6



 翌日――
 早々にしてシドレク王は、現在のこの町の実質の代表者にして館の女主人、ユミナの訪問を受けていた。
 「城門の大破と元・領主館の全焼、それに伴う類焼三件。及び、一部損傷家屋十五件、負傷者二十五人。幸い町の者に死者は出ませんでしたが」
早口に報告書を読み上げ、彼女は、キッとして王を睨みつけた。
 「元・領主館はあなた方に召し上げられて町の持ち物ではありませんから除外するとしても、これだけの損害を被ったのです。」
 「兄様とその勇敢なお仲間たちの怪我を計算に入れそこねていますわよ、母様。」
横からブランシェが囁く。
 「失礼。それもありました。とにかく! 今回のこと、原因は中央にあることは明白です。よって私は、これらに対する賠償を求めるよう議会に提出させていただきますからね」
 「ああ、迷惑をかけたのは事実だ。全額、国の負担で構わない。」
 「ま! 軽くおっしゃいますこと」
シドレク王は、にこりと笑う。
 「まぁ、これでもアストゥールの国王だしこのくらいはな。あと我々の治療費と滞在費も経費で落とすから。」
 「でしたら、こちらに王自らのサインをいただけますかしら? 口約束ではいけませんから。」
サインを受け取ると、ユミナは念入りにそれを確かめ、満足気にうなづいた。
 「よろしい。契約は成立いたしましたわ。では!」優雅にスカートを翻す。「踏み倒されては困りますから、あなた方の身は責任をもって警護させていただきますわ。ご安心なさい」
 女主人が意気揚々と去っていったあと、このアストゥール王国の国王は、にやにや笑いを隠せなかった。
 「なかなか凄いご母堂を持っているな、アルウィンは。」
 「クローナのユミナ・リンディスといえば、元は女傑で知られた騎士ですからね。もちろん剣だけではなく、商売人からの信望も厚いやり手だそうです」
と、傍らに控えるデイフレヴンが言う。「りんご食べますか。むけましたけど」
 「お、一切れ」
 「ずいぶんと和んでいらっしゃいますこと」
二人に尖った口調で言葉を投げつけるのは、腕組みをし、部屋の隅から威嚇するような目で見つめているブランシェだ。今日は乗馬服で腰に剣を下げている。
 「ここが敵地のただ中なのをお忘れなきよう。私は、あなたたちがこの町にしたことを許すつもりはありません」
 「ふむ…」
シドレクは、りんごを一切れ口に放りこみ、少女のほうにちらと目をやる。それがさらに火をつけたのか。ブランシェは怒鳴った。
 「あなたは、私の父上を殺したんですよ!」
 「…王も、ご子息を亡くされた」
静かに、デイフレヴンが言う。
 「それは代わりにはなりません!」
 「もちろん。親しい誰かの死は、別の誰の死をもってしても、代わりに出来るものではない。仇を討っても、その死に報いたと自分を納得させることは出来まい――?」
 「私は、そんなことは!」
 「すまなかったな。」
シドレクは、ふいに真面目な顔で言った。
 「本当にすまなかった。」
 「……っ」
ブランシェは、叩きつけるようにしてドアを開き、ばたばたと駆け出して行く。王はため息をつき、手元に視線をやった。
 「昔の私なら、あのような子供も斬り捨てていたのだろうか。」
 「いえ…それは」
 「戦場に響き渡る勝利の歓声、胸の高鳴る凱旋のラッパ…敵を倒す喜び、誇り。お前とともに幾多の戦場に出ただろうな。正義の戦いなどと、あの頃は信じていた。今まで倒してきた”敵”の家族は、今でもあのように私を恨んでいるのだろうな。」
 「……。」
デイフレヴンに、しばしの間。
 「それでも、あなたに救われた者たちも多いのです、王。だからこそ、人々はあなたを”英雄”王と呼んだ。あなたはずっと、弱き者のために戦い、不正を犯す者たちを罰してきたではありませんか。」
 「だが、その結果、この王国は今、分裂しようとしている。」
シドレク、窓の外に目をやった。
 「――私は、自分に酔っていただけなのかもしれんな。人々を救うという大望に取り憑かれ、それを成すには剣を振るうことしかないと思っていた。それでは不十分だったのかもしれない。正義を声高に叫び剣を振るう前に、目をそらさずに打ち倒そうとする者の姿を見るべきだったのだ。」
明け方に降りだした雪はその後も絶え間なく降り積もり、町を白銀に染めている。壊れた門も、焼けた館も、戦いの跡も、すべては静寂の中。
 「教えてくれたのは、アルウィンだったな…。」


 ――五年前、初めてアルウィンが目の前に現れた時、彼は言った。
 「目の前のものがすべてです、王。」
わずか十歳の、それも歳の割に小柄に見えた。寒さの中、馬を駆って来た少年の頬は紅潮し、髪にはまだ、凍った雪が張り付いていた。
 たった一人、従者もなく、剣一本を携えて訪れたその少年は、王の前に連れてこられると膝をつき、剣を差し出した。自らクローナの新しい当主だと名乗って。その剣は確かに、前日まで戦場で見かけたクローナ家の当主のものだった。
 戦いを終わらせるために必要だと思うなら、自分の命を取ればいい。ただし、その代わりに町にはこれ以上手を出さないで欲しい。
 そう言った少年は、あまりにも幼く見え、申し出は、あまりにも唐突すぎた。
 子供を殺すなど出来ない、と戸惑いながら答えるシドレクに、彼は答えた。
 「それでも、王の敵とみなされた者なのです。王が欲しいのは、反逆者の命のはず。それならば、残りは私一人です。目の前のものがすべてです」
大国アストゥールの王を前にして、そんなことを言った者は過去に誰一人いなかった。へりくだっていながら、その口調は対等なものに対するように聞こえた。
 恐れることなく玉座を見上げたその瞳は、今も変わらない。


 シドレクは、口元に笑みを浮かべた。
 「あの時、私はアルウィンを恐れた。たった十歳たらずの子供に、このシドレクが気圧されたのだ。」
 「あなたが考えていることはわかりますよ、王。でも、今はまだいけません」
デイフレヴンは、無表情で器用にりんごを剥いている。
 「議会が納得しないでしょう。少なくとも、今までは表舞台に出ていませんからね」
 「なに。これからさ。納得させる方法はいくらもある」
大きなベッドにごろりと寝そべる。
 「――ああ、引退したら自由に大陸じゅうを遍歴してみたいな。こう、人助けの旅…みたいな」
 「悪者を倒すときは王の印をちらつかせるご隠居、ですか。面白そうですね」
 「お前も来てくれるか?」
手を止め、デイフレヴンは呆れ顔で王を見やった。
 「いまさらそんなことを聞きますか。何十年ご一緒してきたと思ってるんです? あなたが行くところなら、世界の果てでもお伴させていただきますよ。」
 「なら、心配はいらないな。」
暖炉で薪がはぜ、火が揺らめく。そしてまた、部屋は静寂の中に落ちていく。


 ドアをノックする音に気づいて、アルウィンは顔を上げた。
 「どうぞ」
 「お邪魔します」
入ってきたのは、シェラ。手にお茶とお茶菓子の乗った盆を手にしている。
 「みんな何だか忙しそうだから、私も手伝ってるの。」
 「ああ、そのへんに置いといて」
アルウィンはベッドで本を読んでいる。怪我は、火傷と打ち身と、そう深くはない切り傷が幾つか。あれだけの大立ち回りを演じたわりに軽傷だったのは幸いだった。傍らのソファでは、ふかふかのクッションに顔をうずめたままワンダが大鼾をかいている。
 シェラは、それを見てくすっと笑った。
 「ワンダも、頑張ったものね。」
言いながら、ワンダの脇の開いている場所に腰をおろす。
 「アルウィンのお母さん、王様のことを守ってくださるみたいよ。良かった」
 「知ってる。母上の声はここまで聞こえてたからね」
苦笑しながら、アルウィンはお茶に手を伸ばす。
 「あの性格だし、母上のことは心配してない。ブランシェは――まだ少し時間がかかるかもしれないけど」
 「彼女にとっては、戦争のせいでお父さんも、お兄さんも、同時にいなくなっちゃったんだものね。」
お互いにとって不幸な戦いだった。それが誰かの仕組んだことだったにせよ、悲運によるものだったにせよ、誰も止めようとしなかったのなら、それは”必然”だ。
 「そうだ、シェラ。」
 「なに?」
 「これ、読めるかな」
アルウィンはベッドの傍らに置いてあった何かの破片のようなものを差し出した。革紐の先に、穴の開いた金属板がぶら下げられている。紐は途中でちぎれていた。
 「神聖文字らしきものが書かれてる。おれが戦っていたあたりに落ちていたって」
 「…えーと」
シェラは、板の表面を指でなぞり、文字を読み上げた。


 エリュシオン

 大地を繋ぎし黄金の樹
 その枝で編まれた王の証
 民は集い、歓喜する
 たとえ大樹が倒れても
 その根までも枯れぬ限り



 「…”エリュシオン”。詩のタイトル… これは…」
 「始まりの一片、か。」
アスタラに伝えられた、五つの詩片のうち冒頭部分にして最後の一つ。すべてが揃った。
 「きっと、オウミが持っていたのね。これを落としていったってことは、もう…」
 「いや。」
アルウィンは、首を振る。
 「多分、まだ生きている。向こうもすべての詩を見つけた。”黄金の樹”の紋章がもう必要ないなら、先に詩の謎を解いて”エリシュシオン”の元にたどり着くかもしれない」
 「でも、もう手がかりはないわ。サウディードの人たちに協力をお願いするのは時間がかかりすぎるでしょう。いちかばちか、”イルネス”に行ってみる?」
 「……。」
指を組み合わせ、アルウィンは、しばし天井を見上げた。
 「その件は、もう少し考えてみる。――それより、ウィラーフはどうしてる?」
 「まだ起き上がれないみたい。」
死の淵から奇跡的に生還して、館に担ぎ込まれてから、まだ一日しか経っていない。アルウィン自身もしばらくの休養が必要だったため、炎に包まれる領主の館を脱出していらい、ウィラーフには一度も会っていなかった。
 「あたし、悪いことしちゃった。」
 「え?」
 「騎士には死に時がある、って前に言ってたの。だけど今回はアルウィンの援護にも行けなかったし、王様を守って死にかけたわけでもないし。あたしなんか庇って死にかけちゃったからなのか、”死にそこねた”とか何とか、機嫌悪いみたいで」
アルウィンは、まじまじとシェラを見つめた。
 「…シェラ、騎士の”死に時”って、何か知ってる?」
 「主君とか仲間を守って戦って死ぬことでしょ?」
きょとんとした顔のシェラに、彼は、笑いを噛み殺しながら言った。
 「騎士には名誉ある”死に時”が二つあるんだ。一つはもちろん仕える主人のため」
 「うん」
 「もう一つは"愛"を捧げる女性…妻とか、恋人とかのため。ウィラーフらしい遠まわしな言い方だけど、彼がシェラを守って死ぬつもりだったなら、そういうことなんじゃないかな?」
 「……。」
みるみるシェラの顔色が変わっていく。「何それ…」立ち上がるなり、彼女は呟いた。「そんなの…言ってくれなきゃ一生気づかないわよ!」スカートを翻し、慌てて部屋を飛び出していく。
 ばたばたという足音と、勢い良くドアが閉まった音で、ワンダが目を覚ました。ふぁーっと大きくあくび。
 「いい匂いするぞ。」
 「クッキー。シェラが置いていった。食べていいよ」
 「おお! オヤツだ。やったーっ」
ソファから飛び降りて盆にとびつくワンダのしっぽには、火事で焦げて固まってしまった一塊の毛がある。にやにやしていたアルウィンの表情が、すっと引き締まった。

 ――負傷者二十五人。

ユミナの読み上げたその数は、アルウィンの耳にこびりついていた。
 自分たちを除いて、それだけの人が怪我をした。かつての戦争の戦死者の数と比べるべくもないが、被害を出してしまったことはやはり手痛かった。
 避けられなかった争いではあった。
 だが、もっとけが人を少なく出来たのかもしれない。
 戦いが起こるたび、無関係な人まで巻き込まれる。オウミたちが王国を分解するためにどれだけの協力者を得たかは分からないが、少なくとも、東方騎士団が画策している反乱は、それが表沙汰になれば大きな衝突にならざるを得ない。戦いはまだ終っていない。これからだ。


 アルウィンが考え込んでいた時、誰かが部屋に飛び込んできた。一瞬、シェラが戻ってきたかと思ったが、違った。
 「兄様!」
ブランシェだ。外から戻ってきたまま、分厚いコートからは雪の溶けた水滴が滴り落ちている。「町の外に――」


 爆破されたまま、崩れ落ちた跡も生々しい城門の外。
 湖を渡る手前に、その群れは居た。北の山あいの地方で使わる大きなツノを持つ鹿たちや、毛深い小柄な馬に乗ったおびただしい数の人々。それぞれが幾つかの集団に別れ、顔立ちはよく似ていたが、それぞれの持つ雰囲気と出で立ちは違っていた。武器を帯び、若者と戦士だけで固めている。どう見ても友好的な集団とは思えない。
 にも関わらず、彼らはそこから動かなかった。城門を壊され、守り手の多くが負傷している今、攻め入ることは容易であるはずなのに、だ。
 ブランシェとワンダだけを伴い、アルウィンは橋を渡った。ブランシェはコートの下に完全武装し、用心深く腰の剣に手をかけている。アルウィンも、ファンダウルスを持ってきている。
 「アスタラの人々とお見受けする。用向きは何だ?」
白い息とともに、アルウィンは群れに向かって話しかけた。
 「おれはクローナの代表者としてここへ来た。そちらの代表者は誰だ。この来訪の理由は?」
 集団の中から一人、馬に乗った男が歩を進めてくる。この寒いのに、上半身はほとんど裸。肌は雪に焼けてほとんど真っ黒。
 「王は、生きているのか?」
 「――ああ。」
互いの吐く息は白く、間には、積もったまま誰も踏み跡をつけていない雪原が広がっている。
 「あなたがたは、”エサルの導き手”なのか」
 「いかにも」
背後でブランシェが剣を抜き書けるのを、アルウィンが手で制する。言葉には続きがあった。
 「我ら、十三の部族――アスタラに住むすべての者が」
 「…かつてエサルとともに北へやって来た部族だから、か。なるほど…。」
アルウィンは、懐からオウミの落し物を取り出した。
 「これを返したい。もしも彼の仲間がまだいるのなら。ヨルド族の人は来ているのか」
 「そこにいるよ」
別の声が、群れのほうから答えた。「そこの一人だけだ。他のヨルドの若者は、みな戦いに出ていったよ。」
 アルウィンは、目の前にいる弓を背負った半裸の男に、革紐のついた銀板を投げ渡した。
 男はそれにじっと視線を落とし、それから、アルウィンに目を向ける。
 「あなたの名は何という」
 「アルウィン・フォン・クローナ。」
 「…今一度聞く。王は、生きているのか?」
アルウィンは、頷いて答えた。
 「”銀の樹は盾となりて”。黄金の樹なる国王シドレク様は、今もご健在だ」
静かなざわめき。そしてそれが収まった時、群れは、静かに動き出す。
 残っていた男が、声を張り上げた。
 「オウミは言った。王は死んだ――エサルの血はもはや絶えたと。だが、それは誤りだったようだ」
降り続けている雪と距離のせいで、互いの表情は見えない。だが、きっと笑っていたのだろう。
 馬の首を返しながら、男は言った。
 「それが貴方の選んだ道ならば、我らは再び従おう。五百年前の約束は、果たされたのだ。さらばだ、王の末なる子らよ!」
強く吹きつける風が雪を巻き上げ、白く霞む景色の中に群れの姿と、その足あとをかき消してゆく。
 アスタラの部族は、クローナを攻めることも王国と敵対することもなく、彼らのすみかへと帰っていったのだ。


[BACK]--[INDEX]--[NEXT]