第12章 闇の中の死闘



 「誇りある死か、屈辱の生か。選べといわれたらどちらを取る?」

 そんな問いかけを成されたら、君はどう答えるだろう。人間、誰しもちょっとしたプライドはあるもんだけど、命かけてまで守りたいと思うようなモンじゃないと考える人も少なくないだろうな。
 しかし、ゲルマンの勇士たちにとって、死は、誇りに比べれば取るに足りないものだった。病気やその他の原因で、床において亡くなった戦士は、冥界の女王ヘルのもとへ下らねばならない。しかし、戦場で勇敢に戦って死んだ者は、父なる神オーディンの住まう天の宮殿に迎えられる。そのために、生きるか死ぬか分からない深い傷を負ったものは、せめて戦場で死にたいと、自らトドメを刺すことさえあったという。
 なんとも壮絶な生き方だが、その気持ち、オレにもなんとなく分かるような気がするんだ。いやいや、オレなんかは単なる腐れ詩人、こうしてどこか薄暗い片隅で講釈を垂れるしか出来ない人間だから、そんな立派な誇りなんて無い。しかし、人が魂を持っていて、その魂に永遠を願うなら、肉体の喪失なんか意味は無いんじゃないかって時々思うんだよな。
 ディートリッヒの国、アメルンゲンはローマを都とし、ゲルマン人とはいえもはや蛮族とは呼べなかった。しかし、だからと言って、身体に流れる血を誰が消せるだろう。文明の香りは、人の魂の奥底まで染み入ることは出来ない。
 この時のディートリッヒは、きっと、そんな魂の声を聞いていたんだろう。逃げることで、永遠に傷ついたままになる、誇りある魂を恐れたのだろう。

 倒されたエッケの死体のもとに戻ったディートリッヒは、不恰好な鎧を脱ごうとしていた。それは彼には大きすぎ、また、巨人の臭いが酷く染み付いていたからだ。
 けれどそこに、何かが忍び寄っていた。その巨体とは裏腹に静まり返った足音に、彼も、近くに来るまで、気配に気が付いていなかったのだ。
 「エッケ!」
と、巨人は怒鳴った。はっとして振り返ったディートリッヒは、呆然として立つ巨体を見上げた。その身体は黒々として、大木のように闇空にそびえたっていた。
 エッケよりも遥かに大きい。それが、もう一人の巨人、ファゾルドだった。
 ファゾルドは、ディートリッヒの足元の、打ち倒された弟の姿を見、それから、血走った眼で彼を睨み据えた。その口もとからは、焔のように熱い吐息が漏れた。
 「キサマが殺したのか。そうなんだな。しかも俺の弟の鎧を着て立っている。」
低く岩を震わす声に、ディートリッヒは、違う、それは誤解だと言った。鎧を着ているのは巨人たちの城に侵入するためで、エッケの死体を辱めたり、エッケの持ち物を奪うつもりではなかったのだと。しかし、ファゾルドは聞き入れてはくれなかった。
 「俺の弟は、今まで誰にも負けたことがない。ましてや、キサマのようなちっぽけな人間に負けるなど在り得ん。さてはキサマ、エッケが寝ているところを首を刎ねたのだろう。卑怯ものめ!」
 「違う。私は彼と正々堂々勝負をした。むしろ、先にかかってきたのは彼のほうだ!」
 「生意気を言うな!」
怒りに震える巨人の剣が、ごうと唸ってディートリッヒめがけて打ち下ろされた。身体に合わない鎧を着ていたのと、まだ戦いの意志が生まれていなかったのとで、ディートリッヒの反応が遅れた。
 その一撃は、小人の宝の兜、ヒルデグリムをも震わせ、彼をその場に打ち倒すほどに凄まじかった。ディートリッヒは気を失うような衝撃で、冷たい地面に倒れ伏してしまった。もしも普通の兜をかぶっていたら、彼は頭から脚の先まで真っ二つになっていただろう。それまで、ファゾルドの一撃を受けて、命を落とさなかったものはいないのだ。
 だが、ディートリッヒはまだ息をしていた。相手が死んだものと思い込んでファゾルドが背を向けたときには、すでに兜の下で、醒めた意識を奮い立たせていたのだ。

 ファゾルドは、それまで戦った誰よりも巨大で、強かった。勝てるかどうかは分からない。
 このまま死んだフリをしていれば、無事生きて帰れるだろう。だが、そうすることを、彼の誇りは決して許さなかった。また、たとえ相手が野蛮な巨人であっても、背後から切りかかることも許されなかった。
 ディートリッヒは奥歯を噛み締め、両手で地面を掴んだ。
 倒れた彼の視線の先に、エッケの手にしていた巨剣、エッケザックスが見える。さきほどのファゾルドの一撃、もしナーゲルリングで受けたとしたら、小人族の小振りなその剣は重みで折れてしまうかもしれない。だが、巨人族の剣ならば受け止めることが出来るかもしれない…。
 頭を振るい、立ち上がったディートリッヒは鎧を脱ぎ捨てる。彼の心から、迷いが消えた。
 海を渡る風が雲を吹き払うように、砂が波に洗われるように。闇夜の中から銀の月は目覚め、地平線の彼方で金の太陽は輝きを思い出す。
 剣を拾い上げると、それを星天に翳し大声で呼ばわった。
 「聞け、巨人ファゾルドよ! 我は貴様の弟、エッケの殺害者にしてベルンのディートリッヒ。貴様の一撃如きでは死なぬ。貴様が戦士であるというのなら、我と戦い、弟の仇を討つがいい。さもなくば、貴様はただの臆病者だ!」
この、咆哮にも似た宣言を、城に向かって歩き始めようとしていたファゾルドはしかとその耳で聞いた。そして、ぎらぎらと光る眼で振り返って、剣を翳すディートリッヒを見た。山が轟き、風が舞った。
 「今なんと言った」
巨人は鬚を震わせていた。
 「今なんと言った、小さき人間よ。俺を臆病者だと言うか。臆病などではないぞ。キサマのような虫ケラなど、俺の敵ではないと今すぐ思い知らせてくれる!」
彼は自らの剣を抜き、おおまたぎで、疾風の如く彼に斬りかかった。ディートリッヒも剣を振るう。
 打ち合う剣戟からこぼれる火花は辺りを照らし出し、闇は蹴散らされた。
 荒々しい戦いで、獣たちが恐れを成して森から逃げ出すほどだった。ファルケのいななきは木々をこだまし、麓の町の人々さえ、この山鳴りで激しい戦いを知ったという。

 長い、長い戦いが続いた。
 血のたかぶりを知り、互いに負けられぬ理由を背負った戦士たちの決闘は、どちらかが倒れるまで終わることはない。
 この戦いの中でディートリッヒは、かつてヴィテゲとの決闘で、自分に欠けていたものを知った。それは、「負けない」という気迫。劣勢になるや否や諦め、その場にいる誰かに助けを求めてしまった、自分の根本的な弱さだった。
 そんな過去を振り払い、乗り越えるかのように、彼はがむしゃらに戦いつづけた。傷ついても、血を流しても、決して倒れなかった。自分の何倍も大きく、力も強い巨人ファゾルドを前にして、一歩も退かなかった。そして時は過ぎ、いつしか空がしらみはじめる頃になって――――、
 そこには、深く傷ついた巨人と、肩で息をするディートリッヒの姿があった。
 ファゾルドは、死を予感していた。戸惑いもあった。彼は、人間など取るに足りない、弱い生き物だと思っていたのだから。こんなにも激しく抵抗する人間に出会ったことはなく、こんなにも自分を傷つける存在があることを知らなかった。

 「参った。負けだ。俺の負けだ」
真っ赤に染まった腕で、彼は剣を地面に放り投げ、どさりと草に腰を下ろした。長い時間の戦いで、さしもの巨人も既に脚は萎え、飛び散った血が辺りの岩をどす黒く染めていた。
 「ディートリッヒよ、俺はあんたの家来になろう。それで休戦としないか。」
 「いや…。私も傷ついた。これは引き分けということにしよう。それに、私はお前の弟を殺した。友情は生まれまい。」
いつか破られるかもしれない誓いなど要らない、とディートリッヒは思った。エッケの最期の言葉を思い出し、巨人の女王が何を考えるかが予想出来たのだ。
 「主従の誓いではなく、私はお前に、今後一切、麓の人間たちに迷惑をかけない誓いを要求する。」
 「分かった。ならば、俺は首の代償と、誓いの証しとして、あんたにその剣をやろう。弟の剣エッケザックス、巨人族の持つ宝のうち、もっとも優れたるものだ。並の人間には使いこなせないだろうが、あんたなら十分だ。」
 「そうか、ならばありがたく戴くとしよう。」
こうして、ディートリッヒは巨人と引き分けた。日が、ゆっくりと上り、木々の間から最初の光を投げかける。昨日までの邪気が嘘のように、樅の梢から零れる光はきらきらと輝き、血に濡れた大地さえも浄化されていくように感じられた。

 ―――それから後のことを、ディートリッヒは、ほとんど覚えていない。

 目を覚ましたとき、ディートリッヒは、どこかの宿にいた。
 「お、気がついたのか。」
 「…ハイメ?」
見慣れた陽気な顔が覗き込んでいる。これは夢なのだろうか、と、ディートリッヒは思った。
 かすかに薬草の匂いがする。傷口には丁寧に包帯が巻かれ、血に塗れた衣服も、すべて取り替えてある。
 窓の外には、あの巨人たちの岩山が見えていた。
 「びっくりしたぜ。途中までお前を追いかけてきたら、ここの山の麓で、血まみれのお前を乗せたファルケと出くわしてさ。何でも、山道の途中で倒れてたっていうお前を運んで来たっていうんだが…。何だか変わった二人連れだったな。『また会いましょう』とかって…。まるで知り合いみたいな口利きやがる。」
 「……。」
ディートリッヒは、黙って窓の外に目をやっていた。
 ハイメとすれ違ったということは、もう、この町にはいないのだろう。最後に、もう一言、声をかけたかったが。
 「あの人は…、いい歌を紡げただろうか。」
 「は?」
 「いや。何でもない…」
目を閉じながら、彼は、残りの言葉を胸の奥に仕舞いこんだ。
 ディートリッヒの巨人退治のうわさが、吟遊詩人たちの歌とともに広まるのは、それから間もなくのことである。

 彼らはやがて、残酷なまでの宿命とともに再び出会う。それはまだ何年も先の話、今は誰も、来るべき未来を知らない。けれど詩人たちは知っている。あのブルグントの悲劇を語るとき、ある美しき女王の死の饗宴を語る詩人たちは。


 『お戻りになられたディートリッヒ様は、笑顔で我々に言われた。自分は、とても大切なものを見つけたと。そこにおられるのは、もはや、私の知る幼い王子ではなかった。若が独り立ちの時を迎えることは、師として寂しくもあり、また嬉しくもある。
 そう、私が若に知って戴きたかったのは、単なる腕っ節の強さや武器の性能だけでは、戦には勝てぬということだ。王者に相応しい誇りと、戦士の魂。それらは、金や時間によって手に入れられるものでもなければ、教育によって身につくものでもない。祖先から受け継がれる血の呼び声に応え、己を見つめた者だけが知る、人としての真の価値なのだ。』―――ヒルデブラントの日記より


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