第20章  ベルンの継承者



 ヴァルターの顔は、真剣みを帯びていつもより上気していた。
 今まで、力比べでただの一度も負けたことのない男。ディートリッヒには、彼の気持ちが手にとるように良く分かった。
 負けることを知らない者の自信は、より強い者を前にして脆くも崩れ去る。それは、折れたあと立ち上がることを知らない、しなやかさを欠いた強さなのだ。
 「なかなかやりますな、あの若者。」
エッツェル王がにこにことして言う。
 「この間の競技会には出ていなかった。あれは、誰のご家来ですかな。」
 「私の甥、ディートリッヒのだ。……」
エルムリッヒ王は、苦々しい気持ちで呟く。何かが、この王の揺ぎ無い自信を掻き乱していた。その原因は、目の前でヴァルターと勝負をしているディートライプではない。それを見つめる、若い甥、ディートリッヒだった。

 「どうしました? やらないんですか」
ディートライプの声で、ヴァルターはハッとする。いつの間にか滲んでいた汗を拭い、目の前の旗柱に手をかけた。
 「くっ…。」
懇親の力を込め、それを掲げる。彼の目は本気そのものだった。ごう、と、風が唸る。
 「おおお!」
柱が飛んだ。みな、目を見開いて、その行く手を視線で辿る。旗柱は中庭を突き抜け、轟音とともに、向かい側の壁に突き立った。
 「…どうだ」
荒い息をたてながら、彼はディートライプを睨みつける。だが、彼は飄々として、ヴァルターのほうを見ようともしない。
 「なるほどね。では、次は私ですか。」
そう言うと、彼は歩き出した。多くの視線が、彼を追う。
 中庭の端までやって来たディートライプは、めり込んだ柱を片手で抜くと、それを、頭上高く掲げた。
 「よっ」
ひょい、と投げ、受け止める。
 「ほい。」
くるくると回し、振り返る。にっ、---と、そのとき、彼は笑った。
 「受け止めてください。」
 「は?!」
 「とりゃ!」
ディートライプの投げた柱が、ヴァルター目掛けて一直線に飛んでいく。ヴァルターも、そして、見守っている人々も真っ青になった。悲鳴が上がる…
 「うわあああ!」
しかし、それは、ヴァルターの元へは届かなかった。
 地面にぺたんと尻餅をついて、震えながら見上げるヴァルターの目の前で、柱は、ディートライプの手によって受け止められていた。
 「どうしたんです。避けてくださいとは、言っていませんが。」
 「…あ、ああ…何故、お前…。」
投げたはずのディートライプが、柱を受け止めている。
 「走ったんだ。」
ぼそ、とハイメが呟いた。
 「…足、速ぇー」
 「そういう問題ではないと思うが。」
ヴィテゲが冷静に突っ込む。「投げてから走って追いつくなど、人間ではないな。」
 「じゃ何なんだよ。アイツ化け物か?」
 「…化け物だろう。」
 「ふーん。ま、何でもいいか。アイツ勝ったんだし。」
 「……。(いいのか、それでいいのか?)」
2人の後ろでライナルトは、そういえばこの2人も化け物じみているな、と、心の中でしみじみ呟いたのであった。

 間もなくして、物凄い歓声が、辺りを包んだ。衝撃が引いていくにつれ、人々は、力自慢のヴァルターを破った、この、新参者の若者の力を認めたのだ。
 「どうでした?」
戻って来たディートライプは、やっぱりホロ酔い加減のちどり足だ。一瞬だけ見せた、あの目の鋭さはもうどこにもない。
 「よくやった。これで、君はヴァルターに首をとられずに済むな。」
 「そして、私はエルムリッヒ王から勝利の報酬を戴いて、あなたに譲り渡すワケです。…ヒック」
 「ふふ。これも、お前にとってはその程度のことなのか。」
ディートリッヒは、中庭にこだまする人々の歓声を見上げた。顔を硬直させたエルムリッヒ王が、ジフカを傍に呼び、何かを囁いて消えていく。エッツェル王は大喜びで、まだ手を叩いていた。
 視線を戻したディートリッヒは、仲間たちに向かって、言った。

 「さあ、…帰ろう。ベルンへ。我々の国へ…。」


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 エルムリッヒの宮廷を辞したあと、ベルンへの途上。

 「しっかし、良かったよなぁもぉ! 質流れしてなくてっ。ああ、オレのリスペ(馬)!」
 「…まったくだ。もし戻ってこなければ、俺は貴様を殺していた。」
無事、馬や武器が戻って来て、ハイメもヴィテゲも少し落ち着いた様子だった。終わりよければすべて良し。
 ディートライプは、いつのまにか仲間にちょこんと納まっている。
 あの勝負でヴァルターに大勝し、エルムリッヒ王から褒美として大金を受け取った彼は、それをそのまんまディートリッヒに謙譲した。エッツェル王は大喜びだったし、武器や馬の請け出しも出来たし、結果として悪くはない。

 ヒルデブラントは、ふっと笑って言った。
 「…お主のことだ。質に入れたといっても、そこらの町の質屋で抵当に入れたのではないのだろう? どこかの貴族にでも預けていたのではないのか。」
 「あ、バレてました?」
 「よく考えれば分かったことだ。町の質屋が60マルクなどという大金を持っているはずもない…。まして、値段のつけられないような品をまとめて買ってくれるはずもない。」
ヒルデブラントは、途中でそのことに気付いたのだった。ディートライプはもしかすると、ずいぶん手の込んだイタズラを仕掛けようとしているのではないか---と。
 「いいか、イタズラでもなんでも、こういうことは二度とすんなよ。今度やったら絶対てめー許さないからな。ヴィテゲのはいいとして、オレのリスペは売るな!」
 「…何で俺のはいいんだ。」
 「だってお前、スケミング(馬)のこと大切にしねーじゃんか。お前なんかよか、別のヤツに使ってもらったほうが、スケミングだって幸せかもしれねーじゃん。」
 「フン。馬マニアめ。」
ディートリッヒは、二人のこんなやりとりを、苦笑しながら聞いていた。
 いつもどうり…と、言うのはおかしいかもしれないが、何だかほっとする和んだ空気だった。緊張しっぱなしだったライナルトも、役目が終わって気が抜けたようだし、ハイメは思う存分フン族の馬を調べられて大満足らしい。ヴィテゲの持っていたギスギスした雰囲気も、いつの間にか消えている。
 何も変わらない。
 違うのは、仲間が一人増えたことだけ。
 「これからどうするんだ? ディートライプ。」
 「ああ、そうですね。実は祖父んちに行くのすっ飛ばして来ちゃってるんで、そっち片付けてから、また遊びにきますよ。」
 「遊びに…って、お前な」
ライナルトは何か不満そうだ。
 「いいさ。ディートライプの場合、何もかも遊びなんだろう。命がけの腕試しもね。」
 「あははは。さすがディートリッヒ様、フトコロ具合が大きい。しかし、私がディートリッヒ様に誓った忠誠だけは、遊びじゃなくて本物ですよ。」
す、とディートライプの眼差しに、真剣さが混じる。
 「私は、アメルンゲンと戦おうとは思わない。それは、あのエルムリッヒ王がいるからではなく、ディートリッヒ様、あなたがいるからですよ。数に勝ることよりも、力で優れることよりも----あなたには、人を集め導く力があると感じた。その力は無限に人を集め、国の枠を越えて、絆の糸を手繰り寄せる。」
 「それは随分な誉め言葉だが、君のお父上や祖父どのは、それを納得してくれるかな?」
 「納得させますよ。僕は、勝てない戦いはキライなんで。」
にっこりと笑ったディートライプは、ほんの少しいたずらな顔をして、馬に拍車を当てた。ザクセンへ至る北への道と、ベルンへ至る東の道とが分かれる街道の分岐点だった。

 「…それではこれで。またお会いしましょう」
 「ああ、また。」

去りかけたディートライプが、馬を止め、振り返る。
 「そうそう、言い忘れるところでしたよ。エルムリッヒ王の召し使いたちをもてなしたときに聞き出したんですが---」
 「ん?」
 「ジフカという男に、気をつけてください。あの男はきっと何かをやらかす」
はっとして、ディートリッヒは、エルムリッヒ王の傍らに仕える。不気味な男の存在を思い出した。
 国一番の知恵者、もっとも信頼される宰相…ジフカ。それは…
 「ディートライプ! 君は、一体何を聞いた。ジフカが、何か企んでいるのか?」
 「さあ、それは何とも…。今は、ただ勘だとしか。」

 去って行く馬の背を見送りながら、ディートリッヒはこのとき、確かに予感していた。 
 これから起こる何かを。忌まわしい悲劇を…。
 少しずつ、少しずつではあったが、ローマの上空には、薄暗い雲がかかりはじめている。
 「さあ、我々も戻りましょう。ベルンへ」
 「ああ。そうだな」
ヒルデブラントの言葉で、彼は暗い予感を振り払うように馬を進めだす。のちにゴート族の偉大なる王として様々な伝説を生むことになるディートリッヒ、このとき、まだ十五歳前後。

 ローマより帰還してまもなく、父王ディートマルが急死、彼は人々の祝福のもと、新たなベルンの王となる。
 それは真の意味でのディートリッヒ伝説の始まりであり、ひとつの時代の終焉でもあった。

 王位についたディートリッヒのお話は、これから後に語られる、また別の物語の中で。

 『次代の王を育てよ、との、ディートマル陛下からおおせつかった役目は、ひとまずこれで終わりとなるだろう。しかし、私にはまだやるべきことが残っている。ディートリッヒ様はまだ若い。私のような者でも、少しは役に立てるであろう。
 私には見える気がする。この方が、一族を最大の繁栄に導く、その輝かしい未来が。
 …我が王とベルンの町に、とこしえの栄光のあらんことを。』----ヒルデブラントの日記より


[END]