そうだね」
 「ついでだ。これ」
ランディは、紙袋に入った何かを取り出した。こんがりと焼けた、いい匂いがする。「朝飯がまだなら、食っていいぞ。じゃあな」
 去っていくかつての友人の後ろ姿を、リゼルは、何となく申し訳ない気分で眺めていた。ここに送り込まれたが最後、自由に外に出ることは出来ない。研究員として職を得るにしても、それ以外の職だとしても、このサウディードで働く限り、ランディが、外の世界を見る機会はない。リゼルのように、自由に国じゅうを旅することは不可能なのだ。


 王都からの連絡が届いたことを知ったのは、ランディと別れたすぐ後だった。クリスが捜しに来たのだ。
 「大急ぎで! 走ってきたわ。はい、これっ」
差し出す手紙はともかくとして、少女の頭にもおさげにも、派手に木の葉が張り付いている。
 「クリス、その頭…」
 「あーもうこんな時間! 急がなきゃ、メイザン博士と打ち合わせがあるの。じゃ、また後でね!」
滞在時間はわずか一分。白衣を白鳩の翼のように翻しながら、彼女は駆けていく。
 リゼルは、手元に残された丸められた数本の書簡に目をやった。別れているのは、同じ内容を別々の経路で飛ばすからだ。順調に行けば全てが届き、運が悪ければ一本しか届かない。どこかですり替えられる可能性も考えて、内容が同じかどうかを受領者に確認させる意味もある。
 一本目を開く前から、彼はその書簡の発信元がシドレク王でないことに気がついていた。表に押された印は、王のものではない。王の娘にして議会の代表者、”女帝”とも渾名される女丈夫、ギノヴェーア王女のものだ。
 「リゼル、ここにいたんだ」
ちょうど、シェラたちもやって来た。ウィラーフが、リゼルの手の中のものに気づいた。
 「それは… 王都からの?」
 「ああ。ギノヴェーア様かららしい」
きつく丸まった紙を広げて視線を走らせ、――リゼルは、眉を寄せた。
 「どうしました」
 「……読んでみろ」
渡されたウィラーフも、顔をしかめた。
 「え、何。どうしたの」
 「…王が行方不明だ。」
 「はぁ? また?!」
シェラは思わず素っ頓狂な声を上げた。二人がこんな顔をしているのも、無理はない。
 「だって王都でしょ。騎士団もいるって言ったじゃない」
 「今回はデイフレヴンも一緒らしい。あいつは、王の側近の中でも融通のきくほうだからな。何か王にとって重大な理由があって、やむなしと判断すれば逃亡に手を貸すだろうな。」
 「何それ、王様の説得如何で動いちゃうわけ宮廷騎士って。どうするのよ、こんな時に」
 「代わりに、王女陛下からの有り難いお言葉が来ている」
リゼルは、二本目の書簡を広げている。「昨日、こちらから飛ばした報告は、まだ届いていないんだろうな。前にバレアスから飛ばした件についてだ。ローレンスの件、了解… レトラの事件についてもこちらに任せろ、と。諜報機関は別にあるし、おれたちの仕事は探偵じゃない。ノックスのほうは任せていいだろう」
 「それだけ?」
 「あとは… うん、何も。」
 「そっか…。」
”エリシュシオン”については、王も調べきれなかったのか。或いは、調べたからこそ確かめに出向いてしまったのか。
 「王女様って、どこまでご存知なのかしらね。」
 「王に成される報告は、全てご存知のはずだ。あの方は次期王位継承者だし、議会の長である。次の連絡で何か来るかもしれない」
もっとも、その時にはもう、この町を発った後かもしれないが。
 「それにしても、シドレク様、今度は一体どこへ行ったんだか…。」
ぼやきなから、三本目に手をかけようとしたリゼルが、はたと手を止めた。
 「どうしました」
 「これ… シドレク様からだ」
同時に届いたため、クリスも気付かなかったのだろう。表面の印の色が違う。
 「どこ発です」
 「アンセルムスだ。王都のすぐ北」
封を解くと、かすかな匂いが漂った。
 「なんだこれ。…なんか、焦げ臭いぞ」
ワンダが鼻を鳴らしている。手紙は、確かに端が焦げていた。中には走り書きで、一行だけ。


  ”奴らの行方が分かった。詩を守りに行く”


――言葉が出なかった。


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