5_白銀のクローナ



 吐く息が白い。
 空は寒々と曇り、太陽は分厚い雲の向こうに隠れている。シェラは、コートの裾をかき寄せた。こんな寒さは南国育ちの彼女にとって生まれて初めてだ。
 「うー、さむいー」
自前の毛皮に包まれているワンダまで、コートにくるまってガタガタ震えている。
 「ワンダ、あなた寒さ大丈夫じゃないの」
 「無理ー。ワンダの家のとこ、こんな寒くないー」
二人で震えているところに、ウィラーフとリゼルが戻ってきた。
 「お帰りなさい、どうだった?」
 「報告は飛ばしてきた。ただ、無事に届くかどうか。」
 「王都からは?」
 「何も。サウディードからも特に来ていなかった」
立ち寄ったのは、目的地クローナの手前にある街道沿いの町、フラニスだった。そこには、王と限られた王直属の人々だけが使用する「連絡網」と呼ばれる伝書鳩の機関があり、王都への定期連絡に使われている。
 その連絡網のある町の一つアンセルムスの拠点が、シドレク王からのたった一行の指示を最後に焼け落ちたのが三週間近く前。王は姿を消し、王国を蝕む不穏な動きが、次第に大きくなりつつある。
 「体はもう、大丈夫?」
シェラは、薄着のままの少年に尋ねる。「もうちょっと着たほうがいいんじゃない。」
 「寒いのは慣れてるよ。もともと、こっちの出身だし」
 「無理はしないでよね」
危うく殺されかけてから、まだ、二週間も経っていない。
 学術都市サウディードをあとに一行が辿ったのは、街道沿いに北へ向かう道だった。王国の南北を貫く二本の街道のうちの一本、レミリア。ここはもう、北方騎士団の管轄地だ。あのローエンが団長を務める東方騎士団の管轄でないことは嬉しかったが、かと言って、ここの騎士団が友好的とは限らない。ウィラーフ曰く、「他の騎士団よりは扱いが楽でいい」らしいが、そのぶん「押しが弱い」という。アストゥール王国の北のほうは、五百年前に王国の一部となるまでは小国の集まりだった。騎士団が作られたのは王国に併合されたのち随分経ってから、治安上の必要があってのことで、それも各地方から人が集まってできたため、今でも寄せ集め感があるという。
 「クローナ、あと、どのくらい?」
マントの上から自分の腕をさすりながら、ワンダが尋ねる。リゼルは、灰色に曇る空の向こうに続く街道に目を向けた。
 「丘を二つか三つ、越えることになる。まだ雪が降っていなければ一日ってところかな。」
 「この空からして、一週間もすればこの辺りも真っ白になっていそうですが。」
ウィラーフは、金色の房飾りを下げた剣をマントの下に押しやった。「行きましょう。雪ならともかく、雨が降りそうだ」
東の海沿いから、山を越え谷を越え続いてきたレミリア街道は、この先の町クローナで終着点を迎える。同じくもう一本、西の荒野から北へ向かって延びてきたアミリシア街道もまた、同じくクローナを最終地点とする。二つの街道の交わる町。その果てにして、アストゥール王国最北の地。
 それが、リゼルとウィラーフの故郷―― クローナなのだった。


 クローナの町は、湖の真ん中に建っていた。
 鏡のように凪いだ大きな湖は、ほぼ三方を山に囲まれ、開けた一方から太い道が町に通じている。片方がレミリア街道。そして、四人の立っているのとは別の方向から来ているのが、アミリシア街道。二本の道は時計の三時の針の角度で湖に向かい、それぞれに橋で町と繋がっている。”黄金の樹”の紋章を手にしたとき、シェラが視た、まさにその風景だ。
 橋のたもとには宿場町があり、街道を通る大勢の商人たちがたむろっている。北のアスタラ地方から鹿の肉や毛皮、塩などを運んで来る商人もいれば、その先の北の国々まで足を延ばすつもりの人々もいる。あるいは、アストゥール王国の他の地域から商品を運んで来た、クローナの町の商人も。
 この町は古くからの商業都市なのだと、道すがらに聞いた。
 クローナの市場は、王国の他の町に比べて関税が格段に安い。そのため異国や地方の商人の多くは、わざわざこの町まで来て荷解きをする。街道の交わる場所とあって国内の商人たちも集まりやすく、かつて自治領だった時は、クローナの市といえばわざわざ中央から訪れる人もいるほどだったとか。その賑わいに難色を示した議会から関税を引き上げるよう何度も要求が出されたが、当時のクローナ領主は頑として受付なかったという。
 結果として今も、クローナの税率は変わっていない。ただしそれは、多大な犠牲の果てに勝ち取られた、たったひとつの勝利だ。
 「……。」
リゼルは、橋のたもとで足を止めた。かたわらを、荷物をどっさり積んだ馬車が通りすぎていく。もう何百年もそこにあるのだろう、青緑色の大きな石でできた橋は、どっしりとして幅が広く、何台の馬車が行き交ってもぴくりとも動かない。
 彼にとっては、五年ぶりのはずだ。おそらく、ウィラーフにとっても。
 「シェラ、ワンダ。お願いがある」
 「ん?」
 「なになに?」
振り返って、彼は言った。
 「ここから先は、本当の名前で呼んでくれ。ここには”リゼル”として来たわけじゃない」
マントの下に、腰に下げた重たい銀色のものがちらりと見えた。
 意を決したように、橋に向かって足を踏み出す。少し遅れてウィラーフが続き、シェラとワンダも付いていく。
 一歩ごとに近づいてくるクローナの町。門のあたりは、五年前の戦争の跡なのか、焼け焦げて一部が崩れたまま。


 町の入口に立ったとき、アルウィンは足を止め、門を見上げてこう呟いた。
 「ただいま」
 と。



 町の中は質素で、こぢんまりとした家々が数多く軒を連ねていた。
 雪が降るせいか屋根は急角度で、煙突の煙の出口は横向きについている。暖炉の火事を警戒してなのか、町の中は何本もの水路が引かれ、四つ角ごとに桶やポンプが設置された小屋がある。外側に装飾はない。中心には広場があり、商人たちの活気あふれるやりとりが様々な言語で響きわたっている。アストゥールの北の果て、ということを忘れそうになるくらいの人ごみ。この寒空の下でも、それが気にならないくらいの喧騒。
 「思ったより、戦争の跡が残っていなくてよかった」
アルウィンは、ほっとしたように言った。町に入ってまず向かったのが、この市場なのだ。
 「…商人たちも戻ってきているようだし。大丈夫そうだな」
 「騎士団が解体しても、治安も維持されているようですしね。」
と、ウィラーフ。市場には、騎士団とはちがう、町の自警団のような人々が、クローナの古いシンボルを染めぬいた揃いの白いスカーフを巻いて目を光らせている。
 かつてクローナは独自の騎士団を持っていたが、五年前の戦争終結時、それは解体させられている。二度と王国に逆らわないため、というのがその理由だ。同時に自治権も返上し、名目上は北方騎士団の庇護下に入ったはずだが、町の中に、白い房飾りをつけた騎士の姿は見当たらなかった。
 「リゼ…アルウィン。」
ワンダが、くいくいと少年のマントを引っ張る。「ここ、アルウィン家あるんだよなー?」
 「え、うん」
 「ワンダ、アルウィン家が見たいぞ。」
 「ちょっ、ちょっとワンダ…」
シェラがあわててワンダの口をふさぐ。「色々と心の準備とか…」
 「いいよ。」
 「え、でも」
アルウィンは、広場の奥に顎をしゃくる。
 「すぐ、そこだし。」
広場を見下ろす場所に、どっしりとしたクリーム色の石造りの建物が立っている。
 そこが、かつてのクローナ領主の館だった。この町の中心である市場に面した場所に建てられ、いつでもその活気を確かめられる場所。一階の庭園とホールは、商取引やパーティーのために常に解放されており、かつては町を訪れる旅人に人気のサロンだった。だが今は、門は固く閉ざされ、人の気配もない。庭は手入れされておらず、カーテンは閉ざされたまま。
 四人は、裏道から生垣を越えて侵入した。
 「なんだか、誰もいないみたいだけど」
 「――そうだね。」
ドアには鍵がかけられている。カーテンの隙間から覗くと、部屋には何もないようだった。
 「戦争が終わってから、一度も戻ってないしな…。」
王国と対立し多大な損害を与えたとして、クローナ領主が負わされた幾つかの条件の中には、領主家の領土と財産の没収というものがあった。館も没収対象となり、そこにあった全てのものが売却対象となった。言ってみれば、ここはもうクローナ領主家の持ち物ではなく、アストゥール王国の国有物なのだ。
 「やっぱり、適当に宿を取るしかないかな。」
 「そんな、故郷なのに…。」
と、シェラ。
 「まあ、泊めてくれそうなアテはあるんだけどね。」
アルウィンは、肩をすくめた。「あそこは、ものすごく厳しい――」
 と、その時だった。
 「そこで何をしている!」
通りの向こうから、声が飛んだ。
 振り返ると、鎧兜に身を固めた騎士が一人、馬を降りてこちらに向かってくるのが見えた。ずいぶんと小柄な騎士だが、首に巻かれている白いスカーフは、広場にいた自警団と同じ物。
 「旅人か? ここは観光地ではない。勝手に敷地内に立ち入るな。」
 「ああ、すぐに出るよ。ちょっと懐かしくて――」
 「?!」
数歩の距離まで近づいてきたとき、騎士の動きが止まった。「アルウィン…兄様?」
 騎士は、片手で兜を脱いだ。その下から零れ出す、輝くような銀色の髪。アルウィンと良く似た面立ち。
 「…ブランシェ?」
 「やっぱり。にいさま!」
兜を放り投げ、少女は勢い良くアルウィンに飛びついた。「ご無事だったんですね! 会いたかった」
 「…ブランシェ、痛い、首が締まっ…」
サウディードでも同じような光景を見たな、と、シェラが考えていると、ブランシェと呼ばれた少女はアルウィンの手を握ったまま身を離した。
 「来て下さい、兄様。母様も、ずっと心配してたんですよ。戻られたことを知ったら、きっと喜びます。」
 「いや、あとで行くよ。先にやりたいこともある」
 「こいつに見張られているからですか?」
ブランシェは、傍らに立つウィラーフに向かって敵意に満ちた視線を投げかけた。
 「よくもおめおめとクローナに顔が出せたものね、裏切り者。兄様の見張りのつもり? 昼間じゃなかったら、お前の首を斬り落としているところよ。」
 「やめろ、ブランシェ。ウィラーフは今まで何度も助けてくれた」
 「でも!」
目の前に、ふわりと白いものが舞った。
 「あ」
ワンダが、頭上を見上げる。「ゆき…?」
 雲の合間から、無数の雪が散り始めている。町の風景は霞み、広場の喧騒も静けさの中に飲まれていく。
 「――とにかく。母様の館には来ていただきます」
有無を言わさぬ口調で、少女は言った。「でなければ私が、母様に会わせる顔がありません。」
 「…分かったよ。」
アルウィンは、白く溜息をついた。「ウィラーフには失礼なことするなよ」
 「そちらが失礼を働かなければ、ですけれど!」
ぴしゃりと言って、兜を拾い上げる。「どうぞ、こちらへ。」
 シェラは、そっとウィラーフに近づいた。
 「…なんだか強そうな妹さんね。」
 「ああ。」
彼は、少女が持っている剣や兜を見ている。ただの飾りでないことは、その堂々たる付けっぷりを見れば判る。
 「アルウィン様の母上も、昔は女騎士だった。あの剣は、その時のものだな…。」
降り始めた雪は、どうやら止む気配がない。またたくまに町はうっすらと雪化粧し、旅人たちの足あとが点々と、通りに残されていた。


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