7



 雪は降り続いている。
 これからすべきことを話し合うため、アルウィンたちは、シドレク王のいる部屋に集まっていた。ワンダとシェラ、ウィラーフ、それにブランシェもいる。動ける人数は、今のところこれだけ。シドレク王はまだ傷が癒えておらず、デイフレヴンはその護衛としてついていなくてはならない。
 「さて」
と、シドレクは一同を見回した。
 「まずは王宮を占拠している連中から、議会を解放しなくてはならない。人質を取られていてはどうにも出来ないからな。幸いにして、宮廷騎士団の大半はこちら側のはずだ。うまく連絡をとることさえ出来れば、何とかなる」
だが、この天気では伝書鳩は飛ばせない。飛ばせたとして、どこに裏切り者がいるか判らないのでは安全ではない。
 「直接行くしかありませんね」
と、アルウィン。「私が行きます。王宮の中の構造は知っていますし、ウィラーフも一緒なら話がつきやすい」
 「頼んだ。”黄金の樹”の紋章だけでは不十分かもしれないから、あとで書簡をつくろう」
 「ありがとうございます。」
 「もう一方は、北方騎士団だが…。」
ぴく、とプランシェが反応した。
 「そっちの騎士団は裏切り者ではないということかしら。」
 「まあ、多分…な。ただ、元々あまり、まとまりがない騎士団だ。どこまで指揮命令が行き届いているのか分からない。少なくとも団長のロットガルドは陰謀に加担するような男じゃない。王宮で起きていることは、私が説明する。速やかに手勢を集め、出陣の準備を整えよ、と伝えて欲しい。」
 「ブランシェ、頼めるか」
アルウィンに言われ、ブランシェは、不満そうな目を兄に向ける。
 「やっぱりそういうことなんですね。私も、兄様のお側についていきたいのに…」
 「北方騎士団とは、会ったことがないんだろう? いい機会だ。話をしてみればいいよ」
不承不承、少女がうなづくのを見て、シドレクは言った。
 「では、そちらもお願いしよう。西方騎士団は―― 遠すぎるな。王宮からの”連絡網”が使えれば、なんとか間に合うかもしれんが」
シドレクは、東方騎士団との戦いを想定しているようだった。当然だろう。今や東方騎士団の裏切りは明らかとなり、騎士団長アレクシス・ローエンの狙いは、旧エスタード領を王国から分離独立させるつもりだとはっきりしている。
 そして、敵はそれだけではない。
 「もう一つの問題は、オウミがどれくらいの人や組織を焚きつけたか、ですね。」
アルウィンは、片手をあごにやった。
 「アスタラ以外にも、一斉蜂起を約束した部族がいるかもしれない。アジェンロゥや、ハザル人にも接触していたようですし」
 「さて。それは、見識豊かな”リゼル”に聞いてみなくてはならない。どのくらいの者が、王国より離反しそうかな?」
王と、その他の全員の視線がアルウィンに注がれる。彼はしばし考え込み、ややあって、答えた。
 「――幾つかの地方の領主が離反する可能性はあります。ですが、東方騎士団の他に、大きな勢力では無いでしょう。少なくとも私の知る限りでは。」
アルウィンは、”リゼル”の時の表情になっていた。
 「アスタラやアジェンロゥの時のように、不確かな情報とオウミの虚言に騙されて反旗を翻すことはあるかもしれません。しかしその場合は、説得によって戦いは避けられます。東方騎士団も、先日のカッシア自治区のように領内に多くの火種を抱え、背後には隙があります。――王、ご心配なされませんよう。民は王を慕い、王国の治世に満足しています」
 「ふむ、そうか。…だが、東方騎士団は、この国で最大の騎士団だ。東方には有力な領主も多い。実質、この国を二分する戦いになる。」
 「まずは王宮の支配権を取り戻し、議会を解放します。東方騎士団が動き出す前に、王はお戻りになられますよう」
そう言って彼は、静かに一礼した。


 室内には、アルウィンとシドレクだけが残っていた。
 仲間たちはめいめいに、旅に出る準備にとりかかるため部屋をあとにした。デイフレヴンも中座している。窓枠には白い雪がつもり、暖炉で火の燃えるぱちぱちという音以外、何も聞こえない。
 静かだった。
 表の雪に反射した光が、天井のあたりを白く照らしている。
 「いつからご存知だったんです? このクローナが、もう一つの王家を名乗ってきた本当の理由…」
言葉はひとつひとつ、町を包み込む冬の静寂の中に吸い込まれていく。
 「ずっと疑問に思っていたんです。ハザル人からの依頼があったとき、どうしてその内容を隠して自ら出向かなければならなかったのか。おれたちを置いて一人で行ったのは、確かめたかったからなんでしょう」
 「――最初から話そう」
シドレクは顔を上げ、アルウィンを見た。
 「私が疑問を持ったのは、五年前…。クローナと開戦した後のことだ。何の根拠もなく、自ら王家の子孫を語り、それを信じ続けることは難しい。近年になってから称し始めたのか、それならば何時の時代からかと思い記録を辿った。そして知ったのだ。…自分が、いかに自分の国を成り立ちを知らないのかを。」
向い合って椅子にかけた二人の間には、僅かな距離しかない。
 「リーデンハイゼルの王家は初期から”唯一の正統な王家”と何度も記されていた。皮肉なことに、それとともに”王家を僭称する輩”についての言及も、ごく初期から登場した。そうまでして否定しなければならない何かがあったのだ。」
王はひとつ、ため息をつく。
 「…言い訳に聞こえるだろうが、私は何も知らなかった。考えてみたことすら無かった。五年前、あの時まで、クローナは王国の辺境にある自治領の一つにすぎないと思っていたからな。」
 「おれも同じです。家に伝わる物も、父の言う話も、信じてはいませんでした」
 「五百年。記憶が薄れるには、十分すぎる。――そう、時が経ち過ぎたのだ。何かを隠すために記録が抹消されたことは推測出来た。しかしもはや、何を隠そうとしたのかすら分からなくなっていた。この国の建国にまつわる記録は殆ど残されていない。王家にさえ、始祖の名と業績の一部以外、家族構成も、はっきりとは残されていない。私はクローナの”王家”について記録を辿り、幾つかの断片を見付け出した。それが、”統一戦争”時、アストゥールと初期に同盟した五つの部族だ」
ルグルブ、アジェンロゥ、ハザル、レトラ、アスタラ。
サウディードで、メイザン博士が明らかにした”エリュシオン”の詩に関わる部族。
 「ハザル人から”ユールの至宝”を貸して欲しい、という依頼を受けたとき、私は、彼らなら消されてしまった王国初期の伝承をまだ持っているのではないかと思った。辛うじて残る断片から、彼らと初期の王家の間で、何らかの約束が交わされたことは分かっていた」
 「レトラの古老から伝承を借り出そうとしたのも?」
 「そうだ。早くから文字で記録を残すことをはじめた彼らは、王朝の創始者に関わる記録を最も多く残していた。かつては王国によって抹消されていたであろうそれも、今では学術資料として博物館に収められている。――確信に至ったのは、そう前のことではない。彼らが”エサルの導き手”と名乗ったことを知る前に、私はその名を知っていた。」
そう言ってシドレクは丸めた一枚の書簡を取り出した。伝書鳩で飛ばされる、”リゼル”からの報告書だ。
 「お前たちがノックスを発った後、数人を送り込んだ。レトラの古老が書きかけのまま残した、これがその内容だ。」
そこには、中央語に翻訳された、元はレトラ語の詩が書き記されている。


 繋ぐ者、舌豊かなるエサルは
 人々の間を歩き その手を結びつけた

 北の大地が彼の棲家
 鏡に映るは 白銀に染む峰の連なり



王は、両手をお手上げの状態にした。
 「これが真実だ。お前がオウミから聞いたという内容とも一致する。初代王、イェルムンレクの孫、王国の伝承からは消されてしまった”エサル”… それが、このクローナ領の始まりだったというわけだ。」
アルウィンは、首を振った。
 「五百年も昔の話です。必要なのは過去ではなく、現在です。今はもう、クローナ家は無いし、この町に戻る場所もない。おれは王に仕える身… それに、エサルとロランは王座を争って仲違いしたわけではないと思います」
 「どうして、そう思う」
アルウィンは、銀の樹の紋章を取り出し、黙ってそれを、シドレクとの間のテーブルに置いた。


 ”盾となりて守るもの
  我は再び汝と会わん”



 「”エリシュシオン”のありかを隠した詩の鍵となる宝玉は、リーデンハイゼルの王家にありました。中庭にあった詩… ここにある詩… 二つの紋章。仲違いした者が、いつか違いの子孫が再び逢って協力することを考えるわけがない。これが根拠です。…おれは、そう信じたい。」
シドレクは、ふっと笑う。
 「――お前らしいな。」
ソファの背もたれに身をもたせかけ、天井を見上げる。「過去を心配する必要などなかったか。」
 「このことは、誰にも言わないでください」
と、アルウィン。
 「面倒な争いごとの種になってほしくないし、母や妹に迷惑をかけたくない。おれも、オウミの言ったことは誰にも話していません。正統な王家は、これらも… リーデンハイゼルの”黄金の王家”、ただ一つです。」
 「…アルウィン」
 「はい」
シドレクは何か言いかけたが、すぐに止めてしまった。
 「いや。今はいい…。それよりも、建国当時の記録を抹消せざるを得なかった、もう一つの理由が気にかかる」
 「もう一つ?」
 「”五百年”だ。」
片手でソファの背をとんとんと叩く。
 「ハザル人が、セノラの谷に戻るまでの時間。”エサルの導き手”たちが動き出すまでの時間。失われた”エリュシオン”を再び手にすることが出来るようになる時…。すべてが五百年だ。なぜ、それだけの時間を要するのか。なぜ”百年”ではいけなかったのか」
 「ハザル人の場合は、クロン鉱石に汚染された大地が浄化されるのに必要な時間でした」
 「クロン鉱石は、”統一戦争”当時、広く使われていた武器の材料だ。その採掘と使用は王国が禁じ、現在も採掘可能な鉱脈は王国の監視下にある。武器の製造方法も、徹底的に抹消された」
アルウィンには、シドレクの考えていることがはっきりと分かった。
 「――”エリュシオン”と呼ばれているものは、ただの王の飾りではないかもしれないということですね?」
小国に過ぎなかったアストゥールは、戦争の終わった時にはこの大陸のほぼ全土を占める広大な王国となっていた。その理由は誰も知らない。もしも、”エリュシオン”がアストゥールの建国に深く関わるものだとしたら…。
 「お前にしか頼めない、アルウィン」
シドレクはアルウィンのほうに向き直った。
 「過去の人々が五百年、隠し通そうとしたものが何なのかを確かめてほしい。”エリュシオン”そのものか、それに関わる何かなのか。もし、必要であると思うなら、それを破壊してくれて構わない。」
 「わかりました」
視線が合う、数秒。
 初めて会った時から変わらない、誰も恐れない黒い瞳。その奥にシドレクは、確かな未来の姿を感じ取っていた。


 わざわざ廊下の端までやってきたのは、そこが一番、人に会いにくいからだ。
 雪の積もる窓辺は冷えていたが、この二人にはほとんど関係ない。もっとも、普段から武器を手放さない無愛想な男二人が立ち話をしているところに出くわせば、大抵の人は話の内容に耳をそばだてる前にそそくさと立ち去ってしまうだろうが。
 「で…話とは」
 「お前はどこまで知っている」
呼び出したのは、ウィラーフ。呼び出されたデイフレヴンは、詰問するような口調のウィラーフを眺める。
 「どこまで…とは」
 「とぼけるな。クローナが本当に王家の一端だったと、王は知っていて攻めたのか?」
代々クローナに仕えてきた騎士の家系である彼は、気づいていた。
 クローナ領主家の地下にある”白銀の樹”の浮き彫りのことも、”ファンダウルス”のことも知っていた。”銀の王家”…、クローナが長年主張し続け、王国議会は決して認めることのなかった「大昔に分離したもう一つの王家」という存在に隠された事実。アルウィンは何も言わなかったが、逆にそれが確信へとつながった。アルウィンの性格からして、王の不利になることは決して公にしないだろう。
 デイフレヴンは、淡々とした口調で答える。
 「少なくとも、五年前のあの時まではご存知ではなかった。確信を持ったのは最近の話だろう―― 今も、知っているのは王とギノヴェーア様だけだ」
 「議会には…」
 「知らせることはないだろうな。公表したところで、何がどうなるわけでもない。五年前のことは処分が完了している。クローナは既に王国の一部となり、領主家が王家を名乗ることもなくなった。決定が今さら覆されることはない」
 「……。」
どうしたい、という気持ちは無かった。ただ、沈黙していること。アルウィンもそれを望むはずだ。
 「シドレク様を恨んでいるのか?」
ふいに、デイフレヴンが言った。
 「いや…。」
故郷に攻めこまれ、故郷とも家族とも敵対せざるを得なかったこと。戦いの中、父や仲間たちを戦死させたこと。もしもリーデンハイゼルの王家がクローナの権利を王家の特権として認めてくれていたなら、あの戦いは起きなかったどころか、長年の軋轢もうまれなかった。
 恨まなかった、と言えば嘘になる。怒りや憎しみも一度は抱いた。だが、その思いはアルウィンが捨てさせた。
 「アルウィン様が過去は過去だと言うのだから、私が恨む理由はない」
今の自分は、王に剣を捧げ、王のために命を懸ける騎士なのだ。ウィラーフがそうあることを、アルウィンも望んでいる。
 「…ところで、王の傷の具合は。浅くはないのだろう?」
宮廷騎士たちの長でもあるデイフレヴンのほうに向き直り、彼は話題を変えた。
 「あの方は、滅多なことで弱いところは見せない。その王に膝をつかせるほどの傷。王に隙があったとも思えない。一体、何があった?」
デイフレヴンは、指先で腰の剣の柄を叩いていた。この男の、不機嫌な時の癖だ。
 「…ローエンを含む騎士四人が裏切った。前もって計画されていたことだったのだろう。私が席を外した時のことだ」
 「四人?」
王の側に仕える十二人の騎士たちのうちの、三分の一。
 「メルヴェイル、レスター、ウィンドミル。いずれも東方で大荘園を経営する家系出身の騎士だ。最近騎士団に入ってきたフラーナルも怪しい。ローエンの強い推薦あっての入団だからな」
護衛役として直接王に仕える騎士たちは、最近になって何人も入れ替わっていた。前任者は、議会での要職を与えられたり大臣に出世したり、別の騎士団で団長となったりした。その一人が、北方騎士団の団長、ロットガルドだった。大役を仰せつかっての栄転ゆえに強く反対するものはいなかったが、今から思えば、あれは布石だったのかもしれない。誤算だったのは、王の暗殺が一筋縄には行かなかったことだ。騎士たちの企みが成功していれば、今頃リーデンハイゼルは完全に東方騎士団の手に落ちていたはずなのだ。
 「議会は」
 「東方騎士団の息のかかった者の目星はついている。が、その全てが今回の計画に加担したとは思えない。何しろ”王の暗殺”だからな。既成事実となった上で、味方につくか、敵となって死を選ぶかを突きつけるつもりだったのだろう。」
 「厄介だな」
 「そんなものだ。誰しも自分の命は惜しい。お前やアルウィンのように、常に味方についてくれる者のほうが少ない」
 「…それは褒め言葉と受け取っておく。」
ウィラーフは表情を変えず、窓の外に視線をやった。
 「お前の腕だ、心配はしていないが」
と、デイフレヴン。「王に手傷を負わせられるほどの騎士四人相手に、一人で戦おうなどと思うなよ。」
 「そう簡単に命は捨てない。死ねない理由も出来た」
振り返り、ウィラーフは剣を鞘ごと腰から抜いた。デイフレヴンも同じようにする。揃いの金の房飾りのついた柄が打ち合わされる。
 「生きて、また会おう。」
 「ああ」
二倍近い歳の差にも関わらず、騎士団で最も親しく付き合っていたのがデイフレヴンだった。多くが出世を夢見て中央にやってきた貴族や騎士の家の出なのにも関わらず、彼だけが違っていた。
 ウィラーフは、彼の故郷が既に無いことを知っている。何十年も前、王の先代の時代に内乱によって放棄された遥か西の一地方――それがこの男の生まれ育った場所だった。


[BACK]--[INDEX]--[NEXT]