間奏2  遠きブルグント 予兆の歌



 さて。ディートライプの企みを語る前に、ここで一息ついて、話を遠くブルグントの国へ飛ばそう。

 昔物語は時の流れを曖昧にし、必ずしも一定のリズムで物語を刻まない。ディートリッヒたちの物語と、もう一つの物語は、必ずしも同じ時間の中で交わるとは限らない。
 けれど彼らは、必ず再び出会うだろう。それだけは変わらない。だから…

 たとえ、伝えられた別々のテキストの中で年代が異なっていても、ふたつの物語の時は、ある一点で交わり、収束するために語られなければならないのだ。


 このとき、ブルグントでも一つの大きな宴が開かれていた。
 北のニーデルラント、ジークフリートが治める国に嫁いでいたクリームヒルト姫が、夫を伴って、何年ぶりの里帰りをしていたからだ。ブルグントとニーデルラントは、この婚姻によって、長く有効の関係にあった。だが、その関係も、とある事件が切っ掛けで、二度と修復不可能なまでに打ち砕かれてしまう。…
 夜の帳が下りたヴォルムス城は、月夜のライン川にその姿を映し、美しく、そして静かに、影をゆらめかせていた。
 ゆったりと流れていたフィーデルの音色が止まり、楽師は顔を入り口のほうに向けた。
 「…すまない。邪魔をしたか」
 「いえ。気にしませんよ、どうぞ、入って下さい。」
客人を迎えているというのに、城は重苦しく静まり返り、どことなくぎこちなく、空気が張りつめている。王妃プリュンヒルトと、クリームヒルトの他愛もない口喧嘩。女同士の我の張り合い。人々は、そうとらえていただろう。しかし、それは、これから始まろうとする破滅への予兆であった。
 部屋の戸をきつく閉めると、ハーゲンは、重い口を開いて言った。
 「我々は私生児を長く飼っているべきではない。このままでは、どちらの王妃も収まらないだろう。」
 「…ジークフリート殿のことですね。」
フォルカーは、丁寧に楽器を仕舞い、カーテンを閉ざした。普段あまり表情を表に出さないハーゲンが、これほど怒りの顔を見せるのは、久方ぶりのことだ。
 「確かにあの男は、この国にとって良いことを多く齎した。しかし、今回のことだけは、許すわけにはいかん。あの男のために、王はもはや、王妃の信頼を失ってしまったのだからな。」
 「…。」
 「王妃の秘密を多くの者のが知ってしまった。クリームヒルト殿も軽率だが、何よりもジーフリトだ。悪戯心を起こしてプリュンヒルト様の帯と指輪を奪い取り、それを秘密とともに妻に渡してしまうなど。何故、今になってこのような…。王は、どうしてジークフリートなどに…。」
 「……。」
 プリュンヒルトはかつて、父なる神オーディンに逆らい、永遠の眠りを与えられていたヴァルキューレだった。その彼女を手に入れるには普通の人間の力では叶わない。そのため、ブルグントの王・グンテルは、半神の英雄であるジークフリートの助力を頼んだのだ。
 だが、そのことを、プリュンヒルト自身は知らなかった。
 欺かれたことを知らず、グンターこそ、自分を手に入れた真の夫だと信じていた。今日、あの争いが起こるまでは…。

 かつての偽りがクリームヒルトの口から漏らされてしまった今、血の贖い無くして荒ぶる王妃の心は収まらないだろう。かつて戦乙女であったプリュンヒルトは、愛しき戦士に勝利と栄光の死を与える存在。その記憶が、最初に愛し、結局手に入れることの出来なかった英雄の死を望んでいる。

 フォルカーには分かっていた。グンター王に絶対の忠誠を誓うハーゲンが、今回のことに対し激怒するだろうということも、以前から軽率なジークフリートのことをあまり良く思っていなかったことも。
 憤りの本当の理由を知っているのは、彼だけだった。
 ジークフリートはいつか、国にとって災いとなるようなことを引き起こすと、あまり信頼しすぎるなと再三に渡って警告していたのにも関わらず、グンター王は、その忠言に耳を貸さず、重要な秘密を口止めするのを忘れてしまっていたのだ。
 ハーゲンは、何よりもこの国のことを大切に思っていた。
 「王」個人ではない。自分のいるべき場所として、帰るべき場所として、他の何者にもこの国を汚させたくはなかったのだ。
 だから、いつ裏切るかも分からない他国の勇士を信頼することは出来なかった。
 自分たち忠実な臣下にも内緒でジークフリートに打ち明け話をするようなグンター王にさえ、ある程度の憤りを感じていたかもしれない。

 「…ハーゲン。あなたの成すべきことに口を出せる人間ではありません。しかし、今回だけは言わせてください。」
フォルカーは、穏やかな声でハーゲンに語りかける。その声は、風に揺れるカーテンの透間から漏れる、冷めた白い月の光に乗って流れた。
 「これは、あなたの介入すべき問題ではありませんよ。偽りは、いつか暴かれる。それを分かっていながら、己の望みのためにジークフリートやあなたを利用した、グンター殿がすべての責任を王べきです」
 「王の責任は、俺が取る。それが家臣たるものの勤めだ」
 「ジークフリート殿の命を奪えば、あなたは未来永劫、人々の謗りを受けることになるのですよ。これまでの全ての武勇は失われ、死よりも恐ろしく、屈辱的な破滅をその身に受けなければならなくなる。」
 「構わない」
 「永遠に消えぬ罪です。あなたは、神々の住まう天の宮殿へは行けなくなる。詩人たちは卑怯者の歌を歌い、時の中で、ハーゲン・フォン・トロニェの名は、英雄ジークフリートの殺害者として残されることになる」
 「構わない。死んだ後のことなど、どうでもいい。俺は天国も永遠も信じてはいないからな。死ねば、人はそれで終わりだ。」
ハーゲンの言葉には、いささかの迷いも無かった。
 ぶっきらぼうな言葉ではあったが、その言葉は、どんな雄弁なものよりも如実に彼の内面を語る。彼は、自分ひとりで全ての罪と責任を背負おうとしていたのだった。
 「…俺にとっては、神も祝福もつまらぬものだ。そんなものが何を保証してくれる。守られない約束に意味はない。天が呪うなら呪えばいい。俺はただ、俺の信じた道を行く」
 「相変わらずですね、あなたは…。卑怯者になろうとする者が、そんな真っ直ぐな目をして殺人を予告するのですか?」
微笑んだ後、楽師は静かに視線を落とし、小さな声で呟いた。

 「それでも、…私はあなたを責めたりしませんよ、ハーゲン。たとえこの世のすべての詩人たちがこぞってあなたを謗る歌を作っても、私はあなたの武勇を歌う。迷い無き、誇り高きブルグントの戦士の歌を。」

 冷たく輝く白い月だけが、空の高みからじっとこのやり取りを聞いていた。

 ジークフリートが悪戯心を起こさなかったら、クリームヒルトが口を滑らせなかったら、グンテル王がもっと毅然とした態度をとれていたら、また、このときフォルカーが企みを制止していたら、未来はまた違ったものとなっていたかもしれない。
 だが、全ての「もしも」は、今となっては変え様のない出来事だ。
 すべての悲劇の始まりは、ブルグント族にクリームヒルトという、類稀なる美姫が生まれてしまったことに因る。彼女のためにジークフリートはプリュンヒルトを欺いて、グンターに差し出してしまったのだから。

 伝え聞く歌によれば、英雄ジークフリートは、ハーゲンの計略により、オーデンの森で命を落としたという。正面きって戦えば決して勝つことの出来ない、半神の英雄のあっけない最期。ある者はその場面を物悲しく歌い、またある者は、恐るべきハーゲンの企みを、悪しきものとして歌い上げた。
 けれど、彼がなぜそのような凶行に及んだのかを歌う声は、か細く、多くは風に吹き消されて、届くことがない----。


 ----遠きベルンの地にジークフリート殺害の歌が届くのは、それから、かなりの時が経った後のことである。


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