5



 間一髪、なんとか脱出したその背後で、入り口の大きな梁が燃え落ちて行く。アルウィンは、ほっとして煤に汚れた顔をぬぐった。ワンダは足元でぐったりしている。体の毛が、ところどころ焦げていた。
 「ありがとう、ワンダ。助かったよ」
 「ふにゅー。雪、つべたい…」
アルウィンは思わず笑みを漏らし、だが、すぐにその表情は硬くなる。
 まだ地下室に仲間がいたのに、オウミたちは、迷いなく火を放った。
 ノックスの町で、レトラの古老夫婦にしたことも、そうだ。目的のためならば犠牲も、手段も選ばない。たとえ五百年前に交わされた”エサル”との約束のためだったとしても、初代王への忠誠のためだったとしても、それは許されることではない。
 たぶん、五百年は長すぎたのだ。
 変わらない関係があれば、変わってしまう関係もある。人の思いもまた、積み重ねられていくうちに歪み、いつしか…その本来の意味を見失ってしまったのだろう。
 広場のほうで、わっと声が上がった。剣戟の音。アルウィンは立ち上がる。
 「ワンダ、まだいけるか?」
 「おう、頑張るぞ!」
 「じゃ、頼んだ。」
二人は走りだす。脱出した場所は前庭、そこから広場はもう、眼と鼻の先だ。


 シドレク王をアルウィンの母ユミナの館に送り届けたあと、ウィラーフはすぐさま次の行動に移った。再び馬に乗ろうとしているところを、シェラが見つけた。
 「ちょっと、どこ行くの? 王様は?」
 「デイフレヴンがついてる。」
 「アルウィンを探しにいくのね」
シェラも馬に乗る。「あたしも行くわ。」
 「お前はここに――」
 「あなた一人で探しに行ったら、アルウィンに叱られるわよ。あたしの護衛だったら叱られない。ね?」
 「……。」
コートの襟をたてて、二人は馬を並べて走る。町の注意は、ほとんど炎上している領主の館に向けられている。ここから見る限り、火は収まりつつあるようだが、町の中にはまだ、逃げまわっている”エサルの導き手”の郎党たちがいるはずだ。
 「門は封鎖してあるんだったわよね」
 「ああ。狭い街だ、自警団の連中も素人じゃない。」
今のところ、シドレク王の身に差し迫った危険もない。先回りできたことで、最悪の未来は回避できたのか。そうとは思えない胸騒ぎが、シェラにはあった。あのオウミという老人が、逃げ損ねてやすやすと捕まったりするだろうか。まだ、何か――
 「きゃあ、誰かっ」
けたたましい叫び声が、どこかの二階から響き渡った。
 「火事よ! 門の上で誰かが火を付けてる!」
窓から身を乗り出して、門を指さして叫んでいる女性がいる。確かに、火らしきものがちらちらと見える。あれは、領主の館から遠いほうの門。アミリシア街道から続くほうだ。
 町の人々が、あわてて自警団を呼んだり桶を持ち出したりしている。ウィラーフは馬の向きを変えた。シェラも続く。
 門には見張りがいるはずだったが、その気配は無かった。城門の上の見張り台へと続く狭い入り口は開け放たれている。ウィラーフは何もいわず剣を抜いて階段を駆け登っていく。
 「ちょっと! 待って」
シェラも、いつも隠し持っているナイフを手探りしながら後を追う。螺旋状に続く階段を駆け上り、門の上部にある見張り台にたどり着く。
 そこには、黒いマントの男が一人、今まさに、ロープにくくりつけた松明に火をつけ終わったところだった。はっとして振り返り、とっさにナイフを抜く。
 「ここで何をしている! その火は…」
言い終わらないうちに、男は、ロープを町の外のほうに向かって放り投げた。
 と同時に、見張り台から城壁へ飛び降り、その上を走りだす。
 「おい!」
 「――まずいわ」
シェラは見張り台から身を乗り出し、放り投げられた火の行方を発見した。橋げたの側、伏せた小舟。導火のためにそれとなく散らされた藁と、小舟の下に隠された黒っぽい荷物の山。火はちりちりと藁を燃やし、やがてそれは小舟のほうへ――
 「ウィラーフ、城壁のほうへ逃げて! 早く!」
シェラが伸ばした手が届くより早く、背後で、閃光が爆発した。


 広場では、雪をけちらしながら元騎士の自警団と黒マントの男たちとが大混戦のさなかにあった。そこは、最初に町を訪れた時、商人たちが賑やかに取引していた場所だ。夜でも人通りが絶えない場所だけに、周囲の建物の軒先に吊り下げられたランプには煌々と火が焚かれ、踊る戦いの影を雪に映しだしている。
 広場から続く、町の外――橋への道は、閉ざされている。めったに門を閉ざさないこの町だが、今夜に限って二つとも閉ざされているのは、前もってアルウィンが伝え、ブランシェが実行した結果だ。逃げ道を失い、抵抗する”エサルの導き手”たちの中に、オウミの姿もあった。アルウィンは、そちらに向かって進んでいった。
 「おい、あれ」
 「領主家の…」
騎士たちが気づいた。アルウィンは構わず、戦いを避けながら進み続ける。老人のほうもそれに気づいた。にやりと笑い、黒いマントを翻して自らもアルウィンに近づいていく。二人が同時に足を止めたのは、互いの間合いのちょうど触れ合う場所。それ以上、一歩でも踏み出せば、剣の届く距離になる。
 オウミの手には、黒い艶やかな色のナイフが握られている。ハザル人の鍛えし剣。”暗殺者”の友―― その名を、ここで思い出させられるとは。
 「まんまとしてやられたわ。町ぐるみの罠だったとはな」
アルウィンは腰から剣を抜いた。あらゆる光を吸い込むような漆黒の、細い剣。大人の腕ほどの長さで、刃は片方にだけついている。引き抜くとき、ほんのわずかに刃が震え、鞘がりん、と鳴った。同じくハザル人の手によるものと分かる波模様が浮かび上がっている。オウミの視線が釘付けになる。
 「ほう。ハザル人が長剣を作るとは、珍しい。しかも並の業物ではない。それは――」
刹那の沈黙と、息を飲む音。そして老人は、高らかに笑い出す。
 「”ファンダウルス”! いにしえのイェルムンレク王の剣か。まさかまだ残っていたとは。しかし、それを使う者が、このような!」
 「何とでも言うがいい。この先へは行かせない」
笑いながら、オウミは風のようにアルウィンの懐に飛び込んでくる。髪の白い老人の動きとは思えない。目で追うのはやっと、避けるので精一杯。風圧で皮膚が切れ、鮮血が雪の上に迸る。
 「エサルも哀れなものだ。名に聞こえし名刀も、扱う子孫がこれではな」
 「アルウィン〜!」
ワンダは、他の敵に阻まれて近づけない。と、いうより、二人の動きがあまりに激しすぎて、誰も手を出せないのだ。どちらが劣勢なのかは見れば判る。アルウィンは逃げるばかりで、一太刀も打ち返せていない。しかし逆に、一度も致命的な攻撃を受けていなかった。滑りやすい雪に濡れた敷石の上でも、彼はうまく立ち回っている。
 「どうした、逃げるばかりか? 意気地なしめ。祖先の誇りまでも忘れたのか」
 「……」
アルウィンは足を止めた。オウミとの距離は、ほんの数歩。
 「誇り」と… 彼は言った。
 その言葉は胸の中で今も、ずっと燻っていたもの。耳にした瞬間、目覚めかけていた火種が胸の中で燃え盛る。


 それは父、エリオットが遺した最後の言葉だった。


 ――五年前、ちょうどこの場所で、その日も雪が降っていた。
 いつも忙しくしていて、ほとんど話をしたこともなかった父。アルウィンが剣術の稽古をサボったり、馬術の訓練で落馬したりした時には決まって雷を落としていた厳しい男が、その日だけは穏やかだった。
 町は王国軍に包囲され、どこにも逃げ場はなかった。最後の戦いと知りつつ出陣する騎士たちの先頭に立っていたエリオットは、見送りに来た家族の中からアルウィンだけを呼び寄せて、こう囁いた。


 王とは”守る者”のこと。
 たとえ生きて帰れないとしても、”誇り”のため…この町を守るために行く。


 敢えて死に赴くことを「誇り」だと言う意味を、かつての自分は理解することが出来なかった。ただの強がりにしか聞こえず、無意味な死だとすら思っていた。
 今なら判る。父は、過去の栄光の記憶に縋ろうとしたわけでも、死に酔っていたけでもなかった。自分の死によって守られるものがあるのなら―― 一人の死によって、より多くが守られるのなら、迷いなくそれを選べることこそ、彼の”誇り”だったのだ。
 「誇りとは、王冠を戴くことでも…敵を倒すことでもない。」
アルウィンは、剣を構え直した。たとえ方法は違っても、目指したものは同じ。そう、アルウィンの歩いた道は、結局は父のそれと同じところを目指していた。
 「この町と住む人を守ること――それが、我が血の誇りだ!」
鋭い踏み込みで一閃、かわされたところに返す刀でさらに一閃。オウミの首もとが切れ、マントの切れ端とともに何かがきらめきながら飛び散った。後ろに一歩、あとすさった老人は、雪だまりに足をとられて蹌踉めく。その手から武器が落ちた。
 「強い意志…迷いなき剣閃。なるほど…使い手は並でも、さすがは王の武器…か。それとも…」
つぶやいて、老人は閉ざされた門に向かって走りだす。
 「待て!」
叫んで、追いかけようとしたアルウィンの背中に何かがのしかかってくる。
 「だめぇっ」
 「ワンダ? 何が…」
 「ニオイが…」
すぐ側で、閃光が走った。
 遅れて衝撃が。声を上げるまもなく、アルウィンとワンダは一緒くたになって敷石の上を転がった。まだ踏みしだかれていないさらさらとした雪が爆風で飛び散り、まだ戦っていた人々も、端から巻き込まれていく。
 オウミは町の門にも爆薬を仕掛けていたのだ。それも領主館よりも大量に。何かあったとき、追っ手の追撃を遅らせるためか。或いは、この町の全てを燃やして逃げるつもりだったのかもしれない。


 雪が、ちらついていた。
 体じゅうが痛い。爆風でたたきつけられたらしく、一人では起き上がれそうもない。仰向けに倒れたまま、アルウィンは夜空にゆっくりと片手をかざす。その手には、革紐につながれた、銀色の樹の形をした古い紋章があった。
 「”黄金の樹は剣となり、白銀の樹は盾となり”… 」
呟いて、眼を閉じる。紋章の中心にはめこまれた銀盤に刻まれた文字は、掠れてもうほとんど読むことは出来ない。だが、意味は、これを渡された時に父が教えてくれた。

 ”盾となりて守るもの
  我は再び汝と会わん”


側で、くしゃくしゃの毛玉のようになっていたワンダがよろよろと起き上がる。
 「…火薬の匂いするから、だめだって」
 「ごめん、ワンダ。助かったよ」
動けないアルウィンの上にかぶさるようにして、ワンダの顔が覗き込む。「アルウィン、強かったぞ。頑張った」
 「うん…。」
やがて静寂の中に意識が溶けてゆく。アルウィンは、目を閉じた。


 冷たい水の感覚で、否が応にも意識が戻ってきた。
 「ぷはっ」
水面に顔を出し、何とか息を継ぐ。水深は、足が辛うじて湖底につくか、つかないかといったところ。シェラは、つま先立ちをしながら燃え盛る門を見上げた。爆風で外に向かって飛ばされたのだ。湖側に落ちたお陰で、首の骨を折らずに済んだのは、まだ運が良かったというべきか。岸からは遠い。雪の降る日の湖の水温は、とても常人に泳ぎきれるものではない。だが、シェラは泳ぎの得意なルグルブの民だ。
 泳ぎだそうとしたとき、彼女はふと、自分の手に絡み付いているものに気がついた。銀色の長い髪。――そうだ。記憶が蘇ってくる。爆発のあの瞬間、ウィラーフが彼女をかばおうとして、目の前に飛び出してきた…。
 「…ウィラーフ」
水の中に沈んでいこうとする体を、懸命に引き上げる。
 「ちょっと、目を開けて。ウィラーフってば」
顔面は蒼白で、水面に上げても息をしている様子がない。シェラの脳裏が凍りついた。「うそ…」
 だが、意識が飛んでいたのは、数秒にも満たない時間。
 ここで諦めたら、本当に死んでしまう。この状況では、二人どころか一人助かるのさえ難しいのだとしても、やるしかない。彼女は冷たい水の中で必死に岸に向かって泳いだ。人魚の末裔が冬の湖で溺死なんて、お伽話にもなれないと思いながら。体はしびれ、手足の感覚はない。それでも。
 ようやく、足がつくところまで来た。
 濡れた重たい体を岸に引き上げ、ウィラーフの体も足まで引き上げる。足が滑って、泥の中に突っ伏す。
 「…まだ駄目。もうちょっと」
ここで眠ったら死んでしまう。
 燃え盛る門の消火のため、人が集まってきた。こちらに気づいてくれれば、助かるかもしれない。だが、寒さで体が震えて声は出ない。
 シェラは、這うようにしてウィラーフに近づいた。自分の体は冷え切っていたが、ウィラーフは、それ以上に冷たい。閉ざされた瞳はぴくりともせず、唇はすでに青ざめていた。
 「…あたしのせいなの?」
――”恋人は、その腕に抱かれる前に凍えるさだめ。” 
 「そんなの、酷いじゃない。あたしは、ただ、この人に幸せになってもらいたかっただけなのに…」
恋人というほどの関係でもない。ともに旅してきた月日は、仲間以上のものではなかったはずだ。かけがえのない仲間。親友以上の存在。側にいて、ともに笑い、ともに泣きたいと思えた――大切な人。
 彼女は、濡れたウィラーフの胸に突っ伏して、その胸を叩いた。
 「何がライラエルの再来よ。将来の族長候補よ。自分の未来もどうにもならないなんて、それなら未来を知る力なんて無ければよかったのに!」
拳で叩いて、思い切り揺さぶる。「ウィラーフの馬鹿! 目を開けてよ、予言通り死ぬなら、せめて…!」
 かすかな反応。
 「…あ」
叩かれた衝撃か、揺すったせいか。さっきまで仮死状態だった体に、赤みがもどってきている。何度か咳き込んで、水を吐き出した。
 「ウィラーフ!」
ウィラーフは、かすかに目を開けてすぐ目の前にあるシェラの顔をぼんやりと見つめた。
 「死んだかと思ったじゃない…」
温かいものが頬に零れてくる。「涙が止まらないの。どうしてくれるのよ」
 「……すまん。」
呟いて、眼を閉じる。「あとで…あやま…。」
 二人に気がついた町の人々が、ロープや梯子を持ってこちらに走ってくる。夜明けが近い。さっきまで闇の中にあった湖の表面が、明るく輝き始めている。
 助けが辿り着くまで、シェラは、ウィラーフの体を抱いたままだった。


[BACK]--[INDEX]--[NEXT]