第一章/2


 月の沈んだ暗い夜、静まり返った谷間に、うごめく影がある。
 火をつけていない松明を手にした男が二人、"お宝"を入れるための袋を担いだ男が二人。それとインニ、シセネを入れて、今夜は全部で六人が"仕事"のために集まっていた。インニが何処からか集めてきた、今夜限りの仕事仲間たちだ。集まった男たちは全員、黒い布で顔を半ば覆っている。シセネも同じだ。見回りに見咎められても顔を知られないため、――或いは、仲間の誰かが裏切っても、顔を見られていなければ密告されることもないという用心のため。シセネには、今集まっているのが、普段から集落に暮らしている連中なのかどうかは分からなかった。
 「集まったな」
満足げに見回して、インニは足音を忍ばせて暗がりの中を歩き出す。「こっちだ」
 灯りもないというのに、男たちは慣れた身のこなしで石ひとつ転がさず獣のように谷間を進んでゆく。行く手には、つい前日に施されたばかりの真新しい封印の施された墓の入り口があった。この谷にある墓所の多くは家族や一族の共有の墓で、死者が出ると入り口を開き、埋葬を終えると入り口を閉ざしなおす。だから、漆喰の乾ききっていないうちに入り口を開けて中を荒らしても、また元通り漆喰で塗り固めておけば、外から見ただけでは中が荒らされていることは判らないのだ。運が良ければ次の埋葬まで何年も間が空いて、墓の持ち主が異変に気づくのはずっと遅くなるだろう。
 インニと男たちは、慣れた手つきで塗り固められた白い漆喰の壁を壊し始めていた。その下からは、入り口を塞ぐために積み上げられた日干し煉瓦が転がり出してくる。シセネは、あとで入り口を元通りにする時のためにそれらを拾い集めて脇に積み上げていた。臭い匂いのする古びた布を顔に巻いているせいか、気分が悪かった。それに例の視線も、はっきりと感じられる。
 次第に墓の入り口があらわになってきた。暗い冥界への入り口がぽっかりと口を開け、死の香りが流れ出してくるようだ。彼は息を潜め、出来るだけ暗闇の奥を見ないようにした。そうしなければ、引きずり込まれるような気がしたのだ。
 「開いたぞ」
ガラガラと音を立てて、壁が崩れた。顔を上げると、先陣切って男たちが中に入っていくのが見えた。インニが鷹揚に顎をしゃくって彼を促している。シセネは、渋々腰を上げて暗い穴の中に足を踏み入れた。
 微かな香料の匂い。
 先に入り込んだ男たちは松明を手に、眼をぎらぎらさせながら手荒くそこかしこを漁りまわって、墓に収められたばかりの上等な香油の入った壷や、泥封がされたままのワイン壷を片っ端から麻袋に放り込んでいる。松明の火が盗賊たちの額に汗を光らせ、一瞬、その向こうにある壁の絵を浮かび上がらせた。――この墓の主か、先祖の家長か――椅子に腰を下ろし、妻らしき女性を伴って、子孫たちからの供物を受け取っている。その絵の前で、一人の男が木製の棺の蓋をこじ開けようとしていた。
 「おい、そこのガキ。なにぼっと突っ立ってやがる。手を貸せ」
シセネは近づいて、一人の男に差し出された松明を受け取った。男たちの吐く息で炎が震え、眠りを妨げられた霊たちの上げる抗議の声のように唸る。彼は唇を噛み締めて、耳を閉ざした。早く、この不快な時間が終わるようにと願いながら。
 「おれ、見張りに行かなきゃ…」
 「いいや、今日は中に入れ」
外に出ようとしたシセネを、戸口に立っていたインニが肩先で推し戻す。「いつまでも嫌がってんじゃねぇ。何かお宝の一つも見つけて来い。出来なきゃこれっきりだぞ」
 「……。」
背後で、木の割れる音がした。振り返ると、床に置かれていた棺の蓋が割られて、乱暴に外されるところだった。中の掛け布は真新しく、飾られた花輪はまだ瑞々しさを保っている。ひゅう、と男の一人が口笛を吹いた。
 「見ろよ。随分良いもん身につけてやがるぜ」
争いあうように死者にまかれた布が解かれ、その下から護符や装飾品が暴かれる。おぞましい光景だった。剥がされた布の下からは、黒光りする死者の体は腐朽の肉体が覗く。干からびて、まるで木の枝のようになった腕―― 塗りこまれた香油の匂い。死の匂い。シセネは思わず目を背けた。体が震えて動けない。ここから何かを持ち出すことなど、とても出来そうに無い…

 と、その時だった。

 外で見張りをしていたインニが鋭く叫んだ。
 「巡回が来る!」
男たちの顔色が変わった。見張りの巡回は毎夜行われるわけではない。警備が厳しくなると仕事がやりづらいから、インニたちも、そう頻繁に谷間の墓所を荒らしはしない。それでも巡回は不定期に行われ、運悪く出くわした墓荒らしを捕らえては、見せしめのために町で処刑する。
 「落ち合うのはいつもの場所だ」
 「急げ! ずらかるぞ」
慌しく麻袋を取りまとめる男たちに体当たりを食らい、シセネは躓いて松明を取り落とした。だが誰も彼を振り返りもしない。ここでは自分を守るのは自分自身で、他人に手を貸す余裕などないのだ。足の速いインニも真っ先に逃げてしまった。どんな時でも自分の命を優先する逃げ足の早さで、今日まで生き延びてきた男だ。
 (逃げなくちゃ…)
だが、手ぶらで戻ればシセネに叱責される。立ち上がろうとした時、足元で何かがちらりと光ったのが見えて、彼は反射的にそれを掴んだ。棺から零れ落ちた何かのようだったが、何なのかを確かめている余裕は無かった。足音と怒声は、すぐそこまで迫っている。外で武器を打ち合うような音がしていた。気がつけば、墓所の中に取り残されているのは既に彼一人だ。
 背後で闇がざわめく。
 墓所の洞窟に反響する外の怒声が死者たちの攻め立てる声のように聞こえてきて、シセネは大慌てで墓の入り口から這い出した。
 「そっちだ! もう一人いるぞ!」
普段は静かな墓所の谷に、武具の擦れあう音と声が反響する。いくつもの松明の火が揺れて、赤々と岩壁を照らし出している。ただの巡回ではない。町の警備兵まで引き連れている。見つかったら到底逃げ切れない。
 シセネは松明を投げ捨てると、怒声とは反対の方向へ、谷の外へ向かって走リ出す。
 「一人逃げた! 追え!」
見つかった、と思った。背筋を冷たいものが滑り落ちる。声が追ってくる気がして、彼は行く手のことも考えず必死で走り続けた。振り返る勇気も無く、ただひたすら前へ向かって。

 ――掴まったら殺される。
 いやだ、まだ死にたくない…。

いつしか、荒野を突っ切って緑地の辺りまで来ていた。息が切れ、足がもつれて畑の畦道を踏み外し、種まきの終わったばかりの柔らかい泥の中に顔から突っ込んだ。体中泥だらけになりながら、彼はもがいた。顔に絡まった布を振りほどき、そして、追い立てられるようにして尚も走り続ける。追ってくるのは警備の兵だけではない。谷の死者たちの見えざる手も、ずっと彼を追いかけて来ているのだ。
 どのくらい走っただろう。足に触れた水の感触で、ようやく彼は立ち止まった。東岸と西岸を隔てる川のほとりだ。流れは緩やかだが水は深く、この先までは泳いで行けない。それに、対岸は――州都だ。
 仕方なく、シセネは葦の間に蹲った。出来るだけ背を丸めて小さくなって、誰にも見つからないよう息を潜めて。追ってくる声は聞こえない。辺りは不気味なほど静まり返っている。けれど、姿は見られてしまっている。それに、インニや他の男たちが捕まって拷問されれば、彼のことも証言するかもしれない。
 もう戻れない。どこにも行く場所はない。
 四方から迫る闇の中、シセネは、震えながら膝を抱えて夜を過ごした。



 いつの間にか、うとうととしていたらしい。
 熱を感じて顔を上げると、川の対岸の空に登り行く太陽が見えた。夜闇と星々は姿を消し、目の前には、晴れ渡る空と朝の日差しの中で煌く川面があった。
 強張っていた手足をゆっくりと解くと、シセネは、ぼんやりと日差しに顔を向けた。
 生きている。――少なくとも、今はまだ。
 一晩中川べりにいたせいで冷え切った体は、うまく動かない。日の光の中で見下ろす自分の格好は、ひどいものだった。頭から泥を被って全身真っ黒で、擦りむいた膝にはかさぶたと泥が重なり合って固まっている。それでも、生きてはいるのだ。無限にも感じた夜は過ぎ去り、目の前には、白く輝く対岸の町の街並みが見えている。
 波の音がした。顔を上げると、川上のほうから滑るようにやってくる船が見えた。この辺りの川でよく見かける、裕福な人々が乗るような川遊び用の船だ。逆光でよく見えないが、船上から誰かがこちらを見下ろしているようだった。
 ややあって、女の声がした。
 「酷い顔ね。お前、どこからやって来たの?」
答えようと、口を開こうとした――だが、舌がもつれて言葉は巧く出てこなかった。目覚めたばかりのように頭の芯が痺れて、自分がまだ生きているということ以外、目の前で起きていることが、よく理解できないのだ。
 「…お前、口が利けないの? 仕方ないわね。サプタハ」
船べりから差し出された屈強な腕に水際から抱え上げられ、船の中に引きずり込まれる。どこかへ連れて行かれるのだと判っていたが、シセネは抵抗もしなかった。行き先が処刑台で無いのなら、何処でもいい。何処であれ、そこはきっと、重罪人の牢獄よりはマシなはずだ。


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