■第三章/変容-5


 シェヘブカイが去って行った後、彼は、ちらりと祠のほうに視線をやった。さきほどまで聞こえていた、くちゃくちゃと獲物を租借するような音は聞こえなくなっている。視線をめぐらせると、ひさしの端に、いつのにまにか金色の小さな鷹が現れていた。小さくげっぷをして、足の爪で嘴を拭う。
 「間に合ったようだな?」
鷹は、何故かばつが悪そうな顔をして、少し翼を膨らませた。「あんたのお陰だ」
 「巧くいって何よりだ。」
 「借りが出来ちまったな」
羽音がして、鷹が側に舞い降りて来る。風が起こって、傍らの草花が微かに揺れた。
 「改めて、自己紹介させてくれ。おれはホル=ネジェフ、知ってのとおり、黄金の鷹<ホルス>の眷属だ」
 「変わった名だな」
 「王家の鷹は数が多いもんでね。下っ端はみんな、こんな名だ。」
言いながら、鷹は、木陰にもたれかかるようにして寝そべっている彼を見上げた。眸は、片方ずつ色が違う。金と銀。太陽と月の色だ。ずっと透き通るようだった姿は、まだ少し不安定だったが、今はもうはっきりと輪郭を持っている。
 「伝令の神<ウプワウト>には会ったか?」
 「ああ」
 「戦況は、…良くない、ってことだろうな」
 「……。」
彼は、黒い犬から聞いた話を繰り返した。聞いているうちに、鷹の表情が険しくなっていく。
 「今代の王が死に掛けている…か」
聞き終わったとき、そう呟いて少し考え込むようなそぶりを見せた。
 「何か気になることがあるのか」
 「多少はな。少し前――暗殺計画が露見したことがあった」
眼を閉じかかっていた彼は、鷹に近いほうの左眼だけを開け、ちらと視線をやった。
 「なんというか…、王族の間で色々と、揉め事が、な。共同統治者なんて王が二人立つような妙なことにしたのも、いつ殺されるか分かったもんじゃないからだろう。メネスは、それに巻き込まれるのが嫌で逃げた。」
 「そのわりに、さっきは随分取り乱していたな」
 「…暗殺計画は潰えたと思っていたからだろう。その、うちの大将の捨て身の…まあ、なんというか、そのお陰で恨みを買って呪詛を送られてるんだがね」鷹は、小さくため息をつく。「ま、よからぬことをたくらんでる奴は一人二人じゃないってこったろうなぁ」
 「守護者たちが、どちらにつくかで揉めているような話も聞いたが。」
 「そりゃそうだろ。対抗馬も王の息子たちだ、しかも上位の王妃たちの生んだ、な。――有力な神官が後任の姫君もいる。お互いいがみ合ってんだよ、家族なのに。巻き込まれたほうもたまったもんじゃない。針のむしろだ全く」
 「それでも、父親に愛着があったなら、側にいたほうが良かったな」
 「……。」
 「それとも、側にいられない理由でもあったのか?」 
 「………。」
 「お前の話には矛盾があるが、聞くのはやめよう」
 「もう聞いてるだろうが! …ったく、そんな成りのくせして妙に察しのいい奴だな、あんた。」
ぶつぶつ言いながら、鷹は羽根を震わせた。彼は両目を閉じ、静かに周囲の風に意識を任せる。少しずつ感覚が遠くなっていき、その代わり、視える世界は広がっていく。
 「――俺も、一つ聞いてもいいか」
すぐ側にいるはずの鷹の声は、逆に、少し遠くなった。
 「気になってたんだ。あの時言ってたこと、"私のようになって欲しくない"って…。あんた、人間に棄てられたことがあるのかい」
 「…ある」
沈黙があった。鷹は何も言わず、しばらくして、かすかな羽音が遠ざかってゆく音が聞こえた。久しぶりに空を巡るのだろう。彼はそれには構わず、心地よい木陰で眠りに落ちていった。


 川の水位は相変わらず低く、岸辺の土手は乾いて赤茶けた表面を晒している。普段ならとっくに水に沈んでいるはずの浅瀬も水の上に姿を見せたままで、河からの水の流れとともにやってくるはずの魚は狭い水路の入り口で右往左往している。それに呼応してか、水鳥たちも今年は少ない。
 そんな水路の間を、葦舟が進んでゆく。乗っているのは、メネスとレキ、子供たちのうち年長の少年のほうだ。船には、狩りの道具と釣りに道具が両方載っている。レキは大はしゃぎだが、メネスのほうは不機嫌そうだった。
 メネスは、このところ頻繁に舟を漕ぎ出している。そうする理由を、彼は知っていた。鷹を養う供物のためだ。個人につく守護神である以上、食物を与えられるのはその個人以外にはない。他人に貰ったものでは意味がない。本当は獣でなくてもいいのだろうが、それは鷹の好みも踏まえてのこだわりのようだった。あるいは、他の方法を知らないのかもしれない。
 何やらぶつぶつ文句を言いながら弓を持って鳥を狙うメネスの傍らで、少年がしきりと話しかけている。使い方を教えてくれと言っているようだ。メネスはちょっと少年のほうを見ると、弓弦から手を離して、少年にそれを持たせた。後ろから支えて、的の狙い方を指導している。少年の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
 中州から遠目にそれを眺めていると、頭上で羽音がして、側に鷹が降りてきた。
 「ああして、よく弟にも教えてたなあ。」
懐かしそうな口ぶりだ。
 「それは、今、王になろうとしている奴のことか」
 「ああ。だが、腕前はちっとも上達しなかったな。見た目は瓜二つなんだが…あっちは、どっちかというと頭の狡い奴で。うちの大将は、逆に愚直なお人よしというか…」
葦舟の上から、メネスがじろりとこちらを睨んだ。この距離で会話が聞こえるはずもないが、何か言っている気配は感じたのかもしれない。鷹は、そ知らぬふりで視線をそらす。
 「軍人だったのか」
 「少し前まではな。色々やってたが、結局それが性に合うとかで、ここに来る前は南の国境で転戦していた。――子供の頃から弓の腕前は誰よりも上だった、大人でも舌を巻いたものだ。弓術大会でも…その時、王が後でその子に会いたいと言い出してな…。メネスは堅苦しいのが嫌いで、弟を変わりに行かせた。ま、見た目はそっくりなんなんでな」
 「……。」
 「下位の王妃の子は普通、見向きもされない。それまでは一度だって、王に直接謁見したこともなかったんだ。緊張してたのかもな。弟のほうは逆にそういうものが得意で、そりゃあ巧く勤めた。…」
その時、運命は違ってしまったのだ。のちに王は、その子を気に入り、後継者に指名した。
 「話を変えよう」
ふいに鷹は口調を変えた。「奥にもうひとつ村があるだろう。」
 「ああ。行ったのか」
 「ちょっとした興味でな。俺は土地の神じゃないし、守護する人間から離れすぎるんじゃなきゃ何処へでもいける。びっくりしたぜ、あそこじゃあんた、随分恐れられているんだな。」
言いながら、にやにやしている。
 「だろうな。」
 「あとは川沿いの村でも… そうそう、あんた、葬祭殿を壊したって?」
 「ああ。」
 「やるじゃないか。それじゃ、あんたは有力な助っ人候補ってわけだ」
 「何故だ?」
鷹の表情が、少しだけ真面目になる。
 「そりゃ、あんたがまだ何処の陣営にも属していない"強力な守護者"だからに決まってるだろ。太陽神の権威に逆らうってことは、その威光に属さないんだから。王の後継者とはいっても、ろくに後ろ盾もない状態で、号令をかけたところで一体どれだけの守護者が動くんだか。」
 「……私は陣営とやらには興味はないのだが。」
 「あんたに無くても、一柱でも多くの守護神が欲しい王からすりゃ、何のしがらみもないあんたみたいなのはうってつけよ」
鷹はのんきに笑っている。
 と、その時、彼は、意識の片隅に違和感を覚えた。さっと片手を上げ、鷹の言葉をさえぎる。
 「ん」
一瞬遅れて、鷹のほうも、それに気づいた。空から舞い降りてくる金色の輝き。もう一羽の鷹。ホル=ネジェフと瓜二つだが、一回り大きい。
 舞い降りてきたそれは、彼の頭上でぴたりと羽ばたきをとめ、そこに制止した。
 「ホル=サァセト…か」
言って、ホル=ネジェフは不機嫌そうにフンと鼻を鳴らす。「こんなところまで遥々と何しにきやがった」
 「なんだ。まだ生きてたのか、そろそろ消えちまったかと思っていたのに」
強気な言葉ではあったが、いささか失望したような響きももっている。ホル=ネジェフが消えかけていたことを、こちらの鷹は知っていたような口ぶりだ。彼は、二羽の鷹を見比べた。眸の色、翼の模様、後から来たほうがより豪華な飾りを身につけているようだったが、それを除けば、見た目はそっくりだ。それなのに身にまとう雰囲気は全く違う。ホル=サァセトと呼ばれたほうは気配を隠すこともせず、最初から敵意をむき出しにしている。
 「こいつは、敵ではないのか」
彼が呟くと、ホル=ネジェフがおどけた口調で答える。
 「それに近いが、残念ながらこれも守護者でね。飼い主に似て短気なやつなんだ。不躾な殺気は許してやってくれ」
 「まがい物の下級神風情が、偉そうに」
吐き捨てるように言って、ホル=サァセトは胸を張った。羽毛がふくらみ、その姿は一回り大きくなったように見える。確かに身につけた飾りだけは上等そうだな、と彼は思った。宝石飾りの輝く足環に、首周りに提げた重たそうな首飾り。頭上には王冠のようなものまで被っている。一方のホル=ネジェフはというと、質素な金の足環を一つだけ。守護している人間同士の関係が、守護者たちの見た目や態度にも表れているのが面白い。
 「おっと、手を出すなよ」
見ているだけだというのに、ホル=サァセトは胸を張ったまま<緑の館の主>のほうに向かって言った。
 「我々が問題としている人間は、お前の"守備範囲"ではない。これは"王家の問題"だ。」
その途端、手足に見えない枷がはめられたような感覚があった。心なしか、体が重くなったような気がする。彼は自分の腕を見下ろした。その気になれば動けそうな気はするが、ホル=サァセトは満足そうな顔だ。
 「守護者たる者、神々の長たる黄金の鷹には従わねばならない。――逆らうということは秩序の権威、至高の太陽神の憎しみを買うだろう」
ちら、と見ると、ホル=ネジェフがちょっと翼をすくめるのが見えた。事実ということか。ホル=ネジェフがにやにやしているのは、<緑の館の主>がかつて太陽神の加護の下にある葬祭殿を壊したことを知っていて、この程度は何でもないと分かっているからだろう。だが、今はそれを誇示しても始まらない。
 「心配しなくとも、お前ごとき相手に二対一で戦おうなどとは思わんぞ。」
 「ほう、挑むのか。そんな弱った姿で?」
 「試してみるか?」
その瞬間、ちっぽけに見えていたホル=ネジェフの姿がふいに大きく膨らんだ。ホル=サァセトの非では無い。まばゆいばかりの金の輝きを纏い、人を飲み込まんばかりの大きさ大きく翼を広げる。それは、王家の守護者たる"黄金の鷹"に相応しい姿だ。
 ホル=ネジェフはにやりとして、威嚇するように嘴を開く。
 「…チッ」
ホル=サァセトは小さく舌打ちすると、大きく羽ばたいて後退った。「いつまでも――そうしていられると思うなよ!」言うなり、ぐるりと向きを変え、あっというまに元来た方向に飛び去ってゆく。呆れを通り越して感心するほどの逃げっぷりだ。
 「…あっさりしたもんだな」
 「ま、あいつは昔っから口先だけだからな。」
平然とした口調で言うホル=ネジェフの姿は、いつの間にか元通りに縮んでいる。こちらも脅しだけ、ということか。
 「後見人のおふくろさん…第一王妃の威光がなきゃ、なーんも出来ない坊ちゃんだからな。度胸も武術の腕前も、うちの大将のほうがずーっと上だ。」
 「ふむ」
彼は、手を見下ろした。鷹が去ると同時に、手足にぶら下がっていた見えない重りも消えたようだ。
 「伝令の神<ウプワウト>の言っていた、"王家の鷹の対抗できるのは王家の鷹だけ"とかいうのは、これのことか。」
鷹は、苦笑する。
 「あんたにはあんまり効果はなかったようだがね。」
 「お前は、あんなのとずっと張り合ってきたのか」
 「そうさ。面倒だろう? なぜ王家の人間に、一人一人こうして守護者がつかねばならんのかも分かるだろ。逃げちまったうちの大将のことを、悪くは思わんでやってくれ。」
話しながら祠へ戻ってくると、ちょうど、メネスがやって来たところだった。手には、獲ったばかりの獲物だけをぶら下げている。鷹と視線があうと、途端に彼は不機嫌そうな顔になった。だが、以前のように無視しようとはしない。
 「よう、また随分と仲良くやってるようじゃないか」
 「間借りしてるんだから当然だろう」
ホル=ネジェフが澄ました顔で言うと、メネスは、じろりと傍らの祠の主のほうを見た。
 「…あんたも、物好きだよまったく。」言いながら、供物台の上に狩って来たばかりの水鳥を一羽投げ出す。「ほれ、今日のメシ」
ごくり、と傍らで鷹が喉を鳴らす音が聞こえたかと思うと、もうその姿は、供物台の側にある。
 「感謝がたりんな、感謝が」
 「んだよ、文句言うなら食うな。」
 「……。」
そんなやり取りを眺めていると、メネスがふと思い出したようにもう一方の手に提げていた大ぶりな魚を差し出した。
 「失礼、主神様にも勿論。と言っても、さっきシェヘブカイから預かってきたんだけど」
魚を供物台に並べて置きながら、小さくぼやく。「釣りはどうしても巧く行かないんだよな…」
 彼は、ちらと魚に目をやり、それから、メネスのほうを見た。
 「ホル=サァセトという奴がきていたぞ」
隣で、鷹が激しくむせこむ音が聞こえた。
 「おま…それを」
 「へえ」
メネスの表情が、ぴくりと動く。鷹は止めたそうな顔をしているが、彼は、構わず続けた。
 「呪詛を送ってきているのは、あいつが守護する人間か?」
 「違うだろうな。あいつはひ弱なお坊ちゃんで、力もないくせに正面から突っ込みたがるただのバカだ。正々堂々とか言ってな。――愛すべきバカだ」
その口調には、妙に面白がっているような響きがあった。だが同時に、深刻そうな響きもある。「…あいつ、死んだな」
 「何?」
 「誰の口車に乗せられたんだか知らんが、自分の守護者を自分から離してここに送ったってことは、その間は無防備だからな。バカ正直な奴から脱落する。王位争いってのは、そういうえげつないモノだ」
 「……。」
彼は表情を変えなかった。供物台に近づくと、魚を見下ろす。
 「私も鳥を試してみたい」
振り返って、メネスのほうを見る。「次は同じものを持ってきてくれないか。」
 一瞬、戸惑ったような顔をしたが――メネスは、答えた。「承知した」


 「…おい、あんた」
メネスが去った後、鷹は、困惑したような表情で彼を見上げていた。「どういうつもりだ。」
 「何か問題が? 誰であれ、私に供物を持ってくるならそれは私の"守備範囲"だろう」
 「それは…そう、だが…」
背を向けると、祠の外に歩みだす。建物の中の薄暗がりから出ると、いつもの木陰に腰を下ろす。変わらない、柔らかな花の香りが包み込んでくる。
 穏やかな昼下がり、彼の<領域>は平和そのもので、何事も起きてはいない。けれどこの空のどこか別の場所で、見えないその先で、今も誰かが死に、守護者が力を失い、消えている。
 腹立たしかった。
 それは、かつて抱いていたものとは全く別の種類の怒りだった。悪いのは人間なのか。それとも人間とともに生きていながら何も出来ない守護者たちなのだろうか。
 風が吹き、沼地の水面に波紋を広げてゆく。黒い犬、伝令の神のいった言葉が耳の奥に蘇ってくる。

 "お前はもう、巻き込まれているのだよ、<沼地の守護者>"

感覚の先、今は感知できないどこか遠くで、何かが動き出そうとしている予感が――あった。
 


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