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 話すべきことは、全て話した。
 クニュルコニャル島の山頂近く、戦士たちの墓標のある洞窟の奥に隠されていた詩のこと。
 それは既に破壊されてしまったが、同じ内容と思われる詩を島民が知っていたこと。
 「エリュシオン」として知られる王都の建国詩と繋がっていること。
 ”エサルの導き手”と名乗った謎の集団。
 メイザンは全てを興味深く聞き取り、メモし、調べておくと請け合ってくれた。あらゆる分野の専門家の集うこの場所で、未知のもの以外に判らないことはほとんど無かった。おまけに、警備も厳重。
 「なんだか、ほっとしたわ。今日は久しぶりに気を抜けそうね」
メイザンのもとを辞したあと、手入れされた心地良い中庭で、シェラは大きく伸びをして言った。
 例によって、のんびりすることを知らないウィラーフは早速、連絡網の鳩に報告書を括りつけに出掛けていった。ワンダまで付いて行ってしまったので、やけに静かだ。
 「ここには面白いものも沢山あるから、見学してくるといい。図書館、博物館、歴史研究所、科学院。一部、一般人は入れない場所もあるけど、それ以外は研究目的のために解放されている」
 「詳しいのね。昔、ここにいたんだって?」
何気なく口走ってから、思わず口元に手を当てた。リゼルは苦笑する。
 「…ウィラーフに聞いたんだ?」
 「ごめん、つい」
 「そんな大層なことじゃない。監視つきだけど町の中ではわりと自由だったし、それに、ここにいた二年間で、他所では勉強出来ないことを色々と学べた。メイザン先生に直接教えを乞うなんて、王族でもなきゃ普通は無理だ」
多分、本当にそうなのだろう。彼なら、たとえ不自由な生活を強いられていても、気にせず図書館で書物に没頭するくらいはやりそうだ。
 「博士、いい人そうだったものね。あのクリスって子もいるし」
 「うん。ここに預けられたのは、むしろ気遣いだったんだと思うよ。王宮に住まわされるよりは――」
庭園に続く回廊を、ウィラーフが歩いて来るのが見えた。後ろにはワンダと、クリスもいる。
 「こちらからの報告は飛ばしておきました。王からは何もなし、です。」
一息つくこともせず、リゼルの目の前に来るや彼は言った。「”書庫”での調査が難航しているにせよ、何か送ってきてくれても良さそうなものですが。」
 「また、抜けだしてたりするんじゃないか」」
 「まさか」
 「あの人、何か見つけると自分で確かめたくなって、すぐ居なくなるじゃないか。」
後ろでクリスが笑いをかみ殺している。
 「さすがに、王都から直接バッくれるのは無理でしょう。宮廷騎士団が控えていて、おまけにデイフレヴンだっているんですし」
 「…なんだか、あなたたちの仕事って、王を城から逃がさないためにあるみたいね」
と、シェラ。
 「むしろそれが半分だよ、ウィラーフの場合。」
リゼルは否定しない。
 「そういえば、宮廷騎士団って何人くらいいるの? あたし、デイフレヴンって人とウィラーフしか知らないんだけど」
 「全部で百人強。その中でも、王と王の家族だけを護衛する近衛騎士は、彼ら二人を入れて十二人だ。」
 「え、ウィラーフって、そんな偉かったんだ…。」
この間まで船酔いで死にかけていたのに、とまでは言わなかったが、シェラは思わず、傍らの青年をじっと見つめた。
 「…全然そんな風じゃないわよね。どっちかっていうと、王様を足蹴にしてリゼル庇ってそうだし」
 「どういう意味だ、それは。」
 「まあまあ、そういう話は後にして〜」
ワンダが無理やり割って入ってきた。「ワンダ、お腹すいたぞ!」
 いつものアレだ。
 「食堂、案内しますよー。ここの食堂は国営で安価、おまけに美味しいんですっ。ぜひぜひ、皆さんご一緒に」
 「わー、何があるんだろ。」
 「おれは、まだお腹はすいていないから、図書館に行ってる」
 「…私は、しばらく休ませてもらう」
 「じゃあ、シェラさんとワンダさんだけで行きます?」
賑やかな声が中庭に響き渡る。そうでなくても、ここは、静かだ。静かすぎるくらいに。研究員の数が少ないわけではないだろうが、敷地が広すぎる。おまけに建物は入り組んでいて、ちょっと歩くとすぐ中庭や植え込みなど緑が目に付く。徹底的に暮らしやすさにこだわった、独特の美意識を持つ宮殿。建物の中に町がある、と言っても過言ではない。
 「ウィラーフ」
 「何です?」
 「いいところだろ。おれは、ここで過ごせた時間は有意義だったと今でも思ってる。だから、もう…あんまり気にするな」
 「……。」
青年は何も言わず、ただ、背を向けただけだった。


 外から見たときはそうでもなかったのに、研究院の中は果てしなく広く、奥が深かった。まるで迷路だ。
 「これは、一人で戻れる自信ないわ」
シェラが言うと、ワンダは胸を張った。
 「食堂だけは覚えたぞ! いい匂い、するっ」
 「…じゃ、迷子になったらいつも食堂で待ち合わせね。」
 「あは。ワンダさんって、ほんと面白い方ですねー」
クリスはにこにこ笑顔でメニューを指差す。「で、あれがここの定番料理ですね。定食ですけど。お茶やおやつなんかは、あっちのカウンターです。セルフサービスで、料金先払い制。テラス席もありますよ。庭園が綺麗なんです」
広い食堂には、人はまばらだ。遅い昼食をとっている人、お茶を手に談笑してる人、本を積み上げて必死で何か書きつけている人。全員どこかの研究室の研究員のようだが、見た目はばらばら。天井につっかえそうな大男に、こびとのような女性、耳の尖った人や、ワンダのように毛深い人もいる。
 「いろんな人がいるのね。」
 「国じゅうから優秀な研究者が集められてますからねー。私みたいに代々研究者って家の人もいますし。ここにいると、希少部族の人たちともよく会うんですよ」
 「ワンダの仲間は?」
 「アジェンロゥはいませんね。獣人だと、別種ですけどマウリオ族とか、イェティとか」
 「はあ…。」
リゼルが少数部族にやたら詳しくなったのも、頷ける。
 「そういえば、シェラさんたち、アル君のことずっとリゼルって呼んでますね」
 「え? …うん、最初に会ったときそう名乗ってたし、今さら変えづらくて。それに彼、外じゃあんまり本名知られたくないんでしょ?」
 「リゼルはリゼルだぞ」
ワンダは、クリスおすすめの定食を口いっぱい詰め込みながら言う。
 「あなたは、どうしてアル君なの?」
 「あー、同年代ってあんまりいませんから、ここ…」
少女は、照れたように頭をかいた。
 「私も最初、何て呼んでいいか悩んだんですよね。立場上、監視しなくちゃいけなかったんですが、そんな気になれる人じゃなかったし…。」
つまり、この少女は、最初からリゼルの「友人」だったわけではなく、それとなく「監視」するために付けられたお守り役、だったのだ。
 「ルグルブ語を教えてくれって言われた時は、ちょっとびっくりしましたけど。すごく飲み込みが早くて、あっという間でしたね。」
 「うん、最初会ったとき、あたしに話しかけてきたのも珍しいくらい綺麗なルグルブ語だったわ。教え方が良かったのね」
 「えへへ、いやー。で、そうこうしてるうちに、自然に”アル君”になってました。」
屈託なく笑う少女の表情からは、敵意は何も読み取れない。最初からそうだったわけではないだろうに、…そうさせたのは、リゼルの持つ雰囲気なのか。
 「あ、そうだ。ここ、プールあるんですよプール! あとで行ってみません?」
 「え、ほんと? いいわね。それ」
 「おお、ワンダ泳ぐの好きだ。泳ぐぞ!」
三人が意気投合して盛り上がっているその頃、リゼルは、図書館でもう一人の旧知の友に再会していた。


 図書館は、王立研究院のど真ん中にあった。
 地下二階から地上三階の丸いドーム状の屋根を持つ建物。この国最大の知恵の結晶体、ありとあらゆる言語で書かれた、古今東西の書物の集大成。王宮の地下にある”書庫”が王国の歴史と王家の文書に特化し、限られた人々にしか公開しないのに比べて、ここには幅広い書物が集められ、研究者たちが自由に使えるよう解放されている。
 三年ぶりとはいえ、ほとんど何も変わっていなかった。変わらない匂い、整然と並べられた、重たい雰囲気の革表紙の本。
 書架を周ると、その先に明るい窓辺が開けた。庭を見下ろせる出っ張った窓の中に、本を読むための小さなテーブルと、向かい合わせの椅子が一組。以前はここが定位置だった。リゼルは、椅子に腰をおろす。することのない日は、庭を見下ろしながら、一日中、気になる本を読みあさっていた。
 「ここは変わらないな…」
上から見ると、図書館を取り囲む木々が迷路のような模様を作っているのが判る。手入れをしているのは、博物研究所の植物学研究院。この都市にある、珍しい動植物はすべて、研究対象でもあるのだ。ここにいれば、滅多に行くことのできないような遠い異国の花の香りを嗅ぐことも、見たこともないような動物に餌をやることも、不思議な響きを持つ歌を聞き、遠い昔に書かれた絵を見ることも出来る――
 「――アル?」
聞き覚えのある懐かしい声に呼ばれて、リゼルは我に返った。振り返ると、両手に本を抱えた青年が一人、目をしばたかせている。
 「戻ってくる、とは聞いてたが…」
本をどさっと机の上に積み上げる。「元気そうだな、久しぶり」
 「そっちも。…ランディ」
研究員たちの来ている揃いの白衣やローブとは違う、暗いくすんだ色の長衣。それの意味するもを、リゼルは良く知っている。かつて彼自身、それを着ていた。
 ”預かりもの”。
 このトーガを来ている者は、研究員と区別され、出入り出来る場所も限られ、常に監視の目に晒される。


 ――政治的、あるいは家庭的な、やむにやまれぬ事情によって人目のない場所に暮らさざるを得なくなった良家の人間を、世間体良く長期間隠すめための場所。
 学術「要塞」都市サウディードの持つ、これがもう一つの姿なのだった。


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