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 大通りでは、積もった雪は瞬く間に溶けて流れ、馬車のわだちや行きかう人々の足あとに踏み荒らされ、灰色の水滴となって水路に落ちていく。
 冬はまだ本格的に始まってはいない。商人たちは今のうちに今年最後の取引を終え、それぞれの目的地へ旅立つだろう。住人たちも、一冬分の買い物に大忙しだ。
 「変わりませんね。この町は」
 「そうだな」
目立たないようにしているつもりだったが、地元は地元。目ざとくアルウィンとウィラーフを見つけた住人たちのひそひそ話が、そこかしこで聞こえる。ワンダは耳をぴくぴくさせている。
 「なんか、名前いっぱい呼ばれてるぞ」
 「…だろうな」
ウィラーフは、自分のほうを見ながら話をしている、白いスカーフを巻いた数人の若者たちに気づいていた。馬を連れ、ブランシェと同じように甲冑に身を包んでいる。元クローナ騎士団に所属していた家の若者たち。何人かは見覚えがある。ウィラーフが町に住んでいた頃は、騎士見習いだった連中だ。
 かつてのクローナ騎士団の多くは、王国軍との戦いで戦死した。今の自警団に参加している元騎士の大半は、五年前の戦いの時には後方にいた見習いや半人前の騎士たち。彼らにとって、王国側の騎士団にいたウィラーフは家族や仲間の「仇」なのだ。
 「やっぱり、館にいたほうがよかったんじゃないのか? ウィラーフ」
 「自分のことで言われるのは気が楽ですよ。それに、あそこにいても同じことです」
アルウィンの耳にも、「人質」「宮廷に寝返った」という言葉が耳に入ってきた。この北の果てのクローナまでは、二人の最近の動向なども聞こえては居ないのだろう。分かりきっていたことではあるが、少し寂しい気がする。
 ――だが、町の反応を確かめるために出てきたわけできない。
 「…ワンダ。頼みがある」
 「ん? なんだ」
 「この町のどこかに、王か、前に襲ってきたマントの連中が隠れているかもしれないんだ。覚えのある匂いに気がついたら、教えてくれないか。」
 「おー。わかった、頑張って探すぞ!」
胸をどんと叩くと、ワンダは張り切って歩き出した。
 「雪で匂いが消えているかもしれません。巧くいくでしょうか」
 「すぐには見つからなくても、手がかりくらいは掴めるかもしれない。何よりここは、おれたちの知り尽くした町だ。」
どんな路地裏も、忘れ去られた建物も、頭に入っている。この五年、戦争の傷跡を癒すことに精一杯だったなら、町を大きく作り替える余裕はななかったはずだ。
 この町のどこかに、今も”エサルの導き手”たちは潜んでいるかもしれない。
 王はまだ無事なはずだ。シェラの見た未来、この町が燃え上がるその時がいつかは判らないが、その時までに、先手を打つことが出来れば。
 「しかし、この町は燃やすのも楽じゃないよな。」
アルウィンは、町に常備されている消火設備と、はりめぐらされた水路を見やる。かつての戦争の時も、打ち込まれた火矢はことごとく不発に終わったほどの町だ。
 「やるとしたら…」
 「一気に着火するしかないな。クニャルコニャルであいつらが火薬を使うのを見た。仕掛けられそうな場所は、そう多く無い」
すぐ近くで、鐘の鳴るのが聞こえた。行く手に、灰色の岩壁が見えている。
 はっとして、アルウィンは足を止めた。
 賛美歌――。
 彼は、吸い込まれるようにしてそちらに向かって歩き出す。
 壁に四方を囲まれて建つのは、小さな教会堂だった。
 マーブル模様の石で作られた寸胴なアーチを越え、十段ほどの階段を登り切った先に町の人々が通う礼拝堂がある。墓所などはない。湖の真ん中に浮かぶ、面積に限りあるこの町の中で、教会の側に埋葬されるのは、代々の領主家の当主だけだ。
 教会の裏手にある丘の斜面で、アルウィンは、最も新しい墓標の前に立っていた。
 そこには、彼の父の名と質素な墓碑銘、生没年だけが刻まれている。町の人々が手向けたのか、今も多くの花がその周りを飾っている。五年前、葬儀には出なかった。あの最後の日、遺体が町に着いた直後に、アルウィンは町を出た。遺体とともにあった、”ファンダウルス”を持って。
 「これ、だれ?」
ワンダが首をかしげている。
 「エリオット・フォン・クローナ―― おれの父上。ワンダの島の洞窟に埋葬されてた人たちと同じだよ、戦って死んだんだ」
 「そうなのか。じゃあ、お祈りしないとだな。」
言って、ワンダは神妙な顔で墓の前で手を合わせた。ウィラーフも、少し迷いながら、彼の父が仕えたその人のため、片手を胸に当てる。
 人気のある領主だった。
 この花からして、今も町の人々の尊敬を集め、慕われているのだろう。前領主は、町のために勇敢に戦い、そして死んだ。
 残されたのは、ここだけ。
 かつて住んでいた館も、財産も、クローナでのあらゆる権利も失われ、クローナ家に残されたものは代々の墓所だけ。さすがの王国議会も、死者のものにだけは手を触れなかった。多くの祖先たちが土に還っていった場所、そしていつか自分も還ってゆく場所。
 たとえこの町の住民に拒絶されても、この場所だけは、決して彼を拒まない。


 歩き続けて、町の外れの橋のたもとまでやってきた。
 町にかかる二本目の橋のうち、四人がたどってきたのは別の、アミリシア街道と通じているほうだ。
 「町を一周してしまいましたね。
 「そうだな」
湖面は鏡のように静まり返り、曇った空を一面に映している。湖には魚もいるが、そう沢山とれるものでもなく漁をする船が水面を乱すことはない。水は澄んで夏でも冷たく、北にそびえるアスタラ地方の山々から集めた水を常に湧き立たせる。
 「ワンダ、匂いは?」
 「だめだー。なんもなかったぞ」
ワンダはふるふると首を振る。全ての路地裏を回ったわけではないが、この小さな町、王も、”エサルの導き手”たちも、何の手がかりも見つからないとは。
 ざっと見た限り、アスタラ地方から来た商人の姿も無かった。ユミナの言ったとおり、この町ではアスタラとの取引はほとんど行われていないようだった。北のほうから入ってくる鹿の皮や獣の肉などは、仲介を通して間接的に扱われている。百年前にクローナ領から独立していらい、アスタラとクローナの関係も、人の行き来も、途切れたままだった。
 だがアルウィンたちは、何の勝算もないまま、ただ歩きまわっていたわけではなかった。
 「今日一日で、おれたちの姿を見た人は多い。噂になっているはずだ。」
そのことは、王であれ、”エサルの導き手”であれ他の何であれ、必ず耳にするはずだ。用があれば向こうから近づいてくる。少なくともオウミたち”エサルの導き手”は、”黄金の樹”の紋章を再び奪うため、アルウィンと接触せざるを得ない。
 「ブランシェにも協力してもらおう。――それと、ウィラーフ」
 「はい?」
ふいに真面目な顔で向き直り、ウィラーフの目を見上げる。
 「お前は王に剣を捧げた宮廷騎士だ。騎士は二人の主人を持たない。そうだな」
長い、沈黙。
 「……はい」
 「なら、それを忘れるな。命を捧げる相手は、王だ。おれのために死ぬことは許さない」
言うなり、背を向けてさっさと町に戻ってゆく。あらゆる言い訳も、懇願も拒絶するかのように。ウィラーフは押し黙ったまま、拳を握りしめていた。
 今まで以上に強い決意。
 遠い背中は、ウィラーフの、容易な妥協と自己満足を許してはくれなかった。


 夜更け過ぎのことだった。

 ユミナの屋敷で、一行はそれぞれに客間をあてがわれ、早い時間から休んでいた。館は寝静まり、広間の暖炉の火も小さくなりかかっている。雪はちらほらと舞い散っているものの、雲には切れ間が見え、その先に、冷たく澄んだ高い夜空が見えている。
 静寂が破られたのは、月が天頂に指しかかろうかという頃。
 何か物の倒れる音と共に、人の叫び声が館じゅうに響き渡る。
 「泥棒だ! 誰か――」
窓が割れ、黒い影が二つ、三つ、器用に隣の建物の屋根を伝って逃げ去っていく。明かりが灯され、屋敷の中が騒がしくなった。町の自警団を呼びに外へ走りだす者、ガラスの割れた部屋へ駆けつける者、武器を取り上げる者等々。
 「盗まれたのは…」
 「例のものです。」
そう言って、毛布をはねのけベッドから立ち上がるのはブランシェ。かぶっていたフードを振り払い、ひとつ息をつく。「演技は、これで良かったのかしら?」
 「ええ、完璧。」
と、シェラ。「予想通り、今夜のうちに来たわね。大成功」
 「ここからが勝負だ」
そう言うウィラーフは、夜着の下に服を着込んでいる。「行き先は分かってる。すぐに追うぞ」
 「そうね。二人だけじゃ心配ですもの」
 「…本当なら、お前などに任せたくない」
ブランシェは、きっとウィラーフを睨みつける。
 「いくら兄様に言われたからって、お前などに兄様の命を預けたくない。だって…」
言葉は詰まり、少女は俯く。
 「命に賭けても守る、とは言えない。何しろ本人に、それはやめろと言われたからな。だが…」
ウィラーフは、踵を返した。
 「腕の一本くらいは賭けてもいい。それで償いになるなら安いものだ」
 「……。」
表には、馬が用意されている。今夜の襲撃を予想して、あらかじめ馬具もつけて準備されていた。幸い、晴れていて視界は良好。暗がりをほんのりとした月明かりが白く照らし出している。
 彼らが向かうのは、詩の最後の断片のあるところ。
 五つ目の詩は、…かつてのクローナ領主の館にあった。


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