第17章 ローマへ至る道



 イタリア半島にある、古き優美の都ローマ。
 ディートリッヒとその家臣たちは、今、その手前の町まで来ていた。これから始まる大きな宴のために、ローマ周辺には各地から多くの勇士たちや旅の詩人、楽師などが集まっている。これを機に、誰か名だたる将に召抱えられ、騎士に取り立ててもらおうと訪れる者も少なくなかった。
 「そういえばヒルデブラント、お前の身内が来ているはずとの話だったが?」
 「ええ、私の姉の息子が。わかりやすい男ですから、来ていれば、すぐに見つかると思うのですが…」
と、ヒルデブラントが言い終わるか終わらないかのうちに、人ごみを掻き分けて、巨漢の男が仰々しくのっしと現れた。
 「叔父上! こちらです、こちらです」
人ごみより、頭ひとつぶん大きい。馬に乗っているディートリッヒたちと視線が同じくらいだ。なるほど、分かりやすい。
 彼らは雑踏を避け、大通りの脇に彼らを寄った。
 「改めて紹介します。こちらが、私の甥でヴォルフハルト」
 「お初に御目文字つかまつります。ヴォルフハルトと申す。」
 「楽にしていい。私はベルンのディートリッヒ、こちらがハイメにヴィテゲ、それからライナルトだ」
それぞれに自己紹介の挨拶をして、ディートリッヒたちはさっそく宿に向かった。大きなイベントの前だけあって宿はどこもいっぱいだったが、主催者の甥であるディートリッヒとその家臣たちには特別に宿がしつらえられていた。いわば、宴の前の控え室だ。
 あまりに豪華なのに、一歩入るなりハイメは面食らった。
 「…これ、オレたちの部屋?」
 「そうですよ。家臣ご一同様のお部屋です」
宿の主人が澄ました顔で言う。
 「ムリ。オレはパス。やっぱダメだわ、こーいうキラキラした部屋は。そこらへんにいるから、用があったら呼んでくれよな、じゃ」
 「ハイメ! またお前は!」
 「いいさ、ライナルト。お前も好きにしていい。ゆっくり疲れを癒すもいいし、町を散策してくるのもいいだろう」
 「しかし…。」
 「私も少し休みたいからな。」
そう言って、ディートリッヒは笑って椅子に腰掛けた。個性豊かな家臣たちが、おとなしくひとつところに纏まっているはずもない。むしろバラバラに行動していてくれたほうが、問題が起きなくていい。
 「…それなら、俺も少し出かけてこよう。」
ヴィテゲは、マントと剣だけを身に着けてハイメの後から部屋を出て行った。ライナルトは、溜息をつく。
 「まったく。あいつらは…。」
 「いやはや、噂に聞くとおり面白い方々ですな。さすがは叔父上の見込んだ男たち」
巨漢の男ヴォルフハルトは、楽しそうに笑っていた。


 さて、宿を出たヴィテゲは、これからどうしたものかと辺りを見回していた。
 街頭で歌う吟遊詩人にも、酒場でハメを外して騒ぐ下級騎士たちにも興味は無い。かと言って、部屋でじっとしているのも退屈だから外に出てきたまでのことだ。
 ハイメほどストレートに口に出したりはしないが、彼も、あまり騒がしいのは好きではない。今回の旅も、本当は乗り気では無かった。
 身分が高くなれば、宴会やら顔見せやら、いろいろと出席しなければならなくなるのは分かる。一介の剣士や、まして森の奥で細々と工芸品をつくる武器屋などで終わるつもりはなかったのだから、これは自分が望んでいた世界のはずなのに、何かが違った。
 ---無性に、両親と暮らしていた森が懐かしかった。
 何も持っていなかったあの頃は、ただ漠然と何かが欲しかった。けれど、多くのものを手に入れた今も、まだ、足りない。何も満たされてはいない。そのことを認めるのが嫌だった。
 自分が本当に欲しいものは何なのか。それは、もしかすると永遠に手に入らないものなのか…?

 「あの。」

 ふいに声をかけられて、ヴィテゲは足をとめた。
 考え事をしながら、いつのまにか通りを外れて町の入り口辺りまで来ていたらしい。目の前には、若い騎士にしては身なりのいい一人の男が、馬から降りて立っていた。
 「この町に、ベルンのディートリッヒ様が来られているとお聞きしたのですが。」
 「…ああ。来ている」
仕官を希望する者だろうか、などと思いながら、ヴィテゲは自分より少し年上の、その男を眺めた。どこか、その辺りにいる有り触れた兵士たちとは違う輝きを感じた。
 「宿はどちらでしょうか。是非ともお会いしたいのですが」
 「なら、案内しよう。俺も今から戻るところだ…。」
 「おお、もしかしてディートリッヒ様のご家臣でしたか? それは奇遇な。」
馬を引きながらにっこり笑ったその男は、北の地方に独特な、赤みの混じる金髪をしていた。珍しく興味にかられ、ヴィテゲは問うた。
 「あんた、名は?」
 「ディートライプと申します。」
このことを、もちろん、ハイメはまだ知らない。


 その頃のハイメがどうしていたかというと、町じゅうの馬チェックをしていたのだ。
 「うーん、ダメだなこの馬は。毛並みが台無しだぜ。やっぱこう…食わすものの質とか考えないとなぁ」
馬の世話は下級の騎士たちか馬丁が行うものなので、曲がりなりにもディートリッヒ直下の家臣であるハイメの如きが、厩でウロウロするのはかなり奇妙な光景だった。彼が馬にうるさいことを知っている、ベルンの人々は今さら何も言わないのだが。
 「あの…騎士様…? う、うちの馬が何か」
 「あぁお前、馬番? ちょいちょい。いいか、馬ってのはデリケートなんだぜ。コレはだめだろ、もっとこまめに飼い葉の世話してやんないとだな。こっちの馬は運動不足で腹の下がたるんでんじゃねーか。ちゃんと走らせてるか? それとだな、蹄が欠けてるのは…」
 こんな調子で、他の宿舎にまで出向いていって細かく注文をつけたとか。そしてまた伝説を作ってしまう、この男。

 だが、彼の一番の興味は、フン族の馬にあった。

 エルムリッヒ王の宴に招かれている、エッツェル王の率いるフン族とは、人馬一体の騎馬戦を得意とする騎馬民族だった。本来ははるか東方の奥アジアに住んでいたものだが、民族の大移動によって、アジアとヨーロッパの境い目に国を作った。
 巧みな手綱さばきと疾風のごとき襲来にて、平原で戦をして勝てる国は無いとまで言われ、「荒野の悪魔」と呼ばれた恐るべき軍勢。それが、フン族だった。
 神馬の飼育を一族の業とするハイメが、興味を抱くのは当然だった。
 「ま、奴等の馬でも、オレの馬にゃ勝てねーだろうけどな。どんな馬使ってんだろ。楽しみだな〜」
彼がサボらずおとなしくローマへ来たのも、実はそれが目的だったからだ、とか。


 と、そんなわけで、思うぞんぶん羽根を伸ばして宿に戻って来たハイメだったが、まさかそこに、あの男が待っていようとは。
 その時、ディートライプは望みどうりディートリッヒのもとに通され、謁見の最中だった。
 「…なるほど、デンマークからはるばると。それはまた、ご苦労なことだ」
 「はい。お噂に聞くディートリッヒ様に、是非ともお仕えしたく」
 (ん? この声…)
ドアにそーっと耳を近づけたハイメ、続いて、ドアの透間から室内をうかがう。
 中には、ディートリッヒとヒルデブラント、それに、1人の男の後姿があった。
 「ビーテロルフ殿の噂は聞いたことがある。そのご子息ともなれば…」
 「いえ、分かっております。しかし、ここは是非とも…」
途切れ途切れに聞こえてくる話声。
 そのとき、ハイメは、こちらに横顔を向けた男を見た。途端に、ファルスターの森での記憶が蘇る。彼は思わず大声を上げてドアを蹴っとばしていた。
 「あ゛ーーー!」
 「あ」
ディートライプが振り返る。
 「どうした、ハイメ? 何があった」
 「何って、こいつ! こいつはっ…あの時の…」
 「やぁ、覚えていて下さいましたか」
どもっているハイメに、にっこりと微笑むディートライプ。その笑顔からは真意は全く汲み取れない。彼は、続けて言った。
 「お久しぶりですねぇ、ハイメ殿」
 「『殿』とか言うな! 何でお前がここにいるんだよ? 何しに来た!」
 「…知り合いなのか?」
ディートリッヒもヒルデブラントも、意外そうな顔で二人を見比べている。
 「何なんだよ! なんか企んでるだろ、絶対!」
 「企むだなんてー、滅相もない。…約束は守りますよ? 私は。」
 「『約束』?」
怪訝そうな顔をするヒルデブラント。慌てたハイメがディートライプに身振り手振りで「あのことは言うな!」と伝えている間、ディートリッヒは、しばらく思案していた。
 「…まぁ、何だか知らないがハイメの知り合いでもあるようだし、そうだな。望みどおり、従者の末席に加えてやろう。
 「若、そんな適当な」
 「いいんじゃないか? 少なすぎるより多いほうがいい。それに、特に問題はないだろう。」
 「……。」
問題があるかどうかは、実際に使ってみないとわからない。単純に人を信用しすぎるのもどうだろうか、と、ヒルデブラントは思っていた。

 『確かにこのディートライプという青年、表向きは礼儀正しく身分にも不相応は無いが…どこか、気にかかるところがある。時折感じる、この不安は一体何なのだろうか。若には、王になる身として人を見る目を養っていただいたはずではあるが…』---ヒルデブラントの日記より。

 ディートリッヒは気が付かず、老獪なるヒルデブラントだけがわずかに感じ取った予感。もちろん、このディートライプが大人しくしているはずもない。
 めでたくディートリッヒのもとに迎えられ、本性あらわした彼が次に巻き起こす波乱とは?
 そして、弱みを握られている好敵手(苦手なタイプ)と再会したハイメの心境やいかに。

 ヴィテゲ「良かったな。話を振る相手が出来たぞ」
 ハイメ「お前のほうがマシだ…。」
 ライナルト「フン。確かにな。お前たちより、あいつのほうがずっとマシだ。」

 結局、いちばん苦労するのは纏め役のヒルデブラントであることは、今さら言うまでもない。


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