第二章/11


 公判の日がやって来た。
 その日、前もって送付された訴状に従って召還された関係者たちは、神殿前通りの裁判所に集まって来ていた。訴えられたのが町の有力者とあって、噂を聞きつけた野次馬まで集まってきている。人々の好奇の視線の中を、シセネは、ラキとともに裁判所への階段を上がった。法廷へなど、入るのは初めてのことだ。緊張の面持ちで入り口に立った彼は、奥で手招きしているジェフティメスを見つけて少しほっとした。訴状を用意し、ここまでのお膳立てをしてくれたのはジェフティメスの功績だった。彼は、今日の日のために自分のかつての同僚たちにも声をかけたらしい。訴えを起こした側の席には、他にシセネの見たことの無い顔も幾つかあった。向かいの被告人席はまだ空のままで、ムトノジュメトの姿もない。
 席についてしばらく待っていると、ややあって、サプタハを伴ったムトノジュメトが姿を現した。美しく装ったその姿を見て、シセネの心臓は大きく高鳴った。もはやただの少女ではなく、この席に相応しいお屋敷の女主人のような雰囲気を漂わせている。彼女はシセネを見て少し微笑むと、すぐに硬い表情に戻って、シセネのすぐ前にある、自分のために用意された一際目立つ席に座った。向かい側がちょうどウガエフの席だ。シセネは、じっと少女の後姿を見つめた。そして、ここにいると強く念じた。一人じゃない。すぐ側に、自分がついているからと。
 開廷の直前になって、ようやくウガエフがやって来た。ふてくされたような顔で、派手に着飾っている。じろじろと不躾な視線をムトノジュメトのほうに投げかけ、それ以外のお供には目もくれず、さっさと自分の席に着く。
 「それでは、開廷としよう」
両者の真ん中の席に座った年配の男が、ひとつ咳払いをして重苦しい声で告げた。左右に控えているのは、神官と、役人らしい男だ。
 「あの人たちは何ですかね?」
ラキの囁き声を聞きつけて、ジェフティメスが囁き返す。
 「神官長と州知事さんだよ。神殿でいちばん偉い人と、役人で一番偉い人。分かるか?」
 「…それって、あのウガエフって奴の親類じゃないですかい? なんで裁判官の席に」
 「だから言ったろう。相手が相手だ、って」
にやりと笑って、ジェフティメスは手元の書類を確かめると、神妙な顔つきで前を向いた。今日の彼は、いつものようなだらしない格好ではない。髭をきちんと剃り、洗い立ての真っ白な鉢布にぱりっとした肩掛けをつけている。正式な装いをしている彼を見るのは初めてのことで、黙っているとまるで別人のようだ。
 「では訴状の読み上げを。」
 「は。」端のほうの席にいた書記が立ち上がり、書類を読み上げ始める。「原告、未亡人イシスネフェルトの相続人ムトノジュメトは、叔母で養母であるイシスネフェルトの財産である貨物船一隻を不当に略取せしめられたとして、州の税収官吏ウガエフと、その協力者である書記パラメスウを訴えるものである。この訴えは…」
ウガエフは、明らかに苛立った様子で読み上げを聞いている。腕組みをし、鬼のような形相でこちら側の面々を睨みつけていた。だがシセネは、負けじと男を睨み返した。絶対に負けるわけにはいかない、と思いながら。
 「被告人ウガエフ。これに対し申し開きを」
 「今更言うまでもないことです。この件は一度法廷で争われ、有罪となったはずだ」男の太い声が、法廷じゅうに響き渡る。「小娘が、誰に何を吹き込まれたかは知らないが」言いながら、じろりとムトノジュメトのほうを睨み付けた。「未亡人イシスネフェルトが、長年に渡り荷揚げを誤魔化して税逃れをしていたことは明らかだ。」
 「訴状にあるパラメスウという者については?」
 「そのような者に聞き覚えはない。だが、そいつが書類を誤魔化していたという証拠でもあるのかね」
 「あります」
すかさず、ジェフティメスが立ち上がった。
 「ここにある――これは荷揚げの際の納品控え書ですが、指摘された、荷揚げを誤魔化していたとされる部分は、全て同じ筆跡です。これがパラメスウのものであることは他の証拠と見比べていただけば分かるでしょう。誤魔化しが行われていたとされる一年の間、誤魔化された部分を筆写した者は彼以外にはいません。」
 「それが何の証拠になる。」ふん、とウガエフが鼻を鳴らした。「船主がその書記と手を組んでいたというだけだろう。自明のことではないか」
 「いいえ。数が増やされていたのは、荷の受け渡し後に作られる"写し"の上でだけなのです。そして、実際に積荷が申告より多かったのは、検分が入った最後の一回だけでした」
 「どういうことかね?」
裁判官が促す。ジェフティメスは、法廷中に聞こえるような声で滑らかに語り続ける。
 「ここに、実際に指摘のあった積荷の受け取りの際に作られた、納品控え書があります。品目は"裁断されていない上質なパピルス巻の原紙"、送り主は"蝮とアカシア樹の町"の神殿です。"蝮とアカシア樹の町"から送られたパピルス巻に対して、この町の神殿は香油を送り返している。納品控え書では、送られたパピルス巻の本数は六本。荷揚げの報告として税収管理官に提出された納税申告書での本数は四本。訴状の中では、実際より二本多く荷揚げして誤魔化したのだと指摘されています。――しかし、"蝮とアカシア樹の町"から実際に送られたのは正しく四本でした。ここに、"蝮とアカシア樹の町"の港から取り寄せた記録があります。荷物が積み込まれたとき、パピルス巻は確かに四本でした。そして受け取り証文にも四本と記され、"蝮とアカシア樹の町"の神殿はその代金を不服なく受け取っています」
小さなざわめきが法廷の中に起きた。
 「でたらめだ」
ウガエフは、低い声で言い返す。
 「第一、なぜ"蝮とアカシア樹の町"の取引証文などがここにあるというのだ」
 「それは――」
 「おれが取り寄せました」
シセネは、ジェフティメスが口を開く前に声を発した。
 「おれは、"蝮とアカシア樹の町"の物資監督官の補佐をしています。ここにある書類は、お上より役目を預かる物資監督官、ハルセケルの許可を得て持ち出された原本です。疑う余地はありません」
 「それに、神殿同士の寄進物の交換に、税はかかりませんからね」
と、ジェフティメスがたくみに後を引き受けた。堅苦しい口調に飽きてきたのか、ほんの少し言葉がいつもの調子に戻っている。
 「本来なら官吏に提出する書類に記載する必要は無かったのですよ。それを記載してしまった上に、クセで余計な数字を盛ってしまったあたりが、まぁ、未熟者らしい失敗ですが。」
 「ではその書記が、勝手に数を盛って、納品控え書を改ざんしていたといでもいうのか。だが、実際に積み込まれていた量が多かった件は、どう説明をつけるつもりだ」
 「簡単なことですよ。よそから盗んだ品を隠しておいて、ほとぼりが冷めた頃に船に勝手に積み込んだのです。香油十五壷、でしたよね? 神官長、祭りの前に神殿から大量の香油が紛失する事件がありませんでしたか?」
視線を投げかけられた神官長が、はっとして手を打つ。
 「おお、あったとも。覚えているぞ、あの時は近隣の町からかき集めるのに苦労した」
 「その時に紛失したのが二十壷。船荷の検分があったのは三ヵ月後です」
涼しげな顔でさらりと言って、ジェフティメスは、法廷内の動揺を楽しんでいるかのように辺りを見回した。「残りの五壷を誰が何処へ隠したのかは知りませんがね。――そして、"降ろすはずの"積荷が増えていたその時に限って、積荷に抜き打ちの検査が入ったのです。」
 「検査が抜き打ちなのは当たり前だろう」
ウガエフの声には僅かな動揺が聞き取れたが、しかし、まだ勢いを失っていない。「こちらは義務を果たしたまでのことだ。書類を書き間違えた男と私に、一体なんの関係があるというのだ。何か証拠でもあるのか」
 「ありますとも」
ふいに、しわがれた声が法廷の中に響き渡った。皆がいっせいにそちらを向く。立ち上がったのはジェフティメスの隣に目立たないように座っていた、白い髭をたくわえた小柄な老人だった。
 「わしは、今は引退した身ですが、かつては教師をしていました。」――老人がそう言ったとき、声を聞いて、シセネは思わずあっと声を上げそうになった。忘れるはずもないその声、それは、かつて彼が学んだ学校の、あの老教師だった。
 「パラメスゥは、あなた様とは旧知の仲だった。同じときに学校に通った学友だった。卒業後、奴は、かつてあなた様の屋敷でしばし雇われてもいましたな。このことを証言してくれる者はわしのほかにいくらでも挙げられます。あなたは友人を使って不正をさせ、その友人もろとも有罪にして追放することで人の眼を誤魔化したのです。」
 「何を――デタラメだ」
 「何がデタラメなんですか? 先生の記憶は確かですよ。あなたは知っていたんです。受け取りの控え書類の上でだけ、一部の品の量が増やされていることを。しかもそれがパラメスゥが雇われた後からであることもね。荷の受け取りの控えなど、普通は確認しません。ましてや、実際に届いた品と、役所に提出された書類は寸分なく合っているんですから。」
 「証拠などない」
 「ではパラメスゥを捕らえて、連れて来てください。証拠を突きつけて証言させるんです。奴のことだ、すぐに自白しますよ」
 「出来るものならやってみろ」
 「静粛に、静粛に!」
裁判長が卓を叩き、すべてのざわめきが収まると、あたりには、しんとした不気味なほどの静寂が落ちた。神官長と州知事はなにやら、ひそひそと話し合っている。ウガエフは苛立った様子で指をいじくり、ムトノジュメトは、すっと背を伸ばしたまま正面を見据えている。
 「すべての証拠は預かった。だが、今すぐには判決を下せない。三日後に再び、法廷を開く。皆、今日は帰るように」
不満げなざわめきが満ちる中、裁判長は書記たちを連れて奥へと消えてゆく。シセネは、席を立ってムトノジュメトのほうに手を伸ばした。
 「大丈夫? 辛くなかった」
 「ううん、大丈夫よ。シセネ、それにジェフティメスさん、どうもありがとう」
 「いーえー。これで俺の濡れ衣も晴らせるならお安い御用ってもんですよ。ねぇ先生?」
ジェフティメスの軽口に笑いながら、老教師は、シセネのほうに向き直って彼の腕を叩いた。
 「やあ、元気でやっとるようだな。立派になったじゃないか」
 「…先生。お久し振りです」
 「君なら、学校を辞めても一人で学んでいけると思っていたよ」
髭面の顔をくしゃりとしながら、しかし、老教師はすぐに真面目な顔に戻って、さっきまでウガエフのいた側の席に視線をやった。
 「しかし――、出来の悪い生徒のほうはどうしたものかの。」
 「さあて。これだけ証拠を並べても、奴が最後まで言い逃れするなら、どっちに転ぶかはわかりませんね」
 「パラメスゥって人は見つからなかったんですか」
 「探してはみたんだけどねぇ。近隣の町で書記の仕事やってるなら分かりそうなもんなんだが、よほど遠くへ逃げたのか、今はもう書記の仕事はしてないんじゃないかな」
 「…そうか」
 「ま、心配しないでくれや。奴の罪までは問えなくても、最悪、パラメスゥのせいってことになって船は取り戻せるはずさ。シセネのお陰だ。あんたが手に入れてくれたアレのお陰で、船主は誤魔化しに関わってないって証拠になったからさ」
 「うん、役にたったなら嬉しいよ」
シセネは、頷いてムトノジュメトのほうにも笑いかけた。
 「さあ、今日は疲れたし、もう引き上げよう。次は三日後だ」
ムトノジュメトとサプタハは連れ立って法廷を去っていき、ジェフティメスは、老教師を送っていくと連れ立って出て行った。先に帰っていてくれと言われて、シセネとラキは、二人でジェフティメスの屋敷に戻ることにした。
 外に出た時間が遅かったせいか、法廷前にたむろしていた野次馬の姿は、もうほとんど消えていた。それに、噂話をしたければ、こんな人目につくところよりは、裏路地の酒場がいいと相場は決まっているのだ。
 通りを港のほうにしばらく歩いたところで、ふと、シセネは思い出した。
 「そうだ。インクが切れかけてるんだった。」
 「買い物ですかい?」
 「うん。でもそれだけだから、すぐに追いつくよ。先に戻ってて」
 「へいへい」
シセネはラキと別れると、通りを曲がって、商店街のあるほうに歩き始めた。日はまだ高く、人通りも多い。
 買い物を終えて、ジェフティメスの屋敷まで戻って来たシセネは、いつものように裏口に回って庭から扉を開けた。それが癖になっていたし、今日は、留守の間は、近所に嫁いでいるジェフティメスの妹が留守番をしてくれているはずだった。
 「ただいま戻りました」
声をかけるが、部屋の中はしんと静まり返っている。
 (あれ…?)
台所を通り抜け、居間のほうを覗く。「ラキ? いないのか?」
 二階のほうで、かすかな物音がした。
 「ラキ?」
階段を覗こうとしたちょうどその時、背後で大きな物音がした。
 「え…」
言いかけた時、何かが目の前にぶつかってきて、視界が暗転した。頭上で何か激しい物音と、人のもみ合うような声が聞こえ、ぼうっとしている間に世界が何度も揺れた。
 やがて意識がはっきりしてくると、目の前には、心配そうに覗き込むラキと、ジェフティメスの妹のうろたえたような顔がった。
 「旦那、しっかりしてくださいよ。あっしが分かりますか」
 「…ああ。一体、おれはどうして…」
起き上がろうとした途端、頭に激しい痛みが走って、シセネは呻いた。手を当ててみると、大きな瘤ができている。
 「賊に殴られたんですよ。」
 「賊?」
 「すいません。ラキさんに家に荷物を運ぶのを手伝ってもらっていて、ほんのちょっとした間に…」
若い娘は、泣き出しそうな顔になっている。
 「ま、幸い戻って来たとこで鉢合わせて、二人ばかしお縄に出来ましたけどね。へっへっへ」
ラキは得意げな顔をしている。
 「そのために、我が家の椅子一脚を使い物にならない状態にしてくれたわけだが…」
顔を横に向けてみると、ジェフティメスが苦笑しながら窓辺に腰をかけていた。床には、ラキが賊を退治するのに使ったらしい椅子の足が、ぽっきり折れたまま転がっている。どうやら相当派手に立ち回ったようだ。朦朧としている最中に聞こえた物音はそれだったのか。
 「やあシセネ、気分はどうだい。」
 「良くはないけど、まあ、最悪ってほどじゃないかな。…物盗りかい? 盗られたものはなかったの」
 「ああ、こっちはね。心配なら自分のをしたほうがいい。連中、どういうわけか君たちの荷物を重点的に漁っていたみたいだから」
起き上がった弾みに、瘤の上に乗せられていた布が額から滑り落ちる。
 「…確認します」
シセネは二階へ上がって、宿代わりにしている部屋に入ってみた。なるほど、酷い有様だった。荷物はすべてひっくり返され、寝台と床の上に散らばっている。法廷へ持って行かなかった巻物は、ほとんどが消えうせていた。
 「どうだい」
 「サプタハに借りてきた納品控え書がいくつか無くなってます。あと、書きかけの手紙…"蝮とアカシア樹の町"に送るはずだったものですが…。まいったなあ、手紙はもとかく、借りてた書類は返さないといけないのに」
 「ふむ。重要なやつは今日、法廷に提出してきたから問題はないが…狙いは残りの書類か。」ジェフティメスは何故か嬉しそうだ。「面白くなってきたじゃないか」
 「何が面白いんです。うちの旦那が殴られたってのに」
ラキは不満げだ。
 「いやあ、だって、向こうが焦ってるってことだろう? ほかにも隠している証拠がないか、わざわざ探りに来たんだ。今日捕まえた連中に、依頼主を吐かせればこっちに有利になるかもしれないしね」
 「…ジェフティメス、あんた、思ってたよりしたたかだね」
 「そう? 褒められてると思っておくよ。ただ、これはどうも、しばらく気を抜かないほうが良さそうだねぇ」
シセネは、足元に散らばった荷物を見やって小さく頷いた。
 「ムトノジュメトに手紙を書こう。屋敷の周りには警護もいるし大丈夫だろうけど、次の法廷までは家を出ないほうがいいって」
 「それがいいだろう。こっちも、出来るだけ家を開けないようにするかな。留守の間に火でもつけられちゃかなわんからな」
今は、それが冗談には聞こえなかった。シセネは、法廷で見たウガエフの、ねめつけるような視線を思い出していた。イシスネフェルトの屋敷にいた頃、ムトノジュメトに強引に求婚しようとして館の女主人にたたき出されていた頃のまま、周囲の全てがひれ伏し、自分に従うことを当たり前だと思っているような不遜な態度。
 (でも、州知事さんは、今はあいつの味方だ)
ペンを手に取りながら、シセネは心の中で呟く。
 (もし積荷の誤魔化しが故意でなかったことが認められて船を取り戻せても、あいつ自身が罪を認めなかったら意味がない。どうすれば――あいつを有罪に出来る…?)
視界の端を、窓の外を、何かが走り抜けていく。
 はっとして彼は顔を上げた。
 (…そうか、そうすれば)
ラキとジェフティメスは、気づかない様子で戸口のあたりで話し合っている。だが彼の心には、既に答えが浮かんでいた。
 再びペンを動かし、手紙を書き終えたシセネは、窓の外に目をやった。通りには誰もおらず、さっき一瞬だけ見えた影も最早そこにはなかったが、それが何処かから見ていることは、彼にははっきりと分かっていた。


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