【斑牛の章 2】


 ――夢を見ていた。

 (ここから出してくれ。死にたくない。嫌だ、嫌だ)
ああ、また牛になっている、とハルは思った。だのに、夢の中でまで、自分は暗い狭い洞窟の中にいる。空は見えず、風もなく、角がつっかえて体を回すことも出来ない。自分の排泄物の匂いが充満する土壁の中に、牛は押し込められている。
 (殺されたくは無い――あのお飾りの王には殺されたくない―― だがこれも―― これでは――)
牛はもがく。
 (そうだ。こんなところで死にたくない。おれは何もやっていない)
ハルも寝返りを打ち、壁をつかんだ。
 (暗い…)
ここは、冥界の洞窟の中だ。しるべなく死者の世界へ迷い込んだ哀れな魂が迷う、永遠の闇の中。どうすればここから出られるのか。そして、どこへ行けばいい?
 死にたくない。
 そんなのは誰だって思うことだ。ましてや、自分が死ぬことが分かっているならなおさらだ。
 だが、全ての生き物は死ぬ。牛は、殺されて、食われるために太らされる。それを嫌がることなど出来はしない。
 (ならば、お前も死を受け入れるのか。ここで死ぬのを?)
驚いて、ハルは首を振った。ここで死ぬ? どうして。自分は、まだ若い。
 (人もいつかは死ぬ)
だが、それはもっと先。…いや、先だとしても、確かにいつかは死ぬ。そのとき、自分はどこにいる? この貧しい暮らしは、いつまで続く? いつまで… 死ぬまで…。
 牛は、あざけるように言う。いつしか思考が入り混じり、互いの見ているものを共有しているような不思議な感覚が体を貫いた。牛は、自分? あるいは… 自分が、牛なのか?
 (お前はわたしだ)
声が響き、あの黒い瞳が蘇ってくる。
 (死にたくない)
 (わたしは、お前なのだよ。分かるかね、お前は… 誰に殺されたい…?)
 (死にたくない)
 (もし死を選ばねばならないとしたら、そのときは)
 (そのときは…。)


 嫌なにおいが鼻をつき、体の痛みで目を覚ます。
 薄暗がりの中で両手を伸ばせば、手のひらは壁に触れる。眠りながら無我夢中でひっかいたらしく、爪の間に黒ずんだ土がこびりついている。顔を上げると、出入り口は胸の辺りまで日干しれんがが詰まれ、そこから上は牛小屋と同じような格子になっているのが見えた。そこは、ほとんど身動きの取れない穴ような狭い穴倉で、まるで夢の中の牛と同じ境遇だ。
 カシャン、と、どこかで金属の音がした。
 足音が近づいてきたかと思うと、檻の前に盆が置かれた。
 「メシだ。食え」
乗せられているのは、薄いスープとカビが生えたようなパン一切れだけ。それでも、外に居たころよりマシなくらいだ。思わず笑ったハルを見て、看守は怪訝そうな顔をする。
 「何だ、にやにやして」
 「…何でもない。」
こんな酷い食事さえ満足にとれず、水ばかり飲んでいる暮らしがあるなどと、ここの看守は知りもしないのだ。
 牢の中に陽は挿さず、今が昼か夜かも分からない。
 土壁にもたれながら、ハルは、夢を思い出していた。あの牛は、自分なのか。いずれ殺される、あの牛は――。

 どのくらい、時間が経っただろう。再び足音が聞こえてきて、檻の前で止まった。ぼんやりと頭を上げると、どこかで見たような顔がこちらを見ていた。
 「ハル」
聞き覚えのある声だ、誰だっただろう。――ああ、そうだ。ラーネフェル…
 「…やあ、君か。どうしたんだい、こんなところに」
 「お前の話を聞きに来た。ティアが心配してたぞ。牛泥棒だって? なんでまた、そんな疑いをかけられる羽目になったんだ」
ハルは、小さく首を振って抱えた膝の上に額をつけた。ラーネフェルは一歩、檻に近づく。
 「言ってくれ、ハル。このままじゃお前は一生ここから出られないぞ。何があった。昨日は漁に行っていたんじゃなかったのか?」
力強い声は、聞いているだけで支配されそうだ。やめてくれ。ハルは心の中で叫んでいた。君には関りあいのないことだ。こんな惨めな姿を見ないでくれ。
 足音がして、人の気配が去ってゆく。顔を上げると、ラーネフェルと一緒にいた二人の兵の姿が消えていた。命じて下がらせたのだろう。目の前にいる青年は、腕の一振りでそれが出来る。
 「――夢を見たんだ」
観念したように、ハルは、ぽつり、ぽつりと話し出した。
 「信じてもらえないかもしれないけど…、とても美しい牛が出てくる夢だった。死にたくないと…。王家の囲いにいる牛だと分かってた。それで、あの日、漁のあと、魚篭を持ったままちょっと寄ってみたんだ…」
ラーネフェルは驚いた顔をした。
 「寄ってみた? 王家の囲いに?」
ハルは小さく頷き、視線を落とした。
 「それからどうしたんだ」
 「柵の近くで… 牛の群れを眺めていた。そうしたら、あの牛が近づいてきたんだよ、ラーネフェル。信じられないだろ、綺麗な雄牛だった。斑模様がはっきりしてて、大きくて立派なツノがあって…。おれは目が離せなかったよ。ああ、とても綺麗な牛だった。真っ黒な目をしててね。その目を見てるうちに、吸い込まれそうな気がしてきて、それで――」
 それで――
 繰り返し見た夢のこと。牛との会話、牛の思考。何と説明すればいい? ラーネフェルは、きっと信じてくれない。
 「それだけさ。しばらく牛を眺めて、それからうちに帰った。牛がいなくなったと家に衛兵が押しかけてきたのは、その夜のことだよ」
 「つまりお前は、何もしていないんだな。」
 「そう。でもねラーネフェル、あの牛はきっと、あそこから逃げ出したかったんだと思う。おれはあの時、確かに牛になっていたんよ。牛の瞳に写った自分を見た時思ったんだ。ああ、こいつはおれだ。おれはこの牛なんだ、って。それで牛の気持ちが…」
思ったとおり、ラーネフェルは慌てた顔をした。
 「ハル、ハル。この話は聞かれてる」
慌てて柵に近づきながら、ラーネフェルは小声で囁いた。「本当のことを言ってくれ。でないと、お前が牛を盗んだってことにされてしまう」
 「ああ、ごめんよ。そうだね、君にも信じて貰えないよね。おれだって信じられないんだ。でも、牛の気持ちのことはともかく、おれが何もしていないのは本当だ。柵を離れるまで、牛は確かにそこにいた――」
ごほん、と咳払いの音が聞こえた。遠くで、さっきの兵たちが様子を伺っているのだ。ラーネフェルは、柵から身を離す。戸惑ったような顔、だが彼は、きっぱりと言った。
 「…分かった。お前がそういうなら、俺はそれを信じるしかない」
それだけ言って、青年は檻に背を向けた。幼い頃から見ていた乳兄弟の背が遠ざかってゆくのを、ハルは、無言に見送っていた。どうしてなのだろう。どうして彼は、自分のところへやって来たのだろう。住む世界が違うのに、係わり合いになる理由など無いのに――


 渋い顔の兵が檻の前に立ったのは、それから、何日か経った時だった。
 「出ろ」
そう言われても、ハルはしばらく意味が分からなかった。
 「出ろといっている。放免だ。幸運だったな、お前の嫌疑が晴れた」
 「嫌疑――」
 「そうだ。牛が見つかって、無事に戻ってきた。じきに大祭だ」
よろめきながら牢を這い出すと、追い立てられるようにして通りに放り出される。
 「行け」
もはや用は無い、と言わんばかりに吐き捨てて、衛兵は詰め所の中へ戻っていく。日差しが眩しい。何日ぶりだろう。――あまりの眩しさにハルは両手を翳し、目を細めて通りを見回した。何日も水浴びをしていないハルの姿を見て、通りをゆく町人たちが鼻をつまみ、くすくす笑いながら通り過ぎてゆく。体は、泥と血に汚れていた。手首にはきつく縛られた跡が赤く残り、裸の上半身には、ムチで何度も打たれた跡がある。だがそれでも、生き残った。
 (牛が見つかったと言ってた)
ラーネフェルが見つけてくれたのだ。そんな気がした。何故そこまで? 体がだるくて、思考がうまく纏まらない。
 (…お礼を言わなくちゃな)
ふらふらと家路を辿りながら、それだけは思った。命を助けてくれたのだ。死なずに済んだ。
 町は浮き立ち、通りは活気で溢れている。大祭が間もなくだと言っていた。だが、歩を進めるごとに喧騒は遠ざかり、やがて祭りの気配に縁のない、崩れかけた泥れんがの家々が軒先を寄せ合う、薄汚れた通りが姿を現した。足をひきずって歩くハルには、誰も気もとめない。ぼろに包まって通りに横たわる者、炉辺で焚き火をしながら何かあぶっている者、何をするでもなくたむろして辺りをじろじろ睨んでいる者。通りには、浮かれ騒ぐ町とは裏腹に、鬱屈した気配が漂っている。
 やがてその貧しい軒並みも途切れた。母と暮らす小屋は、何もない荒野の只中にある。熱く焼けた砂が、裸足の裏を焼いた。元からぼろぼろだったサンダルは、以前ここを引きずられていったときになくなってしまったのだ。
 小屋に近づくと、家の周りに砕け散った甕の破片が散らばっているのが見えた。入り口の茣蓙は引きちぎられたまま。
 「ただいま、母さん」
声をかけても、しばらくは返事が返ってこなかった。だが、中に人の気配はある。
 「母さん?」
火の消えたままのかまど、踏み荒らされたままの土間――いつもラーネフェルが腰掛けていた炉辺は、崩れて日干しれんがの欠片になっていた。奥の部屋をのぞくと、ティアが、うつろな目をして壁にもたれかかっていた。ふくよかだった頬はやせこけて、皺だらけの額には白い髪が垂れている。空ろだった現実が、色あせていた風景が、突如として現実味を帯び、色彩と感覚をもって蘇ってくる。
 「…母さん!」
ハルは慌てて母を抱きおこした。「しっかりしろ、母さん」ゆさぶると、ようやく目の焦点が合い始めた。
 「…ハル?」
彼が頷くと、ティアの目にみるまに涙が溢れた。
 「よかった、戻れたのね。…もう、戻ってこられないかと」
 「何があったんだ」
 「何も。ええ、何もありませんよ。ただ、お前がいなくなってから胸が苦しくて――」
 「食べ物は? 何か食べていないの?」
ティアは、震える指で部屋の隅にある包みを指差した。開けて見ると、中には乾いたパンと干し肉が入っていた。誰かが持ってきたもののようだ。ラーネフェルだろうか。しかしそれは、もう何日も前から手付かずのままそこに置かれていたようだった。
 「待ってて、すぐ水を――」
言いかけて、ハルは甕が壊されていることに気がついた。代わりに水が汲めるものを探してこなければ。それから、母を寝かせられる何かを。
 体が震えてくるようだった。母はしばらく前から胸のあたりに違和感を覚えていた。今回のことで負担をかけすぎたのだ。自分はバカだ、とハルは思った。どうして牢にいる間、母のことを思い出さなかったのだろう。心配をかけていることは分かっていたはずなのに、こうなることだって。
 (逃げ出したかったんだろう?)
川べりに到着したとき、足がもつれた。とっさについた手の下で水がはね、黒い水面に顔が映る。水の中から見返してくる黒い目は、――あの、牛の目だ。
 (母親が死ねば自由になれると思っていただろう)
 「違う」
立ち上がろうと泥の中でもがくと、指先に何かが触れた。端のかけた素焼きの器だ。彼はそれに、泥水の上澄みをすくった。
 ――もっと田舎にいけば、楽な暮らしが出来る、と
器を手に、水をこぼさないようおそるおそる歩き出す。だが、手が震えて水が零れてしまう。
 ――この貧しい暮らしは、いつまで続く?
自分は死ぬまでここに縛られたままだ。貧しさからも、自らの運命からも逃げることは出来ない。
 やっとの思いで母に水を届け、乾いたパンをその口に押し込んだとき、ティアは、消え入るような声で息子に懇願した。
 「お願いがあるのよ、ハル。私が今いるこの壁の下を掘ってくれないかい? そこに箱があるから――それを――坊ちゃんに渡して」
 「ラーネフェルに? 箱?」
 「ええ、…そう。でないと、私は…」
自分では動けない母の体を抱き上げた時、ハルは、その軽さに驚いた。込み上げてくる熱いものを押し殺しながら、彼は、言われた場所に穴を掘った。やがて、穴の中にボロ布で包んだ箱が見つかった。布は埃っぽく、指先で触るだけで繊維が崩れそうになる。
 「…これは?」
 「坊ちゃんと初めてお会いした日に、身につけていらしたものよ」
振り返ると、ティアは半分目を閉じていた。大きくひとつため息をつき、天井のあたりを見上げる。
 「あんたには、先に話しておくわね。もし、坊ちゃんが来る前に私に何かあったら、あんたから話してちょうだい。あれは…私がお屋敷に勤め始めた頃のことよ。その頃、私がお預かりしていた坊ちゃんは、今の坊ちゃんではなかったの。…」
しばらく、母の言っていることが理解できなかった。
 「それって…つまり…」
 「ラーネフェル坊ちゃん、今の坊ちゃんはね、旦那様と奥様の本当のお子様が亡くなったすぐあとに連れてこられた子で…」
そこでティアは息を詰まらせ、むせこんだ。ハルが背中をさすると、ようやく掠れた声で続ける。
 「…同じくらいの年頃で…、どこの誰とも旦那様は仰らなかった。手がかりは、その品だけ。焼き捨てるよう言われたけれど、どうしても出来なくてね。いつか坊ちゃんにお返ししよう、お返ししようと思っていたのだけれど」
 「何でそんな大事なこと、今まで黙って。お屋敷をクビになったのはずっと前だし、ラーネフェルは何度もここに来てたのに!」
 「言えませんよ、そんなことをすれば今の坊ちゃんの生活を壊してしまうかもしれない。奥様は本当に坊ちゃんを愛していらした。坊ちゃんだって今のご家族のことを…」
 「だけど、自分の人生だよ」
ハルは自然と、咎めるような口調になっていた。「知らないままなんて、そんなこと。本当の家族がどこかにいるかもしれないのに」
 「…ええそうね。酷いことをした。とても酷いことを」
ティアは口を閉ざし、青ざめた唇が震えるのが見えた。ハルは母から目を逸らし、拳を握り締めた。
 「魚をとってくるよ」
台所のあたりを探すと、魚篭は見つからなかったが、網はかまどの脇で灰に埋もれているのが見つかった。それを引っ張り出して、ふらつく足取りで川へ向かう。何もかもが腹立たしかった。母をこの地に留まらせ続けた理由はつまらない過去の罪悪感だった。母が乳母の仕事をクビになった理由も、それに関係しているのだろう。早く白状して楽になっていれば良かったのに。こんなことになるまで隠し通す意味があったのか?
 川が見える場所まで来たとき、彼は、川べりがやけに賑やかなのに気がついた。水の上には沢山の舟が浮かび、川いっぱいに何本もの綱を張って川の向こう岸とこちら側とをつないでいる。祭りの準備だ、とハルは思った。大祭が近かったはずだ。祭りは――明日か、明後日か。神像の入った厨子を載せる立派な舟が川岸まで引っ張り出され、水に浮かべられようとしている。これでは、魚などみんな逃げてしまっているだろう。
 手から網が滑り落ちた。
 拾い上げる気力さえない。
 振り返って、ハルは、小屋のある辺りを眺めた。祭りの近い浮かれた空気も、賑やかな音楽や笑い声も、そこには届かない。小屋の中には、死の気配だけが満ちている。


 ラーネフェルがやって来たのは、祭りの終わった翌日だった。
 戸口に立った時の驚いた顔、ハルと目が合い、横たわるティアの姿を見て、しばらくは言葉もないようだった。
 「どうして…」
 「母さんは、ここのところ心臓の調子が悪かったんだ」
ハルは、母の傍らで壁にもたれたまま言った。「それで…。」
 ずっと浅い眠りの中にあったティアは、ラーネフェルの声を聞いて意識を取り戻したようだ。荒い息を吐きながら、なんとか起き上がろうともがく。ハルはとっさに手を差し伸べた。ほとんど水分のない、かさかさに乾いた肌が手に触れた。
 「母さん…」
 「ハル、あれを。あれを持ってきて」
あの箱のことだな、とハルは思った。
 「ここにあるよ」
ティアは視線で、ラーネフェルにそれを受け取るよう促した。ラーネフェルが布をめくると、母は、ゆっくりと話し出した。
 「それは、坊ちゃんがお屋敷に来られたときに身に着けていたものなんです」
 「俺が?」
思っていたより、驚いた風ではない。ハルは、母を支えたままラーネフェルの表情を伺っていた。
 「それじゃあ、俺がどこの誰なのかは、お前も知らないんだな」
 「……。」
母が、体を大きく震わせた。咎める口調ではない、がっかりしたような、諦めたような――。
 「ラーネフェル、君」
 「いいんだ。俺は今の家族を壊すつもりはない。理由はどうあれ、俺をここまで育ててくれた」
箱を閉ざし、首に架けていた重たい胸当てを外して差し出す。
 「打ち明けてくれてありがとう、ティア。これは礼だ、受け取ってくれ」
 「そんな、坊ちゃん。受け取れません、それは坊ちゃんが旦那様にいただいたものでは…それに私は…」
 「交換だ。お前が取っておいてくれたものとのな」
痩せた手をとって無理にそれを握らせると、ラーネフェルは箱を小脇に抱えて立ち上がった。振り返りもせずに去っていく背中は、妙に遠い。まるで、最後の別れのようだ。
 慌てて、ハルは跡を追った。
 「待て、ラーネフェル。何処へ行くんだ?」
 「どこって、町に戻る…」
 「そうじゃない。何処か遠くへ行く気じゃないのか?」
振り返って、彼は小さく口元に笑みを浮かべた。
 「さすがだな、ハルは。本当はそれを言いに来たんだが、ティアのあんな姿を見てたら、とても言い出せなくて」
 「まさか…町を離れるのか」
 「ああ。じきに、クシュの国へ行く。王の命で」
思わず、息を呑んだ。
 「あの、王の?」
牛の記憶の中にあった、"あの"王の…命で。クシュのことは噂に聞いたことがある。南の国境を越えた先、神々の住まう聖なる水源よりも奥にあり、川の流れは細く、灼熱の太陽が照りつけるばかりの不毛の大地だと。そこは言葉も通じない蛮族が跋扈す危険な場所、飢えや熱病で命を落とす兵も少なくないのだと。
 「祭りの日に、王を指し置いて聖牛を手にかけた。その罰だ。もっとも、俺は昔から軍人になりたかったから、願ったりだよ」
 「だけど――」
だからといって、罪人が送られるような過酷な最前線へなど。
 死ぬかもしれない遠い場所へ行くというのに、どうしてそんな顔をしていられる?
 君だって死にたくはないんだろう?
 「戻ってくるんだろう?」
 「そうだな、半年か――そのくらい経ったら、おそらく」
ラーネフェルは、揺らめく水面の向こうへと視線を向けた。彼も察しているはずだ。半年後まで、母は持つまい。
 ハルはきつく唇を噛んだ。みんないなくなってしまう。母も、ラーネフェルも。自分は一体どこへ行けばいい? これから一体、どうすればいい?


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