■第四章/戦禍-1


 船が着いた場所は、活気があるというより騒々しさと無秩序の支配する場所だった。水辺とは聞いていたが、ここはもうほとんど海に近い。水は塩辛く、今まで体験したことのないべたつく風と独特の匂いが、沖合いのほうから流れてくる。
 彼は、何時もそうするように、自分の今立っている場所の周囲を見回した。桟橋の向こうには運ばれてきた兵糧などの物資を集積した場所があり、荷運びのロバが繋がれている。天幕、葦舟、急場ごしらえのゴミ捨て場や便所。せっせと日干しれんがを積み上げて窯を作っている者がいれば、嫌がる牛を鞭で打って連れていこうとしている者もいる。そんな中に、あちこちからかき集められた雑兵たちが、不安そうな面持ちでぞろぞろと列になって歩いていく。狭い中州にごったに押し込まれたそれらの人間と動物の渦は、見ているだけでうんざりしてくる。
 どこか静かな場所はないのかと視線をめぐらせていたとき、彼の肩越しに声がかかった
 「やあ、来たね。<沼地の守護者>」
そちらを見ると、ほっそりとした鳥の姿をした書記がいた。葦のペンを器用に操り、宙に浮かんだ巻物に何か書き付けている。
 「今日は、ずいぶん…」 
 「姿のことかい? このほうが見つけやすいと言われてね。何しろここには、色んな守護者が来ている」
言われて周囲を見回した彼は、さっきは気が付かなかった人ならざるものたちの姿を幾つか見つけ出した。人間のような格好をしている者もいれば、明らかに人間とは異なる異様な姿の者もいる。一人の人間だけにしっかりしがみついている小さな者もいれば、空から中州全体を見下ろすようにして広がっている大きなものまで。
 「何を…」
 「してるのかって、記録係さ。この戦闘に参加した全ての守護者と人間たち、そして戦場で死者が出たときには、その名を記録する。いずれ冥界の門をくぐるのだからね」
視線は動かさず、喋りながらもペンは止まることを知らない。そして巻物は、いくら繰っても尽きることはないように見えた。以前現れたときのように、人間らしさを演出する"余裕"は、今は無いということか。水辺の葦の間には、折れた槍の柄が半ば泥に埋もれるようにして落ちている。
 「数日前、小競り合いがあった」
彼の視線に気づいたのか、ペンを動かしながら鳥は顔を上げた。
 「ここより東の砦の一つが異民族に奪われている。奪還するために攻撃をしかけたのだが、失敗したようだね」
 「指揮官の腕か?」
 「さあ。戦のことは分からない。ただ、今日からは新しい指揮官が就くと聞いているよ。」巻物に視線を落とす。「君と一緒に来た、鷹を連れた人物だ」
 「……。」
メネスのことだ。<緑の館の主>は、陸のほうを振り返った。船の中ではほとんど見かけなかったし、到着してからすぐに何処かへ誘われていってしまって、見ていなかった。
 歩き出そうとすると、背後から声がかかる。
 「奥の砦には、今回の戦で加護を願われた守護者たちの祭壇が並んでいる。行ってみるといい」
ペンは動き続け、人の名らしきものを几帳面な字で紙の上に記していた。


 砦は、搭状に積み上げられた石造りの建物だった。中州の真ん中にあり、物見やぐらもかねて高く作られている。周囲には城壁も作られ、兵たちの宿舎はその内部だった。到着したばかりの新兵とその他の人々とが過密にひしめく塀の内部の空気は、人いきれに熱され、じっとりと汗ばんだような臭いがする。
 <書記の神>の言っていた祭壇とは、その砦の一角に造られた祠堂の中にびっしりと並べられた神像や小さな祠堂箱のことだった。ここでは、人間だけでなく守護者たちも過密を強いられているのだ。近隣の集落や神殿からかき集められてきたのだろう。それぞれの神に個別に神官をつける余裕もなく、数人の神官たちがまとめて祀っているようだった。砦にいる人々は、めいめい、自分の祈りたい神の前に膝をつき、頭を垂れる。神官たちはそれら祈願者に香の煙をふりかけ、何やら唱えて回っていた。彼はその中に、鰐を象った小さな石の像が置かれているのを見つけた。
 「……。」
周囲を見回してみたが、鰐の姿をとりそうな守護者の気配は、他にはない。ということは、これは――自分なのだろうか?
 メネスを探そうと祠堂を出たとき、ちょうど、頭上で羽ばたきが聞こえた。金色の鷹がすいっと通り過ぎ、弧を描いて戻ってくる。
 「いたいた。来てくれ」
鷹について砦の中に入って行くと、螺旋状の階段があった。その上のようだ。階段を上がるのは、初めてだ。少し戸惑ったが、何も人間のように歩く必要はないのだと自分に言い聞かせ、そろそろと上がっていく。地面を離れると思うだけで、妙な不安が胸を過ぎる。空を飛ぶわけでは無いが、階段の上は、いわば"宙に浮いた場所"だ。――こんな時は、自分が水に棲む者だということを否応なく意識させられる。
 なんとか二階に上がりきってみると、そこはだだっ広い会議室のような場所だった。部屋の中央には卓が置かれ、壁際には椅子、櫃、奥のほうには上級仕官が使うらしい私室が並んでいる。四方に向けて細く開いた窓からは、砦のある中州の周囲全体が見渡せた。
 彼はそれら全てを一遍通り眺めてから、卓の前に不機嫌そうな顔をして立っているメネスに視線を向けた。上等な布と身分を示す装身具、それに、簡素な防具を身につけている。村にいた頃と全く違う姿だ。
 「どうした、うちの大将がそんなに妙か」
卓のへりに留まっている鷹が、にやりと笑う。"大将"。鷹はずっとそう呼んでいた――が。
 「ああ。確かに大将、だな」
そう言って、彼はさきほど確かめた背後の窓にもう一度視線をやった。その先には、向かいの中洲にたつ、同じようなもう一つの砦があった。城壁の上には巡回の兵のものらしい金属のきらめきがある。そして、未知の守護者の気配も。
 「あそこに、"敵"がいるんだな」
 「そう。眼と鼻の先だ。半年前に落とされたらしい」
言いながら、メネスは端に重し代わりの剣の鞘を置いた机の上に置かれた地図に視線を落とす。卓のあたりには、ついさっきまで人のいた気配があった。誰か人間と話をしていたらしい。
 「半年だ。もう半年も経ってる。情報が遅ぇし、そんな間ずっと放置してたなんざ在り得ない」
ぶつぶつ呟いて地図の端を叩くメネスの表情は、いつしか軍人としてのそれに完全に切り替わっている。
 「間に流れてる川は、そう深いもんじゃない。今の季節はほとんど徒歩で渡れる。で、おれらの到着前に、前の司令官殿が夜襲をかけたってわけだ。結果は――」
 「察しはつく」
<緑の館の主>は、ちらりと窓の外、砦の間を流れる水に混じる赤い濁りを見やった。踏み荒らされた岸辺の葦、散乱したまま回収もされていない砕けた武器と、地面に突き立つおびただしい矢。それに、死者も記録する書記の神のペンの止まることのない動き。
 「何人死んだ」
 「確認中だ。クビになる前に功をあせった司令官殿までおっ死んじまって、いま分かるのは戦況が良くないってことくらいだ。書記に正確な兵と物資の計算を指示した。ほんと、何でこう使えないやつばっかりなんだか」
 「それで?」彼が言うと、メネスは視線を上げた。「私に何をして欲しい。」
 「――意外だな。あんたこういうの興味ないかと思ってたんだが」
 「早く終わらせて、帰りたいだけだ。」
一瞬、男の表情に何かが過ぎる。
 「…そうだな。」
ふっとため息をつくと、メネスは、窓に近づいていった。「時間稼ぎがしたい。前任者がやらかした失態の回収、補充されたばっかりの兵の鍛錬のためにな。こっちから打って出るのは体制を建て直してからだ。その前に手を出してこられちゃ困る、ってわけでね」
 「威嚇しろと?」
 「うちの鷹神は偵察なら得意だが、見た目の怖さはあんたのほうが上だからな。頼めるか?」
<緑の館の主>は、ちょっと肩を竦める。
 「やってみよう」
ホル=ネジェフは何か言いたげな顔をしたが、敢えて何もいわず空に舞い上がると、すうっと窓から外に消えてく。ふと、<緑の館の主>は思い出していた。戦場への招聘を申し付けられたあの夜、祠で鷹が言った言葉を。

 "うちの大将の望みはな、戦って、死ぬことだ。"

だが――と、彼は思う。
 死なせはしない。たとえそれが望みだったとしても、もう誰も。


 塔をあとにして、向かった場所は、中州の一番端の草むらだった。はるか北にあるという"海"――彼自身いまだ見たことの無い塩水の湖のある方角に向かって突き出す側で、水は中州と中州の作る隘路の底で澱みとなって渦を巻いている。砦の裏手にあたり、人気はほとんどなく、朽ちかけた葦舟がひとつ、忘れ去られたように杭の先で水に浸かっている。
 北からの風が吹きぬけていく。
 不思議な香りだ。それに湿気のせいでべたつく感じがする。これが潮風というやつだろうか。生まれてこのかた、これほど海の近くまで出てきたことはない。海は湖よりも広く、水の先に陸地が見えないものだという。この先にあるそれは、一体どんなものなのだろう。
 草の間に腰を下ろしている彼の頭上を、見たことのない翼の長い白い鳥が、不思議な声で鳴き交わしながら通り過ぎてゆく。
 (海の鳥…)
鳥たちは、弧を描くようにして砦の上を舞っている。人間の棄てる残飯目当てのようだ。戦場だというのに、――つい最近、大勢の兵が命を落としたはずなのに、ここは、妙に穏やかだ。彼は眼を閉じ、いっとき、周囲の喧騒を意識から除外した。それとともに、遠く離れてしまった彼の守るべき地のことを思う。発ってまだ一週間ほどしか経たないというのに、帰りたくて仕方がない。嗅ぎなれた沼地を渡る風の匂い、緑のそよぐ畑。鰐たちのざわめき、魚たちの跳ねる音、水鳥の羽ばたき、白い花。 ――あの花は、ここにも咲くのだろうか。
 考えているうちに、彼はいつしか眠りに落ちていった。


 目をあけたとき、辺りは既に真っ暗になっていた。いつのまにか夜になっている。だが、彼を目覚めさせたものは時間ではなく、微かな水音と違和感だった。
 草の間に身を起こし、辺りを見回す。近くに灯りはなく辺りは闇の中だったが、周囲の様子は手にとるようにわかった。微かな体温を感じる。そして微かな水音。何かがゆっくりと這い上がってこようとしている。四本足を持ち、それでいて人間の形をしているもの――手には、鈍く光るものを握り締めている。
 それは、見張りに見つからないよう腹ばいになって進む見慣れない格好の男たちだった。姿がはっきりと見えたとき、彼は瞬時に悟った。これは"敵"だ、と。
 その瞬間、やるべきことは決まっていた。彼は吼えた。重たい鰐の咆哮は、空気を震わせ、辺りに響き渡る。
 「!」
影がびくりとなって動きを止めた。
 「な…なんの声だ」
 「こっちのほうから聞こえたぞ」
松明が幾つか揺れ動きながら水辺に近づいて来る。夜警の当番たちだ。その灯りが、草むらに隠れていた人間の姿をあらわにする。長い髭が見える。男だ。
 「誰だ!」
松明を向けられて、敵は観念したのか武器を振りかざし、理解のできない言葉で何か言った。その体には、目立たないようにか泥がこすりつけられている。胸元には見慣れない形をした護符が揺れている。それが一瞬、人の眼に見えない輝きを放ったのを彼は見逃さなかった。
 (あれは――)
思った次の瞬間、荒々しい風が吹きつけ、草が沸き立つ。一瞬の隙をついて、男は水の中に身を躍らせた。
 「逃げるぞ、追え!」
 「敵襲だ!」
あちこちで火が灯され、声が反響する。見張りが仲間を呼び、次々と灯りが増えてゆく。兵を乗せた何艘かの小舟も漕ぎ出されようとしていた。だが彼は、敢えて追いかけようとはしなかった。浅瀬を泳ぎ去ってゆく男たちの後ろについてゆく青白い鬼火のようなものが気になっていたのだ。それは、男が異国の言葉で助けを求めたとき、護符から現れた。自分たちに良く似た<存在>。だが本質的に異なるモノ。…見たこともない姿と気配をしていた。
 あれは――、異民族の守護者なのだろうか…?


 翌日、メネスの指示で水辺のあちこちに見張りの塔が建てられることになった。敵の占領する砦に近い側だけでなく、反対側も襲撃の危険があると分かったからだ。夜警も二倍に増やされるという。<緑の館の主>は人の来ない中州の端に避難して、遠目にそれら人間たちの様子を眺めていた。
 メネスはよくやっていた。絶えず指示を出し、自らも現場に葦を運んでは部下たちを鼓舞する。だが、兵はというと、嫌々に集め連れてこられた、ほんの少し前まで農民だったような者たちだ。中には家に帰りたくて早々に脱走して捕らえられれ、牢に連れて行かれる者もいる。武器を持ったことも無い新兵たちは、与えられた槍の構え方からして教わらねばならない。砦のおもてのほうにある訓練場からは、新兵たちをどやしつける声がひっきりなしに聞こえてくるが、果たして、使い物になるのかどうか。
 彼は草むらに横になり、目を閉じたまま周囲の様子を感じ取っていた。自分の<領域>ではなくても、人の動きくらいは感じ取れる。人ならざるものたちの気配もだ。祠堂の中に詰め込まれていた多種多様な神々のほとんどは、自ら先陣を切って戦うような戦の守護神ではなかった。大半は、兵たちが故郷から連れてきた小さな守り神たちだ。王家の象徴たる神、軍人たちの守り神、病や傷を癒す神。けれど大半は、彼には何者か分からなかった。
 ふと彼は、何かの気配が近づいてくるのに気がついた。人ならざるものの気配――砦のほうから歩いてくる。うっすらと眼を開けると、真上に女の顔があった。よく日焼けした太い二の腕を露わにし、豊満な肢体を隠そうともせず、ぴったりとした衣をまとっている。
 「――へぇ」
彼を見下ろしてそう呟いたかと思うと、次の瞬間、何の前触れもなく女の腕が絡みついてきた。「綺麗な金色の眼だね。太陽の色、か。でもあんた、太陽神の眷属じゃないだろ?」
 「……!」
とっさに逃れようとしたが、首に回された腕はびくりともしない。動けない。なんという力だろう。半ばムキになって腕を振りほどこうとしていると、突然力が弱まり、するりと腕が解けた。素早く距離を取ったのは本能からだった。こんな気配は初めてだ。呆然としている彼の目の前で、女は妖艶な笑みを浮かべている。
 「アハハ、なんだい。そんな顔もするんだ。可愛い」
 「何者だ」
赤い、それに――血の、臭い。それなのに、直接触れられるまで危険を察知することも出来なかった。笑いながら、女は彼を手招きした。
 「敵じゃないわ、こっちおいでって。アタシは戦女神<ネイト>、"弓持て敵を射殺す者"さ。ここの近くに家があってねぇ。呼ばれたから来てんの。楽しいでしょ? 戦場って。」
それは、ほんの少し散歩に来ただけのような気安い口調だった。彼は距離を保ったまま、用心深く相手を観察する。女の戦神? 目の前にいるそれは、均整の整った美しい姿をしている。しかし身に纏うおぞましいほどの闘気と血の臭いは、確かにそう名乗るに相応しい。
 「祠には…像は無かったな」
 「そうかもね。"家"が近所だからねぇ、わざわざ持ってこなかったのかも」
女は片手を頬にやり、赤い唇をゆがめてにっこりと微笑む。
 「何をしに来た」
 「面白い子が来たっていうから、ちょっと様子を見にね。力は、まぁまぁね」
そう言って自分の腕を軽く叩き、それから――彼の足元に目を向ける。
 「ねえ。それ、趣味かい?」
 「……。」
<緑の館の主>は辺りを見回した。周囲の草の間につぼみが伸びて、小さな花を幾つか咲かせている。どうやらここでも、無意識のうちに育ててしまっていたらしい。彼は、微かにため息をついた。
 「血の臭いよりは…いいだろう」
 「ふぅん」
理解できないというような顔をして、ネイトと名乗った女は花を一輪、つまんだ。「確かに、いい匂いだけどね。」
 「……。」
女は、それ以上何もしないようだった。彼が警戒を解かないのを見て、話しは諦めたらしい。赤い唇をにっとゆがめると、立ち上がり、指先で花をくるくる回しながらどこかへ去って行ってしまった。
 ほっとして、彼は元の場所に戻った。勝てる気がしない。底知れない力と読めない気配。あれが戦の守護者だというのなら、敵ではなくて良かったと、心の底から思ったのだった。


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