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 両手に巻いた包帯を外し、指を動かしてみる。
 まだ少し痛みが残っているが、大したことはない。幸い、削れたのは皮膚と肉の一部だけで、見た目の酷さのわりに傷は深くなかった。
 ウィラーフは、ベルトに剣だけ差してぶらりと部屋を出た。柄から垂れる金色の房飾りは宮廷騎士団に属する印だから、見れば彼の身分は一目瞭然。「王立」研究院である以上、その意味を知らない者はなく、適当に歩きまわっていても誰ひとり咎め立てする者はいない。
 この都市が幾つかの建物から成ることは、前もって知識として知っていた。今いる場所は、研究院と職員たちの暮らす生活棟。といっても、ここ以外はすべて研究のために使われている。近くに町もなく、外から通ってくる者もいないだろうから、この町で仕事をしている人々は、博士だろうが警備兵だろうが、みな、この建物の何処かに住んでいることになる。
 建物の中庭では、非番らしい職員がのんびりと猫と一緒に日向ぼっこをしている。動物を飼うことは禁止されていないらしい。家族づれもいて、小さな公園のようなものまである。生活に必要なものは、城壁の中にすべて揃っているというわけだ。外界から隔絶され、まるで、楽園のような。
 「……。」
ウィラーフは、足を止めた。楽園? ――自由に出ることも出来ないのに。
 「あれ。あんた」
佇んでいると、誰かが近づいてきた。「寮内は武器の携帯は禁止―― って、ああ、なんだ。お客さんか」
 大柄な、赤毛の―― たぶん、女性だろう。少なくとも、髭はない。
 むき出しの腕に、町に入る時に見た警備兵がついけていた鎧と同じ、町のシンボルが染め抜かれた皮の防具をつけている。
 「学院長のところに来てるお客さんだね。はじめまして、あたしはオーサ。ここの警備隊長をやってる」
並の男の二倍はありそうなゴツい手が、握手のために差し出される。
 「ウィラーフ・レスロンドだ。噂には聞いている。ここの”守護神”だとか」
 「あはは、やめておくれよ。それ父さんのお下がりなんだから。せめて”守護女神”とかにしてほしいよ」
そう言って、ウィラーフより頭三つ分ほども背の高い女性は大声で笑った。
 はるか南の大陸に住む巨人族。かつては野蛮人と呼ばれていたその種族に接触し、友人となった数人を国に連れ戻ったのは、若い頃のシドレク王だった。その中の一人、王の盟友とも言われた人物の娘が、このオーサだ。王国生まれだけあって言葉に訛りはなく、特徴的な外見をのぞけば南方人らしい面影はない。
 「あんたアルウィンと来たんだろ? 一緒じゃないのかい」
 「図書館のほうに行くとか…、 よくご存知ですね」
 「警備隊長が、来客の予定も知らずに務まりゃしないよ。もちろんここの住人は、”預かりもの”まで全員知ってるさ。」
と、自分のこめかみを叩きながら、凄みのある笑みを浮かべる。
 「あの子、元気にしてたかい? あんな細っこい子が、何やら危険な仕事をやらされるっていうんで、あたしゃ心配してたんだけどね。」
 「元気ですよ、あなたが心配していたと伝えておきます」
 「あとで遊びにおいでって、言っといておくれね。大丈夫、今度は気絶するまでシゴいたりしないから、ははは!」
笑いながら、オーサは図体に似合わず足音もたてずに去っていった。
 「…シゴいたのか。」
あの太い腕で。それはよほどの戦士でもない限り、生きて帰れそうにないのだが。


 戻ってきたシェラたちと出くわしたのは、古びた肖像画の並ぶ回廊を歩いていた時だった。似たような構図ばかりの絵を、見るともなしに眺めていた時、聞き覚えのある賑やかな声が近づいてきた。
 「すっごく楽しかったな。ワンダまたお腹へったぞ」
 「ええー? あれだけ食べたでしょ、あなた」
 「沢山泳ぎましたものねー…って、あら」
ウィラーフの姿を見つけて、三人は駆け寄ってきた。
 「プール面白かったぞ!」
 「プール?」
 「ええ、ちょうどアジェンロウの年齢別体力差というものを研究している人がいたもので、ついでに…」
 「思いっきり泳がされてたわよ、ワンダ。」
シェラは、まだ濡れている髪をかきあげる。「あたしもちょっと楽しんじゃったけど。…リゼルは?」
 「戻ってきていない。まだ図書館だろう。」
 「ああ、じゃ私、探してきますよ。」
そう言って、クリスはぱたぱたと廊下を駆けて行った。
 「そっちは? どうだったの」
 「適当にぶらぶらしていた。」
 「ふうん。」
シェラは、ウィラーフの表情をそれとなく伺った。
 「リゼル、ここで結構楽しくやってたみたいじゃない? 知り合いっていう人、沢山いたわよ。」
 「らしいな」
ウィラーフの表情は、ここに来たときより少しだけ明るい。それを確かめて、彼女は満足した。
 「ここって、楽団もあるんですって。文化史研究員が自分で作った民族楽器演奏するらしいわ。あとで、連れてってもらうことになってるんだけど一緒に行く?」
 「――まあ、することは特にないしな。」
 「ここ、おっきい顔いっぱいだねぇ」
ワンダは相変わらず、人の話を聞いていない。廊下に一定間隔で並べられた、肖像画を見上げている。
 「触っちゃ駄目よ。何だか古くて高そうだし。偉い人っぽいし」
 「昔ここが宮殿だった時の持ち主、ファルーク王朝の王族たちだな」
と、ウィラーフ。「人物より、背景を塗るのに使われている青色が特徴的だそうだ。王宮にも一枚あった」
 「それって騎士の教養?」
 「誰かの受け売りだ。」
そう言ったとき、ほんの少しだけ、瞳に寂しげな影が揺れた。誰かと絵を見て歩くなど、一生縁がなさそうな男だ。シェラは、思わず尋ねた。
 「ウィラーフって、友達いるの?」
 「何だ、それは」
 「ちょっと気になっただけ。意外と、リゼルよりあなたのほうが心配よ、あたし」
 「……。」
青年は、ぷいと顔を背けた。「特大の大きなお世話だ。」
 「ワンダ、ウィラーフとも友達だぞ?」
 「そんなフォローはいらん。」
ワンダは、首をかしげながらウィラーフを見上げている。思わず微笑んでしまいそうになる光景。この旅に、ワンダがいてくれて良かった、と、シェラは思った。


 暗くなってきたので図書館の中には灯がともされ、階段の周りには書架の作る巨大な影が色濃く伸びていた。
 火事を恐れて、明かりはすべて高価なガラス製のほやの中に納められ、倒れたり落ちたりした時は燃料の供給が止まって火種が消えるように作られている。図書館の裏手には貯水槽を兼ねた池、さらに井戸から直接、水路も引かれている。
 日が暮れかかっても、人はひっきりなしに出入りしていた。この図書館は、閉館時間がない。研究者が思いついたときに何時でも利用出来るようになっているのだ。
 リゼルを探しに来たクリスは、定位置で探し人を見つけた。大量の本を前に、誰かと話し込んでいる。
 「いたいた、アル君」
呼びかけて近づいたとき、彼女は、はっとして表情をこわばらせた。向かいにいた話の相手に気づいたからだ。「――あなた」
 「それじゃ、もう行く」
相手の言葉を遮るように、行って、青年は立ち上がった。本を片付け、さっさと立ち去る。それを横目に睨みつけながら、クリスは大股にリゼルに近づいた。
 「何、話してたの? 何か不愉快なこと言ってなかった?」
 「そんな、大したことは話してないよ。それに不愉快だなんて」
 「訳ありの”預かりもの”となんか、親しくしちゃ駄目っ」
クリスの剣幕に、リゼルは一瞬、言葉に窮した。
 「だけど、おれも、元は――」
 「今は”リゼル”でしょ!」
静まり返った図書館の中に、押し殺した声はそれでも響き渡る。
 しん、とした静寂が落ちる。
 「…ごめんね、ちょっと言い過ぎた。だけど、あいつは本当に――」
 「呼びに来たってことは、何か用だった?」
 「あ、…うん。」
それきり、この話題は無かったことになった。


 楽団の演奏会に、夕食会。そのあとは天文学院が所有する、この国一番の巨大な天文望遠鏡から、銀河の星々を眺めて解説を聞く。時間はあっという間に過ぎていった。気がつけば、もう日付が変わろうという頃合いだ。
 「あー、楽しかった! こんなに楽しく勉強できるとは思わなかった。リゼルの言うとおりね。面白いものがいっぱい!」
 「だろ。」
 「……。」
ウィラーフは、相変わらず無反応だ。
 「でも、あたしたちの案内してくれてたら、クリス、自分の仕事が出来ないんじゃない?」
 「あー、私はまだ見習いみたいなものですし。カッコつけて白衣なんて着てますけど、コレ、ただの見栄ですから。どっちかというと、来賓客の案内とか、接待とかが仕事なんですよ。私」
 「そうなんだ。」
 「でも、明日はちょっと別件があって。今日でひととおり建物は分かりましたよね?」
 「ええ、たぶん」
 「迷ったら、適当にそのへんの職員捕まえて聞けば大丈夫ですから。それじゃ、おやすみなさい!」
宿舎の前で、クリスとは別れた。研究員の部屋は、外部からの来客用の部屋のある区画とは別れている。
 「さーて。明日はどうする? まずは、メイザン先生に会いに?」
 「そうだね。おれも今日、図書館で調べて少し見当がついたことがあるし」
 「では、朝、あそこで待ち合わせましょう」
ウィラーフは、宿舎の前の中庭を指す。昼に職員がのんびりしていた場所だ。東屋とベンチがある。
 「ワンダ、ここでは一人ずつ部屋が別々なんだから、寝坊しちゃだめよ。」
 「はーい。」
部屋に向かって歩き出しかけたリゼルは、ふと。ウィラーフが庭を見つめたままなのに気づいた。
 「…どうした?」
 「少し夜風に当たって行きます。昼、休んでしまったので」
 「そうか。」
月明かりが庭を浮かび上がらせている。宿舎は寝静まり、昼と打って変わって静まり返っていた。ひしひしと、四方から忍び寄ってくる閉塞感。大勢の人が暮らしているはずのこの町の中で、人の側にいながら感じる寂寥感、この感覚は一体何なのだろう。
 「――ここの学者は、気配を消す方法も学んでいるんですか?」
ウィラーフは言った。「何かご用ですか。」
 柱と一体化していた影が、ゆっくりと離れた。欠けた月が作る薄い影。白っぽい、研究員の服は、それでも青白く闇の中に浮かび上がって見える。
 「さすがに騎士殿にはバレていたか。」
 「本職ですから。」
言いながら、ウィラーフは振り返った。おどけた顔のメイザンが、顎髭をしごきながら近づいてくる。
 「なに、こういうのは年の功だ。むかし王の教育係を命じられた時に覚えた」
 「さすがは、名にし聞く”学者剣士”、舌と腕で敵を二度切り裂くと言われたメイザン・グレンナールですね。それで?」
 「アルウィンの様子を、ちょっと見に来ただけだ。親心じゃよ、親心」
 「……。」
意外な答えだった。
 「あんたも、あの子のことを心配しとるんじゃろ。ま、顔に出とるが。心配せんでも、あれは強い」
ウィラーフを見上げて、老学者はにやりと笑う。
 「王都の連中や騎士団の連中がどう言っとるかは容易に想像がつくが、その程度でへこたれるようなことは、あるまいよ。」
 「――はい」
 「アルウィンを”リゼル”に推薦したのは、わしだ。」
髭をしごきながら、メイザンはゆっくりと庭のほうに歩き出す。
 「王に預かった時、適性を見てくれと言われてな。二年…、それ以外の役目では役不足だと確信を持つようになった。それに、”リゼル”なら、王が直に任命し、任務も王から直接下される。王宮に頻繁に出入りせんでもいいしな。」
 「ありがとうございます。」
ウィラーフは、頭を下げた。
 「なに、王国のために優秀な人材を適材適所で送り込むのも、この研究院の役目。それにしてもローレンスのことは残念だった。あれも、元はここの研究員だった。優秀な男だったんだが」
ノックスで消息を断ち、その後、恐らく殺されたと思われる、もう一人の”リゼル”だ。
 「レトラ語に詳しかったとか。」
 「レトラ語と―― この辺り一体の言葉全般だな。東エスタードから旧ファルーク王朝に属する言語は死語まで全般。兼任だったからな、普段はここで研究員として働いて、王に命じられた時だけ”リゼル”として旅をした。彼が”リゼル”であることを知っていたのは、王と、わしと、他は数人くらいだったはずだ」
にも関わらず、彼は殺された。
 「レトラの古老に接触した時点から見張られていたのでしょう。東方騎士団が絡んでいる可能性も高い」
 「そうだな。報告を受けて、まずそのことを考えた。お前さんたちの出会った”エサルの導き手”なる集団が、東方騎士団の一部にせよ手を結んでいる可能性はある。だが性質の異なる二者が手を結ぶというのは、互いの利益が一致する時以外にあり得んじゃろ」
足を止め、メイザンは、足元に落ちる自らの影に目をやる。「どうも嫌な予感がする。わしの最悪の予想が正しければ、アルウィンにとっても辛いことになる」
 「どういうことですか。」
 「今はまだ、はっきりとは見えていないのだがな。お前さんに伝えておきたいのは、あと一つだけ」
ウィラーフを振り返り、じっと目を見る。「このサウディードには今、東方騎士団長ローエン殿の末息子殿が”預け”られとるんじゃよ。」


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