灰色の町の守護者…13


 駆けつけたとき、通りには、子供たちの周りに大人たちが集まって何事かと様子を見守っている。
 膝こぞうを擦りむいて泣いている子供と、その子供の周りで呆然としている他の子供たち。そして、瞳を金に輝かせ、背中の毛を逆立てて何処かを見つめているパケト。
 「パケト!」
メフェカトの声にも、彼女は振り向かない。緊張の糸は、まだ続いている。気配は…ゆっくりと遠ざかる。
 「逃がしたわね。でも、まだ近くに仲間がいるかもしれない。」
 「仲間?」
 「まさか結界の中にまで入り込んでいるとはね。まぁ、今回は何とかなったけど、…」
ふらっ、とパケトの足がよろめいた。
 「パケト!」
 「大丈夫。ちょっと寝不足…」
慌てて駆け寄ったメフェカトの腕の中で、彼女は力なく微笑んだ。
 いつもと違う。
 もっと早くに気がつくべきだった。ここのところ、昼間は眠ってばかりだったのは、疲れていたからだったのだ。話し掛けると気丈な言葉を返すから、そのことに気がつかなかった。
 きっと、ひとりで夜の町を見回って、戦っているからだ。
 「ごめん。ごめんね、パケト。僕が…何も出来ないばっかりに」
 「何言ってんの、生まれたてのくせに。それに、あんたなんかどうせ足手まといよ」
 「でも…」
 「メフェカト様?!」
追いついてきた神官メルカが、はっとして足を止め、畏まって平伏しようとする。
 「ンなことやってる場合じゃないでしょ。礼を尽くすなんてのはいいから、今すぐ人間たちに伝えなさい!」
メフェカトの腕を振り払って、パケトは地面に降り立つ。金色の瞳の輝きが、神官を射すくめるように放たれた。
 「町の結界にほころびが在るわ。何匹かの『敵』が紛れ込んだ…。こんな町の中じゃ、アタシたちでは守りきれないかもしれないわよ!」
 「は、ははっ」
慌しく町が動き始める。
 若くても、頼りなさそうに見えても神官は神官なのだ。その神官が町の守護者から託宣を受けたとあっては、町の中は大騒動だ。
 そんな中、メフェカトは、パケトの様子が気がかりだった。
 「蛇よ。気配を感じて飛び出したときには、もう、子供たちは囲まれていたわ…。」
パケトは、胡乱な声で呟く。
 「いつものアタシなら簡単に始末できたのに。ちょっとしくじったわ。」
 「でも、パケトのお蔭で、子供たちは吃驚して転んだだけで済んだよ。他に怪我はしなかった。」
 「そうね。それが一番ね。特にあんたにとっては。はあ…。」
溜息をつき、パケトは前脚に顔を埋める。
 太陽の光に翳りが見える。珍しく、薄い雲が海から流れて来て空を覆っていた。
 「ねえ、さっき言ってた、町の結界っていうのは?」
 「…ああ。あれはね、町の守護者の力が及ぶ範囲のことよ。町の境界線。町と、町の外とを隔てる簡単な標なんだけど…人間に害を成すものは、そこから内側へは入りこめないように出来ているの。」
そんなものは見た覚えがない。
 ただ、町と、町の外側との境い目は、はっきりしていた。石切り場に続く道に、小さな石の塊が置かれていて、そこから先は空気の匂いが変わるのだ。
 「町に近づこうとする悪しきものを退治するのは簡単だわ。外なら、すぐに気配が分かるから。でもねぇ、いったん結界の中に入り込まれてしまったら、話は別よ。町の中はね、人間たちが沢山いるでしょ。奴らの気配は、人の匂いに紛れて感じ取りにくくなってしまう…。」
 「でも、結界の中には入り込めないはずだって。」
 「どこか、不備があったのよ。あんたのせいじゃない。人間たちが、町を作るときにちゃんとした手順を踏んでいれば、こんなことにはならなかったはずだわ。」
言って、彼女は入り口のほうを睨んだ。戻って来たばかりのメルカが、ハッとして足を止める。
 「町の代表者に、話はつけたんでしょうね。どこに不備があるか分かったの」
 「いえ…。」
 「ったくもう! なんて役たたずなの? アタシたちだけで、チョロチョロ動き回る町の住人全員守りきれるわけ無いじゃないの! ただでさえ、この町は谷間で気配がこもりやすいってのに」
 「も、申し訳ありません。」
 「頭下げてるヒマがあったら、町の連中かき集めて結界の建て直しさせなさいよ! こっちだってねぇ、体張ってんのよ?!」
 「…パケト、そんなに怒鳴らないで。メルカが悪いわけじゃないよ。」
 「アンタは黙ってなさいよ! はーもぉ、これだからっ…。」
言いかけて、パケトは深く、溜息をつく。メフェカトは人間に甘すぎる、と、言いたいのだろう。
 「…ま、確かにイライラしても埒があかないのは事実だわ。神官、あんた、このノホホンとしたのを連れて町の境界へ行きなさい。」
 「はい?」
 「このコに結界のことを教えてやりなさいってことよ。メフェカト、あんた、『敵』の気配は分かるわね。」
 「うん…。」
 「なら、結界のどこが綻んでいるか、アンタなら分かるはずよ。人間なんて当てになんないわ。自分たちで見つけたほうが早いに決まってる。」
有無を言わさず、2人は神殿からとっとと追い出された。
 神殿の前には、不安げな表情をした数人の人々が集まって、メルカを待っていた。
 「おお、メルカ様。どうでした。守護者様はなんと。」
 「町を包む守護の結界のどこかに、不備があるとのことです。これから、境界石をひとつずつ点検して回りますから。皆さんは、既に町の中に入ってしまった悪しきものから身を守れるようご注意なさっていてください。」
納得いかない、といったざわめきが、辺りから起こる。
 人々も、なぜ自分たちがこんなに不安なのか、分かっていないのだ。
 たかだか小さな蛇が数匹、町の中に現われただけなら、こんなにも不安にはならなかったに違いない。原因は…、そう、原因は蛇ではない。
 弱い者が本能的に感じ取る、抗えない力の気配。神と言葉を交わせるものは、もはや単なる動物ではない。見慣れた形の中に宿る、激しく荒々しい魂、秩序の輪から外れようとするもの。人には倒すことの出来ない存在なのだ。


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