■第一章/彷徨える水辺-2


 人、人、人の大混雑の間を、砂埃とともに、一陣の乾いた風がときおりお情け程度に吹き抜けてゆく。シェヘブカイは汗を拭い、容赦なく照り付ける太陽を恨めしそうに振り仰いだ。うっすらと煙ったような中天に輝く太陽の射るような輝きは、川べりの大地に重たい石を引く労働者たちの頭上に、肩の上に、今日もあますところなく降り注がれている。そんな中を汗にまみれた人々の掛け声がこだまする。履物はすぐに擦り切れてしまうから、ほとんどの労働者たちは裸足のまま、荒縄を直接肩にかけて灼けた大地を踏みしめていた。
 労働者たちが石を引いて向かう先、水辺を離れた高台の上には、当代の王陛下が指示して作らせようとしている、真新しい葬祭殿が白く光を反射しながら聳え立っていた。
 「今日の分の配給が届きました」
 「出欠の記録をこちらへ。人数は?」
傍らを巻物や陶片を手にした書記たちが慌しく駆けて行くのを横目に見ながら、シェヘブカイは、手元の陶器片に今日の出勤者の人数を書き付けていた。日に一度、昼になると労働者たちにその日の報酬としてのパンとビールが配られる。王の命で集められた労働者の数は決して少なくはない。おまけに今は、農業の最も暇な季節で、近隣の村から臨時雇いで参加している季節工の労働者たちもいる。人数を数えるだけでも一仕事だ。そうした労働者たちの名簿と出欠状況を管理し、一人ひとりに毎日の給料でもある食料を過不足なく配給するのは、下級役人と書記たち、或いはシェヘブカイのような読み書きと計算の心得のある見習い建築技師の役目だ。平時なら適当にやっていてもバレはしないのだろうが、今は何しろ、監督官たちが、些細なことでも気にしている。
 「また、怪我人が出たとか…」
 「昨日の晩、当直が二人」
どこからともなくもれ聞こえてくる諦めにも似た囁き。ペンを動かしながら、シェヘブカイは耳をそばだてて聞いている。。
 (また、あれが出たのか…。)
それは、毎朝の点呼のたびに、出欠名簿に「欠勤」の赤い印がつく原因だった。ここのところ毎日のように、労働者が怪我をして休職を余儀なくされている。
 どんなに気をつけていても、どんなに神官たちが清めの呪文を唱えて守護神たちに加護を願っても、ほんの些細な隙から災いが忍び込む。この土地か、あるいは王自身が呪われているのではないか、と――今では労働者たちのみならず、近隣の村や町でもうわさになっている。大して信心深くないと自負しているシェヘブカイですら、うっすらとそう思い始めているくらいだ。
 ただ、それは決して口にしてはならない言葉だった。神官か役人の耳にでも入ろうものなら、鞭打ちだけではすまされまい。


 葬祭殿の建設地が決められ、神官たちによって清められたのは五年ほど前、まだシェヘブカイが学校に通っていた頃のことだ。
 歴代の王たちが壮麗な墓所を築いてきた土地はもう少し川の下流のほうだったが、当代の王が選んだのは、他に大きな墓所もないこの土地だった。単純に昔からの聖地に良い建設地が余っていなかったこともあれば、過去の王たちの巨大な墓と比べられたくない矜持もあったのだろう。多くの労働力を投入し、王の威信をかけて始められた葬祭殿の建設は、当初の予定ではすでに終わっているはずだった――が、実際は、今や遅々として進まずにいる。
 その理由というのが、ここ半年ほどの間、毎晩のように現れるようになった"水辺の悪霊"だった。
 正確なところは誰も知らない。それは何処からともなく現れては、すでに定位置に置かれた神殿の石を動かしてしまったり、壊してしまったりするのだ。邪魔しようものなら酷く暴れ、人間にも容赦なく向かってくる。はじめは、王家の守護神たちの助けを借りればすぐにも撃退できるとタカを括っていた王や神官たちも、それが闇夜に塔門の大柱を砕いた時には、さすがに考えを改めた。

 悪意を持つ何者かが、神殿の建設を阻もうとしている。
 今やそれは明らかだった。だが一体誰が、どうやって?

 神官や役人たちが王の命を受けて方々を当たったが、原因は分からなかった。正体の分からぬものには手の出しようがない。ただそれが夜闇の中、水辺からやってくるということだけははっきりしている。そしてそれは、神々の守りも祝福もものともせず、葬祭殿を襲うのだ。至高なる太陽神の神官たちにとっても、祝福されし王にとっても、それは大いなる屈辱だった。日が暮れるたび、災いが訪れ、夜警当番や用を足しに出た運の悪い作業員が怪我をする。それでも労働者たちと下っ端役人は、命ぜられるまま日々黙々と自分の務めに励み、命の危険に怯えながら、崩れゆく砂山に砂を注ぎ足すような終わりの無い仕事を続ける他にないのだった。
 「おい、セアンクんとこの息子! シェヘブ!」
名を呼ばれて、シェヘブカイは台帳を手にしたまま振り返った。石を運搬する人の列の合間をぬってやって来る体格のいい中年男は、父の同僚で、現場監督の一人だ。
 「あっちでお呼びがかかってるぞ。急いで来いとさ」
 「僕に?」
シェヘブカイは内心驚いて聞き返した。建築技師でもある父やこの男が普段働いている辺りは葬祭殿の中心部で、指揮の最も難しい列柱の建立や、神像を収める部屋のような重要な部分で、いわば"王の御前"だ。そこへは、下級の書記や技師は近づくことも許されない。シェヘブカイの七つ年上の兄でさえ、最近になってようやく父の助手として出入りするようになった。学校を卒業したてでとっさに計算式も出てないシェヘブカイなどはお呼びではない。
 「ああ、そうだ。お前に用なんだとさ。場所は行けば分かる、とにかく早く。」
 「わかりました」
彼は台帳と筆記具を同僚に任せると、胸を躍らせながら駆け出した。この建設現場に通うようになってずいぶん経つのに、神殿の中心部に踏み入ったことは、まだ一度もない。神殿が完成すれば、そこは聖域として王族や神官など限られた人々しか見ることの出来ない場所になる。噂に聞く浮き彫りや柱の装飾を目にすることができるのは、建設中の今だけだ。


 高台の向かう坂道には、石を運ぶ人の群れがいくつもの塊になって張り付いていた。太い綱の軋む音と、何百人という人々のあわせた掛け声が太く谷間に木霊して、側を通るだけで熱気と汗の臭いに気圧される。
 「ほらどうした! 合わせろ、エイヤ! エイヤ!」
 「運び終わればビールとパンが待ってるぞ! ソイヤ! ソイヤ!」
両脇から大声を張り上げて労働者たちを励ますのは、軍人あがりの赤ら顔の監督官たちだ。一人がじろりとシェヘブカイを見下ろし、肩にかけた書記の印のたすきを眺めた。少年は慌てて視線を逸らし、たすきを掛け直して坂道を走った。決してひ弱なほうではないが、それにしたって日ごろペンしか持っていない彼と毎日重労働をこなすここの労働者たちは腕の太さも体格も全く違う。日に焼けた肌を持つ人の塊はまるで、丘に果敢に立ち向かう巨大な一個の猛獣のようだ。
 汗を拭いつつ葬祭殿の入り口にたどり着くと、ひんやりとした日陰でようやく一息つけた。入り口に近い場所には、最近"悪霊"に倒されたばかりでまだ修復されていない塔門の壁がある。その向こう側に連なるのは、奥まで続く何列もの太い列柱だ。
 なめらかで、巨大な石の塊。均一で完璧な形を保つ乳白色の天梁。
 彼は、思わず息を呑んで足を止めた。
 その柱は、下流の採石場で切り取られる上質な石材から作られていた。この柱一本分の石を切り出すために、数十人が一ヶ月もかけて堅い石の槌を振り下ろさねばならない。大きな船を使って運び、港から神殿まで何十人もの労働者たちが力をあわせて運び上げる。だから、石の大きさを指示する建築技師に計算間違いは許されない。はめ込む位置から大きさと角度を正確に割り出し、それを石切り場に伝えて、注文どおりの石材が届くよう手配しなければ――
 「おい、そこのお前」
 「あ、はいっ!」
ぼんやりと石の表面を撫でていたシェヘブカイは、我に返って思わず「気をつけ」をした。胡散臭そうな顔の小太りの書記が、召使に団扇で煽がせながら柱の間からこちらを見ている。
 「神官に呼ばれていた、セアンクの息子か?」
 「あ、はい。…え、…神官?」
 「その先、真っ直ぐだ。白い幕屋がある。行け」
それだけ言って、さっさとどこかへ消えてしまう。貴族出身の上級書記だろうか。同じ「書記」でも、村の寺子屋で読み書きを学んだだけの技師の子とは雲泥の差だ。歩きながららそれとなく振り返ってみると、さっきの小太りの書記は、既に組み上がった列柱と壁面に施されている仕上げの彫刻や彩色を確認して回っているようだった。大人が何人も腕をつないでようやく囲めるほどの柱の上部には、蓮や椰子を象った美しい彫刻が施され、壁には聖なる字句と神々の姿を刻むための下書きがされている。奥のほうからは、彫刻師たちがひっきりなしに手を動かす、石を刻む規則正しい音が響いていた。
 四方を石の壁に囲まれた空間に一歩踏み込むと、表の喧騒は瞬時に消えた。
 まだ完成までは遠いというのに、葬祭殿の中には冥界にも似た静寂が漂っている。奥へ向かって歩いているだけで緊張してくる。示された道を歩きながら、シェヘブカイは、だんだん不安になってきた。神官だって? 一体どういうことだろう。
 行く手に白い幕屋が見えてきた。完成の暁には中庭になるであろう場所だ。天井が作られていないお陰で陽光が直接降り注ぎ、日陰に慣れてきた目には余計に眩しく見える。手を翳しながら、少年は幕屋の入り口に立った。
 「呼ばれたので来ました。セアンクの息子、シェヘブカイです」
幕の奥で人影が幾つか、うごめいた。布が少し持ち上がり、誰かの顔がちらりとこちらを伺い見る。かすかな香の匂い。ぼそぼそと話し合うような声。ややあって、おごそかな老人の声が幕の奥から響いてきた。
 「よく来たな、シェヘブカイ。お前に役目を申し付けねばならぬ」
 「役目?」
 「神殿に災い成す者を突き止めよ。」
 「…え」
それはあまりにも唐突で、思いもよらなかった言葉だった。
 「今、なんて言いました」
 「神託が下ったのだ。そは地にある人の世の事なり、天なる神々は関与せず、とな。行け。お前に役目が下された。必要なものがあれば支度しよう。ただし任を果たすまでは戻ってはならぬ」
 「……。」
立ち尽くしている彼に、幕の奥の声の主は苛立たしげにもう一度、行け、と命じる。慌てて、ひとつお辞儀をして踵を返した。
 わけがわからない。
 聴いた言葉を頭の中で反芻しながら、彼はぼんやりと元来た道を引き返した。頭の中は混乱し、疑問符で一杯だ。神殿の災いを突き止める? 神託? なぜ自分が?
 行く手に眩しい光が近づいて来る。葬祭殿を出て坂道に差し掛かろうとしたとき、ちょうど、向こうからやって来た青年とばったり鉢合わせた。兄のメンケペルだ。顔を合わせるなり、苦い顔で目を逸らす。しまった、という顔だ。
 「兄さ…」
言いかけるより早く、相手が口を開いた。
 「話は聞いたろ。父さんももう知ってる。言われたことを果たしにゆけ」
 「……。」
ぶっきらぼうに言って、忙しいといわんばかりに背を向ける。取り付く島もなかった。父を探そうかとも思ったが、内陣の最も難しい部分を任されている建築監督が、この時間に暇なはずもない。諦めて、シェヘブカイは一つ溜め息をついた。何かの間違いでなければ、これは、よほど悪趣味な冗談だ。
 丘を降り、桟橋を通り過ぎようとしたとき、さっき台帳を押し付けた同僚が声をかけてくる。
 「おいシェヘブカイ。これどうすれば…」
 「帰る。それよろしく」
 「って、どこへ行くんだ!」
 「あと、…」
自分の出勤簿に「午後帰宅」の印をつけながら、彼は振り返って、曖昧に口の端を持ち上げた。「たぶん、僕、明日から来ないから。」
 腹立たしげに砂を蹴って去ってゆく少年の後姿を、書記は、ただぽかんとして見送っていた。


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