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<閉ざされた時の真実>


 <アスガルド>へ向かう車には、助手席にヨルムが、後部座席にはフェンリスとローグ、それにスコーティとスコーネルが載っている。小人たちの入った箱は、ヨルムの足元に置いてある。
 ハリスの車に乗るのは二度目だったが、今回は運転手が違っている。

 メリルと呼ばれていた、ハリスの父――つまり、この国の現首相の秘書だというこの若い女性は、秘書という職業柄か、必要以上のことは喋らなかった。馴れ合う雰囲気でもなかった。車は、田舎道をひたすら走り続けている。新聞やラジオで、既に各地の混乱は伝わっている。こんな時期に、わざわざ<アスガルド>へ向かおうとする者はおらず、逆方向に向かう馬車とは何度かすれ違ったが、同じ方向へ向かう者は誰ひとり見かけない。それどころか、旅行者やも仕事で移動する者もいないようだった。
 「この先は、封鎖されています。検問があるでしょう」
閑散とした道路を走りながら、メリッサが言った。「私は立場上、政府の通行許可証を所持ししていますが、疑われて照会されると面倒なことになります。―― この任務は、首相ではなくハリス様の個人的な発令ですから。」
 「検問では大人しくしていろ、ということだろう? 判ってるさ」
ローグは不機嫌そうだ。「…だが、賞金首が乗ってることまで誤魔化せるかどうかだな」
 「窓の覆いを」
メリルは表情一つ変えない。「よろしければ、検問前では運転席と後部座席の間にもカーテンを下ろしますが。外から中が見えなくなります。要人の私用車両には必ずついている機能です」
 「そいつは便利だな。」
 「…でも、なんだか狭くなるね」
フェンリスは、シートの上に縮こまっている狼たちを見やった。「少しだけ、ガマンしててね」
 <アスガルド>までは、数日かけて移動することになる。運転手は一人きり、それに給油も必要だ。休憩しながら行くしかない。
 「今のうちに、話しておきたいことがある」
ヨルムは、前の座席から後ろへ身を乗り出して地図を差し出した。「ローグに聞きながら、少し修正した。アスガルドの"今の"地形だ。おそらく」
 「今の?」
 「あそこでは地形も、刻々と変化しているからだ。<黄金のチェス亭>へ向かう道だが、おそらく、フランシェーロから向かう道は使えない。軍の監視が厳しいだろうし、ローグやお前の話を聞く限り、危険な生き物が集まってそうだからな」
フェンリスは、地図を覗き込んだ。ヨルムの几帳面な字で、町や遺跡、地形の名前が、事細かに記されている。
 「――そこで、俺たちはこの道を行く。」
ヨルムの指は、フランシェーロの町とは反対側、高地地方<ハイランド>に近いあたりを指していた。<アスガルド>と<ハイランド>を隔てる裂け目の始まるあたりだ。そこから、森と谷を突っ切って北から<黄金のチェス亭>へと向かう。
 「なぜ、この道を?」
ローグの問い。
 「ここが一番、"安定している"からだ。このあたりは遺跡も、珍しい地形も少ない。観光客はまず入り込まないし、近くに町も道も無く、外からの干渉は最小限に抑えられているだろう。」
 「なるほど。」
 「え、どういうことなの?」
フェンリスだけは、意味が判らず二人を交互に見比べている。
 「あの土地は、今までずっと閉じた環境にあって安定していた。それが、外から干渉された分だけ狂い初めているんだ。どう狂っているかは、行ってみないと判らないが…。行ってみたら、あるはずの無い地形がそこにあった、というよりは、道が読めたほうがいいだろう」
 「…<アスガルド>にいる、スコーティたちの仲間は無事なのかな」
 「言いたくはないが、フェンリス」
ヨルムは、弟の顔をじっと見た。
 「彼らは、閉じた”時の循環”の中に閉じ込められている存在だ。…仲間だけじゃない。彼らも、この先どうなるか判らないぞ」
 「どういうこと?」
 「<アスガルド>の他の生き物と同じだ。閉じた時間の中で、繰り返し、長い時間を生きているんだ。…お前たちは、<アスガルド>が滅びたその時から生きている、そうだろう?」
狼たちは、否とも応とも言わず、灰色の目でただじっとヨルムを見返している。
 「待ってよ。じゃあ… 呪いは解けないってこと? 時間が繰り返してるなら…。時間が普通に流れるようになったら、どうなるの?」
 「わからん。」
 「分からないって。」
 「ずっと考えているんだ。何故、<アスガルド>の時間を循環させなくてはならなかったのか。未来を恐れたから? 過去に固執しているから? それとも…」
ヨルムは地図を仕舞い、元通り助手席に身を沈めた。
 「<アスガルド>で、何かが起こったのは間違いない。その時を境にして時は流れを変えた。それが何だったのかが、分からないんだ」
 「姉さんも同じことを言ってたよ。僕らのご先祖様は、何か大きな”出来事”があって、それで<アスガルド>を捨てて今の土地に移り住んだ、って。それから…」
ヨルムは、助手船と運転席の間から身を乗り出す。「スコーネルたちが言ってた。昔、彼らがまだ人間だった頃、<アスガルド>で大きな戦いがあった、って。二つの王家が争いあった…」
 「争い?」
ヨルムは、顎に手を当てた。「…”エーシルとヴァニール、二つの一族は争いあい”… そうだ。何故気がつかなかったかだ。どんな資料にも、遺跡に戦火の痕跡が見当たらない」
 「ロードゥルの遺跡にも?」
 「ああ」
 「でも、ロードゥルの王様は、館で火をかけられて死んだって」
眼鏡の奥で、聡明な目が輝いた。
 「ということは少なくとも、今繰り返されている”時間”は、その戦争よりも”前”だ」
 「前…。」
 「そうだ。話が見えてきたぞ。リィムたちにも聞いてみよう」
ヨルムは足元から箱を取り上げた。「『友よ。訊ねたきことがある』…話を聞かせてくれ」
 箱の中で、ごそごそと動く音がして返答があった。
 『汝ら、かつて<アスガルド>に住みし者どもを知るや? 王家の争えり日を知るや?』
『…いかにも、我ら記憶せり。エーシルは争えり。しかして滅びん』
 『かの地に住めるもの、悉く滅びしや?』
 『我らは知らじ。我らの土地に住ませば… かの地に赴ける我らが同胞、一人として帰らじ。』
 「なるほど。『感謝する、友よ』」
箱を床に置き、彼は一つ大きく息をついた。
 「どういうことなの」
 「…何が起きたのかを知る者は、ただ一人を除いて誰もいない、ってことだ。フェンリス、その狼たちの呪いは、おそらく”口封じ”のためにかけられたものだ。人と言葉を交わすことのないようにな。彼らは、あそこで何が起きたのか知っている。だが、それを口にすることが出来ないんだ」
 「ただ一人… もしかして、まさか!」
フェンリスは、ヨルムの意図するところを察した。
 「イザベルさん? あの人が”悪い魔女”なの? でもどうして」
 「分からん。」
 「また?」
 「俺は物事の輪郭をなぞっているに過ぎない。今は、それしか分からない。根本原因… 一連の事象の中心にある根源については、情報が少なすぎる。」
 「いずれにせよ、<アスガルド>へ行けばハッキリすることだ」
それまで黙っていたローグが口を出した。「道のりはまだ長い。考える時間は十分ある」
 「……。」
 「そろそろ、検問を通過します。カーテンを閉めますね」
メリッサは淡々とした口調で言い、運転席と後部座席を切り離すカーテンを下ろした。車は、人気の無い道路をただ一台、危険に向かって走り続けている。行く手には、住人を失ってカラッポになった町が、点々と続いているはずだった。



 ユーフェミアたちの目指す第二首都ギムレイは、首都ミッドガルドからさらに南方、山間の自然要塞の只中にあった。他国との戦争や内乱を想定して建設されたその都市は城砦都市と言っても過言ではなく、この国で最も防衛能力の高いところだった。
 そこからは、首都を含む平原の主要都市が見渡せ、さらに山の反対側には、はるか遠くに海まで続くなだらかな地形がはっきりと見て取れた。
 「あそこは良いところですよ。夏には避暑地としても使える」
ハリスは、ゆったりと足を組んでくつろいでいた。政府要人専用の車両の中はまるで豪華なキャンピング・カーのようで、ソファにベッド、小さなキッチンまでついている。
 「何か飲み物は?」
 「いいえ、結構よ。ルベットはどう?」
 「わしも遠慮しておこう。この中にはトイレまではついていないようだしな」
ハリスは笑った。「懸命なご判断です。」
 車は、ミッドガルド周辺を大きく迂回してギムレイへ向かっていた。ミッドガルド周辺はゴーストタウンと化し、<アスガルド>の生き物たちが今も徘徊しているという。
 「歴史というのは、奇妙なものだ。」
ふいにハリスは言った。
 「不確かなことだらけ、知らないことばかりの虫食いの書物なのに、人はそれを明瞭なものだと信じている。我々は、いかに危うい足元の上に成り立っていることか」
 「過去が存在してはじめて、現在があることを知っていれば十分よ。大地の下に何があるのかなんて、全て知らなくてもいい」
 「あなたは全てを知っているのでは?」
 「私は不必要に何もかも掘り返したりはしないわよ。その土地から育ってくる草や木が、よく育つかどうかを感じ取るだけ」
にっこり笑って、ユーフェミアは膝の上に置いた自分の手の、その腕にはめられた腕輪に視線を落とした。
 「それにね…、真実を知るのは、時にとても恐ろしいこと。私は弟たちを、大切な人を、とても危険な目に遭わせてしまう。それを知っていて、変えられないのよ。今までもそうだった。母の先が長くないことを感じた時も、父が事故に遭うと分かっていて止められなかったあの朝も…」
 「――失礼。余計なことを言い過ぎました」
 「いいえ。」
首を振り、彼女は視線をハリスに向けた。
 「私は思うの、私よりも前の人々―― ずっと昔から私を知っていて、私よりも先に生まれて死んでいった、沢山のご先祖様たち… それが、私にとって"過去"の全てなのだと。歴史とは、書物に書かれた文字のことではないわ。過去を生きた人々そのものなのよ。あなたにとっても、誰にとってもそうよ。私が知る未来は、人の織り成す未来。人の築き上げてきた過去から続く物語の先なのだから」
車がかすかに揺れた。窓の外に、生々しい戦火の跡が残されている。軍の車両が止まっていて、通行する人や馬車を取り調べている。
 「検問ですね。…ここからしばらくは、軍が防衛線を張る地域を通ります」
 「ひどいもんだ」
ルベットは、道端に積み上げられた夜目ツバメの無残な死骸を見つめている。
 「動物もそうですが、中央は植物の侵食が酷いという報告です。一夜にして巨大なキノコが生えたり、苔が道を覆ってしまったとか。復興まで何十年もかかるかもしれません」
ユーフェミアもルベットも、押し黙っていた。車は再び動き出した。前後に護衛車がついている。
 「…私はずっと考えていた」
ユーフェミアは再び口を開いた、「何故、フリッカは大切な核心を何も残してくれなかったのか。…何故マーサは、クレイントンの森へ戻ってこなかったのか。<アスガルド>に起きた破滅的な出来事を、彼女たちは恐らく知っていたはずなのに。まるで、少ない手がかりからそこへたどり着くことを望んでいたみたいに」
 「あなたもまた、過去の人々が予言した未来の中にいる、そういうことですか?」
 「そうね。きっとそう。私たち兄弟が東の大陸で生まれ育ったのも、父が私たちに異なる世界を見せておきたかったからかもしれない。」
また車が揺れた。橋の手前だ。橋はまだくすぶった煙を上げ、落ちて間もない。
 「この国は、どうなるでしょうね」
ハリスの呟きに、ユーフェミアは静かに首を降った。そして、――真っ直ぐに彼を見つめた。
 「運命の振り子は揺れている。私には、はっきりとは見えない。でもこの先、未来を決める大きな選択肢があるわ。あなたにも、私にも。」
窓の外、はるか彼方に、空に向かって聳え立つ首都の塔が見えていた。だがそれは、いまや繁栄の象徴でもなければ、そのふもとに広がる輝かしい栄光の首都も存在していなかった。


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