第二章/7


 翌日、シセネは、夜が明けるか明けないかのうちに起き出した。隣の寝台では、まだラキが丸くなっている。持って行く荷物は少しだけだ。肩にかけるかばんに筆記具や身の回りのものを詰め込み、そっと宿を抜け出すと、彼は港のほうへと急いだ。朝もやのかかる川べりでは、一番早く目覚めて動き出す漁師たちの小舟が行き来している。
 何をしたいのか、はっきり定まっているわけではなかった。ただ、何処へ行くかは決まっている。
 「やあ」
桟橋に停泊する一際大きな船に近づいて、彼は、荒縄をしごいていた水夫たちに声をかけた。一瞬、水夫たちの表情が固まる。
 「この船、州知事さんのなんだろ? 州知事さんって、今、この町にいるのかな」
 「なんだい、あんた」
一人が、あからさまに警戒したような表情でじろじろとシセネの身なりを上から下まで眺め回す。
 「あんた、お役人じゃないのかい。そんなこと、わしらに聞くよりあんたのほうが良く知ってるだろう」
 「おれは"蝮とシカモア樹の町"から来たんだよ。昨日着いたばかりなんだ」
 「なんだ。他所の町のもんか」
ほっとしたような空気が流れ、手を止めていた水夫たちの間に元通りの空気が戻ってくるのを、シセネは敏感に感じ取った。「ウガエフの手下じゃないらしいぜ…」と、小さな囁きが聞こえてきたことも。
 「州知事さんなら、しばらく何処にも出かけてないぜ。庁舎にいるんじゃぁねえのかな」
 「ふーん。ここの州知事ってどんな人なのかな。年寄りかい? 家族はいるの」
 「ああ。年寄りで、嫁さんは亡くなって子供もいない。姪っ子がいたが、もう嫁いじまったな」
 「そうか。ところで、この町にこれ以外の大きな船は無いのかい?」
水夫は、ちょっと眉を寄せた。
 「もう一隻あるが、…あんた、なんでそんなこと聞く」
 「この町から積荷を送り出すかもしれないからさ。州知事さんのを借りるわけにもいかないだろうからな」
とっさに誤魔化しながら、シセネは、自分でもうまいいいわけだと思った。「ほかの船が来る予定があるなら教えてくれないか」
 「…荷運びの船なら、つい先だって上流の町に行っちまったよ。そのうちまた戻ってくると思うけどな、たぶん二週間かそこら先だろう。持ち主は、州知事さんとこの姪の婿さ」
 「おい、いつまでも喋ってると時間がなくなるぞ。そろそろ親方が来る頃だ」
甲板の上からどやしつける声が響いて、シセネと話していた水夫は大急ぎで縄を担いで走り去っていく。そこらにいた他の水夫たちも同じだ。奇妙なほどの警戒心は、昨日メヌウから聞いた話と関係しているかもしれない。――ここでは、州知事とその一家の話は、あまり歓迎されない話題なのだ。
 彼は港を見回した。川べりにはまだ市は立っておらず、人の姿もまばらだ。
 「おらお前ら。仕事を始めるぞ!」
ふいに大きな声が響いた。振り返ってみると、さっきシセネが話していた水夫たちのいるあたりに、いつの間にか人が集まっている。皆、足と首を一直線に縄でつながれ、粗末なものしか身につけていない。
 債務奴隷だ。
 (こんな朝早い時間から働かせているのか)
見ていると、債務奴隷たちは船べりから下ろされた袋のようなものを担ぎ、蟻のように連なって荷をどこかへ運んでいく。その先にある、港を見下ろすちょっとした丘の上に、昨日は気づかなかったものが建っていることにシセネは気が付いた。真っ白な真新しい壁を持つ、大きな屋敷のようだ。
 (あれは…何だろう )
側を通りかかる二人連れの女露天商を呼び止めて、彼は、丘の上を指差した。
 「あの建物は何ですか? 前は、無かったと思うんだけど…」
 「ええ? ありゃ、あれさ。ほら、州知事さんとこの婿の建ててる新しい屋敷だよ」
シセネは驚いて思わず口をぽかんとあけた。
 「…個人の家? 債務奴隷を働かせてるのに」
 「そうさ。ま、そこらへんはここじゃあ有耶無耶にされちまってるんだがね。兄さん、他所の町の人かい?」
シセネが頷くと、籠を頭に載せた女は、訳ありげにそっと顔を近づけて囁いた。
 「なら、あんまり気にしないことだね。首突っ込むと面倒が起きるから。」
 「やぁだお母さん、ビックリしてるじゃない。あんまり脅しちゃだめでしょお?」
隣にいた、若い露天商のほうが甲高い声を上げてケタケタと笑う。同じように頭の上に載せた籠の中には、干したあんずの実が山と積まれ、間に埋もれるようにパンの塊が見えている。
 「それ、すこし貰えないかな。朝飯がまだなんだ」
 「あら、あんたいい人ね。毎度あり」
パンと杏を受け取りながら、シセネは、もう一度丘の上に視線をやる。「ずいぶんな屋敷だね」
 「景気がいいみたいだしねー。それに、あの港前通りの未亡人に張り合いたいんでしょ」
 「未亡人?」
 「前はこの町でいちばんのお金持ちっていえばその人だったのよぉ。でもねーそこのお嬢さんに求婚して袖にされたっていうんで、ずっと逆恨みしてるらしいのよ。意地とか面子とかいうやつよ」
 「これ。お前、大声でそんなこと言って誰かに聞かれたら…」
 「いいじゃないのよ、少しくらい。女のお喋りにいちいち突っかかってくるほど、向こうだってヒマじゃないでしょ? まだ人もあんまりいないし大丈夫よ」
親子の会話を聞き流しながら、シセネは、杏を口に放り込んだ。とぼとぼと歩く債務奴隷たちの列は、既に丘のほうに消えていた。公務以外で働かせるのなら、本来は給料が支払われるべきだが――あの様子では、おそらくただ働きで、債務も減らされていないに違いない。
 気がつけば、港前にもぽつぽつと人が増え始めている。
 パンの半分をかばんの中に仕舞いこむと、シセネは、手にしたかけらを齧りながら港を後にした。足はなんとなく、港から街の奥へと続く大通りのほうへと向かっている。記憶が確かなら、この先は、大神殿の前に通じているはずだった。



 歩いているうちに辺りの風景は変わってゆく。町の中心を過ぎると、役所や公共施設のような大きな建物ばかりとなり、そこらにある屋敷も、壁に白く漆喰を塗りつけた、輝くような高級住宅街へと変貌する。その先にある神殿の入り口は、かつて見たように見上げんばかりにそびえ立っていた。開かれた門の両脇には像が立ち、天に向かって延びる旗ざおの先に布がひらめいている。
 シセネは、それらを眺め回したあと、参道を奥へ向かって歩き出した。まだ朝の早い時間とあって、参拝客は殆ど居ない。参道の脇に出ているはずの露天も、店を開く準備をしている。門の間を通り抜けると、しん、とした暗がりが奥の方まで続いて見えた。中庭。再び参道。そして礼拝の部屋。
 ここまで入るのは初めてだったな、と、彼は今更のように思い出した。
 メヌウと一緒に来た時も、お祭りの日も、結局中には入っていなかったのだ。そこは床に石の敷き詰められた薄暗い狭い部屋で、履物を脱いだ参拝者たちが、奥の神像のある祠堂に向かってお祈りを捧げる場所だった。祭壇の上には花が飾られ、薄暗い中に香りが漂っている。シセネが礼拝をしていると、闇の中、どこからともなく入って来た若い男が、手にした容器を入り口の小さな燭台に注ぎ足していく。香油だ、と彼は思った。外へ出て行くのを見計らって、彼は男を追いかけた。
 「あんた、この神殿で働いてるのか?」
声をかけると、香油の器を提げた男は怪訝そうな顔で振り返った。歯並びの悪い、いやに笑顔のだらしない男だ。
 「そうだけど」
 「新しく入ったんだろう? 前にここで、香油の管理をしてた一家のことを知らないかな」
 「知らないなあ。この仕事を始めたのは二ヶ月前だし」
 「他に知ってそうな人はいないのか」
 「何、あんた。知り合いでも探してんの」
男は、薄っぺらな笑みを浮かべて腹の辺りを掻いた。腰に巻かれた白い布が――神殿で働く者はみな、同じ仕立ての白い衣服を義務付けられる――ずり落ちかけていることに、シセネは気が付いた。巻き方にまだ慣れていないのだ。
 「ここで仕事してる連中、最近になって来たやつばっかだから知らないと思うよ? あーでも、裏門とこにいるジイさんなら知ってるかもな。あいつは長年居座ってるらしいし」
 「あの人か」
シセネは、かつてメヌウと来た時に見た、裏門のみすぼらしい番小屋に座っていた老人のことを思い出した。「ありがとう」
 「どーいたしまして」
男は、やる気もなさそうに容器をぶらぶらさせながらどこか別の部屋へ去って行く。その仕事ぶりに不安を覚えずにいられない出で立ちだったが、今はそれを気に掛けている余裕はない。
 表参道から一度、神殿を出たあと、彼はすぐさま、記憶を頼りに裏門のほうへと向かった。表通りとは対照的に狭くてごみごみした通りは、かつては、それでも人通りがあって活気の感じられたものだが、今は死んだように静まり返って、人の姿もまばらだ。
 裏門は、その通りの先にあった。ボロ小屋は同じように壁に寄りかかるようにしてそこに立っている。中に人がいるのは、小屋から半分投げ出された汚れた二本の足で窺い知れる。だが、その足は、棒のようにぴくりとも動かない。
 「あの…こんにちは」
まさか死んでいるのではないだろうな、などと思いながら、シセネは小屋の中をそっと覗き込んだ。白い髭がもぞもぞと動いているのが見えて少しほっとしたものの、眠っているようで、目覚める気配がない。
 「あのう。すいません」
耳元で怒鳴って、肩を掴んでゆさぶる。何度も繰り返した頃、老人は、ようやくうっすらと目を開けた。
 「聞きたいことがあるんですよ。起きてください」
 「…ん、…なんじゃいな」
 「前に神殿で、香油の管理をしてた一家のことなんです。香料屋の息子のメヌウのことを覚えてますか?」
 「メヌウ? はて…誰だったか…」
寝返りを打ったとき、老人の腹が盛大な音を立てた。シセネは慌ててかばんの中からパンを取り出し、老人に差し出した。
 「良かったらこれ、食べてください」
 「む」
それまで虚ろ名を目をしていた老人の顔つきが変わった。
 「ええのんか」
 「いいですよ。だから思い出してくださいよ。神殿で香油の管理をしてた一家です。最近までこの辺りに住んでたんでしょう?」
シセネは、受け取ったパンをむさぼるように口に運んでいる老人の前で、辛抱強く待った。その間にも、門には次から次へと人や荷車が入っていき、或いは、出て行く。老人はそれらを何も見ていなかった。この老人は門番ではないのだろうか。
 「あいつらぁ、皆、知らんやつらばかりよ」
シセネが視線を向けている先に気づいたのか、老人は、手でパンを細かく千切りながら歯の抜けた口を歪めた。
 「わしゃあもう給料も貰っとらん。誰が出入りしようと知ったことか。何も見る必要はない。ふん、何もだ」
 「それじゃあ、ここに住んでるだけなんですか」
 「そうさ。ここはわしの家だ。わしを追い出すことなんざ誰にも出来んわ。それで…何じゃったかな? 香料屋?」 
 「そう」
 「覚えとるよ。親父と兄貴と、ちっこい子倅と、三人でやっとった連中だな。」
 「その一家です。どうして追い出されたのか知ってますか」
パンのかけらをごくんと飲み込んだ後、老人は、小さくげっぷをしてから忌々しそうに呟いた。
 「言いがかりじゃ。納められたことになっとる香油が足りんと言われて、ろくに申し開きもさせてもらえずに追い出された。他の連中もそうだ。花売りも織物商も給仕係も、みぃんな何がしか、いわれのない罪で追い出された。何代も勤めとったんだぞ、何代も! ずっとこの裏町で暮らして来た連中を…」
尚も文句を言い続ける老人の言葉を遮って、シセネはたずねた。
 「香料屋が追い出されたのは、いつなんです」
 「去年の祭りの直前じゃよ。祭りの前に大量に仕入れたのが、祭りの最中に足りなくなったんだとよ。」
話を聞き終えた後、シセネの足は港に近い高台へと向かっていた。昨日サプタハと歩いた時は気づかなかったが、ウガエフの新しい屋敷は、イシスネフェルトの借家の立ち並ぶ同じ通りの、少し先にあるのだった。焼け焦げた建物の向こうに、真新しい白い壁が作られようとしている。それは、あからさま過ぎて悪意を疑うことすら思いつかないほどの近さだった。
 焼けた建物の前に立って眺めていると、通りかかった中年の男が足を止めた。
 「あんた、その家に何か用かね」
 「あ、いえ。昔この辺りに住んでただけで…。どうしたんだろうと思って」
 「火事でな。幸い、誰も住んどらん時だったから良かったようなもんの」
 「あなたは、この辺に住んでるんですか? 火事になったのは、いつですか」
 「去年の秋ごろさ。ちょうど祭りが終わってしばらく経った頃だったかね…」
小さく首を振って、男は溜息をついた。「まったく。この通りは静かで暮らしやすいところだったのに。どうしてこう立て続けに」
 「…他にも何か?」
 「色々とな。あんた、住むところを探してるんなら、ここはやめておいたほうがいい。」
妙に持って回った言い方が気になった。シセネは、焼けた落ちたままの建物の入り口をまたいで、煤けた床の上を眺めた。二階建てだったはずの建物の上の階は完全に崩れ落ち、空が見えている。両隣の建物も火元に近いほうの壁は崩壊して、半分黒焦げになっており、住人はどこかへ引越したあとのようだ。完全に建てなおさないことには人は住めないだろう。見回すと、他の無事に残っている家も、ほとんどが無人になっているようだった。
 (…一体、何があったんだ?)
港を見下ろす丘の上の一等地のはずなのに、空き家のまま残されているとは。彼は、まだ人の住んでいる家を見つけて、戸を叩いた。顔を出したのは、赤ん坊を抱いた若い女性だ。
 「なんです?」 
 「あの、つかぬことを伺いますが、この辺りに住んでた人たちはどこへ行ったんです? 火事があったことは聞きましたけど、それ以外の家にも誰もいなくて」
 「ああ。火事の前から、ここらはあんまり人がいませんでしたよ」
腕に抱いた赤ん坊がよく眠っているのを確かめてから、女性は、少し声を低めた。
 「あなた、他所の人? このあたり、最近あんまり治安がよくないんです。」
 「治安? でも、港に近いし、いいところじゃないですか」
 「それが夜になると頻繁に酔っ払いや荒くれがやってくるんですよ。誰かが巡回兵を呼びに行くとすぐに逃げてしまって…。きりがないので、嫌になった人は引っ越してしまうんです。うちも子供がいるしどうしようかと思うんだけど、家主さんが家賃を下げてくれたので、出にくくなってしまってねえ」
言いながら、女性はひとつ深いため息をついた。「ここ数年、急になんです。どうしていいのやら」
 「……。」
教えたくれたことに礼を言って立ち去りながら、シセネは、湧き上がってきた一つの疑問を舌の上に転がした。だが、まだだ。まだ何も、それを言葉にする確証がない。
 高台からの道を港前まで降りてきたとき、シセネは、ちょうど籠をかついでやってきたメヌウとばったり出くわした。
 「あ」
 「シセネ! 丁度よかった、こっちへ」
シセネが何か言うより早く、メヌウの腕が彼を掴んで、港の端のほうへ引っ張っていく。物陰の誰もいないところまで来ると、彼はすぐさま勢いづいて喋り出した。
 「一体お前は何をやってるんだ。あちこちで聞き込みなんかして…、見慣れない余所者が何か嗅ぎまわってるって、噂になってるんだぞ」
 「噂?」
 「そうさ、忘れたのか。この町は広いようで意外と狭いんだ。ちょっとしたことでも、すぐに人の噂になる」
シセネは頭をかいた。
 「まいったな、町を出てからのことが知りたかっただけなのに」
 「そのために神殿まで行って、僕らのことを聞いたのか?」
 「…そんなことまで知れてるのか」
 「ああ。あの門番のじいさんに毎日パンを届けてるのは、僕なんだ。飢え死にさせるわけにいかないだろ?」
メヌウの表情は真剣そのものだ。「頼むから、余計なことはしないでくれよ。これ以上、何も起こさないでくれ。」
 「お前は、それでいいのか」
 「何が」
 「親父さんと兄さんが、濡れ衣を着せられたままでいいのか?」
はっとしたように顔を赤らめ、俯き、――メヌウは、低く呟く。
 「いいわけがない。でも何が出来る? 相手は、あのウガエフだ」
 「何もしないよりは何かしようとするほうがマシだ。教えてくれ。どういう状況で、香油の量が足りないと分かったんだ?」
 「……。」
籠を肩から地面へと滑らせるようにして下ろし、それとともに自分自身も座り込みながら、メヌウは両手で顔を覆った。
 「メヌウ」
シセネは腰をかがめ、メヌウの肩に手をやる。
 「…お前に言ってもどうにもならないよ。でも、聞きたいなら教えてやる。あれは…祭りのすぐ前のことだった。確かに倉庫に納めておいたはずの香油が足りないって、大騒ぎになったんだ。ニ十壷…、とても計算を間違うような量じゃなかった。」
 「ニ十壷?!」
それがどのくらい高価なものか、今のシセネにははっきりと分かる。神殿で使われる、およそ二ヶ月分の量だ。祭りのために、いつもより多めに仕入れていたにしても、そのほとんど丸ごとが消えうせた勘定になる。
 「港から運ばれて納められたのはその半月ほど前で、前の日までは確かにあったと親父は言ってた。」
 「他の人は、それを見てないのか」
 「ああ、――自分の係以外の品には基本的に、手をつけないから」
 「外から誰か入ってきたってことはないのか。普通、盗まれたって思わないか?」
 「それはないよ。神殿には大勢働いているけど、ほとんど全員顔見知りだし。裏門のとこにいるじいさん、ああ見えて、知ってる顔以外は門を通さないんだぜ。ものすごく人の顔の覚えがいいんだ。」
 「…それじゃあ、裏門からは余所者は入り込んでいないんだな」
メヌウは、小さく頷いた。
 「僕も、あのじいさんの証言は正しいと思ってる。だから、今もパンを…」
 「…表門からは、どうなんだ」
 「えっ?」
 「表のほう、人の出入りは自由じゃないか? 見張りはいるけどさ」
シセネは、ちらりと町の奥の神殿のあるほうに視線をやった。「一緒に神殿に行った時、ちょっと遠回りしたけど、神殿の裏から表参道まで行けたよな? 途中ほとんど人に会わなかったし」
 「でも二十壷もどうやって運ぶんだよ。荷車に積んでたら目立ちすぎる」
 「小分けにして――何人かで運べば…。いや、それより問題は、一体何のために、そんなことをしたのかって話だ」
立ち上がって、シセネは港のほうに目を遣った。朝に比べて人通りの増えた港前の人ごみの間を、白いたすきをかけた役人風の男がすり抜けていく。手にしているのは、書付けか何かの巻物だ。
 (…書記だ)
男の向かっていく方向に目をやったとき、シセネの脳裏に何かが閃いた。そうだ。――確かめる方法が、ひとつだけある。
 「シセネ」
振り返ると、メヌウが立ち上がって、もとどおり籠を肩にかけているところだった。「僕、もう仕事に行かなきゃ」
 「…ああ。悪かったな、時間を取らせて」
 「まだこの町にいるのかい?」
 「やることが出来たからね」
笑って、彼はメヌウの肩を叩いた。「じゃ、またな。」
 踵を返し、足早に港を出たシセネの表情からは、笑みが消えていた。
 (もしそうなら、記録があるはずだ)
向かう先は、港から続く通りの先にある、イシスネフェルトの屋敷。サプタハなら、知っているはずだ。


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