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<巫女の予言>


 車はゆるやかな坂を上りきったところで、エントランスに滑り込むようにして止まった。
 政府要人が数多く訪れる、この国屈指の防衛都市・ギムレイの中心。首都ミッドガルドの塔ほどではないにせよ、ここにも立派な塔が建てられ、しかしそれは観光のためでも、威信のためでもなく、純粋に防衛設備の一つだった。
 車から降りてきたのは、現首相の息子と、その客人たち。ハリスは、出迎えと慇懃に言葉を交わし、ユーフェミアとルベットを建物の中に案内した。
 「首相の別荘、というわけでもなさそうだな。」
建物の中を見回したルベットが言う。
 「避難用シェルターと言ったほうが近いね。ここには、緊急時に備えて何でも揃っている。軍や政府各部署への指令網も、首相権限の必要な強力な兵器の使用許可も、もちろん軍設備だって一通り」
建物の中は、ものものしい雰囲気だった。人が走り回り、臨時に持ち込んだと思われる機材は廊下にまで溢れ、負傷兵を運び込んでいる部屋もある。窓の外には、トラックや戦車が並んでいた。その向こうには滑走路と、小型の飛行機。
 「あれは?」
ユーフェミアが指差す。
 「この国で数少ない、戦闘用の飛行機械さ。実は私も操縦免許だけは持っている」
 「……そう」
自動で床の動く渡り廊下を通り抜けると、その時は広々としたホールになっていて、人が集まっていた。彼らは、入ってきたユーフェミアとルベットを見るなり、腰を浮かせ、手を叩き、歓声をあげ、口々に騒ぎ立てながら走りよってきた。
 「ルベット! 無事だったのか」
 「あんた夏のお手伝いの子じゃないか。どうしてここに」
 「イザベルが… おかみさんが…」
 「政府の偉いさんどもめ、わしらをこんなところに閉じ込めおって! こっちの言うことはきかんのに、何をしたいんだ!」
<黄金のチェス亭>の人々だ。あっというまに、部屋の中は大変な騒ぎになった。
 「皆、無事で何よりだが、とにかく落ち着いて。落ち着いてくれんことには、話が見えん」
 「だめみたいね」
ユーフェミアは、苦笑した。泣いたり叫んだり、人々は興奮していてなかなか落ち着きそうも無い。ハリスはユーフェミアに囁いた。
 「私は、これから父のところへ行って来る。」
 「ええ、お願いするわ。時間がないの、すぐにでも会ってくださるといいんだけれど」
 「分かった」
ハリスは、その場を離れ、ドアの脇に立っていた男に何かを囁いて共に去って行った。ルベットはすでに仲間たちにもみくちゃにされている。どうやら、<黄金のチェス亭>で暮らしていた人々は、あのあとすぐにポンコツ軍用トラックで町に避難したところを政府軍に保護されたようだ。身分照会によって、彼らの正体が明かされ、彼らの発する警告に注目が集まることとなった。そして…、あの新聞記事の通り、というわけだ。
 「<アスガルド>はどうなるんだ。わしらの家は」
いつも海を眺めながら絵を描いていた老人は、入れ歯を落としそうになりながら騒いでいる。
 「あの美しい風景が二度と見られなくなってしまうのはごめんだ。それに、わしの絵。まだあそこにある。」
 「貴重な動植物を何だと思っておるんだ、あの馬鹿どもめが! 人間の都合で自然をめちゃくちゃにしおって。可愛いイモムシたちをよくも苛めてくれたものだ」
拳を振り回している小太りの男は、部屋で何種類ものイモムシを飼って、奇妙な蛾を羽化させていた昆虫学者の男。
 「まだ調査できていない地層があるのです…」
しょんぼりとしている、灰色の眼鏡の男は、鉱物学者か地層学者か。とにかく、皆がその世界では”著名人”なのだ。
 「…これが、イザベルの<エインヘリヤル>だったのね」
ユーフェミアは、呟いた。「…彼らも必要だったんだわ。あの場所に」


 コンコン、と、やや乱暴にドアを叩く音がした。ホールの喧騒が一瞬、静まった。
 入り口に、戻ってきたハリスと、黒服の男が二人、立っている。咳払いして、ハリスはユーフェミアとルベットに手を差し出した。
 「ユーフェミア・ブランフォード嬢、ならびにエル・トランデル博士。首相がお会いになるそうです。どうぞ、こちらへ」
静まっていたざわめきが再び起こった。
 「首相? 首相だって? わしらが何度も面会を求めても一度も出てこなかったぞ」
 「あの嬢ちゃんまで、どうして…」
 「おおい、ルベット! どういうこった」
ルベットは、仲間たちに苦笑して見せた。
 「すまんの、あとで説明するよ。行こうか、ユーフェミア」
 「ええ」
黒服の男たちは、ボディーガードか何かか。ついてこようとする人々を鋭い視線ひとつで追い返し、ホールのドアを固く閉ざす。
 彼らは建物の奥にある昇降式の小さな部屋に入った。
 「少し耳がツンとするかもしれませんよ。一気に上昇しますから」
 「私は大丈夫、慣れてる。ルベットは気をつけてね」
 「な、何?」
カチリ、と音がして、部屋が上に向かって滑り始めた。
 「お、おお?!」
ルベットは情けない声を上げて壁にしがみついた。「こ、これは…」
 「エレベーター」
ユーフェミアはそっけない。
 わずか数十秒。チン、と音がして扉が開いた。ふらふらしながら外へ出たルベットは、そこで二打火絶句する。
 「空が… 町が…」
そこは一面、ガラス張りの廊下だった。地表は遥か下。町を歩く人々は豆粒のようだ。
 「一瞬で、こんな高いところまで! なんという」
 「驚いていただむて何よりです。東の国から輸入した技術ですよ。さ、こちらへ」
両開きの扉は、ハリスが近づくと勝手に開いた。左右の黒服たちが道を開ける。
 部屋の中央にテーブルがあり、左右には、新聞でよく見るような顔ぶれが揃って席についていた。左右に四人ずつ。そして一番奥の席には白髪の混じった髪を品よく撫で付けた初老の男。全部で九人の閣僚。
 大きなガラス張りの窓の向こうには、平原の彼方に首都ミッドガルドの街並と尖塔が見えている。そこからは、今も、くすぶり続ける灰色の煙が立ち昇っていた。
 「お客人をお連れしました、首相。」
 「うむ」
それが、現首相、フライス・レミルトンだった。
 「あんた…」
ルベットは、目をしばたかせて一番奥の老人を眺めた。
 「そうだ、あの時! ミッドガルドでオルガムに襲われとった人じゃないか」
 「その節はお世話になったな、トランデル博士。お礼も申し上げられず失礼した。」
横転した車に乗っていた、あの白髪の男。
 「どういうこと?」
 「町でオルガムに襲われとった車を、ローグが助けたんだよ。」
 「父が仰っていた恩人が、あなたがただったとは。これは奇妙な縁だ」
ハリスも驚いている。
 フライスは、慇懃に話を進めた。
 「さて、その恩人に椅子と冷たい飲み物を。著名な学者殿とゆっくり話もしてみたいところだが、今はその時間がとれそうにない、残念ながら。――ところで、君が」
視線が、ユーフェミアのほうに向いた。彼女自身は、先ほどからずっと、首相の前に並ぶ大臣たちの要るような視線を感じていたのだが。
 「思ったより若い…失礼。正直に言って、君のような娘さんが、あの曰くつきの土地の守り手とは知らなかった」
 「初めてお目にかかります、フライス・レミルトン。人の手に渡されし、<ミッドガルド>の王座の継承者」
ざわ、と声が上がった。半分は、首相の名をどこの馬の骨とも知らぬ小娘が堂々と呼び捨てにしたせい。そしてもう半分は、おそらく、ハリスと同じ理由からだろう。
 「彼女は、クレイントンの継承者です、父上。古えの契約も、予言も全て知っている。私自らが確かめました――」
 「では、報告どおりなら、古えの一族の末裔でありながら、あの最先端のラングドットで生まれ育った、ということに? ふむ。何とも不思議なものだ。そして、ちぐはぐだ」
 「不思議でも何でもありません。私は外の世界も、この世界も、そしてあの世界も知っている。それら全てに共通する真実も知っている。あなたはお尋ねにならないのですか? 私が何を知っているのかを。知りたくはないのですか」
ユーフェミアは、一歩進み出た。彼女の良く通る声が部屋中に響き渡る。
 「単刀直入に申し上げましょう、レミルトン首相。あなたは、――過去を消し去りたい一心で、実は過去と同じ道則をなぞっているだけなのです。これは予言された破滅への過程です。
 <アスガルド>は、過去に一度滅びています。しかしその出来事は、あらかじめ未来を予言した人々によって書き換えられ、一部が”未完了”となってしまいました。その歪みを修正しない限り、時は前へは進みません。行われるべきことが行われるか、等価な出来事が代償として支払われるまで、何度でも破滅への過程を繰り返すのです。あなたがしようとしていることは、<アスガルド>の代わりにこの国を滅ぼして、対価として捧げる行為なんですよ。」
ざわめきすらも起こらなかった。ただ、かすかな咳払いと、失笑にも似た呟き。
 「……。」
フライス・レミルトンのみならず、ハリスも沈黙している。
 ややあって、レミルトン首相が低い声で言った。
 「我々に、それを信じろというのか。」
 「信じないのですか? あの<アスガルド>の生き物たちを目の当たりにし、過去にヴァニールの祖先が残した詩の通りのことが、今、目の前で起きていても? …でなければ、何故、私をここへ呼んだのですか」
 「偶然だ!」
閣僚の一人が顔を真っ赤にし、机を叩いた。
 「確かに、この国には古くから伝わる謎の詩や、言い伝えの類が山ほどある。だがな、そんなものは迷信だ。ほとんどはずれ、はずれだよ。どんな解釈だって出来る。予言なんてものは――」
 「”炎は七日間 町を焼き、あらゆる通りを嘗め尽くし、王は玉座より追放される”」
ぎょっとして、声を荒げた男は口を閉ざした。ユーフェミアは腕輪にもう片方の手を当てている。
 「滅亡の時<ラグナロク>の詩…」
 「”九人の王たちは協議の広間に集まり、黄金の盃を前にして、血を混ぜ、行方を決めるだろう”…お分かりでしょう、あなた方も分かっているはずなのです。これは、過去に行われるべきだったこと。続きはご存知なのでしょう?」
 「では、どうしろというのだ。」
首相は明らかに苛立っていた。それ以外に、反応のしようがないのかもしれない。「国はこの有様だ。どうやって立て直せというのだ。攻撃されているのに軍は引けぬ。」
 「いいえ、引く必要はありません。でも、<アスガルド>を攻撃はしないで。」
 「中心を叩かずして、災いは取り除かれん」
 「<大樹>が燃え落ちたその瞬間を、もう一度繰り返すつもりなの?」
ユーフェミアの言葉を、首相は意図的に無視した。席を立ち、手を振るって客人たちを連れ出すよう指示する。
 「時間の無駄だったようだ。案は出尽くし、協議は成った。すぐに準備にとりかかれ。そして一気に根絶やしにするのだ」
 「待って」
 「父上! もう少し話を」
ハリスが食い下がるが、閣僚たちはもはやこちらに注意を向けていない。黒服の男たちが左右からユーフェミアはルベットを掴んだ。首相の机の表面に、パネルがある。板をずらした中に隠されていたもので、透明な板に覆われたボタンが幾つか並んでいる。ハリスは、はっとした。
 「あれは、ミサイルのスイッチだ」
 「何だって?」
 「あれを押したら…」
ユーフェミアは、隙をついて男たちの腕を振り払い、駆け出した。予想外の強い力で振りほどかれて、黒服たちは無様にもよろめいた。駆けるユーフェミアは、まるで風のようだ。
 すぐさま追いすがろうとする黒服たちに、ルベットが横から足をひっかけた。わずかな隙。
 だが、ユーフェミアが部屋の端に届く前に、レミルトン首相は、最初の二つのボタンを押してしまっていた。
 「駄目!」
ユーフェミアが飛びついて、三つ目のボタンから指が逸れた。追いついてきた黒服たちが彼女を首相からもぎ話す。と同時にハリスも追いついて、三者はもみ合いになっていた。その背後で、ガラス張りの空に、二筋の閃光が真っ直ぐに走った。ギムレイの基地から、ミサイルが発射されたのだ。
 「見よ、何もおこらんではないか。これで――」
勝ち誇ったようにミサイルの描く軌跡を眺めていた閣僚たちの表情が、次の瞬間、凍りつく。「…何だ、あれは」
視界の端、空の向こうから、尋常ならざる勢いで押し寄せてくる黒い雲。いや、雲ではない。
 それは、無数の夜目ツバメの群れだった。ミサイルが突然ふらふらと軌跡を変えた。そして、一基がこちらに向かって向きを変えた。
 「う、うわああ」
 「こっちに来るぞ! 危ない!」
ギャアーッと悲鳴に似た声がすぐ近くで沸き起こった。衝撃でガラス窓にヒビが走る。黒い巨体、ニーズヘッグが一頭、ミサイルをかすめ飛んだ。ギムレイの司令塔に向かって来るかに見えたミサイルはとらに向きを変えた。そのまま遠くへ… 平原の彼方へ、ゆっくりと放物線を描きながら落ちてゆき… その場所は…。


 空に、白い閃光が走った。昼であって、昼ではない。
 人々は、光の中にある光景を見た。それは天を突く塔が、真ん中からぼきりと折れ、崩れ落ちてゆく瞬間だった。


 音は、聞こえなかった。あまりに遠すぎたからだ。だが、それは夢でも幻でもなかった。

 「”炎の剣は大地を貫き
  くさびから解き放たれた黒き翼が空を舞う

 私には見える、世界を支える柱
 かの偉大な木が 焼け落ちるのが
”」
 
凍りついた時間の中に、ユーフェミアの静かな声だけが響いた。


 「魔女だ!」
唐突に、誰かが叫んだ。テーブルを囲んでいた閣僚の一人が、青ざめた顔で、部屋の出口に向かって跡退ってゆく。
 「そいつが、あの化物をけしかけたに違いない。怪しい力で我々を支配するつもりだ、旧種族めが!」
 「予言など信じるものか。そいつの仕業に違いない! 魔女だ!」
 「誰か黙らせろ。捕まえて舌を切れ!」
もはやパニックと化していた。場内は大混乱だ。それを制したのは、ハリス。
 「黙れ!」
一瞬にして、声が止んだ。彼は父親の首を抱きすくめ、その後頭部に銃口を当てている。
 「ハリス! お前…」
 「ご子息、気が狂ったのか?!」
 「静かにしろ。彼女の話を聞け。」
ハリスは、銃口を父親に向けたまま、視線をユーフェミアのほうに流した。ユーフェミアは小さく頷いた。
 「私は、ラングドットで育ちました。――この国の外です。あなた方の誰も、あの東の国で暮らしたことはないのでしょう? 私は知っている。あなたがたの誰も知らないことを、あなたがた全員が、それとは知らず縛られている、この国の”過去”の外側を」
誰も、言葉を発しようとはしない。奇妙な威圧感が、沈黙を保たせていた。
 「あの東の国にも、人の作る因果律は存在します。でもそれは、人の手によって歪められ、そのせいで理不尽な死や不幸がはびこっていた。何でもあるがままを受け入れるのが良いとは言いません。しかし悪戯に運命をゆがめれば、それは本来の何倍もの負となって跳ね返って来るんです。
 ラングドットの人はみな短命です。人がこの世の理<ことわり>をゆがめ、本来あるべき運命を変えてしまったせい。道端の草さえ実を結ばず、鳥は歌わず、空は暗い。ほんのささやかな幸せのために、ほかの多くの不幸を背負う、それは本当に良いことでしょうか? …あなたがたが、本当にそれを望むなら私は止めない。人は己で未来を選ぶ。たとえ、その先にある未来が<滅び>の他には無いのだとしても」
彼女は、振り返ってハリスのほうを見、それから、凍り付いている閣僚たちの様々な表情を見やった。
 「ハリスから聞いたわ。あなたたちは、<アスガルド>を切り拓き、古い迷信を排除して、この国を変えたいのだと。今から私たちは、そうする。過去に決別するためではなく、一つの時代を終わらせるためにね。それは、あなたたちには出来ないこと。三つ目の鐘はまだ鳴らさないで、…お願い」
ユーフェミアは、一つ息をついた。ハリスは銃を構えたまま、父親を連れてそろそろと入り口のほうへ移動しはじめる。
 「正気か? ハリス」
人質にされた首相は、弱々しく呟いた。
 「ええ。もっと早く、こうするべきでした。あなたはいつも仰っていましたね。”己の正しいと思う道をゆけ”と。私はそうします」
入り口までたどり着くと、ハリスは素早くドアを閉め、エレベーターに駆け寄った。ユーフェミアとルベットはドアにつっかい棒をする。ここでやるべきことは、もう無い。部屋の中の連中が騒ぎ出す前に、大急ぎで立ち去らなくては。
 「脱出する。行き先は――」
 「<アスガルド>へ!」開いたエレベーターの中に転がり込む。「もうあまり時間がないの。塔が燃え尽きる前に、あそこに行かなくちゃ」
 「あそこ?」
 「<黄金のチェス亭>!」
床が下降しはじめた。ルベットは、またも悲鳴を上げて今度は床にへばりつく。
 「…車では、間に合わないぞ」
 「飛行機があるでしょ!」
ユーフェミアは、ハリスの肩を叩いた。
 「無茶を…。だが、そうするしかないな」
1階についた。
 開いた瞬間、廊下の向こうから駆けて来る黒服たちが見えた。まずい。
 「連絡が素早いな。捕まったら面倒だ」
 「走って、ルベット!」
 「老人に無茶を言うな」
その時、わーっと声が上がった。ホールから人々がなだれ込んでくる。手に手に、スリッパやら、水差しやら、椅子の足やら、無茶苦茶なものを握り締めている。
 <黄金のチェス亭>の人々だ。
 「お、お前たち…」
 「わしらも、ここから逃げることにしたぞ!」
画家が、ルベットを見つけて笑いながら手を振った。「いつまでも、こんなところに閉じ込められていちゃかなわんからな!」
 「そうだ! 政府のやつらは頼りにならん! おれたちが何とかするぞ!」
 「いくぞーみんなー」
人の波に気おされて、黒服たちがたじろいでいる。ユーフェミアたちを追いかけるどころではなく、後ろは大混乱だ。
 その隙に、三人は建物の外へ飛び出した。頭上にはまだ、無数の<アスガルド>の生き物たちが旋回していて、兵士たちはそちらに気をとられている。好都合だ。
 運良く、離陸直前まで支度された飛行機が見つかった。ハリスは運転席に滑り込み、後部座席にユーフェミアが、ルベットを引っ張り上げて乗り込む。
 「ベルトを閉めて! 離陸の衝撃は大きいから」
 「全く、今日は何て日だ…」
ぶつぶつ言っているルベットのベルトを、ユーフェミアが横から手際よく締める。小型飛行機は滑走路を走り出した。その前方に、黒っぽい夜目ツバメたちの乱舞が見える。
 「…まずいな」
ハリスは呟く。「これでは飛び立てない」
 「右へ旋回して」
ユーフェミアは、じっと空を見つめている。
 「”光の方角 青く輝く 黒雲の切れ間に 道は開けり”」
 「了解、巫女どの。その予言が当たることを信じて」
エンジンの出力が上がっていく。ハリスは、やや緊張した面持ちで操縦桿を握った。
 「…飛ばすのは久しぶりだが、…なんとか、なってくれよ!」
車輪が滑走路を離れる。右へ、太陽の見える方角へ。光の中に翼が銀色に煌く。その瞬間、真っ黒に夜目ツバメたちが散った。空だ。
 一条の青い空めがけて、飛行機は舞い上がる。地上ははるか彼方、そして世界が、翼の下に。
 ルベットは言葉もない。ユーフェミアは、窓にはりついて方角を確かめる。
 「逆方向! <アスガルド>はあっち」
 「分かってる」
ハリスはゆっくりと向きを変えていく。そのとき、眼下にミッドガルドの燃え盛る町並みが見えた。ミサイルが突き刺さって半分に折れた塔、かつて首都の象徴だった<ユグドラシル>の残骸からは、幾筋もの煙が上がっている。そのすぐ近くにあった、ミッドガルド中央大学が無傷だとは、到底思えなかった。
 「大学の蔵書が燃えていたら、ヨルムはひどく悲しむだろうな。」
ハリスは、ぽつりと言った。
 「――そうね。」
ノイズまじりに、操縦席の無線機から何かが漏れ聞こえる。ハリスは、音量を上げた。途切れ途切れの声。ギムレイの基地から発信されている通信だ。首都の惨状の報告、<アスガルド>付近に駐在する軍の報告。混乱した様子が伝わってくる。現在、<アスガルド>付近には異常に濃霧が発生、どうやら火災も発生しているらしい。もう一発のミサイルは、<アスガルド>に落ちたようだ。
 夕暮れが西の空を染め始め、気の早い満月が、地平線から顔を現そうとしている。
 翼の向かう先には、灰色に霞む地平線の向こうに、目指す未開地域の縁が見え初めていた。


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