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<王たちの広間>


 ヨルムは、草原を歩いていた。道はある。だが、そこに沿わず何も無い斜面を歩き続けている。
 <大樹>の張り出した梢が作る大きな日陰の中、ちらちらと時折り漏れる弱い太陽の光。海風が心地よい。だが海は、もっと先のほうにある。
 <大樹>の向こうにも、まだ大地が繋がっていた。はるかな斜面、黄金の麦畑。彼の側を、ヤギ飼いの子供が棒を手に声を上げながら走っていく。行く手には、白と黒のまだらのヤギの群れがのんびりと草を食んでいる。樹の根もとには、石づくりのがっしりとした城が、樹と隣り合わせに建っている。一部は樹と同化ししているようにも見えた。相当に古いものなのだろう。
 城の周りには、それぞれの仕事をしている人々が沢山いたが、誰ひとり、ヨルムには気づかない。中には、落ちてきた巨大な葉をせっせと丸める仕事をしている人もいた。遠くから見たときは健康に生い茂っているように見えた樹も、近くまでくると、幹がひどく痛み、下の方の枝の何本かは腐り落ちているのが分かった。寿命だろうか。

 彼は城へ向かっていた。正面入り口からは入らずに、樹と接するあたりの通用口から滑り込む。閂は開いていた。塔の見張りも何も言わない。
 暗く狭い物置を抜け、兵士たちの詰め所を通り、それでも、すれ違う人はみなヨルムの存在に気づいていない。廊下に出て、階段を上がる。広間だ。彼は天井に視線をめぐらせた。高い天井には、不思議な、蛇が絡み合うような模様がぐるりと描かれている。階段の先には、大きな扉。両脇の兵士は、まばたき一つせずに立っている。眠っているわけではない、だが、ヨルムが見えていないのだ。彼は迷わずそこに手をかけた。
 かすかな軋む音とともに、扉が開いた。
 そこは、巨大なホールになっていた。天井から差し込む光が、弱々しく照らし出している。正面の高座には、ひときわ立派な椅子が一つ。左右に、同じくらいの高さの椅子が四つずつ。全部で…
 「そこは九人の王の間」
背後で、扉の閉まるかすかな音がした。若い女の声。
 「最初に到着したのは、あなたというわけね。おめでとう、好きな席を選ばせてあげる」
 「――その前に、質問に答えてもらいたい」
ヨルムは振り返らない。
 「イザベル、あんたが時の循環を創り出し、この舞台を用意した”発端”だ。俺の見立ては、正解か?」
くすくすと笑い声。「座って。そうしたら、答えあわせをしましょ」
 ヨルムは、振り返らないまま進んで、椅子の背に手をかけた。一つ一つ。最も大きなもの意外は。椅子の背には小さく古代語で何かが書き記されていたが、それらは薄れてもうほとんど読むことが出来なかった。彼は入り口に近い、ひとつの席を選んだ。腰を下ろすと、女の声が言った。
 「それは”公正なる正義”の居たところ。彼は賢くて、何でも知っていた。そのわりに、自分のことは何も分からなかったけれど」
ヨルムの目の前を通り過ぎていく少女―― 少女と呼んで差し支えない年齢に見えた、その女は、ひどく汚れていた。着ているものもボロボロ、顔から肩にかけての半分は焼け爛れ、いつのものか分からない、真っ黒になった包帯を無様に撒き付けていた。無事なほうの顔半分には、青い目が輝いている。色は白い。無事なら、美しい顔立ちだっただろうと思わせる。
 「はじめまして、ね、あなたは誰かしら?」
 「ヨルムだ。ヨルム・ブランフォード。」
 「まあヨルム! じゃあ、あなたがユーフェミアのもう一人の弟ね。とても賢いと聞いた。あなたは相応しい席を選んだわね。」
少女は手を叩き、無邪気な声を上げながらくるくる回った。
 「招待客の顔も知らなかったのか… それに、その姿」
 「これはあたし、この時代のあたし。」
少女イザベルは、軽く服の裾をつまんで見せた。「忌まれ、嫌われ、恐れられ、ヨートゥンとともに大地の穴に放り込まれ、それでも生きていた恐ろしい子供。あたしの父は王ヘリアン、あたしの母は名も知れぬヨートゥンの愚かな女。父は千の偽名を持っていたの。本当の名前は誰も知らない。あたしの母にはヘリアンと名乗った、あたしはその名前しか知らない」
 「思っていたよりも、お喋りなんだな。…さて、話を聞こうか。他の連中が来るまでまだ時間はあるんだろう」
少女は一番大きな椅子に飛び乗って、勢いよく腰を下ろした。
 「いいわ。答えを教えてあげる。あなたの考えてることは半分だけ正解」
 「半分?」
 「もう半分は、フリッカとマーサが考えたことだもの。」
笑い声。少女は、ヨルムの表情を見て足をばたつかせた。
 「そんな顔しないで! 順を追って話すわね。あたしは時を書き換えたの。確かにそう、運命を変えたのは、このあたし。復讐のためよ――」
そこで、ふっと少女の表情が翳った。「あいつら皆に、恥をかかせるつもりだったの。世界が滅びると知って、あいつら突然、このあたしに頼り始めたんだもの。あたし可笑しかった。思い通りに皆を動かせるんだもの、だったら、この国をあたしのものにしてやる、って… いいように利用されてなんかやるもんかって。――だけど、途中から巧くいかなくなった。見えている未来と、現実に起こることが食い違って… そして、みんな死んじゃったの!」
座っていた椅子から飛び降りて、少女は次の椅子に移る。
 「――フリッカが来たわ。責めもしなかったし、何も聞きもしなかった。ただ、あたしのしたことの意味を教えてくれた。あたしは恐ろしくなった。そんなこと、するつもりじゃなかったんだもの」
 「そんなこと?」
 「この世界が滅びる、っていうことの意味よ。―― 本当の意味よ。<アスガルド>だけじゃなかったの、<ミッドガルド>も<ウトガルド>も、全てが壊れてしまうって」
降り注ぐ光の中に、しんとした沈黙。誰も入ってこない。物音もしない。この部屋だけは、時が止まっているかのようだ。
 「あなたならもう、知っているんでしょ。確定した未来は、変えられない。壊れる予定のコップをしまいこんでも、別のコップが壊れる。死ぬ予定の誰かを助ければ、代わりに誰かが同じ場所で死ぬ。戦う予定だった人を戦いに行かせなくても、代わりに誰かが戦うことになる。運命の変更は、等価な身代わりを要求する。たとえ、どんな些細なことでも」
 「……知っている」
それは、姉ユーフェミアとともに暮らしてきた今までの生活の中で、身をもって思い知った。
 「あたしは、知らなかったわ」
ぴょん、と椅子を飛び降りて、少女は、次の椅子にも腰掛けた。
 「あたしは片っ端から未来を変えてやったわ。だって気に入らなかったんだもの。本当の未来はね、あたしが変えてしまわなかったら、本当は」
 「本当は?」
ほどけかけた包帯の下から、もう片方の、金色の目がきらりと光った。
 「あたしは、ここにいない。あたしが死んで―ー あいつらに殺されて―ー… あいつらは生きて、<アスガルド>だけが滅びる運命だったの」
少女は、片方だけの青い瞳で、にっこりと笑った。ヨルムは押し黙っている。
 「素敵な未来でしょ? あたしは生き残って、あいつらは死んだ。<アスガルド>も残って…」
 「時が正常に戻れば、<アスガルド>も無事では済まないんだろう?」
 「そうよ、それがフリッカの教えてくれたこと」
少女は、かさかさの色あせた髪を、くるくると指に巻く。
 「ニワトリと卵は、どっちが先?」
 「…なぞなぞか。どちらも先じゃない。どっちも同じ」
 「でしょう? 時間は繋がってるの、ニワトリと卵。あたしが弄くったせいで、おかしくなっちゃったのね。<アスガルド>の中では、時間が進んだり戻ったり、同じ出来事なのに二回目はちょっとだけ違ってたり。アハハ、大変なことになっちゃった。」
次の席に移る。ヨルムのまん前だ。
 「ここは”恐れ知らずの剣”の席ね。次に来るのは彼かしら」
 「――フリッカのことは分かった。話を続けよう。その後は?」
少女は、少し頬を膨らせたが、文句を言わず続けた。
 「フリッカは言ったの、時の混乱は永遠には続かない、でもそのままでは元に戻ることも出来ない。助けを呼ぶ必要があったの。あたしはどうすればいいのか分からなかった。未来は遠すぎて、フリッカにもはっきりとは見えなかった。…あたしは一人で待っていた。そんな時、マーサがやって来た…」
マーサ・クレイントン、ユーフェミアより八代前の、最後のクレイントンの名を持つ館の主。
――行方をくらませた彼女は、やはり、ここへ来ていたのだ。
 「マーサは、人を集めるには宿を作ればいいって教えてくれたわ。世の中には、観光地っていうものがあるんだって。それが<黄金のチェス亭>の始まり。楽しかった…、二人ではじめた宿、あの頃が一番楽しかったなぁ」
 「マーサはどうした」
 「ここにいるわ、今でも」
笑って、少女イザベルは立ち上がった。「彼女はここにいる。ずっと… ここに」
 「……。」
少女は、はだしでぺたぺたと歩き出した。磨かれた床はまるで鏡のようだったが、そこに映る彼女の姿は朧げだ。足の裏は真っ黒で、指の爪は何本も欠けている。
 「その頃から、あたしはもう、未来を視なくなっていた。また変えてしまうのが怖かったからね。誰の明日も知りたくなかった。宿に来る人たちがどんな運命を辿ろうと、あたしは何も知らないままでいたかった。マーサと別れる日が来ることも、知りたくなかった…」
 「結論に至ろう」
ヨルムも立ち上がった。「あんたの望みは、何だったんだ? いや、あんただけじゃない。フリッカとマーサ、それに俺たちの祖父さんも関わって、俺たちにさせたかった役目は、一体何だ」
 「もう、分かっているんでしょ」
少女は足を止め、くるりと振り返った。


 「<アスガルド>の破壊よ。」


ヨルムは、ぎゅっと拳を握り締めた。それが――
 「あんたたちは、この時代を”待って”いた。何千年か、何百年か知らないが、…それは、」
 「そうよ、あたしが変えてしまった未来を、本来の筋書きに戻せる時を待ってた。本来起こるはずだったことをもう一度なぞり直して、本当の結末に至らせる。そうすれば、時の輪は壊れ、この世界<アスガルド>は自由になる。…もしそれがかなわないなら、代わりに外の世界が破滅するだけよ」
 「……。」
運命を変えることは、等価な代償を要求する。<アスガルド>の滅びを救うために、それ以外の場所の滅びを。救われた命の代わりに、別の命を。政府は、新型のミサイルをこの土地に打ち込もうとしている。過去には無かった強力な力。その力こそ、イザベルたちが長年待ち望んでいた、強制的に運命を書き換える力なのか。
 ――いや、違う。それだけでは、不十分だ。
 「あんたが変えてしまった、”本当の結末”というのは、一体何だ?」
少女は笑っているばかりだ。
 「ユーフェミアも来るわ。皆来る。そうすれば、きっと分かる」
声の最後のほうは、尾を引くように空気にすっと溶けた。気がつけば、少女イザベルの姿はもう、どこにもない。
 外の様子は分からない。出口は無く、扉は開かない。ヨルムは閉じ込められたのだ。この、真っ白な玉座の牢獄に。
 「…待っていれば、来るはずだよな。」
あの少女の言葉を信じてよければ、の話だが。―ー 席は全部で九つ。全て埋まるということか。
 彼は、椅子に腰を下ろして頬杖をついた。
 ここは<黄金のチェス亭>。過去の呼び名が何であったかは知らないが、…物語は、ここから始まり、ここで終わるのだ。


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