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 アルウィンの母、ユミナの館は、町の中心部から少し離れた住宅街のただ中にあった。
 町の他の家々と同じく外見はこぢんまりとしているが、門から建物の間に凝った作りの庭があり、二階には高価な一枚板のガラスばりのバルコニーがある。家の中にいながら雪景色を楽しめるつくりなのだ。
 「母の家は、資産家でね」
アルウィンが言う。「母も商売に手を出してる。このぶんだと、巧くいってるようだ」
 「お陰で、兄様が領主家を破産させても、私が路頭に迷うことはありませんでしたけどね。」
ブランシェは意地悪なことを言いながら手袋を脱ぎ、兜と剣を、駆け寄ってきた馬丁に渡した。「馬を頼むわ。母様に伝えて頂戴。お客様よ」
てきぱきとした指示っぷりは、さすがは大きな家の娘だけはある。彼女は、縛っていた長い髪をほじきながら入り口のほうへ向かう。
 「その白いスカーフ、お揃いでつけてるんだね」
 「ええ。自警団の印です。騎士団まで無くなっちゃったから、有志で。今は何とかなってるけど、雇い賃も最初は母様が自腹で出してたのよ。まったく、後先考えないにもほどがあるわ」
 「ごめん。」
 「…謝らなくてもいいです。兄様のせいじゃないわ。そうしなきゃ、この町も私たちも、もう死んでただろうし」
扉を開くと、彼女は、待ち構えていた執事に何事か言いつけ、振り返った。
 「じゃ、あとはこの者に任せるわ。私、着替えてくる。あとで一緒に母様のとこに行きましょ。」
言い残して、さっさと奥へ行ってしまった。
 「ねえアルウィン、泊まるアテがあるって言ってたのは…ここ?」
 「うん。まあ、来づらかったんだけど…」
シェラは、まばゆく照らし出された周囲を見渡した。狭いのに、隅々まで至るまでが豪華だ。足拭き用のマットは真紅の異国産。床は黒と白のタイルが交互に敷かれ、淡黄色く塗られた壁との境界には上品な色の木材がぴったりと嵌めこまれている。正面の階段の手すりはやわらかな植物的なカーブを描き、踊り場には背の高い白磁の壺。ごてごてした飾りはないが、どこもこだわって作られたように見える。
 「母の趣味だな。あの人、こういうシンプルなの好きだから。――マント、こっちに預けて」
 「あ、うん」
 「……。」
ウィラーフは、居心地が悪そうにしていた。かつてクローナが王国軍に包囲されていたとき、彼は、王国軍側にいた。そのことは、この館の人々も覚えているはずなのだ。言ってみれば、彼にとってはあらゆる場所が敵地ということになる。


 それぞれの部屋に案内され、一休みしていると、程なくしてブランシェが迎えにやって来た。鎧姿と打って変わって、優雅なドレス姿になっている。良家の姫、と言って差し支えない見た目だ。見た目だけなら。
 「母様は、二階の書斎です。こちらへ」
上部に見事な植物模様の描かれたドアには、獅子の顔をしたノッカーが取り付けられている。コツ、コツと数度。
 「お入りなさい」
中から声がした。
 「失礼します」
ドアを開きながら、ブランシェは長いスカートの裾をつまみ、優雅に一礼した。
 雑多な物が整理されて積み上げられた仕事机。暖炉には赤々と火が燃え、その周りの揃いの調度品を照らし出している。
 正面には、雪の降る景色を眺められる大きな窓。その傍らに立っていた婦人が振り返る。ぴんと伸ばした背筋、凛とした雰囲気。齢を重ねてはいても、まだ、美人と呼んで差し支えない。もう白くなりかかった髪は後ろでひとつに束ねられ、飾り気のない、しかし上等の天鵞絨で作られたぴったりとしたドレスに身を包んでいる。きつい眼差し、細い顎は、アルウィンよりは妹のブランシェに似ていた。
 見つめ合ったのは、ほんの数秒。
 一歩前に出ると、アルウィンは自ら挨拶した。
 「お久しぶりです。…母上」
 「ええ、五年ぶりね」
アルウィンの表情は固く、久しぶりの親子の再会とは思えない、ぎこちない空気が漂う。ユミナの纏う、ぴりっと張り詰めた近寄り難い雰囲気のせいだろう。シェラは、ワンダが何か唐突に失礼なことを言い出さないかと、気が気でならなかった。
 「あの、母様。兄様は――」
 「お前は黙っておいで。」
ぴしゃりと言われ、ブランシェまで黙ってしまう。「まったく、お前ときたら――」
 ゆっくりとアルウィンに近づいて、ユミナは、息子を睨みつけた。
 「勝手に出て行ったと思ったら、五年も連絡をよこさないで! 元気でやってるなら元気でやってる、帰ってくるなら帰ってくると、どうして前もって言わないの!」
 「すいません。」
 「王国の連中に無茶言われたからって、すぐに応じる必要なんてなかったのよ。お前ときたら、馬鹿正直に言われたまんまの条件で。領主家の財産を出せといわれて、ごまかしもせずに答えたでしょう!」
 「…はい」
 「おまけに、ファンダウルスまで持ち出して。跡継ぎのお前が人質にならなくたって、私やブランシェだっていたんだから!」
 「いえ、それは無理です。」
アルウィンは、言葉を遮った。
 「母上やブランシェを身代わりに立てるくらいなら、自分で行きます。相談しても、どうせ止められたでしょうから」
 「まあ!」
ユミナの目が大きく開かれ、大きな指輪を嵌めた指が、いらいらと肘のあたりを叩く。
 「…だとしても。ちゃんと話くらいしてから行くべきだったわ」
 「その点は、謝ります。」
 「まあ、いいわ。」
ふいと身を翻し、婦人は仕事机の前の椅子に手をかける。
 「それで? ここに帰って来られたということは、お役御免になったということ? それとも、何か王国からの要求でも持って帰ってきたのかしら」
 「どちらでもありません。主な目的は捜し物なのですが、母上には聞きたいことが」
 「何かしら?」
 「”エサルの導き手”――」
しん、とした部屋の中に、言葉が響き渡る。「ご存知ありませんか。」
 ぱちぱちと、薪のはねる音がする。
 「聞いたことがないわね。それがどうしたの」
 「率いているのはアスタラの部族の者のようです。二度、襲われました」
 「襲われた?!」
横から、ブランシェが身を乗り出す。
 「王国に謀反の気配があります。裏で糸を引いているのが、そいつららしい。東方騎士団の中にも奴らに協力している者がいるようです。おれには、クローナを独立させたくないかと言ってきて。…断ると、殺されそうになりました。」
 「なるほど。それで、このクローナが心配になって戻ってきたということ。」
ユミナの声が、すっと低くなる。
 「侮らないで頂戴。息子を王国にさし出しておいて、裏で勝ち目のない裏切りを画策するほど、私は馬鹿な女ではないわ。このクローナが、王国に従う以外に生き残る道がないことは、十分に承知している。あの戦争から立ち直るのだって、どれほどの労力を要したか――。」
 「分かっています。母上が直接関わっているとは思っていません。でも」
 「アスタラとは、直接交易関係がないの。出入りしている商人もほとんどいない」
椅子を回し、彼女は言った。「だけど、誰か何か聞いたことはないかくらいは確認してみるわ。」
 「ありがとうございます」
 「――それから。今度は、黙って出て行ったりしないで頂戴!」
 「…はい」
降り積もる雪は、もう通りを覆い隠している。町は一面の銀世界。灰色の空はどこまでも広がり、しばらくは止みそうにない。


 午後はまだ早いというのに、雪のせいで辺りはすっかり日が暮れたよう。
 雪の積もっているのを見るのは初めてだというワンダは大喜びで、雪の上を走りまわって足あとをつけたり、雪玉を作ったり大騒ぎだ。それに付き合って、アルウィンとウィラーフも庭に出ていた。ワンダが雪玉をウィラーフにぶつけ、青年は何やら怒りながらワンダの耳を掴んでいる。
 シェラはそれを、二階のガラスばりの出窓から眺めていた。
 「よくやるわね。この寒いのに…」
 「これでも、今はまだ冬の序の口ですよ」
側にブランシェが立つ。「生誕祭の頃は、もっと雪が積もって、ひどい年は二階から出入りできるくらいに」
 「まあ。それじゃ冬の間は何も出来ないじゃない」
 「そうですね。商人も、雪が溶けるまでしばらく行き来できなくなります。もうそろそろ、今年の商売も終わりです」
少女は窓の外、白く雪化粧した家々の屋根を眺め、ひとつ溜息をついた。――それから、おもむろに視線を庭に向け、まだ騒いでいる三人を見る。
 「何よ、あんなに楽しそうに。兄様ったら、裏切り者に親しくしてやることないのに」
自分の胸を刺されたような気がした。
 「…ねえ、ブランシェ。ウィラーフのこと、あんまり悪く言わないであげて。あれで結構…気にしてるんだから。」
胸の奥に抱え続けている、償うこともやり直すことも出来ない耐え難い痛み。その一端を、シェラは知っている。
 「彼が宮廷騎士団に入ったの、戦争が始まる前だったんでしょ」
 「あの戦争の時に王国側についたことを言ってるんじゃありません。その前です。あいつ、クローナの騎士団に入ることは拒否したんですよ。こんな田舎にいたって出世出来ないし、未来もない、って! 兄様のことだって、軟弱者って馬鹿にしてたくせに」
 「……それは」

 ”どうやって償えばいい”
 あの時、ウィラーフはそう言った…。

 「…それは過去よ。変わっていく関係だってある。少なくとも、あたしの知ってる二人は一番の仲良しだもの。」
 「信じない」
少女は頭を振り、その勢いで一筋の髪が額に垂れかかる。
 「私は許さない。――父様や兄様に仕えることを拒否して、他の主人を選んだくせに、今さら何よ。」
 「ブランシェ…。」
雪の勢いは弱まっている。アルウィンたちは、どこかへ出かけるようだ。町を見て回るのかもしれない。ぴょんぴょん飛び跳ねるような足取りのワンダを先頭に、門の先に消えた。暖炉のあかあかと燃える暖かな室内と比べて、外は何と寒そうなことか。触れたガラスは氷のようで、息を吹きかけると白く世界が滲む。
 「あの戦争は…」
少女が呟く。
 「私たちの望んだことではありません。王国が企んでわざと仕掛けさせた、今でも、そう思っています」
 「どういうこと?」
 「もうご覧になったでしょうが、この町は、交易で成り立っているんです。商人が来て、ここで取引をすると、成立した商談の中から一定額が仲介金として町に支払われます。そのお金で警備や取引所を整えます。町には品物を預かる倉庫や警備を受け持つ組合もあるし、通訳だって。……その仲介料を上げろといってきたんです、王国議会は。国に税金を納めないのは怠慢だから、仲介料を上げて納税しろと。」
かつてのクローナは、王家の直轄領と同じように王国への納税義務の大半を免除され、議会に定期的に代表者を送ることもなかった。自前の騎士団も持ち、さながらひとつの王国のようだった―― その状態をよく思わぬ人々が、クローナに他と同じ「自治領」としての義務を課そうとしたのだ。
 「それだけではありません。要求された税額は、他の地域より遥かに高い額でした。とても払えません…仲介料を上げれば、この町は商人から見放されて終わりです。それで断ると、山賊に偽装した騎士団が商人を妨害したり、雇われたならず者が町の中で故意に暴れたり。我慢の限界でした。それで暴動が起き―― その時たまたま、町に滞在していた王国の要職にある役人が一人、犠牲になったんです」
それを口実に、報復と懲罰のための軍が送られた。クローナには、受けて立つしか道はなかった。
 「父は、戦いに向く人ではありませんでした。威勢は良かったけど、剣の腕はそこそこ。人が良すぎて、商売人にも向いてなかった」
 「アルウィンと同じね」
シェラが言うと、ブランシェは微かな笑みを浮かべて、うなづいた。
 「でも兄は、父のように、勝ち目のない戦に赴いて華々しく討ち死にすることは選びませんでした。今もクローナが交易の町として生きていられるのは、あの時、兄様が王国と交渉してくれたから。…父親の仇も討たない臆病者だ、なんて言う人もいるけど、あのとき兄は、一人でこの町を守ったんです。」
――ああ、――そうか。
 シェラは気がついた。この少女もまた、アルウィンに対して、贖罪の念を抱いているのだ。
 ウィラーフにとってそうだったように、兄は、彼女の”英雄”なのだった。


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