灰色の町の守護者…5



 眩しい光を感じて、メフェカトは目を覚ました。
 空を見上げているうちに、いつのまにか眠ってしまっていたらしい。
 「ほら、起きなさい。いつまで寝てるの!」
パケトの叱咤する声。寝惚けた目を擦っているメフェカトの側を、灰色の猫が苛立つように往復している。
 「行くって…どこへ?」
 「昨日行けなかった場所。この町の守護者が、自分の守る町のことも知らないんじゃ、話にならないじゃないの。行くの? それとも、行きたくないの?」
慌てて、彼は起き上がった。外に出られるのが、嬉しくないはずがない。
 朝日が眩しく足元を照らす。気持ちのいい風だ。灰色の谷を抜けてくる。
 「それじゃあ、まずは採石場へ行きましょう。」
 「さいせき…じょう?」
 「そうよ。あんた、人間たちがどうしてここに町を造ったのか、知らないの?」
 「…だって」
教えてくれなかったじゃないか、と言いかけて、止めた。パケトは、そんなことはお構いなしにどんどん先へ歩いていく。ぐずぐずしていたら、また置いて行かれてしまう。
 二回目ともあって、今度は、行き交う人々の間を抜けることにも慣れた。だが、やはり無視されているのには、慣れなかった。人ごみの中をゆくメフェカトとパケトに、誰も気がついていない。すぐ側を通っていても、振り向かない。話していても、こちらの声は聞こえない。
 「人間たちはね、ここから、石を切り出して川に沿って運ぶのよ。」
 「何に使うの?」
遅れないよう、けんめいに歩きながら、メフェカトが問い返す。
 「この辺りの家は、みんな土をこねて乾かしたので出来ているよ。」
 「当たり前よ、人間の家なんか石で造ってどうするのよ。どうせ、50年もしないうちに死んじゃうのよ。朽ちない石はね、『永遠の家』を造るために使われるの。神殿や、お墓よ。」
 「お墓?」
 「そ。主に王の墓ね。王様ってのは見栄っぱりらしいから、大きな墓を造りたがるの。神殿にしても、同じこと。だから、良質の石材がとれるこの場所に、石切り職人の町が出来たってわけ。分かる?」
 「…よく、分からない。」
 「また『分からない』? はぁ、あんたって、ほんとに…。」
溜息をつきながら、パケトはもっと足を速めた。慌てて、メフェカトも走り出す。
 通りを抜けると、目の前が広がる。
 灰色の崖が大きく斜めに傾いた場所で、男たちが、ひっきりなしに動き回っていた。近くに川が流れている。水路を掘って、崖のすぐ下まで水が引き込まれ、船着場が出来ていた。
 「よーし、ゆっくり下ろせ。そうだ、ゆっくりとな」
ネフェルトの父親が指揮を取って、切り出されたばかりの岩がゆっくりと船に積み込まれる。石の重さで半ば沈んだ船には、漕ぎ手となる人足たちが乗っているが、オールの数は少ない。
 「どうやって船を動かすの?」
 「簡単よ。川の流れは上流から下流へ流れるんだから、水なりに行けば目的地に着くわ。」
 「お墓…って、下流で作っているの?」
 「ええ、そう。ずっと下流のほうね。」
 「ふうん…。」
メフェカトは、他の町のことを知らない。この谷の外にどんな風景があるのかも、知らなかった。船に乗っていくと、一体どこに着くのだろう…。
「何してるの、行くわよ」
気がつくと、パケトは、もう次の場所へ行こうとしていた。
 「待ってよ、まだ…」
 「ここには、もう何もないわよ。採石場の守護者にでもなるつもり? あんな作業見てたって、大して面白くないわよ。」
 「でも…。」
振り返って、彼は、汗を流して働く大人たちの仕事場を見やった。皆、辛そうに見える。大粒の汗が滝のように流れ落ちて、体中、びっしょりだ。どうして、そんなにして力いっぱい働かなくてはならないのだろう? 誰かの墓を造ることが、そんなに大切なんだろうか?


 その日、パケトは、次から次へと色々な場所を連れまわし、様々なことを教えてくれた。
 市場のこと。人間たちは、お金というものがないと買い物が出来ず、食べものを手にいれられないのだということ。
 仕事のこと。人間は例外なく皆、仕事を持っているのだということ。石切り場には現場監督がいて、町には町長がいること。神殿には神官がいて、そのほかの人たちも、それぞれ役目をもって暮らしているのだということ。
 人間は、結婚というものをするのだということ。
 結婚した男女は夫婦になって、夫婦が子供をつくって、家族が出来るのだということ。だから結婚によって生まれない神には、普通、両親はいないのだということ。
 それから…。

 あまりに沢山のことがありすぎて、メフェカトは少し疲れてしまった。
 「どう? 町のこと、少しは分かった?」
 「うん。たぶん」
傾き始めた日が、谷を斜に照らし、深く切り込まれた影を色濃く照らし出している。
 「ねえ、パケト。人間にはみんな仕事があるんでしょ。僕は? 僕は、何もしてないよ」
 「あんたの仕事は町を守ること。そして、ここにいるだけで、あんたの存在自体が、町を守っているのよ。」
 「いるだけで?」
 「そうよ。あんたみたいな間の抜けた神様でも、大した力を持たない連中を遠ざけることは出来るんだから。」
 「…連中って?」
メフェカトは、それがいちばん知りたかった。
 人間には姿も見えない、声も聞こえない。なのに、どうして自分は必要なのだろう。 敵というのは、一体何なのだろう?
 「簡単に言うと、よくない精霊よ。人間に害を成そうとするもの。姿は…色々ね。蛇やサソリが多いけど、他の姿をしていることもあるわ。それから死者の国に行けない魂とかね」
 「どうして、人間に害をなそうとするの?」
 「分からないわよ、そんなこと。人間が嫌いなんじゃないの?」
パケトの口調は、また昨日のように苛立ちはじめていた。なぜ、と聞いてはいけないらしい。いちいち理由を考えて答えるのが面倒なのだ。
 「そいつらに聞いたって、大したことは答えないわ。だからね、あんた。間違っても、聞いてみようなんて――」
 「あっ。」
ふいに、メフェカトの視線が逸れた。

 神殿の前まで戻って来たところだ。
 神殿の入り口の向かい合わせの通りで、幼い子供たちが石を蹴飛ばして遊んでいる。メフェカトの視線が、その中にいる赤い髪飾りの少女に向けられているのに気づいて、パケトは足を止めた。
 「あの子なの、あんたが姿を見せちゃった子って?」
 「うん。ネフェルトっていうんだ。」
パケトは、ちらりとメフェカトを見る。
 子供たちは、甲高い声を上げてはしゃぎ回っている。もうじき日が崖の向こうに消えてしまおうというのに、家に帰ろうとする気配もない。首に下げた、お守りの青い石が弾むように揺れている。
 「あんたって、子供好きなんだ…。」
意外そうな口調だった。
 「雄猫は戦いにばかり興味があるのかと思ってたけど」
 「え?」
 「…ねぇ、あんた、祝福の与え方、知ってる?」
 「え?」
メフェカトは、きょとんとして足元の猫を見下ろした。
 「しゅくふく?」
 「あの子が首に下げてる石に、そっと息を吹きかけてあげてごらんなさい。心をこめて、ね」
よく分からなかったけれど、やってみようと思った。
 彼は、遊んでいる子供たちの輪の中にそっと滑り込んだ。誰も気がつかない。すぐ側にいるのに、気配すら感じていない。
 言われたとおりにして息を吹きかけたとき、ちょうど、子供たちの親らしき人々が通りの向こうから声をかけた。
 「…これで、いい?」
 「上出来よ。さ、アタシたちも戻りましょ」
子供たちは、ぱらぱらとそれぞれの親のもとへ駆け寄っていく。メフェカトは、神殿に入る前にちょっとだけ足を止めて振り返った。
 長く延びた影が、灰色の地面に延びている。
 母親のいないネフェルトは、誰か、親戚らしい女性に手を引かれて、家路を辿っていた。その首に下げた、小さな青い石が弾むように揺れている。きらきらと、…メフェカトたちにだけ分かる輝きを、放ちながら。
 「いまのが、祝福」
パケトが気取って歩きながら、背中越しに言う。
 「守護者の持つ力の一つ。吹きかける息で、気に入った人々の持ち物に、持ち主を守る力を与える」
 「ふーん、…」
メフェカトは、まだ、通りのほうを眺めていた。不思議な感じがした。自分の一部を分けたような、…そんな感じだ。
 けれど、今は意味がよく分からなくても、すこし役に立てたような気がして、嬉しかった。


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